レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.233 環ベンガル湾海洋連結性とマタバリ深海港の役割

2025年3月14日発行

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  • 東南・南アジア間の陸路連結性強化が暗礁に乗り上げている現在,環ベンガル湾の海洋連結性を強化する意義,マタバリ深海港開発を中心としたモヘシュカリ・マタバリ統合的インフラ開発イニシアティブ(MIDI)への期待が高まっている。
  • バングラデシュの政変,現地の『経済白書』の指摘によってもMIDIの本質的意義は変わらず,その着実・丁寧な実行が長期的には地域の政情不安定化を抑制する効果を持つだろう。
東南アジアと南アジアの連結性

過去四半世紀,東南アジア諸国は経済共同体構築を旗印に経済統合を進め,幅広い製造業でグローバル・バリュー・チェーン(GVC)に参画しながら産業の高度化をともなう経済成長を実現してきた。こういった点で南アジアが後れを取った要因としては,発展段階が相対的に似通っていたため補完性による貿易利益を追求する余地が限定的であったこと,国際関係や政治情勢などの影響で制度的な経済統合を推進する機運が高まらなかったことなどが挙げられる。このように生じた差は両地域「間」の補完性を強め,その連結性を強化する意義を高めている。しかし,2021年2月のクーデター以降のミャンマー情勢の悪化,2023年5月以降のマニプル州など一部インド北東地域の政情不安定化により,2002年来インド,ミャンマー,タイが取り組んできた三国ハイウェイによる陸路連結性の強化は事実上,暗礁に乗り上げている。

そこで海洋連結性の出番である。ベンガル湾は歴史的に南アジアと東南アジアの交易の場であった。コンテナ輸送の普及,コンテナ船の大規模化に支えられ世界貿易が拡大する過程で,湾口部のスリランカ・コロンボ港は,シンガポール港,マレーシアのタンジュンペラパス港,クラン港などとともに基幹航路上のハブ港となり,大型のコンテナ母船が就航するようになった。その一方で,コルカタやチョットグラムなどベンガル湾奥部の港は,少ない輸送需要や水深制約などにより,上記ハブ港から小型のフィーダー船が就航している状況である(図1)。

図1 環ベンガル湾地域の連結性

図1 環ベンガル湾地域の連結性

(出所)帝国書院「白地図」より筆者作成。
モヘシュカリ・マタバリ統合的インフラ開発イニシアティブ(MIDI

2014年9月にダッカで開催された首脳会談において,安倍・ハシナ両首相はバングラデシュのインフラ・投資環境整備、地域連結性支援を目指す「ベンガル湾産業成長地帯(BIG-B)」構想に合意した。バングラデシュ政府はその中核事業として「モヘシュカリ・マタバリ統合的インフラ開発イニシアティブ(MIDI)」を推進しており,JICAがその支援をしている。MIDIは,①同国初の深海港となるマタバリ港を中心とした物流ハブ,②高効率な超々臨界圧石炭火力発電所やLNG輸入基地からなる電力エネルギーハブ,③工業団地を中心とした臨海産業ハブなどの開発を統合的に推進する長期構想である。

チョットグラム港はコンテナ貨物の98%を取り扱うバングラデシュ最大の港であるが,すでに飽和状態にある。隣接地域でコンテナ・ターミナルの新設工事が進んでいるが拡張の余地には限界がある。マタバリ深海港にはそれを補完し,将来的には同国のコンテナ取扱いの40~45%を担うことが期待されている。

MIDIの対象であるモヘシュカリ・マタバリ地域はチョットグラムの南,約100㎞に位置する湿地帯であり,現在は農耕地,塩田,エビの養殖などに利用されている。周辺地域にも製造業は発達しておらず,MIDIによる工業団地の建設が工業化の出発点になるため,労働者の雇用,人材育成にも十分な配慮が必要になる。

超々臨界圧石炭火力発電所の第1期(600MW×2基)建設は完了しており,2024年までに運用を開始している。石炭の搬入港はすでに完成しているが,コンテナ,バルク貨物のためのターミナルは2027年完工予定である。発電所については,当初は2期にわたり,計4基建設する計画であったが,石炭火力発電の環境への影響を考慮したバングラデシュ政府が2021年に第2期(600MW✕2基)建設の中止を決定した。この際,計9件,9346MW分の石炭火力発電所建設が中止されており,全国的な電力供給計画の再構築が求められる。

マタバリ深海港は水深16mとなる予定であり,同7.5~9.5mのチョットグラム港よりも大型の貨物船,フルコンテナ船では5000TEU(パナマックス)級~8000TEU級の寄港が可能になる。臨海産業ハブへの立地産業に関しては,当面は製鉄,セメント,肥料,石油化学,食品など素材・輸入代替産業,2030年代から順次,自動車(CKD,SKD),電機,薬品,プラスチック製品,合成繊維などの組立加工・輸出指向産業が想定されている。現下の情勢を踏まえ,雇用創出効果を重視しつつ,比較優位を持つアパレル縫製工程から上流・下流へのタテ展開,現有技術のヨコ展開など,幅広い検討が求められる。

こういった「統合的」な開発アプローチが一国内で採用されるケースはあるが,MIDIの最も特徴的な点は,隣国インドの事実上の陸封地域である北東地域までも後背地の射程に入れていることだ。そのための道路・鉄道インフラ整備や国境円滑化措置も進む。MIDIを通じた環ベンガル湾海洋連結性の強化は,陸路連結性強化による後背地の拡大と相乗効果を生み,域内外からの投資を引き付け,そこで生じる輸送需要の拡大がマタバリ深海港への大型コンテナ船の就航可能性を高め,さらなる投資を招くという好循環を始動させると期待されている。

まとめ──暫定政権下のMIDIの行方

2024年8月のハシナ首相の国外脱出以降,バングラデシュではモハマド・ユヌス首席顧問が率いる暫定政権が国家運営を担い,選挙を通じた新政権樹立の準備を進めている。12月にはハシナ政権下のバングラデシュ経済を批判的に評価した『経済白書』が公表され,国民的な議論が展開されている。『経済白書』は,同国に蔓延する汚職の実態を明らかにし,アパレル輸出による高度経済成長という成功体験までもが粉飾であったとも指摘している。

これからの地域協力に関してユヌス首席顧問は,南アジア地域協力連合(SAARC)の活性化,東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟などの新機軸を打ち出している。これらはいずれもハシナ政権下で緊密化してきたインドとの関係を後退させるリスクをはらんでおり,両国関係の悪化はMIDIの成否にも影響を及ぼしかねない。

『経済白書』の指摘については今後,実態の解明や対策が進められていくことになるが,バングラデシュ経済が直面している本質的課題については政変前後で大きく変容したわけではない。2026年の後発開発途上国(LDC)卒業をひかえ,産業構造,とくに輸出構造の多角化は喫緊の課題である。政変の発端となったことで顕在化した若年層の雇用問題も深刻である。『経済白書』が指摘しているMIDIの問題点──汚職,コスト増,環境への影響など──については日本としても適切に対応する必要があるが,MIDIの本質的な意義が損なわれているわけではないことについては暫定政権,そして新政権と確認し,着実に,従来以上に丁寧に事業を推進していくことが求められる。長期的には,そうした取り組みが環ベンガル湾地域に広がりつつある政情の不安定化を抑制する一助になるであろう。

うめざき そう/開発研究センター)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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