調査研究

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タイ立憲革命後の経済ナショナリズム政策と官民関係(2022_2_40_022)

概要

本研究では、タイ現代史の出発点である1932年の立憲革命後に、革命を主導した官僚エリートと華人新興企業家の間に成立した官民関係に焦点をあて、経済ナショナリズム政策を通じて(1)タイの華人企業家に生じた役割の変化、(2)不安定な政治を前提に形作られた経済政策ネットワークの特徴について、分析を試みる。 タイの立憲革命を主導した「人民党」は、「タイ人のためのタイ経済」を掲げた経済ナショナリズム政策(1933-48年)を実施し、その過程で華人新興企業家の一部をタイ人として選別し、パホン政権(1933年6月-38年9月)とピブーン政権(1938年12月-44年7月)期から、華人企業家を登用した半官半民組織や経済政策委員会を数多く立ち上げた。これらを通じて、「人民党」と一部の新興華人企業家の間に相互依存的な官民関係が生成され、国営事業を立案・推進するネットワーク官僚制のひな型が形成された。1933-48年の間に、タイで7回も生じた政変に際し、このネットワーク官僚制は、トップを組み替えながら国営事業政策を推進する制度として機能し、華人企業家集団の政策への持続的な関与を可能にした、と考えられる。 従来、タイの国家ー社会関係の定説である「官僚政体論」ならびに「人種間分業論」では、タイの華人資本家は、経済ナショナリズム期のタイ人化政策で迫害をうけ、政治的庇護の必要から、軍・官僚出身の政治的パトロンの支配下におかれた脆弱な「パーリア資本家」として、位置づけられてきた。この想定から、タイは官僚出身の政治家が政治・経済権力と国の富を独占し、官僚に対抗できる社会勢力を欠く「官僚政体」であると論じられてきた。 実際、立憲革命の直後には、絶対王政時代に王族と関係を深め富を築いた華人家系の多くが、人民党とは距離を置いたとされる。また華人社会における中国ナショナリズムの影響を排除するため、政府が強烈な反共産主義政策を取るなかで、一部の有力な華人実業家には追放令も出された。しかし、1940年代に入ると、新興の華人企業家を筆頭に、一部の富裕な華人家系から国営事業に参画する者が出た。さらに第二次大戦後から、華人ビジネスがタイ経済の中心的役割を果たし始めたことから、「官僚政体」における「パーリア資本家」仮説の見直しが必要とされる(Suehiro1996; Wasana 2019)。立憲革命でいったん途切れた官僚と華人との関係は、1940年代の経済ナショナリズム政策を契機に新たな段階に入ったと推察され、ピブーン政権以後の権威主義的な体制を経済政策から支え、官僚政体を補完する役割も果たした。 上記の官民関係の生成とネットワーク官僚制への着目は、ナショナリズム期におけるタイ現代史研究の空白を埋め、タイの開発主義時代の原点を探る試みにつながるであろう。

期間

2022年4月~2024年3月

研究代表者

船津 鶴代

研究成果

アジア経済