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(2019年タイ総選挙)2017年憲法の議会・選挙制度からの検討

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050733

2019年2月

(5,520字)

議会・選挙制度をめぐる攻防

近年のタイの政治的混乱は、2006年のクーデタで追放されたタクシン元首相を支持する勢力と反タクシン派との対立を一つの軸に展開してきた。

タクシン派政党は、2001年以降の総選挙すべてで勝利し、民主的・法的正当性を持っていた(図1)。反タクシン派の一翼を担う民主党は、バンコクやタイ南部で支持を固めるが、巻き返しには成功しなかった。選挙で勝てない民主党、ならびに官僚や軍などの反タクシン派は、選挙自体が不正に行われたと主張し、タクシン派政権による汚職や職権濫用を糾弾することで、その正当性に疑問を呈し、政権退陣へ圧力をかけた。そのために用いられたのが、街頭での大規模な大衆行動や、憲法裁判所への違憲訴訟といった司法手続、そして軍事クーデタといった手段であった。しかしながら、何度倒してもタクシン派は選挙の度に政権に返り咲いてきた。その勢いをいかに抑え込むかが、反タクシン派にとって最大の課題であった。

図1 2001年以降の総選挙の結果

図1 2001年以降の総選挙の結果

(出所)アジア経済研究所編『アジア動向年報』各年版より。
(注)投票時の議席数。憲法裁判所が無効と判断した2006年と2014年の総選挙を除く。

両者の攻防の焦点となっているのが、議会・選挙制度である。反タクシン派が中心になって制定した2007年憲法では議会・選挙制度が大きく変更されたが、その後の総選挙におけるタクシン派の復活を阻止できなかった。2014年クーデタで再びタクシン派を政権から引きずり下ろした反タクシン派は、「仏暦2560年タイ王国憲法」(以下、2017年憲法)で議会・選挙制度のさらなる変更を試みた。2019年3月の総選挙は、反タクシン派にとって2017年憲法の新たな制度が試される最初の機会となる。

反タクシン派の中核となってきたのは、研究者が「王党派」と呼ぶ王室の権威や政治的な役割を重視する人々である。王党派は、王室関係者だけではなく、軍人、裁判官などの官僚、学者、あるいは都市中間層のなかに見出すことができる。反タクシン運動が広がったのは、彼らが新興のタクシン派の台頭を王室の権威を損なうもの、あるいはそれに対する脅威ととらえたことがあると言われる。絶大な人気を誇った前国王の時代においてはこの主張は反タクシン派が大規模な大衆行動を組織し、司法や軍を動かす上で有効であった。

しかしながら、新興勢力と既得権層との対立はあったとしても、タクシン派が王室に脅威を与えるような政策をとったわけではなく、政策面で両者の違いを見出すことは難しい。たとえば、タクシン政権は地方や低所得者層への配分を拡大し、バラマキ政策との批判を受けたが、その後の反タクシン派の諸政権も国民の支持を得るため同様の政策を重視した。また、タクシン政権期と同じ経済ブレインが参加する現政権にはメガプロジェクトなどの成長戦略に共通性を見出すことができる。

軍の政治的影響力は、1990年代の民主化の進展によって、決定的に後退したと考えられていた。しかし2006年クーデタ以降の政変のなかで、軍の政治的影響力が再び強くなっている。このことを端的に示すのが軍政の長期化である。一般にタイにおけるクーデタと憲法の関係は図2のようなパターンで捉えられる。軍政期、つまりクーデタによって憲法が廃止されてから、新憲法制定・総選挙までの期間が、1970年代以降、短くなったことが分かる。このことは漸進的とは言え民主化が進むなかで軍の政治的影響力の後退を示すものとしてとらえられた。しかしながら、2014年5月に始まる現在の軍政は、国王崩御の影響などはあったものの、その長期化が顕著である。後述するように、今回の選挙では2017年憲法の経過規定によって軍の影響力を温存する仕組みが含められている。

2017年憲法の議会・選挙制度はどのように設計されているのか。以下、1990年代の民主化運動以降の憲法論議を振り返りながら、新たなルールの特徴を示す。

図2 クーデタと憲法の関係

図2 クーデタと憲法の関係

(出所)筆者作成。
憲法規定の変遷――選挙に強いタクシン派をどう抑えるか
表1は、タイの議会・選挙制度をまとめたものである。1990年代の民主化・政治改革運動は、タイで最も民主的と言われた1997年憲法へと結実した。その1997年憲法のもとで選出された首相が、タクシンであった。タクシンに対抗する勢力は、1997年憲法そのものがタクシン派の台頭を許したと考え、その見直しを主張したのである。以下では下院、上院、首相指名という順序で変化の要点を見てみよう。

表1 議会・選挙制度の変化

表1 議会・選挙制度の変化

(出所)各憲法より筆者作成。 * 改正前。** 2011年選挙時は77
上院――公選制から任命制へ

1997年憲法より前の憲法においては、上院は公選ではなく、国王による任命制(官選)が採用されていた。上院議員には、軍・警察出身者を含む元官僚が多く任命されていた。1990年代の憲法改革においては、上院議員を選挙で選ぶことの是非が最大の争点の一つであった。

1997年憲法で、上院は完全に公選となった。憲法起草過程では上院に党派政治が浸透することへの強い危惧が表明されたことから、上院議員候補の資格要件として政党所属の禁止が明記された。しかしながら、実際の上院議員選挙では政党との関係が深い議員が多く選ばれ、党派性を払拭するという意図は十分に果たされなかった。この経緯を踏まえ、次の2007年憲法は上院議員150名のうち76名を公選(県を選挙区)に、残りの74名は非公選とした。非公選議員は、学術、国、民間、職業その他セクターの諸団体から指名された名簿から、憲法裁判所長官、憲法上の独立機関の長、最高裁判事、最高行政裁判事などで構成する上院議員選出委員会によって「選出」されたが、国王の任命とはしなかった。

2017年憲法はさらに踏み込んで、上院議員すべてを非公選としている。各グループの代表から選出された候補者のなかから、候補者が投票を行う「互選」によって、上院議員200人を選出するとした。行政、司法、農民、産業、公衆衛生、女性、高齢者・障害者などの20のグループに分けられ、それに該当しない者はその他のグループから立候補することが認められる。選出は郡、県、全国の3つのレベルで順に行われる。最初に郡レベルでグループ毎に立候補者の受付と立候補者による投票が行われる。同様に県レベルでは、各郡で選出された候補者によるグループ毎の投票により絞り込みを行う。最終的には各県から選出された候補者のグループ毎の投票によって各グループで10人、合計200人が選出される。一連のプロセスは選挙委員会によって管理される。

この方式は、すべての国民が立候補することができ、「互選」という形式に正当性を認めようとするものと言えよう。しかし、今回の総選挙にあたっては、憲法に設けられた経過規定により、最初の上院議員はまったく異なる手続きで選ばれる。この点については後述したい。

下院――小選挙区制の是正

下院選挙については、1997年憲法より前の憲法では中選挙区制が採用されていた。その結果、1990年代には下院における小政党の乱立が問題となった。これを是正するため、1997年憲法は、1つの選挙区で1人の議員を選出する小選挙区制に加え、政党名簿式の比例代表制を採用した(小選挙区比例代表並立制)。この制度の下では大政党が形成されやすいと言われる。実際に1997年憲法下で行われた2005年選挙では、タクシンが率いるタイ愛国党(TRT)がタイの政党としてはじめて下院で単独過半数を獲得した。やがてタクシンの強権的な政治運営に批判が高まると、TRT党政権の台頭を可能にしたこの選挙制度を、1997年憲法の「欠陥」とみなす意見が現れた。タクシン追放後に制定された2007年憲法は、この意見を踏まえて、選挙区制を中選挙区制へ戻した。比例区についても全国を8つの選挙区に分けた。しかしながら、タクシン派が選挙を経て再び政権を掌握した2011年には、小選挙区制が再度導入され、比例区も全国区に戻された1

現行の2017年憲法は、クーデタ前と同じ小選挙区制を採用したものの、比例区について議席配分方法を大きく変更した。従来の選挙では、有権者は小選挙区では地元の有力政治家に投票し、比例では全国政党(タクシン派政党か反タクシン派の民主党)に投票する傾向がみられた。新たに導入された小選挙区比例代表併用制方式では、有権者は小選挙区の候補者1人のみに投票する。政党は、小選挙区で獲得した得票数から算出された割合を越えて比例代表議席の当選枠を得ることができない。議席の占有率が小選挙区での得票率を上回ることはないので、特定の政党が議会で多数派を占めることは難しくなる。

経過規定と首相指名――権力温存の制度設計

タイで下院の第一党から首相を選出するという仕組みが定着したのは、1990年代以降のことである。1997年憲法は、下院議員であることを首相の資格要件と定めた。2007年憲法にもこの規定は残されていた。しかし2017年憲法は、5年間限定の経過規定を設けて、下院議員以外の者が首相になる道を再び開いたのである。また、各政党が総選挙にあたって自党の首相候補者名簿(3人以内で非党員でもよい)を提出することになっているのも、この憲法の新たな仕掛けである2

2017年憲法の経過規定によると、2019年総選挙後最初の首相指名は両院合同会議によって行われる。さらに最初に選ばれる上院議員250人は、2014年のクーデタ実行者である国家平和秩序維持評議会(NCPO)の助言に基づき国王によって任命される(第269条)。その手続きは、以下の通りである。

まず、選挙委員会とNCPOが任命する上院議員選出委員会が、それぞれ上院議員候補名簿を作成する。NCPOは、それぞれの名簿から議員を選考し、250人の候補者名簿を決定する。これには職務上の上院議員として、国防次官、国軍最高司令官、陸軍司令官、海軍司令官、空軍司令官、警察司令官の6人が含まれる(表2参照)。この決定は、総選挙の結果の公示から30日以内に行われる。上院議員は、ほぼ全員が実質的にNCPOの指名によると考えて良い。

首相指名は、これらNCPO指名の上院議員250名を加えた上下院合わせて750人の議員によって行われる。もし議会が政党の提出する首相候補者名簿の中から首相を選出できなかった場合、経過規定は第272条2項で非民選の首相を選出できると定める。

上院議員の任命制や経過規定は、1990年代より前の憲法においてしばしば採用されていた。これらの措置が復活し、今回の総選挙後の政治体制を特徴づけることになる。民選勢力の影響を最小限に抑え込み、NCPOの影響を選挙後も温存するための制度設計と言えるだろう。

表2 2017年憲法経過規定による国会の構成

表2 2017年憲法経過規定による国会の構成

(出典)筆者作成。数字は議席数。
憲法裁判所――司法の政治への介入

最後に、議会外で注目される司法の動きについて述べておきたい。憲法裁判所は1997年憲法で初めて設置され、2006年と2014年に政治混乱の中で行われた総選挙の無効を宣言したほか、タクシン派の与党に対して、選挙違反を理由に2007年、2008年に解散命令を出し、近年のタイ政治における重要なアクターとなっている。2017年憲法下でも、憲法の他に政党法、選挙法が、政党解散を命じる権限を憲法裁判所に与えると定める。2019年2月8日にタクシン派の政党の一つであるタイ護国党が王族を首相候補に担ぎ出そうとしたが、その翌週に選挙委員会が護国党の行為が解党に値するかの審議を憲法裁判所へ提起した。憲法裁判所がこれを受理したことで、今回の選挙でも憲法裁判所の司法判断が大きな鍵となりつつある。

このように議会・選挙制度をめぐる攻防は、司法をも巻き込む形で続いており、選挙後の政権成立過程にも大きな影響を及ぼすと思われる。

写真:投票所の風景(2011年、筆者撮影)

投票所の風景(2011年、筆者撮影)
著者プロフィール

今泉慎也(いまいずみしんや)。アジア経済研究所上席主任調査研究員。専門はアジア法(タイ、東南アジア)。主な著作は、 『タイの立法過程:国民の政治参加への模索』アジア経済研究所(2012年)。

書籍:研究双書

  1. 小選挙区の方が政治家同士の利害調整がしやすいという理由で、タクシン派以外の議員もこの改正案を支持した。
  2. 名簿提出は任意である。