TPPのルールは既存FTAよりすごいのか? 電子商取引章のケース・スタディ

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.97

2017年6月20日発行

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  • ルール・メイキングの観点からTPPの成果を強調することは、少なくとも電子商取引章については誤りであろう。TPP以前に締結されたFTAの電子商取引章を下回る項目が散見される。
  • 米国がTPPを容易に捨て去ることができたのも、ルール・メイキングが不十分だったからかもしれない。
  • 真にアジア太平洋の貿易ルールを主導することを目論見るなら、市場アクセスではなくルール・メイキングに特化した日米FTAを締結することも一案である。
はじめに

米国の脱退によりTPPは12カ国での発効が困難になったが、11カ国での発効を目指す動きがある。その動機はきわめて複雑で本稿では論じないが、理由付けとしてよく挙げられるのが「TPPでアジア太平洋の貿易ルールの設定を主導する」ということである。この点はTPP交渉の早い段階より各国特に日米が強調していた。

TPPは本当にルール・メイキングの実質的な成果をもたらしたのであろうか。メディア、政策当局、識者はそろってこの点を強調し、すでに前提としている感があるが、学問的・実証的にこの問題を検証することは有意義であろう。本稿ではFTAがルール・メイキングの主戦場となっている電子商取引をケース・スタディとして用いる 。TPPとそれ以前のFTAの電子商取引の章を比較し、TPPではじめて達成されたルールがあるのか、他のFTAで既に達成されているルールがTPPに反映されているかを検証する。

結論を先取りすると、TPPのルール・メイキングの成果を強調するのは誤りであろう。TPP以前に締結されたFTAの電子商取引章を下回る項目が散見される。米国がTPPを容易に捨て去ることができたのも、ルール・メイキングが不十分であったからかもしれない。

ルールの評価方法

本稿ではルールの内容の精査が主目的であるため、以下の様な主張については考察の対象外である:従来のFTAに含まれるルールを超えていても実際経済への影響等からTPPによるルール・メイキングはたいしたことないという主張、従来のFTAに含まれるルールを超えていないがメンバー国が多い等の理由からTPPのルール・メイキングはすごいという主張。

ルールがどの程度実質的なのかを検証するには、2つの問題に注目する必要がある。第一にハード、ソフトの識別が重要である。ルールがハードであるためには以下の二つが満たされる必要がある:(1) 規定を努力義務とするための文言(flexibility language)が含まれない、(2) 紛争処理(DS)の対象となっている(TPP電子商取引章は後者を満たしている)。第二に、条文が具体的な行動を示している場合(例えば「消費者保護法」の制定)、ルールが実質的といえる。求められる行動があいまいな場合は非実質的なルールといえる(「消費者保護のために必要な措置をとる」)。

TPP電子商取引章で初めて達成されたルール

まず、TPP電子商取引章が達成した重要なルール・メイキングの成果について指摘したい。それは、特定のパフォーマンス要求のいくつかを禁止したことである。自国の領域内において事業を遂行するための条件として締約国がコンピュータ関連設備を領域内に設置することを要求することは禁じられた(十三条)。同様にソフトウェアの輸入の条件として、締約国がソース・コードへのアクセスを要求することも禁じられた(十七条)。

オンラインの消費者保護の法整備については、従来は、具体的だがソフトな規定(豪タイFTA)、ハードだが具体的でない規定(豪韓FTA)が存在したが、TPPは初めてハードかつ具体的な規定となった(七条)。同様に、個人情報の保護の法整備についても、TPPで初めてハードかつ具体的な規定が盛り込まれた(八条)。

TPPが既存FTAを下回る点

電子的コンテンツに対する課税については、米韓FTAでは電子的に送信されるコンテンツのみならず、電子的コンテンツが従来型の媒体(CD等)の上に載せられる場合についても非課税とされた(15.3条)。一方で、TPPは前者のみを非課税としている(三条)。

デジタル・プロダクトの無差別待遇については、米国の従来のFTAは第三国で生産等されたプロダクトにも無差別待遇を適用する「広範囲」な無差別待遇を含んできた(米星FTA14.3条)。一方で、TPPはメンバー国で生産等されたプロダクトのみが対象である「限定的」な無差別待遇となっている(四条)。

ペーパーレス貿易は、星豪FTA(Article 8)には義務規定として含まれているものの、TPPでは努力規定に過ぎない(九条)。もっとも、米国の従来のFTAもペーパーレス貿易についての条文は努力規定にとどまっている。

情報の電子的手段による国境を越える移転の自由については、事業の実施のために行われる場合についてのみ規定された。非事業の場合の情報移転の自由、国内における情報移転の自由は対象とされていない(十一条) 。米韓FTAは非事業の場合の情報移転についてもカバーしている(15.4条)。

国内の電子的な取引の枠組みの構築については、既に多くのFTA(豪星FTA等)に含まれているものをTPPは踏襲している。

政策論:ルール・メイキングに特化した日米FTAはどうか

TPPの中で圧倒的に所得水準が低いベトナムは、ルールを飲み込むことと引き換えに米国市場アクセスが大幅に改善されることを期待していたため、米国離脱に懸念を強めている。しかしながらTPP11の大多数は、戦術的にTPP11に懸念を示すことはあっても、TPPを微修正のうえ発効させることを期待しているように見受けられる。その理由として、TPPのルールはそれほど野心的ではなく「快適」なものであることがあげられよう。このように考えると、米国が容易にTPPを捨て去ることができたことも理解できる。TPPのルールでは他メンバーの改革効果がそれほど期待できないのである。

グラフ

FTAの重要な側面がルール・メイキングであると日米等各国の政策当局者は主張しているようだが、それならば本当にすごいルールを作ってみたらどうであろうか。例えば将来検討が開始されるかもしれない日米FTAの電子商取引章が、従来型の媒体上のコンテンツの非課税、第三国で生産されたデジタル・プロダクトへの無差別待遇適用、ペーパーレス貿易、国内・国際の情報の自由化等をすべて義務規定として含めることができれば、真にアジア・太平洋の貿易ルールの構築に資するFTAの締結ということができよう。

参考文献
  • S. Hamanaka (2017), The Future Impact of TPP’s Rule-making Achievements: The Case Study of E-commerce, IDE Discussion Paper (forthcoming)

(浜中慎太郎 新領域研究センター)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。