「ビジネスと人権に関する国連指導原則」国別行動計画(NAP)策定の鍵はマルチステークホルダーエンゲージメントにあり

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.76

2017年3月1日発行

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  • 日本政府がNAP策定のコミットメント表明。策定プロセスの透明性の確保、マルチステークホルダーの参画が有効かつ支持されるNAPへと導く。
  • ビジネスがもたらしうる人権への負のインパクトを洗い出し、現行制度を点検する基礎調査が課題の優先度、具体的な政策の特定に必須。
  • NAP策定プロセスにおける省庁間の協働が指導原則が求める政策の一貫性を実現する。

2016年11月16日第5回国連ビジネスと人権フォーラム (United Nations Forum on Business and Human Rights) の『ビジネスと人権に関する国連指導原則』(指導原則)に係る国別行動計画セッションにおいて、在ジュネーブ日本政府代表部大使がステートメントを発した。「我が国は、指導原則の履行にコミットしている。この観点から、今後数年以内に国別行動計画を策定すべく、現在、外務省、法務省、経済産業省、厚生労働省等と予備的な協議を開始している段階。国別行動計画の策定の過程において、ビジネス及び市民社会の声を聞き、バランス良く反映させるとともに、企業の責任ある行動を促していきたいと考えている」。翌12月22日、持続可能な開発目標(SDGs)推進本部で決定されたSDGs実施指針付表に「ビジネスと人権に関する国別行動計画の策定」が明記された。これにより日本政府によるNAP策定の正式なコミットメントが表明された。

NAPは、指導原則に従って各国政府が立案し執行する政策文書である。指導原則を具体的に実践するための効果的手段として、NAP作成を推奨する国連ビジネスと人権ワーキンググループによる報告書が2014年国連総会に提出されている。2015年G7エルマウ宣言には、G7各国のNAP作成の努力を歓迎する旨が記された。さらに2016年4月ドーハで開催された、国連ビジネスと人権フォーラムアジア地域会議に関する国連WG報告書には、「アジア地域におけるG7国としてのリーダーシップを」と日本が明示されている(A/HRC/32/45/Add.2)。米国、ドイツが2016年12月16日、同月21日にそれぞれNAPを公表した現在、日本のNAP策定はグローバルな期待にどのように応えることができるのか。

問題の見える化としてNAP策定

指導原則の問題意識は、企業などの経済的アクターがもたらす影響の大きさと、それがもたらす人権への負の側面を適切にコントロールできない社会側の能力のギャップ(=ガバナンス・ギャップ)の存在にある。そのギャップをできるだけ少なくしようとするのが指導原則である。ビジネスと人権に関して、様々なマルチステークホルダーからのニーズとギャップ、具体的かつ実行可能な政策と目標を明らかにするプロセスによって、企業による人権侵害を防止し、人権保護を強化する。すなわち問題の見える化としてNAP策定プロセスがある。

プロセスの透明性とマルチステークホルダーの関与

策定プロセスにおけるマルチステークホルダーの関与がNAP自体の実行性、有効性につながる。企業にとってもステークホルダーとのエンゲージメントが重要となるなかで、NAP策定プロセスは政府、企業、市民のエンゲージメントの機会を醸成する。

各国の策定プロセスにおいて、多くのステークホルダーが関与している。たとえばオランダ(2013年12月NAP公表)では、指導原則の実行に関するアイデアについてビジネス界、市民社会団体などと50ものコンサルテーションを行なっており、その議論をNAPの中心にすえている。相容れなかった論点も明記することにより、継続的取り組みの課題が理解できる。デンマーク(2014年4月NAP公表)では、ビジネス、金融、CSO(市民社会組織)、地方自治体、労働組合を代表するメンバーで構成する評議会との協議がおこなわれ、その提案がNAP本体のメインになっている。ドイツでは関係省庁からのメンバー、雇用者団体、商工会議所、CSO、労働組合、アドバイザーから成るステアリンググループが複数のコンサルテーションを行ない幅広い意見を集めた。いずれもNAP策定着手からその完成、公表まで2年あまりを要し、マルチステークホルダーとのエンゲージメントに時間をかけている。

アジア経済研究所が2016年6月に開催した国際シンポジウム「責任あるビジネス・責任あるサプライチェーン『ビジネスと人権に関する国連指導原則』を日本はどのように活かせるか」の参加者へのアンケートでは、NAP策定プロセスへの関与に高い関心が示されている(有効回答のうち84%が関心あり)。企業参加者からは「海外でのビジネス展開に避けられないプロセス」「企業セクターの声を反映したものとすべき」「日本企業がグローバルな競争力を高めるうえで力になる」などの意見が挙げられた。CSO参加者からは「マルチステークホルダープロセスによる策定を期待する」「ステークホルダーによる参画、対話が重要」などの意見がよせられた。

現状認識の重要性——日本のビジネスの人権リスクの認識と洗い出し

有効なNAPを策定するためには、現状の正確な把握、基礎調査が不可欠である。日本の国内外のビジネスが人権に与える負のインパクトについて調査し特定し、取組むべき課題の優先順位をつける。様々な地域、分野における人権リスクを把握するためには、企業、CSO、労働組合など多くのステークホルダーとのワークショップや調査が必要である。当研究所が2016年度にジェトロ現地事務所と行なったミャンマーやマレーシアでのワークショップでは、下請けの労働状況、外国人労働者の権利、宗教や人種にかかる差別、立ち退きなど土地に関する権利、人権リスクという認識自体の欠如などが課題として明らかになった。

日本のビジネスが与えうる人権への負のインパクトを認識したうえで、それを軽減、防止するためには現行制度ではどう対応できているのか、いないのか。現況の制度を指導原則に照らして点検をおこなう。これが確かな情報とエビデンスにもとづいたNAP策定へと導く。この基礎調査は政府内のみで行うのではなく、関係するステークホルダーを参加させ多くのインプットを得ることが、より確固な基礎をつくることになる。ICAR(国際企業説明会議)とデンマーク人権研究所が作成したNAP策定ツールキットには指導原則に照らした現行制度の点検をおこなう基礎調査表のテンプレートがあり活用できる(当研究所サイトで当該ツールキットの邦訳を掲載)。

政策の一貫性——省庁間の協働による指導原則の実現

指導原則は人権を保護する国家の義務として政策の一貫性を求めている。特定のイシューは特定の省庁の管轄という割り振りはせず、様々なイシューについて省庁間の会合を行い、課題の理解と共有、政策の一貫性を保つことが求められる。たとえばサプライチェーン上の労働者の問題は、労働者だから労働問題を所轄する部署のみならず、産業政策や通商政策、外交政策に関係する。英国、米国、ドイツなどのNAPをみると、サプライチェーン上における人身取引や強制労働をなくす施策は、企業の非財務情報開示、公共調達、国際援助、在外公館の機能などに関連している。NAP策定プロセスにおいて、所掌を越えた省庁間の課題共有や意見交換の場が形成されること自体が、政策の一貫性という指導原則の実行につながる。主要イシュー毎に政府、企業、CSO等のマルチステークホルダーが会することは、そのような場を具体的に設けていること、そしてその議論の過程そのものが政府、企業、市民社会にとって財産になる。ひいては日本の総合的競争力を高めることにつながるであろう。

(やまだ みわ/新領域研究センター 法・制度研究グループ長)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。