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アジ研ポリシー・ブリーフ
No.244 日本の「ビジネスと人権」に関する行動計画(NAP)2025年改定に向けて
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- 現在の人権をめぐる世界情勢において日本のNAP改定の意義は一段と高まっている。
- 国連ビジネスと人権ワーキンググループによる日本に関する報告書を最大限活かすべきである。
- 次期NAPには紛争影響地における高人権リスクへの政策、人権擁護者の保護が必須である。
2020年日本政府による「ビジネスと人権」に関する行動計画(NAP)(2020~25)が策定され、今年は改定が予定されている。この5年間ビジネスと人権をめぐる世界情勢は大きく動き、企業の人権尊重責任への期待は高まり、企業がその責任を果たすことを可能にさせる政策の重要性が増している。昨年11月NAP推進円卓会議と作業部会が合同開催され、次期NAP骨子案が示され、12月NAPの実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議で承認された。本稿では、NAP改定に向け考慮すべきポイントを提示する。
国連ビジネスと人権WGの公式初訪日を活かす
2023年夏ビジネスと人権に関する国連指導原則(指導原則)の実施を推進する国連ビジネスと人権ワーキンググループ(WG)が、日本政府の初の公式招聘で来日した。日本での調査結果をまとめた報告書を2024年5月に公表、6月国連人権理事会第56会期セッションで報告した。日本政府によるNAP策定や責任あるサプライチェーンにおける人権尊重に関するガイドライン発行を評価したうえで、経済界がバリューチェーン全体にわたる人権デューディリジェンスを理解し実施する能力には依然課題が残っていると指摘した。WGは、人権に負の影響を与える深く根付いたジェンダー規範および社会規範に対処することが極めて困難であることを懸念し、なかでも女性、先住民族、部落民、障がい者、移民労働者、LGBTQI+の人々に対する職場での差別やハラスメントを挙げた。「多様性と包摂性を推進し、リスクに晒されている集団の権利を保護する政府と企業のイニシアチブは今後極めて重要である」とし、具体的な勧告をしている。報告書ではアジア経済研究所が2018年に実施した「日系企業の責任あるサプライチェーンに関するアンケート調査」(グローバル市場で求められる『責任あるサプライチェーン』とは?―世界の日系企業 800 社アンケートから読み解くギャップとリスク―)が引用され、当時からの日本企業の取組の進展を評価するものの、さらなる取組の強化が求められている。
WG報告書の公表と同時に事実誤認について日本政府からレスポンスが公表されたが、WGの初訪日および報告書に関して日本政府から広く発信されていない。NAP改定作業においては、何よりも当該報告書を重要な参考資料として熟慮すべきであろう。
紛争影響地の人権に対する高リスクへの政策
この5年間におけるグローバル環境の変化は紛争影響地の増加、拡大であり、指導原則7の重要性を一段と浮き彫りにしたのが、2021年2月のミャンマーでのクーデターと2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻である。指導原則7は、重大な人権侵害のリスクは紛争に影響を受けた地域で高まるため、国家はかかる状況で活動する企業が侵害に関与しないよう支援すべきと規定し、次の事項を挙げる。a)企業が人権デューディリジェンスを適切にできるようできるだけ早い段階で企業に関与、b)ジェンダーに基づく暴力や性的暴力に特別な注意を払い、侵害リスクの高まりを評価し対処するよう、適切な支援を企業に提供、 c)重大な人権侵害に関与している、またその状況に対処する協力を拒否する企業に、公的支援やサービスへのアクセスを拒否、d)重大な人権侵害に企業が関与するリスクに対処するために現行の政策、法令、規則、執行措置が有効であることを確保する。
紛争影響地の企業の人権尊重責任に関連して指導原則23は、事業環境によっては、治安部隊など他のアクターによる重大な人権侵害に企業が加担するというリスクが高まると解説する。2022年6月には国連開発計画(UNDP)と国連WGによる紛争影響地における人権デューディリジェンスガイドが発行された。2023年4月には10年ぶりにミャンマーの人権状況に関する特別報告者が来日した。クーデター前にミャンマーに投資していた日本企業複数社を訪れ、「全社に共通するのは、ミャンマー市場参入前に、人権リスクとその影響を適切に評価していなかった」と指摘した。「アジアの強固な民主主義国として、日本はミャンマー危機への対応で地域的リーダーシップを発揮できる絶好の立場にいる」と同報告者は言う。紛争影響地の企業の人権尊重を支援する政策の重要性がこれまでになく高まっている今、次期NAPに指導原則7にもとづく政策が望まれる。
人権擁護者(human rights defender)の保護
さらに必要な重要項目は、人権擁護者の保護である。国連WGは2021年6月の報告書で、人権や労働者の権利、環境問題を提起する人々に対する、脅迫、司法ハラスメント、恣意的逮捕、殺害、誹謗中傷等の深刻な暴力や弾圧に警鐘をならし、人権擁護者の保護を政策として実施すべきと勧告する。ビジネスと人権リソースセンターによれば、人権擁護者への攻撃は2015年から2021年の間に4,200件以上が記録され、内916件が東南アジアで発生している。フィリピン、カンボジア、インドネシアは、アジア太平洋地域の人権擁護者にとって特に危険な国と指摘されている。自国内はもとより海外で人権擁護者の活動が阻害されているのを座視することは、当該国で自国企業が適切に人権デューディリジェンスを実施できない状態を放置することになる。2023年に改訂されたOECD責任ある企業行動に関する多国籍企業行動指針でも、企業行動について懸念を表明する者を含め、脆弱な立場にある人々や集団に対する保護の強化に関する規定が加わった。人権擁護者に対する日本政府の適切な支援、施策が求められている。
貿易・投資政策、開発援助における相乗効果
海外における活動、海外の取引先との関係、グローバルサプライチェーンにおいて、自国企業に人権尊重責任を果たさせるには、それができる環境を、貿易、通商、開発援助などの対外政策を通じて、政府が醸成する必要がある。それは自国内における企業行動とともに、自国領域外における企業活動に何らかのシグナル、インセンティブを与えることである。
日本政府は、日本企業の進出国等における責任ある企業行動の促進として、20か国(インド、インドネシア、ウクライナ、ガーナ、カザフスタン、カンボジア、ギルギス、ケニア、タイ、チュニジア、トルコ、ネパール、パキスタン、ブラジル、ベトナム、ペルー、メキシコ、モザンビーク、モンゴル、ラオス)を対象とするUNDPへの拠出事業を実施してきた。2021年にパキスタン、2023年にケニア、モンゴル、ベトナム、インドネシア、タイ(第2次)、2024年にネパール、2025年にキルギスでNAPが策定された。これらの国々が指導原則にもとづく取組みを進めていくには、経済活動に関する政策に人権尊重を組み込み、企業の人権尊重を促進する環境整備が必要になる。通商政策や投資政策、開発協力政策自体に経済活動における人権尊重責任の仕組みを組み入れることである。
まとめ
現NAP策定時から今にいたるビジネスと人権をめぐる動きを正確に把握し、国連WGをはじめとする関係機関等からの報告書等をふまえ、ステークホルダーからの意見を反映し、これからのあるべき方向に進むための政策を示すのがNAP改定である。EU(欧州連合)では企業のデューディリジェンス義務の範囲を限定する法案が出され、バリューチェーン全体にわたる人権尊重を期待する指導原則から乖離しかねない。米国においては多様性・衡平性・包摂性が後退している。そしてグローバルサウスを中心に指導原則よりも法的拘束力を有する国際条約を求める動きが強まっている。かかる状況において、日本のNAP改定は国家として指導原則をいかに実行するか、そして指導原則の有効性を示す極めて重要な作業である。これまでになく日本の取組の意義が高まっている。
(やまだ みわ/新領域研究センター)
本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません
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