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海外研究員レポート

米国における自由主義的社会政策

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050065

2006年2月

赴任前に数年にわたり在籍した社会政策関連の研究会で、世界の(学術的には先進国の例がもっとも理論的に整理されているが)福祉国家レジームは大きく三類型に分類されることを知った。北欧諸国に代表される、全国民を対象とした普遍主義的な制度を持つ社会民主主義型、職場連動型の社会保険が中心で、男性稼得者と専業主婦の妻と子どもからなる家族モデルを推進する範囲で制度を設計し、その目的に沿って政府が介入する保守主義型、そして政府の役割が小さく、市場に社会政策の多くをゆだねる自由主義型である。

米国はオーストラリアと並び、三番目の自由主義型の典型例とされ、日本は保守主義型と自由主義型の混合型と考えられている。米国に居住して半年、今回は比較的幼い子どもを帯同しての滞在となったため、市場に依存する自由主義型の社会政策を身にしみて経験する機会を得ている。非常に卑近な表現をすれば、強者に優しく弱者に厳しい自由主義型であるが、その現状はなかなか複雑である。中間層以上の市民は強者の中に入り、企業を中心とした民間部門が提供する社会政策を受けるが、日本よりも恵まれた社会サービスを享受しているケースも少なくない。

たとえば老齢年金については、昨年のクリスマス直前に、ニューヨーク市の市営交通でストライキが実施されたが、このストライキは、経営者側が赤字改善のために、年金受給資格年齢を55歳から62歳に引き上げようとする政策に反対したことが理由の一つである。 日本ではすでに公的年金は62歳が受給開始になっており、徐々に65歳に延伸される最中である。ニューヨーク市公共交通の経営者はこの受給年齢引き上げを断念したので、ニューヨーク市の地下鉄やバスの労働者は、今も日本の労働者よりも恵まれた労働条件にあるといえる。ただし市営交通そのものは毎年大幅な赤字を計上しており(昨年、一昨年とも収入とほぼ同額の赤字がある)、この恵まれた労働条件をどこまで継続できるものかは予断を許さない。

同じことは医療についてもいえる。米国の医療は市場メカニズムに従って運営されており、世界一高価であることはよく知られている。米国の製薬会社は、米国以外の国々で薬価が抑制されているため、米国での自由な価格設定に乗じて、他国で利益をあげられない分も上乗せして本国の薬価を決めているといわれている。診療も基本的に病院なり開業医が自由に報酬水準を設定できるので、同じ内容の医療サービスでも、医療機関や医院によって、請求額にかなりの開きが生じる。医療コストが非常に高いことは、米国の自由主義的な医療の欠点であることは論を待たないが、他方米国は、自由な価格設定と診療報酬のおかげで、世界の医療技術開発の最先端を走る。新薬の多くは米国で開発されるし、新しい手術方法、治療方法の多くが米国で発明される。たとえば悪性新生物の新しい治療方法や、心臓手術方式のほとんどすべてが米国で開発されていることはよく知られた事実であ る。市場に任せて、つまり人間の物質的な欲望に従って設計された自由主義的な医療制度によって、米国のみならず、世界の医療水準が向上し、従来助からなかった患者の生命を世界中で救っていることも事実なのである。言い換えると、米国民が負担するおそらく世界一拠出金が高い医療保険によって、世界の医療水準が向上し、その成果を米国以外の患者が享受している面があるのだ。ここに自由主義を単純に断罪できない側面が存在する。

とはいえ、周知の通り、この国はいまだ普遍主義的な、全国民を対象とした医療保険が存在しない。医療保険の設計は、個々の企業などの雇用者が独自に設計するものであり、労働者の福利厚生に配慮する大企業ほど、医療保険の負担が増大する。医療保険と老齢年金は、企業の財政を圧迫する大きな要因になっているのである。その意味で、個々の企業に社会支出の責任を負わせる現在の米国の制度は、かなり制度疲労を起こしているとも考えられる。ニューヨーク市の地下鉄やバスの場合は公営企業であるので、毎年赤字を計上していても税金が投入されるためにまだ継続可能であるが、純然たる民間企業の場合は問題はすぐに具体的な経営転換などによって現れる。昨年からGM、フォードをはじめとした自動車産業の経営悪化が報道されているが、これらの歴史ある企業の経営悪化の大きな要因は、老齢年金と医療保険の重い企業負担であるといわれている。今のところはGMもフォードも従業員の解雇によって苦境を乗り切ろうとしているようであるが、いずれどこかの時点で福利厚生の切り下げに向かわざるをえないのではないかと思われる。

次に教育であるが、米国の中では、マサチューセッツ州は公的教育の面では恵まれてい るといえよう。大学の多い土地柄からか、住民の教育に対する関心が高く、良質の教育を 受けるために高い学費を払って私立学校に子どもをやる必要は必ずしもない(ボストン市周辺の私立小学校の学費は年7千ドルから1万5千ドル)。ちなみに昨年8月にハリケーンで大きな被害を受けたルイジアナ州と、筆者の住むマサチューセッツ州アーリントン市の住民一人当たりの公的教育予算を比較してみよう。米国の教育は小学校から高等学校まで、基本的に各自治体の責任である。アーリントン市は2004年度予算で計算して住民一人当たり708ドル(2004-5年度)、これに対しルイジアナ州は784ドル(2003-4年度)と、ルイジアナ州の方が高い。ただしアーリントン市の人口は、ルイジアナ州よりも少子高齢化が進んでおり、教育予算を必要とする人口は相対的に少ない。ルイジアナ州の65歳以上の人口比率は2000年に11.5 パーセントであるが、アーリントン市の同年の同比率は16パーセントを超える。アーリントン市のデータが入手できなかったので、マサチューセッツ州全体の1995年のデータで代用するが、同州の14歳以下の人口は19パーセント強で あり、ルイジアナ州の22.3パーセント(2000 年)をかなり下回っている。さらにアーリントン市では、受益者である生徒の親に一人当たり年 1500ドルの負担を求めるため(教師の人件費にあてるというのがその理由である)、実際の教育予算はアーリントンの方がかなり高いと思われる。

これに関連して、働く親のための育児支援について述べよう。周知の通り、米国は今も少子高齢化問題のない数少ない先進国の一つである。子育て支援策などとらなくても、若年層は十分にいる。そのせいか、保育施設はすべて私立であり、政府の財政支援がない。ボストン市周辺の保育施設の月々の保育料は8万円から20万円にものぼり、両親の一方の収入がほとんど保育料に消える計算である。しかも8万円前後の安い価格帯は、ごく少数の、NGOや教会などが運営する非営利団体の保育施設のものであり(それでも日本の公立保育園の一番高い価格帯の保育料より高い)、数は少なく、運がよくなければそのような施設には入れない。筆者も小学校で知り合った働くお母さんたち何人かに聞いてみたが、皆子どもが小学校に入るまでは15万から20万円の保育料を必死で払ってきたそうである。

もし母親がシングルマザーで、あるいは両親ともに収入がそれほど高くなく、高額の保育料が支払えるだけの収入がない場合は、自分の親などの親族に預かってもらうしかない。親族の支援がなければ、いわゆる「Welfare Mother」(働かずに福祉のお世話になるシングルマザー、と悪い意味で使われる)にならざるをえない。米国では、とくに貧困層出身の若い十代の未婚の母などが、このカテゴリーに入って税金をただ食いする、と一部から 非難されるが、保育施設がこのように高額では、たとえ働く意欲があっても働けない。月20万円も保育料に支出した上で生活費も出せる、少数の高収入エリート女性でなければ米国ではシングルマザーはできないことになってしまう。

これほどまでに市場に依存する制度に慣れていない筆者としては、もう少し政府に負担を求めてもよいのではないかと思うが、あまり国民的合意の得られる考え方ではないようである。その大きな原因として、先進国の中では貧富の格差の激しい社会構造があると思われる。普遍主義的な医療制度や教育制度、子育て支援制度などは、結局のところ豊かな階層から低所得層への所得再分配効果を持つ。恒常的に移民が流入し、進んで低賃金に甘んじる彼らが社会の最底辺を常に形成する社会構造では、普遍主義的制度は、富裕層のみならず中間層が許容できる負担を超えると信じられているようである。実際には普遍主義的制度を導入することによって、低所得層から中間層に上昇する人々が増えることが期待できるので、中間層の負担は、彼らが恐れるほど増えるかどうかは筆者にはよくわからないが、少なくともそう信じられていることは確かである。

ちなみに、もうすぐ3人目の子どもを出産する予定のチリ出身の同僚は、これまで毎日ベビーシッターを頼んで働いてきた。今年度限りでチリに帰国するので、高い保育費用もあと少しの辛抱、と笑っているが、これはラテンアメリカの資本主義国では、低賃金で貧困層の女性を雇えるので、米国ほど保育に費用がかからないからである。しかしそれは低賃金に甘んじる貧困層がいるからこその好条件であって、貧困層の女性は、自分自身の子供は親族に預け、生活のために中間層や富裕層の女性の家事育児を引き受けている。米国より総じて女性の働く条件が整っているとはいえない。米国の自由主義型福祉レジームが支持され、政策として採用されているのは、先進国としては不平等度の高い社会構造が原因であるとすれば、この弱者に厳しい制度は、移民が流入し続ける現在の社会構造が変わらない限り変わらないだろうと思われる。