環太平洋パートナーシップ協定の影響
アジ研TPP分析レポート
No.1
2015年10月5日、ついに環太平洋パートナーシップ協定(TPP)が大筋合意された。これにより、GDPベースで世界全体の4割をカバーしつつ、知的財産権、投資、サービス等、非物品部門に関する高度なルールを規定した地域貿易協定(RTA)の発効が近くなった。これまで様々な形で関税撤廃交渉が行われてきたが、近年の貿易は投資、サービスが伴ったものであり、さらなる貿易促進を達成するうえで、関税削減・撤廃のみでは不十分であった。つまり、製造業企業が国境越えて活動するようになったことで、投資に関する規制の緩和・改善が必要になり、現地で製造業企業がサービス投入をするにあたり、サービス分野の障壁撤廃が必要となっていた。また財貿易においても、関税が削減、撤廃されてきたことにより、非関税措置(NTM)の撤廃、改善がより重要になっている。しかしながら、投資やサービス、NTMについては、関税に比べ、グローバルなルール形成が不十分、未発達であった。サービスの貿易に関する一般協定(GATS)や貿易円滑化協定(TFA)など、世界貿易機関(WTO)を通じて最低限のルール形成は行われてきたが、より効率的な企業活動をするうえで不十分なものであった。なにより、昨今の関税交渉の状況をみても、WTOのような非常に多くの国家間で、これらのルール形成を行うのはもはや不可能であろう。
NTMの撤廃、改善に向けて、ASEAN諸国がASEAN経済共同体(AEC)を通じてNTMの分類の共通化を行っているように、ルールの構築は、地域ベースなど、限定的な数の国家間で徐々に進めていくほかなかろう。そのなかでも、ひとつの有効なフォーラムとして、RTAが挙げられる。実際、今回のTPPにおいて、投資やサービス等、非物品分野における高度なルール形成が行われた。例えば、サービス分野において、ネガティブ・リスト方式(各種義務が適用されない措置や分野を付属書に列挙する方式)が採用されたことも「透明性」「法的安定性」「予見可能性」を高めるのに貢献する。また、サービス業を中心に、外資出資比率規制等の外資規制が緩和されたことも重要である。セーフガード措置についても、濫用抑制規定を含むなどWTO協定以上の規律が規定された。
TPPに参加しないデメリット
TPPはアメリカ等を含んでいたことで、農業分野を中心に、国内でも大きな議論を呼ぶことは明らかであった。我が国がTPPになぜ参加する必要があったかを考えるうえで、もし日本がTPPに参加していなければ、どのような影響を受けたかを考えることは有益であろう。すなわち、ここではTPPの域外国に対する効果を議論したい。関税の場合、RTAメンバー間の関税率のみが削減・撤廃され、域外国は域内国への市場アクセスが相対的に悪化し、いわゆる貿易転換効果が発生する可能性があるため、明らかに負の影響を被るであろう。そのため、ここではとくに、非関税・非物品部門における削減・改善の影響を考える。その際には、「排他性」という視点が重要になる。
非関税・非物品部門の一部の分野では、その削減・改善の恩恵を受けるのは必ずしもRTAメンバー国間に限られない。例えば、サービス分野の外資規制緩和では、TPP域内の投資家が協定の恩恵を享受できるが、投資家の定義によっては、域内にある域外の外資系企業もTPPの投資家として恩恵を享受できることが見込まれる。また、少なくともその他のメンバー国から質の高い外資系サービス企業がTPP域内に進出すれば、域内にある域外の外資系製造業企業も当該サービスを享受することができる。その他にも、TPPでは、国有企業への非商業的援助(有利な貸付け等)を通じて他の締約国の利益に悪影響を及ぼすことが禁止されるが、これによる便益は締約国内で活動する非締約国の企業にも及ぶこともある。貿易円滑化措置においても、迅速通関などのルールが決められたが、こうした通関の迅速化は、TPP参加国が排他性のない通関措置を導入すれば、締約国の輸出企業のみならず、非締約国の輸出企業も享受できることとなる。WTOが今年発表した「World Trade Report 2015」でも指摘されているように、実務上、相手国に応じて、効率の良い通関システムと悪いシステムの両方を維持することにメリットはないため、排他性はなくなっていくかもしれない。協定違反があった際に、域外国は協定に基づいて当該国に措置改善などを要求することはできないため、一定の排他性は残存するものの、域内国が享受する、非関税・非物品部門の削減・改善による正の効果は、域外国にも裨益しやすい。
逆に、域外国が当該RTAメンバーに対して輸出・投資する際には、当該RTAで決められたルールに縛られるケースも考えられる。例えば、TPPでは貿易の技術的障害(TBT)、衛生植物検疫(SPS)に関して手続き関連の規律が主たる内容となっているが、仮にメンバー内で製品規格・基準を統一する、あるいは相互の製品規格・基準を調和させた場合、域外国がメンバー国に当該製品を輸出する際には、この規格・基準を順守する必要があるため、域外国企業は設備投資が必要となるかもしれない。また、TPPでは、環境や労働などこれまでにない新しい規律が盛り込まれている。環境基準や労働者の権利基準に関し、域内国で法制度の変更・追加が必要となるような措置が求められれば、当該国に投資する際には、そうした基準を順守する必要がある。製品規格・基準同様に、その際に設備投資等の順守コストを支払うことになるかもしれない。
このように、TPP域外国となると、関税上はもちろん、非関税・非物品部門においても、負の影響を受ける可能性がある。非関税・非物品部門における「純」効果が、実際にどの程度の大きさになるのかは、精緻な実証分析をしなければ明らかでない。とくに、TPPの非関税・非物品部門における削減・改善が域外国にもたらす負の影響は、各国における法制度等との乖離の程度によるため、国によって異なるであろう。今回、我が国も交渉に参加したこともあり、協定の概要をみる限り、製品規格・基準や、環境基準、労働基準について、我が国で追加的な法的措置が必要となるものはないようである。一方、今回のTPPにおける基準が、自国の基準よりも高いような域外国においては、域内国に輸出、投資する際には、新たな順守コストが発生することになるかもしれない。また、そのような負の効果が、TPP域内国以外との貿易・投資にも及ぶ可能性を秘めていることは重要である。すなわち、TPPで形成されたこれらルールが、将来的にグローバル・ルールになるならば、TPP域内国に限らず、外国と貿易、投資をする際に、自国が関与しないまま形成された非関税・非物品部門のルールに縛られることになる。
グローバル・ルールへ
RTAで決められた非関税・非物品分野のルールがグローバル・ルールになるには、いくつかの条件がある。言うまでもなく締約国の数、GDP等の経済規模の面で、十分に大きいRTAであることが重要である。TPPは、GDPベースで世界全体の4割をカバーする巨大なRTAであり、この条件を満たす。また、先発性も重要であり、一度、メンバー国数、経済規模の面から大きいRTAのなかでルール形成が行われると、当該RTAメンバー国はその他の国とRTAを結ぶ際にも、できるだけ当該RTAのルールに合わせようとするであろう。そのため、当該ルールの適用国は増加していくことになる。そして、参加国に途上国を含んでいる点も重要である。同じく高度なルール形成が目標とされているRTAに、アメリカ・EU間で交渉が進められている環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)がある。これは大西洋版TPPや欧米版TPPと呼ばれることもあり、TPPよりも大きな経済規模をカバーするRTAであるとともに、TPPよりも規律の高いRTAになるであろう。また、現在交渉が進められている日EU経済連携協定(日EU・EPA)においても、投資、サービス、NTMにおいてTPPよりも高い規律が設定されるはずである。しかしながら、これらは先進国間におけるRTAであるため、このルールは途上国が受け入れ可能な水準を超えたものとなる。一方、TPPはマレーシアやベトナムといった途上国を含んだRTAであり、知的財産や国有企業に関する規定など、多国籍企業が途上国において経済活動をするうえで重要なルールを含んでいる。今後、途上国を含むRTA内においてもルールを導入していくうえで、既に一部の途上国が許容したルールという点は重要である。このことはWTOの関税交渉の対立構造を見ても明らかである。TTIPや日EU・EPAにおけるルールが先進国間における高度なルールであるならば、TPPにより決められたルールは、WTOによる規律を超えた、グローバルに適用されるルールとなっていく可能性が高い。
今後の行方
今後、我が国はこのTPPのルールをグローバル・ルールへと成長させていくことが重要である。そのために、我が国は何をすべきであろうか。現在、同時並行で交渉が進められている重要なRTAとして、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)が挙げられる。これは世界第2位の経済規模を誇る中国、および9位のインドを含むRTAである。このRCEPにおいてもTPPのルールが規定されれば、TPPルールは間違いなくグローバル・ルールとなるが、中国やインドが現段階でこれを受け入れるとは思えない。まずは、日・ASEAN包括的経済連携(AJCEP)や二国間FTAの改正交渉を通じて、ASEANのなかのTPP非締約国にもTPPのルールを浸透させていくことが重要である。また、TPPをプラットフォームに加盟国数を拡大していくことも重要だろう。TPPは開かれた協定であり、世界経済の4割を占めるだけに、そのグラビテイも大きい。とりわけ、アジア主要国を取り込むことは、グローバル・ルールをアジアに広めるとともに、日系企業のサプライチェーンをTPPに取り込む効果も期待できるであろう。