レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.184 ガザ戦争に対するエジプトの反応を形成する要因

2024年3月29日発行

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  • エジプトはガザ戦争に対し、米国およびイスラエルとの関係を維持し、ハマスとの関係も保ちつつ、国民感情も考慮した対応を迫られており、一貫した対応が困難である
  • エジプトは、領土安全保障の観点からパレスチナ人のシナイ半島流入を避けたい立場である

イスラエルがパレスチナ自治区のガザ地区を攻撃するたびに、世界の注目はエジプトに向けられてきた。エジプトは地域的な影響力を有し、アラブ諸国のなかでガザに直接隣接している唯一の国である。この地理的な近接性から、エジプトは戦争への国際的な対応において重要な役割を果たしている。2023年10月7日のイスラエルによるガザ攻撃開始以降、エジプト政府の反応は、主に以下の3つの要因によって形成されている。

(1)イスラエル、米国およびハマスとの関係

エジプト政府は、米国とその同盟国であるイスラエルの利益を考慮することなしに、ガザ戦争への対応を決めることはできない。エジプトとイスラエルが1979年に平和条約を締結して以来、米国はエジプトに年間約13億ドルの軍事援助を提供してきた。この援助を維持するには、イスラエルと良好な関係を保つことが鍵である。また、ハマスはエジプト最大の反体制勢力であるムスリム同胞団(以下、同胞団)から派生してできた組織であり、エジプト政府にとっても脅威である。2013年に民主的な選挙で選ばれた同胞団出身のムルスィー政権が軍事クーデターで転覆させられた後、エジプトで同胞団が「テロ組織」に指定され、2015年には数カ月ではあるが、ハマスも「テロ組織」に指定されている。

現在のスィースィー政権下で、エジプトとイスラエルの関係は最も接近している。スィースィー政権は、ハマスを封じ込め、地域のイスラム主義者を壊滅させるというイスラエルの目標を共有しており、ガザの非武装化において両国には安全保障上の共通利益がある。つまり、ハマスの軍事能力を損なうような戦争は双方にとって有益ということだ。

一方で、エジプトは地域的影響力を維持し、欧米から期待されている仲介者の役割を果たすためにも、ハマスと一定程度の関係を保つ必要がある。これまでも捕虜交換の促進、イスラエルとハマスの停戦交渉、パレスチナ勢力間の政治対話を支援してきた。この仲介者としての働きは、エジプトが米国と良好な関係を保つために必須である。このように、エジプトはガザ戦争の当事者や欧米との複雑な関係を考慮しながら、ガザ戦争への対応を決める必要があるのだ。

(2)領土の安全保障上の懸念

エジプトのガザ戦争への対応を形成する第二の重要な要因は、領土の安全保障の問題である。エジプトは、ガザ戦争がシナイ半島に拡大することを警戒している。シナイ半島はエジプトとイスラエル間の緩衝地帯として機能しており、その安定は双方の安全保障の鍵である。

エジプトはイスラム国の武装勢力とシナイ半島で長年戦闘を続けている。エジプトとイスラエルは、ハマスの活動やシナイ半島でのイスラム主義勢力の活動について情報を共有してきた。エジプト政府は、ガザとエジプト間の地下トンネルがシナイ半島の武装勢力に武器を密輸するために使われたと主張し、ガザに出入りするものを監視している。

また、エジプトは、ガザ戦争によってパレスチナ人のシナイ半島への強制退去が恒久的なものとなることを警戒しており、シナイ半島に大量のパレスチナ人が流入する事態は避けたい立場だ。パレスチナ人の流入によってガザ戦争がシナイ半島に拡大すれば、シナイ半島での戦闘や事態の沈静化がさらに複雑で困難になるだけでなく、エジプトの領土主権に関わる問題となる。このため、エジプトは、ガザの人々をエジプトの領土内に追いやるいかなる措置も、イスラエルとエジプトの和平を脅かすと警告している。

(3)エジプト市民社会のパレスチナ支持

エジプトとイスラエルの政府間関係は外交、安全保障、経済のレベルで良好であるが、エジプトの市民社会は反イスラエルの感情が強い。エジプト人とパレスチナ人の間には、政治・社会・文化的に親密な関係性があり、大半のエジプト人はパレスチナを支持している。これまでもエジプトの人々はイスラエルのガザ攻撃を非難し、パレスチナ解放を求めるデモを行い、ラファ検問所の開放を要求してきた。多くのエジプト人にとって、10月7日のハマスの攻撃は、パレスチナ人がガザの封鎖を破るという英雄的な行為として映った。

パレスチナ支持と団結を訴えるデモは、これまでエジプトの民衆を広く動員するきっかけになってきた。パレスチナとの連帯を示すデモは、ムバーラク政権崩壊につながった2011年の民衆蜂起の下地を整えた。エジプトでは反政府運動は禁止され、反政府デモは弾圧の対象であるが、エジプトの政権側は、パレスチナとの連帯のための民衆デモが、インフレや失業問題などの不満の高まりとともに、政権に対する抗議の波のもとになることを懸念している。このため、パレスチナ市民に対しできるだけの支援をしていると国民に示さなければならないのだ。エジプト政府は、イスラエルによるガザの破壊に対する国民の怒りの表現を認めないことは、政治的な抗議活動や暴動を含む国内不安につながり、抗議活動が手に負えなくなる可能性があることを認識している。ガザ戦争への対応を検討する際には、エジプトの国民感情を考慮する必要があるのだ。

ガザ戦争終結後のエジプトの懸念

イスラエルによるガザ攻撃は5カ月以上継続し、パレスチナ人が多く避難するガザ南部のラファも攻撃し、国際社会から非難の声が上がっている。イスラエルはエジプトに対し、大量のパレスチナ難民を受け入れるように圧力をかけている。さらに、ガザとエジプトの境界沿いの14kmに及ぶフィラデルフィア回廊と、エジプトとガザの国境をイスラエルが管理することを要求している。これは、事実上イスラエルによるガザの再占領を意味する。

エジプト政府は、停戦を仲介し、ガザ地区とヨルダン側西岸で複数のパレスチナ勢力からなる暫定政府が発足した後、大統領選挙と議会選挙を経てパレスチナ統一政府の樹立を提案した。ただ、最近の世論調査によれば、パレスチナの人々の間でハマスの人気が高まっており、エジプト政府は選挙でハマスが政権をにぎることを警戒している。

エジプトは、イスラエルがガザ地区からパレスチナ人を強制的に追放することで、パレスチナ問題の責任が他国へ押し付けられることを警戒している。この懸念の背景には、1948年のイスラエル建国に伴うパレスチナ人の大量追放の歴史がある。ガザ地区はイスラエル占領下にあるパレスチナの領土の一部であり、占領が終了するまで、国際法に従ってイスラエルの責任が残るとエジプト政府は主張している。

エジプトは、国内でもさまざまな困難に直面している。経済は長年苦境にあり、前例のないインフレと債務危機に陥っている。また、ガザ戦争が始まってから、イエメンのフーシ派による商船攻撃の影響でスエズ運河を通航する船が減り、通航料収入は昨年から半減している。さらに、隣国スーダンやリビアも内戦で不安定な状況であり、ナイル川流域をめぐるエチオピアとの紛争も抱え、隣国の政情不安への懸念もある。このため、エジプトは地域的な影響力が弱まっている。

まとめ

このように、エジプトのガザ戦争に対する反応や政策は、複合的な目的や要因、国際的・地域的なパワーバランスから形作られており、エジプト政権にとって一貫した対応をとることが困難であることを理解しておく必要がある。

だるうぃっしゅ ほさむ/地域研究センター)
脱稿日:2024年3月11日

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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