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「世界最大の民主主義」はどこへ向かうのか――2019年インド総選挙(後編)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050850

2019年4月

(7,159字)

ポイント
  • 大胆な経済改革を期待されたモーディー政権であったが、前政権からの懸案事項であった物品・サービス税(GST)の導入の他には、目玉になるような経済政策はこれといってなく、実現性に乏しいスローガンや派手なキャッチフレーズがむしろ目立った。
  • モーディー政権が経済分野で着実に成果を上げているという主張の根拠となっている経済統計に関しては、政府によるデータの隠蔽や改竄が強く疑われている。
  • 2016年11月8日に突如として発表された高額紙幣の廃止は、ブラックマネーの撲滅と偽造紙幣の根絶という2つの目的をいずれも達成しておらず、経済活動と市民生活に混乱をもたらしただけだった。その一方で、政治的レトリックとしては大いに効果を発揮した。
  • モーディー政権の5年間が焦点となる今回の総選挙を占ううえでは、政策面でのパフォーマンスだけでなく、政府・与党によるイメージ戦略と政治的議論のコントロールに対して有権者がどのような反応を示すのかという点が一段と重要である。
「モーディーノミクス」の虚実

2014年4~5月に行われた前回総選挙は、インド人民党(BJP)の圧勝と国民会議派の歴史的惨敗という結果に終わり、10年ぶりに政権交代が実現した(詳しくは、本論考の前編を参照)。

二大政党の間でこれほどはっきりと明暗が分かれたのには、いくつかの理由がある。まず、会議派を中心とする統一進歩連合(UPA)政権が有効な対策を講じられないまま、任期後半に入って経済状況が悪化したうえに、政府高官をはじめとする与党政治家による汚職への関与が次々と明るみに出るなど、政府・与党を批判するための材料に野党側が事欠かないような状況であった。それに加えて、BJPの首相候補であったナレーンドラ・モーディーの指導力と手腕に対する期待が有権者の間で高まっていたことも、重要な要因であったと考えられる。つまり、グジャラート州首相として12年あまりにわたって、同州の経済発展を主導してきたという実績への評価が、前回総選挙でのBJPの勝利に大きく貢献したといえるのである1。実際、選挙直前に実施された各社の世論調査でBJP の優勢が判明すると、株価は一転して上がり始め、さらに、開票日直前にBJP の大勝を予想する出口調査の結果が明らかになると、新政権のもとで経済改革が進展するという期待から株価は一段と上昇した。

では、経済改革への取り組みという点で、モーディー政権の5年間はどのように評価されるのだろうか。イギリスの『エコノミスト』誌は、会議派が前回総選挙で勝利し、UPA政権が維持されるという仮想のシナリオを検討したうえで、抜本的な経済改革を約束したにもかかわらず、モーディー政権は(想像上の)第3期UPA政権と経済政策の面ではほとんど違いがないと結論付けている2。さすがにこれほど厳しい物言いはしないものの、期待されたような大胆な経済改革が実行されなかったという見方については、「モーディーノミクス」に好意的な論者も一致している。

ただし、この5年間に経済分野で目立った前進が見られなかったということではない。実際、州ごとにばらばらだった各種の間接税を全国的に一本化することで税体系を簡素化し、経済活動をより円滑にすることを狙った物品・サービス税(GST)の導入は、モーディー政権の大きな成果といえる。ただし、これは前政権時代からの懸案事項であり、政策としては特に目新しいものではない。さらに、2017年7月にGSTが導入されて以降、様々な問題が顕在化していることも見逃せない。具体的には、小規模事業者などを中心に、申告書類の記入にあまりにも手間がかかるといった批判が出たほか、GSTの税収が当初予想していた水準にまったく届いていないうえに、それにもかかわらず、目前に迫った総選挙を意識して、各品目に設定されている税率を次々と引き下げるといった動きも見られる3

写真:モーディー政権による製造業振興プログラム「メイク・イン・インディア」(Make in India)の発表イベント

モーディー政権による製造業振興プログラム「メイク・イン・インディア」(Make in India)の発表イベント(2014年9月)。
GDPに占める製造業の割合を2020年までに25%へ引き上げるという目標を立てたものの、その実現は不可能と見られている。

たとえ大胆な経済改革が行われなかったとしても、経済分野で着実に成果を上げているのであれば、モーディー政権の経済運営は当然評価されるべきである。ところが、このような判断の基準となるはずの経済統計に関して、その客観性と信頼性が大きく揺らぐ事態になっている。なぜなら、都合の悪いデータの隠蔽や改竄に政府が関与しているという疑惑が、最近になって次々と浮かび上がっているからである。例えば、農村問題などとともに重要な政策課題となっている雇用問題については、雇用関連の統計調査の結果が一向に公表されないことが問題視されており、雇用情勢が悪化しているという結果が公にならないよう、モーディー政権が報告書を握りつぶしたといわれている。実際、メディアにリークされた報告書によると、これまで半世紀近くにわたって実施されてきた同種の調査の結果と比較して、近年の失業率は最悪の水準に達しており、モーディー政権下で雇用状況が一段と悪化している4

また、国内総生産(GDP)の成長率に関しては、モーディー政権が第2期UPA政権を下回ることが国家統計委員会によって発表されたが、この分析結果は十分な説明もなく後に撤回され、中央統計局(CSO)によって新たに行われた分析の結果、モーディー政権はUPA政権よりも高い経済成長率を達成しているという正反対の結論となった。この一件については、モーディー首相の肝いりで創設された政策委員会(NITI Aayog)の介入によって、GDPのデータが政府に都合よく改変されたのではないかと疑われている。さらに、今年2019年1月には、2016-17年(2016年4月から2017年3月まで)のGDP成長率が(前回の推定値からさらに1.1ポイント増の)8.2%であることがCSOより発表され、高額紙幣の廃止(後述)による経済的混乱にもかかわらず、同年のGDP成長率がこれほど高くなることはありえないという批判が経済学者などから噴出した5

政治的レトリックとしての高額紙幣の廃止

モーディー政権が独自に行った経済政策のなかで、最も大きなインパクトをもたらしたと考えられるのが、2016年11月8日の午後8時に突如として発表された高額紙幣の廃止措置である。国民に向けたテレビ演説のなかでモーディー首相は、1,000ルピーと500ルピー(当時、1ルピーは約1.6円)という2種類の高額紙幣の効力を翌日から停止し、無効となった旧紙幣については、12月30日までに銀行または郵便局の口座に預ければ、新たに発行される2,000ルピーと500ルピーの新紙幣に替えられると表明した。そして、市中に流通する貨幣総額の約86%を無効にする今回の措置には、(1)不正にため込まれたブラックマネーの撲滅、(2)テロ活動の資金源となっている偽造紙幣の根絶、という2つの狙いがあるとモーディー首相は述べ、高額紙幣を廃止するという政府の決定に国民の理解と協力を求めた6

ところが、これらの目的はいずれも達成されていないことが、その後明らかになっている。前者の目的については、旧紙幣から新紙幣に切り替えようと大量のブラックマネーを銀行口座に預金すると、脱税や汚職などの違法行為が露見してしまうため、ブラックマネーは新紙幣に変換されずに死蔵すると政府は主張していたが、結果的には旧紙幣の99.3%が銀行口座に預けられ、無効となったのは全体の1%にも満たなかった7。また、後者の目的については、数多くの防止策が施された新紙幣の偽造は困難であるとインド準備銀行(RBI)は説明していたが、新紙幣の発行からわずか数カ月のうちに精巧な偽札が発見されている8。したがって、「モーディー氏による最も独創的な政策は最悪の政策であった」と前出の『エコノミスト』誌の記事が評しているように、高額紙幣の廃止措置には大きな疑問符が付くのである。

写真:現金を引き出すためにATMの前で順番待ちをする市民

現金を引き出すためにATMの前で順番待ちをする市民(2016年11月、西ベンガル州ダージリン)。

興味深いことに、結果的には当初の目的をまったく達成できなかっただけでなく、経済活動や市民生活に著しい混乱をもたらしたにもかかわらず、高額紙幣の廃止措置はモーディー首相やBJP政権に対する有権者の反発を招くことはなかった。それどころか、現地メディアの報道を見るかぎり、現金を入手するために銀行窓口やATMの前で順番待ちをする一般市民からは、「高額紙幣が廃止されて本当に困っているが、モーディー首相は正しいことをした」といった声がむしろ多く聞かれたのである(実際、筆者自身もこのような声を現地でたびたび耳にして、大いに驚かされた)。そして、一般市民の間で肯定的意見が多かった理由を考える際に注目すべきなのが、高額紙幣の廃止措置を正当化するために政府が用いた政治的レトリックである。モーディー首相のテレビ演説にもそれが色濃く反映されており、以下の部分などはその典型といえる。

「不正を受け入れるか、それとも不自由を耐え忍ぶか、どちらかを選ばなければならない時に、一般市民はつねに不自由を耐え忍ぶ方を選ぶのを私はこれまで何度も目にしてきました。彼らは不正を受け入れないのです。繰り返しになりますが、私たちの国を浄化するためには、この大いなる犠牲へのみなさんの協力が必要なのです。」

つまり、「クリーンな一般市民」に「腐敗したエリート層」を対置させたうえで、政府・与党は「クリーンな一般市民」の味方であり、高額紙幣の廃止に反対したり、政府を批判したりするのは「腐敗したエリート層」――かつ「非国民」――がやることであるという政治的レトリックが、多くの国民に受け入れられたと考えられる(したがって、ネルー・ガンディー家によって牛耳られ、数々の汚職疑惑によって下野して以降は政権批判ばかりしている会議派は、「腐敗したエリート層」かつ「非国民」ということになる)。このような意味において、高額紙幣の廃止は経済政策などではなく、政治的な効果を狙った策動だったというべきだろう。そして、高額紙幣の廃止という文脈に限らず、このような単純明快な善悪二元論を頻繁に持ち出すことによって、モーディー首相はインドにおける政治的議論を巧みにコントロールしてきたのである9

モーディー政権のイメージ戦略は成功するのか

大きな期待を追い風に成立したモーディー政権であったが、GSTの導入の他には目玉になるような経済政策はこれといってなく、「モーディーノミクス」という表看板とともに、実現性に乏しいスローガンや派手なキャッチフレーズがむしろ目立ったといってもそれほどいいすぎではないだろう10。さらに、モーディー政権が経済分野で着実に成果を上げているという主張の根拠となっている経済統計に関しては、政府によるデータの隠蔽や改竄が強く疑われている。

これまでの議論から明らかなように、モーディー首相率いるBJP政権は、イメージ戦略――より踏み込んだ表現を用いるならば、プロパガンダと印象操作――とそれによる政治的議論のコントロールを非常に重視しており、メディアに対する圧力ともあいまって、それがかなりの効果を発揮している。モーディー政権の5年間が焦点となる今回の総選挙を占ううえでは、政策面でのパフォーマンスだけでなく、政府・与党によるイメージ戦略と政治的議論のコントロールに対して有権者がどのような反応を示すのかという点が一段と重要である。

著者プロフィール

湊一樹(みなとかずき)。アジア経済研究所地域研究センター研究員。専門は南アジアの政治経済。最近の著作に、「非政党選挙管理政府制度と政治対立――バングラデシュにおける民主主義の不安定性」(川中豪編著『後退する民主主義、強化される権威主義』ミネルヴァ書房、2018年)がある。また、訳書にアマルティア・セン、ジャン・ドレーズ『開発なき成長の限界――現代インドの貧困・格差・社会的分断』(明石書店、2015年)がある。

書籍:後退する民主主義、強化される権威主義

書籍:開発なき成長の限界

写真の出典
  • モーディー政権による製造業振興プログラム「メイク・イン・インディア」(Make in India)の発表イベント(2014年9月):Prime Minister’s Office (GODL-India), via Wikimedia Commons.
  • 現金を引き出すためにATMの前で順番待ちをする市民(2016年11月、西ベンガル州ダージリン):Monito [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)]
  1. ただし、「グジャラート・モデル」とも称される、近年のグジャラート州の経済発展については、それがモーディー州首相の手腕によるものなのかどうか、さらには、そもそも「モデル」と呼べるような実態を伴っているのかどうかなど、様々な疑問が付きまとっており、大いに議論の余地がある。この点については、Indira Hirway, Amita Shah, and Ghanshyam Shah eds. (2014) Growth or Development: Which Way is Gujarat Going? New Delhi: Oxford University Press; Maitreesh Ghatak(2017)"Gujarat model: The gleam of state’s high growth numbers hides dark reality of poverty, inequality," Scroll.in, 25 Octoberなどを参照。
  2. "Modifications," The Economist, 2 March 2019を参照。
  3. 2018-19年(2018年4月から2019年3月まで)のGSTの税収は、同年の当初予算で示されていた金額を1兆ルピー(約1兆6000億円)ほど下回る見通しである。詳しくは、2019-20年の暫定予算を参照。
  4. "India's unemployment rate hit 45-year high in 2017-18: report," Business Standard, 31 January 2019を参照。インドにおける雇用問題とモーディー政権による雇用統計の隠蔽については、"Your Morning Fix, Special: Did Indians find jobs or lose them? #TheModiYears," Scroll.in, 15 March 2019を参照。
  5. "Economic Statistics in a Shambles," Economic and Political Weekly, 16 March 2019を参照。
  6. モーディー首相のテレビ演説を参照。なお、8日夜のテレビ演説では一切触れられなかった、電子マネーの利用とキャッシュレス化の促進という目的がその後に付け加えられ、頻繁に言及されるようになった。この点については、"How Modi changed(and changed)the demonitisation narrative," IndiaSpend, 5 December 2016を参照。
  7. Reserve Bank of India(2018)Annual Report 2017-18(PDF), Mumbai: Reserve Bank of Indiaを参照。
  8. "Fake Rs 2,000 note: Counterfeiters copy 11 out 17 security features," India Today, 13 February 2017を参照。
  9. 2019年4月6日のBJPの創設記念日にあたり、同党の創設メンバーの一人であるL. K. アドヴァーニ元総裁が、「国家が第一、党は第二、自分自身は最後」と題するメッセージを個人ブログに掲載した。そのなかには、「(BJPは)異なる政治的意見を持つ人たちを『非国民』呼ばわりすることは決してなかった」など、(アドヴァーニを政界から引退させた)モーディー首相を暗に非難しているともとれる箇所がある。なお、モーディー政権およびモーディー・シャハ体制下のBJPの性格を考えるうえで、「人民を代表するのは自分たちだけだ」という反多元主義に着目したポピュリズム論である、ヤン=ヴェルナー・ミュラー(2017)『ポピュリズムとは何か』(板橋拓己訳、岩波書店)が参考になる。
  10. 例えば、絵所秀紀(2018)「『モディノミクス』とインド経済のパフォーマンス」(『国際問題』、2018年3月号、15-23ページ)もほぼ同様の見方を示している。ただし、前政権から引き継いだ貧困プログラムが着実に実行されているという評価(22ページ)は、全国農村雇用保証法(NREGA)のもとでの公的雇用プログラムの実施状況などを踏まえると大いに疑問である。この点については、湊一樹(近刊)「全国雇用保証法(NREGA)の政治経済学」(堀本武功・村山真弓・三輪博樹編『モディ政権とこれからのインド』、アジア経済研究所)を参照。また、スマートシティ、農村電化、(屋外排泄を解消するための)トイレ建設などの生活インフラ関連の計画についても、政府が主張するほどには成果が上がっていないとの批判がある。