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アジ研ポリシー・ブリーフ
No.167 中東情勢分析シリーズ No.6 エジプトにおける大規模インフラプロジェクトと軍事支出から見るスィースィーの体制維持戦略
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- エジプトのスィースィー体制は、欧米や中国、ロシアなどの大国や国際金融機関から多額の融資を受け、新行政首都建設をはじめとする大規模なインフラプロジェクトを推進している。新行政首都建設の政治的背景には、民衆の抗議運動を制限し、体制による統制と抑圧を強化する思惑がある。
- エジプトはロシア、米国、フランスなどから大量の武器を輸入しており、軍事支出が増大している中東・北アフリカ地域は大規模な武器市場としてますます重視されるようになった。
- スィースィーは大国からの融資や武器取引を通じて、これらの大国と重要なパートナー関係を構築し、体制維持につなげている。
エジプトに関する先行研究では、外交政策を理解する鍵はレジーム・セキュリティ(regime security)にあると議論されてきた。中東・北アフリカ地域(以下MENA地域)の多くの国と同様に、エジプトの国内外の政策は、支配エリートと政権の権力維持を第一の目的にしている1。スィースィー政権は、サウジアラビア、アラブ首長国連邦やイスラエルといった地域大国、欧米諸国、世界銀行や国際通貨基金(IMF)などの国際金融機関との関係を前政権の時よりさらに強化することで政権維持を実現してきたのである。本稿では、スィースィー政権が推し進める大規模インフラプロジェクトと大国との武器取引において、政権の安全保障がいかに主要な決定要因になっているかを概観する。
スィースィー政権の大規模インフラプロジェクト
フスニー・ムバーラク政権(在任1981~2011年)で軍事諜報部門の長官を務め、モハンマド・ムルスィー政権(在任2012~2013年)で国防相を務めたエジプト大統領のアブドゥル・ファッターフ・アル=スィースィーは、2014年に政権を握って以来、農業、輸送、住宅、原子力や太陽エネルギーなどの様々なセクターで複数の大規模インフラプロジェクトに着手し、それらのプロジェクトの中心的役割を軍に担わせてきた。これらのプロジェクトには、巨大な行政首都の建設、空港、港、輸送ネットワークの基盤整備、政府の持続的開発戦略「エジプトビジョン2030」によるスマートシティ・プロジェクトなどが含まれる2。
これらのプロジェクトはエジプト軍によって実施されており、軍はセメントや鉄鋼製造業にも参画している。軍主導の事業は公的な監視を受けず、輸入品に対する関税も払わず、財務記録の情報開示も行っていない3。軍は国における役割を拡大し、スィースィーは支配政権外で経済的に競合する勢力が存在しない状況を確実に作り出してきた。スィースィーは軍のためのビジネスの機会をより多く生み出し、さらに民間セクターを抑圧することで、エジプト経済をより強固にコントロールできるようになったのである4。
これらの大規模プロジェクトへの軍の参画は、上記のとおり軍以外の国家機関からの関与を回避させ、プロジェクトが計画どおりに進む保証になる。これらのプロジェクトは、英国、米国、ベルギー、フランス、ロシア、ドイツ、中国、サウジアラビア、アラブ首長国連邦を含む多くの国からの投資を受け、国内外からの融資や借入で資金を賄っている。これら投資国は、スィースィーが国を厳しく統制し、軍がそれを支援している状況に、融資のための前提条件となる政権の安定性を見出しているのだ。スィースィーと軍が国を統制していることで、エジプトが魅力的な投資先としてみなされるようになったとも言えよう。
その例として、2021年1月にドイツのシーメンス社とエジプト政府との間で交わされた230億ドル規模の高速鉄道建設の覚書が挙げられる5。また、2017年には中国建築(China State Construction Engineering Corporation)が新行政首都での20本の巨大タワー建設の契約を獲得した6。カイロの東35キロメートルでの新行政首都の建設は2015年に始まった大規模プロジェクトで、新首都に省庁と国会議事堂、そして500万人以上の住民を収容する計画である。
スィースィーは580億ドルをかけて砂漠に建設されるこの新行政首都を「新しい共和国の始まり」と呼んでいる7。新行政首都建設のプロモーションビデオでは、様々なサービスがキャッシュレスシステムで稼働する緑豊かな近未来都市を描き出している8。これは2200万人の人口を抱え、2050年までに人口が倍増すると予測される現在の過密な首都カイロとは対照的だ。新行政首都の建設を支持する人々は、これがドバイに匹敵する中東の新しいビジネスセンターの誕生となり、国内外の投資を引き付けられると期待しているのだ。
新行政首都建設の政治的背景
新行政首都の建設には、あまり語られない重要な政治的役割がある。これを理解するには、ムバーラク政権の崩壊につながった2011年の民衆蜂起と2013年の反軍クーデターの抗議運動に着目する必要がある。
2011年の民衆蜂起は主に都市部での抗議運動であり、カイロに民衆が集中しているために急速に勢いを増した。カイロではソーシャルメディアやネットワークにより民衆をすばやく組織化し、動員することが可能となった。首都の中心部、近隣地域と旧市街から、アラブ連盟の発祥地でありエジプトの行政組織の本部ビルであるモガンマが面するタハリール(解放)広場、ムバーラクが率いていた国民民主党の本部、国営テレビや他の重要な国のランドマークなどが集中する象徴的な場所に、人々が波のように押し寄せた9。スィースィーはタハリール広場が2011年の革命のシンボルであることを充分認識しており、古くて人口過密のカイロを放棄し、砂漠の真ん中に建設される新行政首都に移転することで、民衆の予測不能な抗議運動から距離を置けると考えたのだ。
エジプト人の大多数は新行政首都に住む経済的余裕がないため、新行政首都は富裕階層のための囲われた都市として機能し、貧しい人々のニーズを満たすような都市にはなり得ない。たとえカイロで大規模な民衆蜂起が起こったとしても、政府の主要な建物と大統領府は新首都に移転しているため、民衆蜂起の影響を小さく抑えることができるという訳だ。
さらに、スィースィーは2014年に国道プロジェクトを始動させ、2024年までには7000キロメートルの新しい道路と橋を建設する計画である。2021年1月時点で計画された道路のうち4800キロメートルが既に完成しており、現在は次の1400キロメートルの敷設が進行中である10。これらの道路や橋は、民衆蜂起が起きた際に政権がより迅速に軍を配備することを可能にし、首都を飛び地のような作りにすることで、人々の集会や政治行動を制限し統制しようとしているのだ11。
大規模インフラプロジェクトとエジプトの債務
エジプト政府はこれらの大規模な建設プロジェクトのために多額の資金を借り入れており、国内外の債務は過去最高レベルとなっている。世界銀行は2020年11月にエジプトの公的債務が10月に予測された対GDP比の90.6%からさらに増加し、2020/2021年度の終わりまでに96%に達すると予測したレポートを発表した。これは、軍がクーデターで政権を掌握した2013年の対GDP比の87%と比較しても大きな増加である12。同じ時期に対外債務の水準は2013年のGDPの16%から2019年には39%に急上昇している13。
これらの債務返済のため、スィースィーは燃料と食品の補助金の削減、公共サービスの価格引き上げや増税など、厳しい金融と財政の改革を推し進めた。また2016年11月には、政府は外国為替制度を自由化し、エジプトポンドの外為レートを市場に委ねる変動相場制に移行した。これにより1米ドルあたりのエジプトポンドの価値は、数日で約8ポンドから18ポンドまで急落した。スィースィーは2016年にIMFから120億ドルの融資を得るために補助金や福利厚生の削減と付加価値税の増税などを含む厳しい改革を進め、西側諸国の銀行やIMFはこの改革を高く評価していた。しかしエジプトでは2017年に補助金削減に反対する抗議運動が起こっており、現状では貧困層や中所得者層が債務返済の重荷を背負っているという状況だ14。
このような巨額の債務は将来的に支配政権を弱体化させると考えても不思議ではない。しかしスィースィーが重視しているのは、政権の存続を西側諸国の経済的利益にいかに強く結びつけるかという点である。IMFや融資国の関心はエジプトが期限どおりに債務を返済することにあるため、これがスィースィー政権への国外からの批判をそらし、エジプトが融資や経済援助を受け続ける事に役立っているのだ。IMF、世界銀行、欧米諸国や地域大国からの経済援助や融資によって政権がグローバルな金融システムに組み込まれ、国際的な経済的利益とエジプトの支配政権の存続が結びついているのである。つまりスィースィー政権の狙いは、巨大インフラ事業そのものでなく、投資国との結びつきを強めることにより安定した長期政権を築くことなのである。
スィースィー政権の軍事支出と武器取引
スィースィー政権の軍事支出も、その政権維持戦略と密接に結びついている。エジプトでは近年軍装備の近代化のために多額の投資を行っており、主要な武器輸入国となった。エジプトの武器輸入は2011―2015年から2016―2022年の間に136%増加している。2016年以前の数十年間では米国が最大の武器供給国であり、エジプトに対して年間13億ドルの軍事援助を行ってきた15。2016年から2020年の期間では、エジプトに対してロシアが41%、フランスが28%、米国が8.7%の武器を供給している状況だ。
武器供給国である米国、ロシア、フランスなどの国々の側は、総合的な安全保障の協力枠組みの中でエジプトとMENA地域の国々との関係を捉えている。たとえば米国にとって武器提供によるエジプト援助の主要な目的は、エジプトとイスラエルとの和平を補強するだけでなく、エジプトをMENA地域における米国の強力で有能なパートナーとして維持することである。米国がエジプトと他のMENA地域の同盟国に武器を提供するのは、この地域への米国の直接的な関与を最小限に抑えながら、ヒズブッラーなどのイスラミストの武装勢力やイランの脅威を寄せ付けないようにするという狙いがあるのだ。これはまた米国のアジア基軸(Pivot to Asia)政策の一環でもある。
MENA地域への米国からの武器流入をみる際には、ロシアおよび中国との経済的な競争と、イランとの政治的影響力をめぐる対立を考える必要がある16。米国からの武器提供によってエジプトは最新の軍事設備を手に入れ、シナイ半島でのISIS関連組織への激しい「反テロ」作戦を可能にした。またバイデン政権は2021年にエジプトと1億9700万ドルのミサイル売却取引を行い、同年9月にはそれまで人権問題で差し止めていた3億ドルの軍事援助を行っている。フランスも近年、ロシアと米国に続くエジプトへの主要武器供給国となり、エジプト軍と合同で大規模な軍事作戦を実施した。このように、武器提供によってスィースィーは西欧諸国との関係をますます強めている。
エジプトに武器を供給しているこれらの国々は、エジプトとの軍事的・経済的関係を発展させることでMENA地域において影響力を高めたいという狙いがある。2013年のムルスィー政権に対する軍事クーデターの後に米国政府がエジプトへの軍事援助の大幅な削減と軍事装備の納入延期を決定すると、ロシアが米国に代わって武器を提供し、エジプトはロシアとの関係を強化した。また、2013年のムルスィー政権転覆に際しては湾岸協力会議(Gulf Cooperation Council: GCC)による資金調達が大型の武器取引を後押しし、これがエジプトの軍主導政権を安定させるうえで大きな役割を果たした17。
エジプトの巨額の軍事支出や武器取引を見れば、スィースィーは戦争の準備をしているか、国際的に軍事力で競争しようとしているように見えるかもしれない。軍事支出の増加はエジプトに限らずMENA地域に共通して見られる傾向である。2011年の「アラブの春」以降、地域内の多くの国が内戦や地域紛争に直接的または間接的に関与しているためだ。世界で武器輸入が多い上位10カ国のうち5カ国(サウジアラビア、エジプト、アルジェリア、カタール、アラブ首長国連邦)は、MENA地域にあり、これらの国だけで世界の武器輸入のほぼ30%を占めている18。武器輸出国にとってMENA地域は今や世界的に重要な武器市場なのである。エジプトの巨額の軍事支出の背景には、インフラプロジェクトで多額の融資や援助を受けて投資国との経済的なつながりを強化したのと同様、武器供給国にとって重要で価値のあるパートナーになるという狙いがあると考えるべきだろう。
おわりに
著名な経済学者のロバート・スプリングボルク(Robert Springborg)は、エジプトは石油収入があるサウジアラビアのようなレンティア国家か、あるいは中国のように重商主義で成功した国のような振る舞いをしているように見えるが、そのどちらにも当てはまらず、外国の経済支援に依存する「物乞い国家(beggar state)」であると言い表した19。エジプトは新行政首都建設に見られるように、外国からの融資を受けて、大多数の国民の生活水準引き上げにはつながらない大規模プロジェクトを進めている。このプロジェクトのために巨額の債務を背負い、公共サービスや教育、医療サービスへの予算を削減し、エジプト国民に大きな影響を与えている。
一般のエジプト人にとって、スィースィー政権下の社会経済状況はムバーラク時代から一向に改善しておらず、2011年の民衆蜂起につながった人権や政治的抑圧の状況はさらに悪化している。2000年代の「アラブ人間開発報告書」では、エジプト社会はその政治経済状況ゆえに、激しく暴力的な紛争状況に再び陥る可能性が高いと指摘されたが、それを覆すような変化は何も起こっていない。スィースィーが権力を握って以降、治安部隊による「治安」や「対テロ」の大義名分での恣意的な逮捕、投獄や拷問も増加している20。
しかし欧米諸国の間では、エジプトに安定をもたらす唯一の合理的な選択肢はスィースィー政権であるという見解の一致があるようだ。本稿で概略を示したように、スィースィー政権は武器取引や大規模インフラプロジェクト実施のために多額の融資や借入を行い、地域大国や西欧諸国の重要なパートナーになってきた。スィースィー政権は多額の融資や借入によって既に世界的な金融システムの一部となっている。エジプト国内で何万人もの政治犯が投獄されているなかで、スィースィーは政権の国際的な立場を確固たるものにしているのである。
そして、こういった国際社会との関係性の強化の最大の目的は、政権を維持することにある。欧米、ロシア、中国などの大国がエジプトとの武器取引や融資を通じて地域の安定、安全保障、経済利益を優先していることは明白である。しかし国民の自由を抑圧している状況のなかで、スィースィーの政権維持戦略が長期的に政権の安定と安全を守ることができるのかは少なからず疑問が残る。
(ダルウィッシュ ホサム/地域研究センター)
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本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。2022年3月25日 ©日本貿易振興機構アジア経済研究所