「ビジネスと人権に関する国連指導原則」行動計画(NAP)策定のその先にあるもの

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.138

2020年8月13日発行

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  • NAPは政策の一貫性を示すものであり、進化する政策ストラテジーとして機能する。
  • タイがアジア初のNAPを策定。日本はアジアにおけるビジネスと人権の取組みを加速させるリーダーとしての役割を果たすべきである。
  • 日本政府は、NAP策定後には、グローバルスタンダード形成への能動的関与が必要である。
「今後数年以内に国別行動計画を策定すべく、現在、外務省、法務省、経済産業省、厚生労働省等と予備的な協議を開始している段階。策定の過程において、ビジネス及び市民社会の声を聞き、バランス良く反映させるとともに、企業の責任ある行動を促していきたい」――2016年11月第5回ビジネスと人権国連フォーラムにおいて日本政府が『ビジネスと人権に関する国連指導原則』(指導原則)に関する国別行動計画(National Action Plan on Business and Human Rights、以下NAP)策定へのコミットメントを表明してから3年余りがたつ。今年2月NAP原案が外務省ホームページ上に公開され、意見募集にかけられた。日本は今秋を目途とするNAP策定のその先を見据えていく必要がある。
求められる政策の一貫性――NAPを触媒として

NAP策定の意義を再度確認しよう。2014年第69回国連総会に提出された、各国政府にNAP策定を勧告したビジネスと人権国連ワーキング(以下、WG)報告書(A/69/263)は、NAPの基底となるべき原則として、国家の義務と企業の責務の相互補完と関連性、スマートミックス(法規制、インセンティブ付与等の組合せ)による各国の状況に応じた施策、政策の垂直的・横断的一貫性、スタンダードをあげることによる国際的なレベルプレイングフィールドの形成、そしてジェンダー、特に侵害を受けやすい集団に関する課題の5つを明示している。同WGから2019年10月第74回国連総会へ提出された報告書 (A/74/198) (同年11月の第8回ビジネスと人権国連フォーラムのバックグラウンドペーパー) は、なかでも政策の一貫性が重要性であることを強調している。指導原則8は「国家は、企業慣行を規律する政府省庁、機関及び他の国家関連機関が、関連情報、研修及び支援を提供することなどを含む、各々の権限を行使する際、国家の人権義務を確実に認識し、監督することを確保すべきである」と規定する。政策の垂直的な一貫性とは、国家が、国際人権法上の義務を実施するために必要な政策、法律およびプロセスを持つこと、そして政策の横断的な一貫性とは、会社法および証券規制法、投資、輸出信用および保険、貿易、労働を含む、国および地方の両レベルで企業慣行を規律する部局や機関が国家の人権義務について認識を持ち、また義務に合致した行動がとれるように、これを支援し対応力をつけさせることであると解説している。

政府全体のビジネスと人権に関する政策の一貫性は、経済活動に予測可能性と信頼性をもたらす。ビジネスに関連した人権侵害に対処するための足並みを揃えた省庁の行動が必要である。

アジア初のタイNAP――国内外の市場に応える

2019年10月アジア最初の国としてタイがNAPを閣議決定、公表した。先行する欧米NAPが、投資する側、買い手としての自国企業の海外における事業活動、サプライチェーンに焦点をあてているのに対して、タイNAPは同時に、投資される側、売り手としての自国企業による人権尊重を促進することも企図している。NAP策定の期待する効果として、「タイが国際人権基準に準拠し、責任ある企業行動を促進し、ビジネスによる人権への負の影響を受けた人々に救済を提供する具体的措置を有しているという信頼を醸成することによって、タイへの投資が増えること、人権を尊重するタイ企業の顧客が増えること」と明示する。タイNAPは、イシュー毎に予定している活動、所管省庁、予定時期、指標、合致する国家戦略、SDGsおよび指導原則を明記している。越境投資・多国籍企業に関する行動では、外務省、天然資源・環境省、国家経済社会開発評議会事務所、法務省、工業省、財務省、内務省、商務省、証券取引委員会、タイ投資委員会、東部経済回廊員会等が協働して役割を担う。

既述のとおり、NAPに盛り込まれるべき政策の重要な意義は「水準を上げ、国際的な競争条件を公平にすること」とある。まさにタイNAPは自らの基準を引き上げ、国内外の市場に応えようとしている。2019年2月に来日したタイ法務省権利自由保護局国際人権課長Nareeluc Pairchaiyapoom氏は、「タイNAPの実行とそれが効果を発揮するために、重要な経済パートナーである日本企業の理解と協力を求めている」と述べた。

人権デューディリジェンス各国法制化のその先――グローバルな共通フレームワークか?

企業による人権尊重を促す政策として、人権デューディリジェンス(以下、DD)の義務化はその有力な選択肢のひとつとなっている。英国の2015年現代奴隷法を嚆矢として、直近では2019年オランダ児童労働デューディリジェンス法が、児童労働に関しDD実施の報告義務を課す。ドイツは2016年に策定したNAPで、500人超の従業員をもつ在ドイツ企業の50%が2020年までにDDを導入することを目標とし、未達であれば法制化を検討する。

企業にとって林立する人権DD法のそれぞれに対応することは難しい。2019年12月ブリュッセルで欧州理事会議長国フィンランド政府の主導によって、EUビジネスと人権カンファレンス「行動のための共通アジェンダに向けて」が開催された。提起されたのは人権DDのEU共通のフレームワークの作成である。2020年4月末には欧州委員会司法総局長から企業の義務としてのDD実施の法制化が明言された。EUのイニシアティブのみならず、民間企業側からの要請でもある。公表された調査によれば、調査対象企業の75%がEUレベルの規制導入に賛同している。7月に議長国となったドイツ政府はDD法制化の動きをさらに推進する。EUワイドの法制の議論の先にはグローバルな共通フレームワークの構築への狙いがあるだろう。

NAP策定のその先へ

グローバル展開する日本企業は、自社の事業活動に関わる各国の規制に対応することを迫られている。日本NAPは日本企業に対して明確な期待と水準を示すことができるのか。そして日本企業の競争力、強靭性、持続可能性および企業価値の向上を促すことにつながるのか。日本は日本企業の基準を引き上げるとともに、さらにはグローバルな共通のフレームワーク形成に能動的に関与していくことが望まれる。

NAPは、要チェック事項を確認するに留まるのではなく、進化する政策ストラテジーとして機能すべきである。計画される行動は、具体的、測定可能、達成可能で、責任の所在およびタイムフレームを明示すべきである。そのインパクトは定期的に評価され、NAP は見直されアップデートされるべきである。その作業は、策定過程と同様に企業、労働組合、市民社会等マルチステークホルダーの関与が必須である。

まとめ
NAPを生きている文書としなければならない。日本政府がNAP策定のコミットメントを表明した当時から今日までの間に、国際社会においてビジネスと人権をめぐる議論や取り組みは急速に展開し、新型コロナウィルスの世界的感染により、日本および日本企業を取り巻く状況は大きく変化している。NAP策定は最初のステップに過ぎない。策定されるNAPは、時宜を得た見直しと評価、ニーズに応じたアップデートが必要となろう。日本政府の役割は企業が人権を尊重するためにその環境を整えることにある。日本のみならず、アジア地域そしてグローバルな広範なビジネスと人権に関する取組みを他国と協調して推進すべきである。
(やまだ みわ/新領域研究センター 法・制度研究グループ長)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。