2013年のエジプト経済

政策提言研究

2014年2月
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※以下に掲載する論稿は、平成25年度政策提言研究「中東・南アジア地域の平和システム構築に向けて」の分科会(「エジプト動向分析研究会」)の土屋一樹委員が、研究会活動を通じて得た知見を自らの責任において取りまとめたものです。

はじめに
2013年のエジプト経済は,過去2年と同様に低迷した。とくに7月の政変前後は,政治対立によって社会状況が混乱し,経済活動は停滞した。社会不安は強権的な秩序回復策によって解消に向かったが,年末まで低成長と高失業からの脱却の兆しは見られなかった。

一方で,経済政策は,政変を機に転換した。政変後に発足した暫定政権によってマクロ経済政策は修正され,また対外経済関係にも大きな変化が見られた。財政政策は,ムルシー政権の緊縮財政政策に対し,暫定政権は拡張財政政策を志向した。また金融政策は,ムルシー政権の金融引き締めから,暫定政権では金融緩和へと方針転換が図られた。政変前後で経済の基礎的な条件に変化があったわけではないが,経済成長政策は対照的なものとなった。

政変は対外経済関係にも影響を与えた。政変後は,ムルシー政権に対する主要支援国であったカタルおよびトルコとの関係が冷え込む一方で,サウジアラビア,UAE,クウェートの存在感が高まった。これら湾岸アラブ3カ国は政変後にいち早く経済支援を表明し,暫定政権の拡張財政政策の実施に大きな役割を果たした。周辺諸国との経済関係の変化は,政治的な要因によるところが大きい。ムルシー政権の基盤となったムスリム同胞団との関係が2国間の経済協力に反映されたのである。

政変は,成長率と失業率を直ちに改善させるには至らなかったが,株価指数が上昇に転じるなど,エジプト経済に対する見通しに変化が生じた。他方で,政変後の混乱によって,2013年後半の外国人観光客数や企業設立数は大きく落ち込んだ。さらに,インフレ率は過去3年で最も高くなった。2013年後半の経済状況は,期待と不安が交錯するものであったと言えるだろう。

本稿では,2013年のエジプト経済について,その動向と政策を振り返り,論点を整理する。政治対立が激しくなり社会混乱が再燃するなか,経済状況はどう推移したのか,どのような経済政策が志向されたのかを詳細に検討する。そして,2013年経済の論点となったマクロ経済政策の転換,社会公正の実現,対外経済関係の変化について,それらの要点と今後の経済への影響を論じる。

1.経済状況

1.1 2000年代のエジプト経済
はじめに2000年以降の経済状況の推移を確認する。エジプト経済は2000年代後半に高成長を実現した。表1に示したように,2001年に3.5%だった経済成長率は,2007年には7.1%となり過去四半世紀で最も高い成長率を記録した。2000年代半ばは,国内では経済改革が進展し,また周辺産油国は国際原油価格の上昇によって好景気となった時期であった(土屋[2006])。国内外での経済環境の好転によって,エジプト経済は成長局面にあったと言えるだろう。
高成長は,1人あたりGDPの増加をもたらした。2000年代前半にほとんど変化のなかった1人あたりGDP(実質値)は後半になって上昇傾向となり,年4%以上の増加を記録した。そして,2012年には3000米ドル(名目値)に達した。
表1:2000年代の経済状況
2000年代後半の高成長を象徴するのが株価指数の推移である。図1は,エジプト株式市場の代表的な上場企業30社から構成される株価指数EGX30の推移を示したものであるが,2004年頃から浮揚し,2008年前半にかけて大幅に上昇したことが分かる。その後,世界的な金融・経済危機とそれに伴う国際原油価格の急落によって株価指数は大きく下落したが,2009年以降に復調傾向となった。

他方で,2000年代後半はインフレ率の上昇も顕著となった。2000年代初頭に3%以下だったインフレ率は,2008年以降に10%を超えた。とくに,2008年初めの国際的な穀物価格の高騰によってインフレ率は上昇した。エジプトは主食である小麦の約半分を輸入に依存しているため,国際穀物価格の上昇は国内食糧価格に直結する。その結果,食品価格の上昇が主要因となり,2008年のインフレ率は18.3%まで上昇した。その後も2000年代末まで10%を超えるインフレ率が続いた。

経済成長率に顕著な変化が見られたのは,2011年以降である。ムバーラク政権崩壊(1月25日革命)以降の政治不安で国内経済環境が悪化した結果,2011年の経済成長率は1.8%,2012年は同2.2%と2000年代以降で最も低成長となった。さらに,失業率が上昇するなど,1月25日革命以降,経済状況は大幅に悪化した。
図1:株価指数の推移(2001~2013年)
1.2 2013年の経済指標
エジプト経済は1月25日革命以降に低迷した。政変にともなう政治的混乱によって一時的に経済状況が悪化することは不可避であり,エジプトでも当面の困難は予想されていた。しかしながら,エジプト経済は,当初の予想以上に低迷が続いたのである。

2013年のエジプト経済は,依然として政治不安の影響を受け,先の見えない状況にあった。前半期は政府に対する抗議行動,後半期は政変にともなう混乱によって経済活動は停滞した。その結果,表2から分かるように,経済成長率は減速した。それは人口成長率を下回る水準であり,1人あたりGDPはマイナス成長となった。

経済低迷の長期化によって一層悪化したのが失業率である。1月25日革命以降に高止まりしている失業率は,2013年には13%以上で推移し,改善の兆しは見られなかった。2011年以降の失業率は,統計データの確認できる1980年代以降で最も高い水準となった。若年人口の拡大期における経済低迷によって,失業者数はかつてないほどの規模になっている。

エジプト経済の特徴のひとつは,海外からの投資の役割が大きいことである。とくに政府は対内直接投資(FDIの流入)を重視している。2013年の対内直接投資実績は,前半に前年同期比で大きく減少した。流入額と純流入額ともに前年同期比で30~40%減少したのである(表2)。さらに,第2四半期には海外投資家によるポートフォリオ投資も縮小した。買い越し額および取引規模の両方について,第1四半期よりも減少した。
表2:2013年の経済指標(四半期)
表3:2013年の経済指標(月次)
経済状況は,政変によってさらに悪化した。表3にあるように,政変の混乱による外国人観光客数の減少,通貨安,企業設立数の低迷が続いたのである。政変直後の政治的な混乱や8~11月の非常事態令と夜間外出禁止令の発布など,2013年後半は社会不安が高まった時期であり,経済活動は停滞を余儀なくされた。

他方で,2013年後半に改善した点として,外貨準備残高の増加を指摘できる。エジプトの外貨準備残高は,1月25日革命以降に減少し,2010年12月の360億米ドルから2013年1月には136億米ドルと60%以上減少した。外貨準備残高は,輸入規模のおよそ3か月分にあたる150億米ドルを下回った2012年半ば以降に問題視されるようになり,外貨不足への懸念が生じた。しかしながら,2013年7月にサウジアラビア,UAE,クウェートからの経済支援によって外貨準備残高は約40億米ドル増加し,当面の外貨不足は回避された。もっとも,9月以降は再び減少が続いており,外貨不足への懸念が払拭されたわけではない。

以上のように,2013年を通して,経済は回復傾向にあるとは言えない状況であった。しかしながら,7月の政変以降,経済見通しは改善した。株価指数が反転したのである。図2は2013年のEGX30の推移を示したものであるが,年初から6月にかけての下落傾向から一転し,政変以降に上昇傾向となった。とくに10月以降に6000ポイントを超えたが,それは1月25日革命以降で初のことだった。経済回復への期待が高まったことを示すものだと言えるだろう。
1.3 2013年の経済動向
1月25日革命以降の経済低迷を象徴するのが外貨不足である。政治不安のために対内直接投資と外国人観光客数が減少し,その結果として外貨収入が落ち込んだのである。外貨不足によって為替闇市場も復活した。為替闇市場は近年では2003年頃以来の現象である。

2013年も年間を通して外貨不足が懸念された。その対策として,エジプト中央銀行は2012年末に,外貨管理と為替レートの適正化を目的として,為替オークション制度を導入した。また政府は経済支援による外貨確保を模索した。

ムルシー政権下で最大の支援国となったのはカタルであった。カタルは2012年8月に20億米ドルの支援を表明したのを皮切りに,2013年1月と4月にも計60億米ドルの追加支援を実施した。その多くは中央銀行への預金あるいは政府債の購入によるものであった。さらに,4月にはリビアからも20億米ドルの支援を受けたほか,イラクによる石油支援の表明(3月)など,周辺産油国からの支援を取り付けた。

2013年7月に発足した暫定政権でも外貨確保が喫緊の課題となることが予想された。ところが,暫定内閣が正式に発足する前の7月9日にサウジアラビアとUAEがそれぞれ50億米ドルと30億米ドルの経済支援を表明し,翌10日にクウェートも40億米ドルの経済支援を発表した 1 。さらに,UAEは9月に20億米ドルの追加支援を表明した。湾岸アラブ3カ国からの迅速な経済支援によって,エジプトの外貨不足懸念は 2013年後半に小康状態となった。

外貨不足に対する懸念が遠ざかった結果,S&Pは11月にエジプト政府の債務格付を2011年以来初めて引き上げた。エジプト政府の信用格付けは2011年以降に繰り返し引き下げられ,2013年前半にも複数の格付機関が引き下げを行っていたが,S&Pは11月15日に短・長期の自国・外国通貨建てソブリン信用格付けを一段階引き上げた 2 。湾岸アラブ3カ国による積極的な経済支援の効果だと言えるだろう。

エジプトへの直接投資は,2011年以降低迷しているが,2013年にはいくつかの大規模なM&Aや新規投資が実施された。銀行部門では,3月にカタル国立銀行がフランスの金融機関ソシエテ・ジェネラルのエジプト部門を25億米ドルで買収した。さらに,6月にはUAEの金融機関エミレーツNBD銀行がフランスの金融機関BNPパリバのエジプト部門を5億米ドルで買収した。石油部門では,フランスのトタルが5月にシェルのエジプト小売事業,8月にシェブロンのエジプト小売事業を買収した。また中国石油化工集団公司(シノペック)は8月にアメリカの石油会社アパッチがエジプトで保有する石油・ガス事業権益の3分の1を31億米ドルで取得することを発表した 3 。さらに,11月には計14件で5億米ドル以上の石油・ガス探査契約が締結された。2013年のエジプトへの直接投資は,撤退や事業を売却する企業がある一方で,新規参入あるいは事業拡大を決定する外資系企業も少なくなかった。

2.マクロ経済政策

2.1 財政政策
ムルシー政権と暫定政権は対照的な財政政策を実施した。ムルシー政権は,財政赤字の縮小を目的として,緊縮政策を採用した。2012年8月にIMFに対して改めて融資を要請し,融資実行条件である財政赤字の削減に取り組んだのである 4

財政赤字削減のための主な手段は,税制改革による税収の増加と補助金制度改革による支出の削減であった。ムルシー政権は,所得税制改革,売上税の税率引き上げ,エネルギー補助金の削減,キャピタルゲイン税の導入などを決め,2012年11月にIMFと48億米ドルの融資協定に暫定合意した。

しかしながら,改革内容の公表直後に大統領自らがその実施延期を宣言し,IMFとの融資協定の正式合意を留保した。当時は憲法改正をめぐって国内政治情勢が緊迫化していた時期であり,増税政策の実施は一層の政治不安を招くとの判断があったと考えられる。

その後,2013年2月に,包括的な経済改革の一部として,税制改革案が改めて策定された。その主な内容は,最低課税所得の引き上げ(年間所得9000エジプト・ポンド[LE]から同LE1万2000[約1700米ドル]へ),法人所得税の標準税率の引き上げ(20%から25%へ),売上税率の一部引き上げ(2%から5%へ),財産税の徴収などであった。しかし,結局IMFとの融資合意には至らなかった。

他方,2013年7月に発足した暫定政権では,当初から拡張財政政策が検討された。暫定政権の経済閣僚は,就任直後から緊縮政策に慎重な姿勢を示した 5 。例えば,ガラル財務相は緊縮政策よりも経済刺激策を優先させる意向を表明した。

暫定内閣は2013年8月29日に2013/2014年度の経済政策の概要を公表した。その要点は,経済成長率の目標を3%とし,その実現のために追加予算措置としてLE223億(約32億米ドル)の経済刺激策を実施するというものである。その主な投資分野として,送電設備の改修,道路整備,住宅建設といったインフラ整備が挙げられた 6

税制改革については,暫定政権の発足直後から2013年末に至るまで,財務相は繰り返し増税を行わない方針を表明した。暫定政権は,経済成長による税収増と湾岸アラブ諸国からの経済支援によって,財政支出を増加させても,財政赤字の縮小は可能であるとしている。

2.2 金融政策
現在のエジプトにおける金融政策の第1目的は物価安定である。金融政策の方針は,毎月1度開かれる金融政策委員会(Monetary Policy Committee:MPC)で決定される。MPCは,中央銀行総裁,2名の副総裁,6名の理事会メンバーの計9名で構成され,常設ファシリティ(翌日物預金金利と翌日物貸出金利)の調整および公開市場操作によって市場流動性を管理している。

2013年の金融政策は,まず3月に翌日物預金金利と翌日物貸出金利を50ベーシスポイント引き上げ,それぞれ9.75%と10.75%とした。その後,8月,9月,12月の3度にわたって翌日物預金金利と翌日物貸出金利を50ベーシスポイントずつ引き下げた結果,12月時点でのそれぞれの金利は8.25%と9.25%になった(図3)。とくに8月の利下げは2009年以来の引き下げであり,インフレ率が上昇傾向にあるなかで予期されていなかった(Werr [2013])。2013年後半の金融政策は,インフレ抑制よりも投資促進に軸足を移すものであったと言えるだろう。
図3:2013年の金融政策
2.3 格差是正
2011年以降の経済目標として,経済回復(成長)に加え,社会公正(social justice)の実現が重視されている。社会公正が具体的に何を指すのかについてはいまだ多くの議論があるが,その基本的な方向性として格差是正,なかでも低所得者層の収入増加への関心が高い。その手段のひとつとして,最低賃金の引き上げが検討課題となった。最低賃金は1月25日革命後に月額LE700(100米ドル)への引き上げが決定したが,さらなる引き上げが実施された 7

最低賃金の引き上げは,公的部門を対象として,2013年9月18日に月額LE1200(170米ドル)に設定された(実施は2014年1月から) 8 。月額LE1200は,以前から労働組合などによって要求されていた水準であり,2011年の最低賃金改定時には毎年LE100ずつの引き上げを実施し,5年後(2016年)に実現することを計画していた。一方,民間部門の最低賃金の改定は2013年中に合意に至らなかった。民間部門の最低賃金水準は,計画相を議長とする国家賃金委員会(National Council for Wage)において決定されるが,公的部門と同様に月額LE1200とすることで合意に至らなかった。

公的部門では最高賃金も設定された。2013年11月13日,暫定政権は公的部門の最高賃金を最低賃金の35倍(月額LE4万2000[6000米ドル])とすることを決定した(実施は2014年1月から) 9 。最高賃金水準は格差是正手段のひとつとして2011年から議論されており,最低賃金の改定に合わせて導入されることとなった。

2.4 対外経済政策
前節で述べたように,エジプトでは1月25日革命後に外貨不足が問題となった。ムルシー政権は,外貨不足を補う手段として, IMFとの融資交渉や周辺国からの経済支援に加え,貿易と投資の拡大を意図した2国間の経済交流を推進した。なかでもBRICSなど新興国との経済関係構築を重視した。ムルシー前大統領は,2012年8月の中国訪問を手始めに,トルコ(2012年9月),南アフリカ(2013年3月),ロシア(同年4月),ブラジル(同年5月)と次々に新興経済国を訪れ,トップセールスを繰り広げたのである。その際には,複数の大臣や経済団体も同行し,投資プロジェクトや貿易関係の拡大で合意した。

それに対し,暫定政権は,湾岸アラブ諸国との経済関係強化を重視している。12月には湾岸・エジプト投資フォーラム(Gulf-Egyptian Investment Forum)をカイロで開催し,湾岸アラブ諸国からの投資誘致を図った。暫定政権は迅速な投資資金の流入を重視し,以前から関係の深いアラブ諸国による投資再開に期待していると理解できる。

3.2013年の論点

2013年のエジプト経済の論点として,マクロ経済政策の転換,社会公正,対外経済関係の3つを指摘できる。以下では,それぞれの論点を整理し,今後の経済運営への影響を考察する。

3.1 マクロ経済政策の転換
マクロ経済政策は政変後に大きく変更された。経済回復という目的に変わりはないが,そのための成長政策は政変前後で対照的なものとなった。ムルシー政権では,マクロ経済の安定化を優先し,財政赤字の削減を目的とする緊縮財政とインフレ抑制が優先政策となった。政権発足直後にIMFに対して融資を要請し,その条件である財政赤字の削減(経済改革)に取り組んだのである。マクロ経済安定化への道筋をつけることで,民間投資の拡大,とくに海外投資の流入を期待したと言えるだろう。それは1991年に始まった経済改革・構造調整政策(ERSAP)と同じ志向である。また,IMFからの融資(融資条件の達成)は,EUやアフリカ開発銀行による経済支援の前提ともなっていた。IMFとの融資合意は,エジプト政府の経済改革に対する姿勢を示すものとして捉えられ,その成否に注目が集まった。

ムルシー政権は当初からIMFとの融資交渉を重視していたが,前述のように,2012年11月の暫定合意は国内政治情勢のために結実しなかった。その後も財政赤字削減に向けた模索は続いたが,IMFとの正式合意には至らなかった。財政赤字を削減するには,補助金支出の見直しなど政治的に困難な改革にも取り組む必要があり,政治情勢が緊迫化するなか容易に実施できるものではなかったためである。

それに対し,政変後に発足した暫定政権では,緊縮政策から転換し,財政支出の拡大と金融緩和を実施した。その背景には,経済低迷の理由は有効需要の欠如であり,財政支出の拡大によって需要を創出することで経済は回復するという判断があったと考えられる。さらに投資拡大のためには金融緩和が必要だとの考えから,インフレ懸念があるなか,8月以降に3度にわたって金利が引き下げられた。暫定政権の描く経済回復経路とは,拡張的なマクロ経済政策によって有効需要を創出し,雇用の拡大および成長率の上昇を実現させるというものであったと言えるだろう。

財政支出の拡大と金融緩和は,財政赤字の悪化やインフレ率の上昇をもたらし,マクロ経済の不安定化に繋がりかねない。それは民間投資を停滞させ,経済回復の阻害要因となる。拡張的な経済政策は,マクロ経済の不安定化が懸念されるとき,民間投資の呼び水とはならず経済回復に結びつかないと考えられる。マクロ経済の不安定化懸念を払拭するため,暫定政権は財政支出拡大のための原資を明確にした。湾岸アラブ3カ国からの経済支援を追加の財政支出に充てることで,財政赤字の悪化は回避できるとしたのである。暫定政権による拡張的な財政政策への転換は,湾岸アラブ3カ国からの迅速で大規模な経済支援によって可能になったと言えるだろう。

3.2 社会公正の実現
社会の安定化に不可欠な要素として重視されているのが社会公正の実現である。それは1月25日革命のスローガンのひとつであり,革命後の各政権において重要課題と認識された。しかしながら,社会公正とは何か,またその実現のために必要な政策は何かといった点において,必ずしも国民の間に共通の認識が形成されているわけではない。

1月25日革命時に共有されていた経済的な不満は政権の汚職と2000年代の生活水準悪化であり,それは不公正な経済運営の結果だとみなされていた。政権に近い一部のビジネスマンが経済機会を独占して利益を上げる一方で,大多数の国民は実質所得の低下に直面したとの認識である。従って,不公正を是正し社会公正を実現するには,汚職の追及と生活水準の改善が要件になると考えられる。

汚職の追及については,ムバーラク政権崩壊直後から,閣僚や政治家の訴追,国家資産の売却に関する不正疑惑の追及など,ムバーラク政権の「クローニー」に対する摘発が行われた。しかしながら,その中心的存在の一人であったアフマド・エッズは2013年12月に再審理となるなど,ムバーラク政権期の汚職疑惑はいまだ決着がついていない 10

他方,生活水準の改善では,まず最低賃金の引上げと雇用確保に焦点が集まった。1月25日革命時から再び活発化した労働ストライキは,その多くが賃上げと雇用の正規化を求めるものであった。それに対し,2011年の暫定政府は最低賃金の引上げと公的部門での雇用拡大を実施することで労働者の声に応えた。最低賃金は,前節で述べたように,2013年9月に再び公的部門について引き上げが決定された。最低賃金水準は政権にとっても関心の高い問題であり,社会公正の実現に向けての主要な側面のひとつとみなされていると言えるだろう。

汚職の追及と最低賃金の改定以外で2013年に模索された社会公正に関係する政策として,税制改革,補助金制度改革,公的部門における最高賃金率の設定,セーフティ・ネットの再構築などを指摘できる。そのうち,税制改革はムルシー政権において,また最高賃金率の設定は暫定政権において決定された。さらに,補助金制度改革とセーフティ・ネットの再構築は,両政権において模索された 11 。各政策に共通するのは低所得者層への再分配であり,平等政策に分類できる。しかしながら,再分配政策の再構築は緒に就いたところである。また,平等政策が社会公正のすべてではないだろう。社会公正の実現については,その概念も含め,今後も主要課題となるだろう。

3.3 対外経済関係
エジプト経済は対外依存度が高い。それは貿易だけでなく,海外からの投資流入,外国人観光客,出稼ぎ労働者送金など,投資と金融の面も含む。さらに,2011年以降に外貨不足が顕著となるなか,通貨危機を回避するための経済支援の要請が不可欠となっている。そのため,2国間関係の変化は,以前にも増して経済活動に影響を与えるようになった。

経済支援については,ムルシー政権時は,前述のようにカタルが最大の支援国となった。その理由は政治的なものであると言えるが,IMFとの融資交渉が合意に至らないなか,カタルは度重なる支援供与によって突出した支援国となった。それに対し,暫定政権下ではサウジアラビア,UAE,クウェートの湾岸アラブ3カ国が支援国として名乗りを上げた。政変直後に大規模な支援を表明し,後に追加支援も実施するなど,カタルに代わる主要支援国として存在感を高めた。湾岸アラブ3カ国の積極的な支援も政治的理由によるものだと言える。エジプトは,中東地域における政治的な重要性によって,周辺国から大規模な支援を獲得しているのである。

また,貿易および投資では,ムルシー政権の新興国志向に対し,暫定政権では主要支援国となった湾岸アラブ3カ国を重視する姿勢を鮮明にした。ムルシー政権では,新たな輸出市場の開拓や新規直接投資の流入といった中長期的な経済関係の拡大を視野に,多様な新興経済国との交流を模索した。高成長を続ける国との経済交流を活発化することで,エジプト経済の成長機会を創出しようとしたと理解できる。他方,暫定政権は伝統的な経済パートナーである湾岸アラブ3カ国からの投資流入を重視した。湾岸アラブ3カ国は,エジプトへの豊富な投資実績を持ち,またすでに大規模な投資計画を表明しているため,投資環境が整えば早期の投資流入も期待できる。そのため,暫定政権は湾岸アラブ3カ国との経済関係に改めて重点を置いていると考えられる 12

対外経済関係は,ムルシー政権とその後の暫定政権で異なる志向が見られた。経済支援については政治的な要因が大きいと言えるが,貿易・投資の面では明らかな違いが出た。ムルシー政権では,IMFとの融資交渉を重視するとともに,新しい輸出市場と投資国の開拓を打ち出したのに対し,暫定政権はIMFから距離を置き,伝統的な投資国との関係強化を重視した。もっとも,それらは必ずしも対立するものではなく,優先順位の問題とも理解できる。経済回復が喫緊の課題となっている現状では,早期の成果が期待できる部分を優先することが必要だろう。その意味では,暫定政権は現実的だとも言える。しかしながら,湾岸アラブ3カ国からの投資が経済回復と雇用拡大に結びつくかは明らかでない。その投資はこれまで金融と不動産開発部門に集中しているからである。それらは湾岸アラブ3カ国の企業が優位を持つ部門であるが,直接的な雇用創出効果はさほど大きくない。早急な経済回復と雇用創出が必要とされるなか,湾岸アラブ3カ国との関係強化がどのような成果をもたらすのか注目される。

おわりに
2013年のエジプト経済は,マクロ経済指標からみると,1月25日革命以降の低迷の延長にあった。経済成長率は7月の政変によってさらに低下し,また失業率は年間を通して高止まりしたままであった。貿易と海外からの投資流入も含め,エジプト経済に回復の兆しは見られなかった。

他方で,経済回復に向けた政府の取り組みは,緊縮財政政策から拡張財政政策へと政変の前後で方向転換が図られた。政策転換を可能としたのは,湾岸アラブ3カ国からの経済支援であった。また,大規模な外貨流入によって外貨不足懸念は緩和し,通貨価値の下落に歯止めがかかった。

7月に発足した暫定政権による経済政策は,経済回復を期待できるものとして肯定的に捉えられた。株価が反転し,年末には2011年以降で最高値を付けたのである。エジプト株式市場の代表的な株価指数であるEGX30は,2013年初めから緩やかな下落傾向が続き6月には抗議運動の活発化によって大きく下落したが,政変以降に上昇傾向となり2013年末には年初よりも20%高い値となった。他方で,インフレ率,外国人観光客数,企業設立数は年前半よりも悪化した。政治の混乱が招いた結果でもあるが,経済回復に欠かせない要素として,それらの動向は注目に値する。

2014年のエジプト経済は,回復基調を確実なものとし,さらに持続的な経済成長に向けた道筋を示すことが重要課題となるだろう。具体的には,拡張財政政策の効果,外貨不足懸念の払拭,補助金制度改革の着手である。

拡張財政政策による42億米ドルの追加財政支出は2014年6月までに実施される経済刺激策であり,それによって2013/14年度の経済成長率は3.5%になることが想定された。さらに,2014年2月に49億米ドルの新たな経済刺激策が公表された(ahramonline, February 10, 2014.)。暫定政権は,引き続き拡張財政政策を推進することで経済成長率を押し上げようとしているが,果たして実際に成長率が回復するのか注目される。

財政支出の拡大は,インフレ率上昇と通貨価値下落を引き起こしかねない。それらは2011年以降に悪化しており,2013年も懸念要素であった。2013年後半には,大規模な経済支援によって外貨不足懸念が遠ざかり為替レートは下げ止まったが,為替の闇市場は存続していた。いまだ公認市場での外貨取得に困難があるためである。さらに,インフレ率は,3度にわたる利子率引き下げもあり,2013年10月以降に二桁となり,過去3年で最も高くなった。インフレ率と通貨価値の動向は,貿易・投資活動にも大きな影響を及ぼす。財政支出の拡大と物価安定をどう両立できるのかが課題である。

財政赤字の削減はエジプト経済における長年の課題のひとつであり,拡張財政政策を推進する暫定政権でもその重要性は認識されている。財政赤字の削減に最も寄与すると考えられているのが補助金制度の効率化である。多額の補助金が投入されている食糧やエネルギーは,ターゲティングの問題とともに,流通過程での漏洩が問題視されている。そのため,補助金制度の効率的運営に向けた取り組みが始まっている。2013年には補助金付きガソリンの購入を管理するスマートカードの導入が始まった。さらに,補助金制度の抜本的な改革を視野に,条件付現金給付制度の検討も始まろうとしている。補助金制度の改革は,財政構造の健全化と持続的な経済発展に向けて不可欠であるが,これまで政治的配慮の必要な問題として先送りされてきた。2014年に補助金制度の見直しに着手できるかどうかは財政健全化を見通す試金石となるだろう。

エジプト経済は2013年末になって一部に明るい兆しが見られた。それは過去3年の低迷からの脱却に繋がるのだろうか,あるいは一時的な反動に過ぎず再び低迷するのだろうか。拡張財政政策の成果と海外からの投資流入動向が注目される。
参考文献
土屋一樹 [2013] “暫定内閣による経済政策の模索,”政治経済レポート,『中東レビュー』準備号(volume. 0),9月
( http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Other/2013Mide_report_0.html )
土屋一樹 [2006]「エジプトにおける最近の経済改革-ナジィーフ内閣の1年-」『現代の中東』No.40.
( http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Mid_e/040.html )
Werr, Patrick [2013] “Update3- Egypt’s central bank makes surprise interest rate cuts,” Reuters, August 1.
( http://www.reuters.com/article/2013/08/01/egypt-rates-idUSL6N0G244X20130801 )
Abdel-Aziz, Maha [2014] “New minimum wage costs and allocations announced,” DailyNews Egypt, January 7.
( http://www.dailynewsegypt.com/2014/01/07/new-minimum-wage-costs-and-allocations-announced/ )

ウエブサイト
Ahram Online: http://english.ahram.org.eg/
Daily News Egypt: http://www.dailynewsegypt.com/
Egypt Independent: http://www.egyptindependent.com/


脚 注
  1. 各国は支援の表明だけでなく,実行も迅速であった。UAEは7月18日全額を,サウジアラビアは7月21日に20億米ドルの支援を実施した。
  2. 2013年1月と7月にフィッチ,2月と3月にムーディーズ,5月にS&Pがそれぞれエジプトの信用格付を引き下げた。
  3. アパッチ社はエジプトの石油部門で最大規模の外資系企業のひとつで,2012年末時点で日量21万バレルの石油と同9億立方フィートの天然ガスを生産していた。
  4. IMFによる融資については,2011年6月に暫定内閣とIMFの間で32億米ドルの融資に合意したが,当時の最高権力であった軍最高評議会の承認が得られず実施されなかった。
  5. 暫定政権の主な経済閣僚は,経済担当副首相(兼国際協力相),財務相,産業貿易相,投資相である。その概要については,土屋[2013]を参照。
  6. 追加予算措置は,2013年10月にはLE296億(約42億米ドル)に増額された。
  7. 1月25日革命後における最低賃金の改定(LE700)は,まず公的部門について2011年6月に決定され(同年7月実施),その後同年10月(実施は2012年1月から)に民間部門にも適用された。
  8. 2014年1月の最低賃金引き上げによって便益を受ける人数は,483万人(教師155万人と医療関係者4万6400人を含む)とされている(Abdel-Aziz [2014])。
  9. 当初は石油および銀行部門を除く公的部門に適用され,影響を受けるのは8500人とされている(Egypt Independent, January 5, 2014.)。
  10. 2013年に再審理となったのはクローニーによる汚職事件に限らず,ムバーラク元大統領とその息子,ナズィーフ元首相,アドリー元内務相なども裁判のやり直しが決定した。
  11. セーフティ・ネットの再構築として特に検討されているのは低所得者層への条件付き現金給付制度であるが,その本格的な実施は数年先と想定されている(ahramonline, February 3, 2014.)。
  12. 暫定政権は「暫定」がゆえに中長期的な視点を持たず,短期的な成果を期待できる湾岸アラブ3か国との関係を重視しているとも考えられるが,暫定政権の政策には中長期的な視野を持つものも多い。例えば,補助金制度改革,経済開発計画,セーフティ・ネットの再構築などである。従って,対外経済関係においても,暫定政権は短期政策だけに関心を持っているわけではないと考えられる。