イスパニョーラ島研究序説

調査研究報告書

山岡 加奈子  編

2016年3月発行

表紙 (118KB)
まえがき (120KB)
目次 (117KB)
第1章
本稿は、19世紀初頭の独立期から第二次世界大戦前までのハイチ・ドミニカ共和国の関係史を、主にドミニカ共和国の側から扱う。ハイチは、人類史初の奴隷による独立国家樹立と、近代史で初めての黒人国家樹立という、世界史に残るハイチ革命を達成した。他方ドミニカ共和国は、19世紀後半まで、独立よりもハイチに併合されないことを優先した。その背景には白人の優位を信じるレイシズムがあり、また文化的・社会的に西洋に同化しようとする志向があった。

ハイチは19世紀を通じて、軍事的・経済的に劣るドミニカ共和国を征服してハイチ一国で島を統一しようと何度も試み、7回ドミニカ共和国を占領した。ドミニカ共和国はハイチへの同化を、欧州列強の支援を受けて拒否し続けた。19世紀後半からは、領土拡張主義を取る米国の脅威が、両国共に課題となる。しかし両国ともに20世紀前半に米国の武力侵攻を受け、占領される。

20世紀から現在までの両国間の関係に影響を与える要因は、(1)国境線の確定と領土問題、(2)人口稠密なハイチからドミニカ共和国への移民問題の2点である。多数のハイチ人がドミニカ領内に居住することで、ハイチの領土が事実上拡大してくるのではというドミニカ側の恐怖が、1937年のトルヒーリョ独裁政権によるハイチ人虐殺につながり、また現在進行中のハイチ系ドミニカ人のハイチへの追放問題にもつながっている。

第2章
本稿では、ドミニカ共和国とハイチにおける個人独裁体制とされるトルヒーリョ政権とデュバリエ政権の、国内における正統性獲得戦略を検討比較する。両政権ともに、自由の制限、支配者による恣意的な国民動員、イデオロギーのなさ、無制限な支配者の行動範囲などを特徴とする「スルタン支配型体制」の典型とされているが、この体制分類では政権の政治暴力や恣意的統治が強調されてしまい、政権の長期化を可能にした体制維持のメカニズムの説明が不十分になる恐れがある。そこで本稿では政権の前半期(ドミニカ共和国のトルヒーリョ政権では1940年代末頃まで、ハイチのデュバリエ父子政権では父親のフランソワ・デュバリエ政権期)を対象として国民の支持獲得の過程を分析した。その結果、両政権は両国においてそれまで政治から疎外されていた農民層を積極的に動員するとともに、彼らの「敵」を作り出し積極的にその脅威をアピールすることによって正統性の獲得を図ったということである。両独裁政権が使用した言説は、民主化された両国において現在でも有効であり、使い方によっては民主主義や両国間の友好関係に脅威となる恐れもある。したがって両独裁の正統性獲得戦略を理解することはますます重要になっているといえる。

第3章
本稿では、デュバリエ体制崩壊後のハイチを対象に、アリスティド政権が掲げた排他的制度に代わる包摂的な制度の形成をめぐる国内外の政治プロセスを分析する。アリスティドをフォーカル・ポイントとする一強多弱の政治ゲームにおいて、アリスティドとその後継者が体制転換によって排除された結果、ハイチ政治は機能停止に陥った。包摂的な開発制度が形成される可能性は現時点ではきわめて低く、以下の2点が中長期的に主要イシューとなろう。第1に、選挙結果を暴力で覆す政治とパラミリタリーの密接な関係、ならびに米国と主要ドナー、国連がゲームのルールを歪めてきた結果、選挙制度が定着しないことである。第2にハイチの経済開発戦略に関する基本合意がハイチ国内の主要勢力と国際ドナーの間で確立しないこと、実施体制の制度が不安定であることである。

第4章
本稿ではハイチ共和国への国際ドナーの見方の一事例として世界銀行が発表した5つの基礎資料を解読する。2010年のハイチ大地震以降における国際ドナーの大幅な関与、各種の基礎調査、そして世界銀行自体の国別支援のための新たなアプローチの導入により、世界銀行ではこれまでより広範な分析に基づいた援助戦略の立案が可能になってきている。本サーベイの結論は以下の3点である。第1に、2010年の震災以後、2012年の家計調査を元にした2014年の貧困アセスメント、そして毎年のビジネス環境の調査、さらに2015年の公共財政調査など、各種の基礎調査が進み、ハイチ経済の状況が多様な側面から明確になってきたことが確認できた。

第2に、体系的国別診断ツールが作成され、そこでは5つのプライオリティの1つとして社会契約の(再)構築を明示的に示された。国家と市民との間の社会契約が存在せず、市民に対して基礎的サービスを広範に提供する伝統のないハイチ共和国がどのように市民と向き合うかという問題を大きな発展のプライオリティの1つとして指摘したことは今後のハイチ政治経済にとって重要である。

第3に、国別パートナーシップ枠組みの特徴はその折衷性である。これは2010年の大地震以後世界銀行のプロジェクトが広範囲に進行し、そこから援助を選択的に減少させる時期に今回の国別パートナーシップ枠組みが立案されたことが大きく影響している。中でも体系的国別診断ツールの提言を受けて、教育、気候強靭性、公共経営の強化が新しい目標として取り入れられたことも重要である。

第5章
本章は、同じイスパニョーラ島にありながら最貧国に位置づけられるハイチと、中所得国におけるドミニカ共和国における社会政策の性格の相違、特に医療制度に焦点を当ててその相違を明らかにすることを目的としている。経済的にハイチは最貧国に属し、ドミニカ共和国は中所得国に属している。また、政治的にハイチは不安定であり行政機能が十分機能していないのに対して、ドミニカ共和国は民主主義制度が定着し行政が機能している。本章は、こうした政治経済の差異がどのように両国の社会政策の差異に関連しているのかを分析するための予備的考察に当たる。本章で明らかになったことは、貧困に関してハイチはドミニカ共和国と比べて所得貧困に留まらず、生活水準全般の剥奪度が高い人口の比率が多いことが明らかになった。医療制度に関してハイチは、行政が十分機能せず外国政府の援助やNGOの支援に依存しているのに対し、ドミニカ共和国は所得や職域に対応した階層的な医療制度を持っていることが明らかとなった。

第6章
本章は、コスタリカにおける2006年10月17日から2015年1月30日までの為替レート制度であったクローリング・バンド制度とその後の管理変動相場制度への変化を論じた。次に、Ötker et al. [2007]とBubula and Ötker [2002]を参考に、為替レート制度がクローリング・バンド制度から独立変動相場制度に変化した、チリ、イスラエルとポーランドにおけるクローリング・バンド制度を検討した。

中央銀行による短期金利のコントロールは、クローリング・バンド制度下で、クローリング・ペッグ制度下に比べ潜在的に容易になり、変動相場制度下で更に容易になる。コスタリカ中央銀行は2009年8月に開始されたMIL市場において、短期金利を政策金利に誘導するために資金の供給と吸収を行った他、信用・預金ファシリティにより短期金利のコリドーを形成し、短期金利を安定化した。また、コスタリカにおいて広範に進展していた金融的ドル化の金融政策への含意を論じた。