クルド研究の現状と課題

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.78

2017年3月29日発行

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  • 不安定化する中東を理解するためにはクルド勢力の分析が必要不可欠となる。
  • 現在、クルド研究が盛んなのは英国と米国。
  • 2009年にクルド研究の世界的な活性化を目指して「クルド研究ネットワーク」が設立。

日本におけるクルド研究

アジア経済研究所では、2015年4月から「中東における国民国家モデルの溶解と新たな地域秩序の可能性」という政策提言研究の分科会の1つとして、「中東地域の政治的安定に果たすクルド問題の位置づけ」を立ち上げ、中東の秩序安定に不可欠なアクターであり、解決すべき問題であるクルド勢力およびクルド問題について検討してきた。この分科会の発足理由は、(1)2014年9月から2015年1月のコバニ(アイン=アラブ)における「イスラーム国(IS」とシリアのクルド政党、民主統一党(PYD)の間の闘争に象徴されるように、地域秩序の安定に重要な役割を果たすようになっているクルド勢力の分析1と、(2)これまで日本では研究においても実務においてもクルド問題に関する蓄積が少なかったので、クルド問題に関する研究および実務家への提言のプラットフォームを設置すること、であった2

他国におけるクルド研究

日本では研究蓄積の少ない分野であるが、他国ではどうなのだろうか。クルド人はトルコ、イラク、イラン、シリアという4カ国に跨って暮らしている。また、ヨーロッパへの移民も多い。ただし、クルド人が住む4カ国ではクルド人の独立志向を警戒し、歴史的にクルド人のアイデンティティを助長するような行為を良しとしてこなかった。近年、そうした傾向は改善されつつあるものの、基本的に関係国での研究は限定されたものとなっている。それではクルド問題に関して、どこで盛んな研究が行われているのか。それは英国と米国である。

(1)英国の状況

ヨーロッパにおけるクルド研究で名高いのは、オランダのユトレヒト大学(Utrecht University)のマルティン・ファン・ブライネセン(Martin van Bruinessen)である3。しかし、最近クルド研究が盛んなのは英国である。英国でとりわけクルド研究に力を入れているのがエクセター大学(University of Exeter)である。エクセター大学はアラブ・イスラーム研究に力を入れており、クルド研究もその一環である。クルド研究センターには2017年2月27日現在、北イラクの専門家であるギャレス・スタンスフィールド(Gareth Stansfield)を含む3名の研究者が同センターの専任教員となっている。また、イラクのクルディスタン地域政府(KRG)から財政援助を受け、大学院の修士号と博士号を取得が可能となっている。クルド研究センターはこれまで2009年と2012年に2回のクルド研究の国際大会を開いており、今年(2017年)7月には第3回目の大会が行われることになっている。財政援助を受けている影響か、イラクのクルド研究が目立つが、同時に同センターではクルド語(トルコ、シリア、北イラクの一部で主に使用されているクルマンジー)の習得が可能となっている。

エクセター大学と共に英国でクルド問題の研究を牽引しているのは、ロンドンスクール・オブ・エコノミクス(LSE)の中東センターである。同センターは、北イラクのクルド問題を研究に力を入れており、2016年には「外国の武力介入後の女性の権利の向上:イラクのクルド地域を事例として」、「イラクのクルド地域の国内避難民における死亡率と健康調査」、「イラクのクルド地域における国内避難民に対する複雑な人道的対応」という3つのプロジェクトが実施されている。また、2016年7月9日には「ロジャバ@4:西クルディスタンにおいて拡大する実験」というワークショップが開催された。

他の大学でもクルド研究を取り扱う動きが見られる。2016年の6月末にはレスター大学(University of Leicester)でクルド研究に関するサマースクールが開催された。また、ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)では長い間クルマンジーの初級コースが開設されている。

(2)米国の状況

米国ではイラク系アメリカ人で博士論文として執筆した「クルド国家運動:その起源と発展(The Kurdish National Movement: Its Origins and Development)」が50年以上経った今でも重要文献となっているワディエ・ジャワイデ(Wadie Jwaideh)とその弟子にあたるケンタッキー大学のロバート・オルソン(Robert Olson)、そしてテネシー工科大学のマイケル・ギュンター(Michael Gunter)などによって牽引されてきた。しかし、彼らの活動は個人的な研究に限定されていた。

米国でクルド研究に学部として力を入れ始めたのが、中央フロリダ大学(University of Center Florida)である。同大学には政治学部にクルド政治研究プログラムが設置されており、同大学准教授のギュネシュ・ムラト・テズジュル(Güneş Murat Tezcür)がプログラムの中心となっている。このプログラムはまた、イラクのキルクーク知事のナジマルディン・カリム(Najmaldin Karim)の寄付によるジャラール・タラバーニー寄贈講座でもある。

(3)クルド研究ネットワーク

最後に、2009年に立ち上げられたクルド研究ネットワーク(Kurdish Studies Network)について触れておきたい。クルド研究ネットワークは上述したエクスター大学での第1回クルド研究の国際大会後にスウェーデン在住の研究者、ウェラト・ゼイダンルオール(Welat Zeydanlıoğlu)やブライネセンの弟子であるワーヘニンゲン大学助教授のヨースト・ヨンガーデン(Joost Jongerden)等を中心に立ち上げられ、現在では1000名以上の参加者が存在する。査読付き雑誌のKurdish Studiesを2013年から毎年2回発刊している。クルド研究ネットワークはウェブサイト(https://kurdishstudiesnetwork.net/)も充実しており、クルド研究に関するイベントや学術雑誌への投稿などの情報は同ウェブサイトから入手することが可能である。

まとめ

本小論で見てきたように、クルド研究に関してはとりわけ2009年以降、世界的に活性化してきている。この背景には、2009年にトルコの公正発展党政権が「民主的イニシアティヴ」を掲げ、クルド問題解決に乗り出したこと、そしてイラクでKRGが確固たる自治を築き始めたことがあった。現在、クルド問題の重要性はシリアにおけるPYDの台頭などでより一層認識されているものの、トルコでは政府と非合法武装組織のクルディスタン労働者党(PKK)の武力衝突が激化し、KRGは油価の下落で苦しむなど、2009年に比して暗い話題が多くなっている。とはいえ、1990年代前にはタブーとされてきたクルド問題は、現在では広く認知されただけでなく、さまざまな角度から本格的な研究が進められている。アジア経済研究所でもこうした世界的な潮流を鑑み、引き続きクルド問題を中東の新たな秩序を検討するうえで不可欠な事象と捉え、学術的なプラットフォ—ムとなりながら、実務家への発信も積極的に行っていきたい。

(いまい こうへい/地域研究センター・中東研究グループ)

脚注


  1. クルド問題の重要性に関しては以下を参照。今井宏平・佐藤寛「混乱する中東情勢安定化の鍵を握るクルド」『アジ研ポリシー・ブリーフ』No. 63、2016年。
  2. 研究会および研究会への参加者はクルド問題をあくまで研究対象の1つと捉えており、この問題に関して何らかの政治的立場をとるものではない。
  3. 1978年に出版されたブライネセンの主著Agha, Shaikh and State. On the Social and Political Organization of Kurdistanは山口昭彦を中心に翻訳が進められている。マルティン・ファン・ブライネセン著(山口昭彦・斎藤久美子・武田歩・能勢美紀共訳)『アガー・シャイフ・国家:クルディスタンの社会・政治構造(1)・(2)』聖心女子大学論叢第127号(25-52頁)・第128号(153-217頁)。

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。