なぜ今、「ビジネスと人権」なのか —政府の義務と企業の責務—

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.51

2015年4月30日
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中小企業を含む日本企業のアジアを中心とする新興国・途上国における海外事業展開が活発化するなかで、事業上のリスクと人権の問題がある。「ビジネスと人権に関する国連指導原則」の採択後、国際的な議論や実践の動きは急速に展開している。それらの動向を注視しながら、リスク管理としてのみならず、競争力を高めるためにCSRが必要とされる日本企業は、どのように人権尊重を企業活動のなかに取り込むべきか。そしてそれを日本政府はどのように後押していくべきなのだろうか。



人権問題をいかに企業活動に取り入れ、それをいかに政府がサポートするか
日本企業の新興国・途上国における海外事業展開が活発化するなかで、事業上のリスクと人権の問題がある。たとえば、日本のアパレルメーカーの中国の委託先工場での劣悪な労働環境や処遇の実態が指摘された。また、フィリピンで日本企業が開発するニッケル鉱山周辺の河川や海域において、規制値を上回る六価クロムの検出がNGOから指摘されたこともある。操業をめぐる人権問題に加え、商品がどのように生産・流通されてきたのかというサプライチェーン全般に対する先進国市場の消費者および投資家の関心も高まっているのが現状だ。

このような動きに関連し、ビジネスと人権に関して、世界的なガイダンスとなっているのが「ビジネスと人権に関する国連指導原則」(以下、「指導原則」)である。日本企業は、リスク管理としてのみならず、競争力を維持し高めるために、どのように人権尊重を企業活動のなかに取り込むべきかを真剣に考える時にきている。そして、それを日本政府としてどのようにサポートしていくのかについて、政策担当者はより積極的に取り組んでいかなければならない。

新興国や途上国でのビジネス展開の方が、人権侵害のリスクが高まる
新興国・途上国における事業展開において、環境問題や労働者問題、開発に伴う強制移転、紛争鉱物問題などのリスクが高いのは、これらの国では人権を保障する制度が不十分だからだ。例えば、労働者の権利保護のための労働法規や、人々の生活の権利を守り侵害しないための環境規制や安全基準、さらには住民の土地や住居への権利を考慮した土地収用に関する法規や手続きといった法整備が不十分なのだ。また、法執行官の人材不足やキャパシティ不足、腐敗や癒着のために法の執行性が弱いケースもある。国際的人権基準と国内法規定のギャップこそが人権侵害の温床であり、企業は進出先の国の法律を遵守するだけでは人権侵害のリスクを回避できない。人権保護の義務をはたすことができる国家(先進国)とはたせない国家(新興国や途上国)でのビジネス展開においては、当然後者においてリスクが高く、これに伴う企業の責任はより大きくなることは見落とされがちである。

「ビジネスと人権」—国際的フレームワーク
2011年、国連人権理事会で全メンバー国の賛成を得て採択された「指導原則」では、人権を保護する義務は第一義的に国家にあること、企業は人権を尊重する責任を有することを明示している。「指導原則」は、国連グローバル・コンパクト、GRIガイドライン、ISO26000などCSRに関する国際的なガイダンスに影響を与えている。OECD多国籍企業ガイドラインは、「指導原則」を受けて、2011年改訂において新たに人権の章を加えた。

「指導原則」にある国家の人権保護義務については、EUでは2011~2014年CSR新戦略により、加盟国政府による国家行動計画が策定されてきている。EUのなかで最初にイギリスが2013年9月に行動計画を発表した。これは2年間をかけてNGOを含むマルチステークホルダーと協議してきた結果である。またEUは、中小企業向けのガイダンスや、人権は普遍的なものでありながらも各業種に特有の人権課題を示した、石油・ガス、人材派遣、ICTのセクター別ガイダンスも作成している。

一方アメリカは、2013年5月に「ビジネスと人権に関するアメリカ政府のアプローチ」を国務省が発表しており、その冒頭には「指導原則」が説明され、ビジネスにおける人権課題について政府が企業に対して支援し、責任ある企業活動を推進し、法の支配、人権の尊重、公平な競争の場を促進することが謳われている。さらに同政府は2014年9月に国家行動計画の策定へのコミットメントを表明した。

2013年8月にはラテンアメリカにおいて、ビジネスと人権に関する最初の地域フォーラムが開催され、2014年9月にはアフリカで開催されるなど、「指導原則」は世界的な関心を集めその広がりを見せている。2015年はアジア地域での開催が予定されている。

対象地域への深い理解が必要
世界人権宣言に謳われ国際人権規約に規定されている基本的人権は、平等、自由、生命、安全の権利をはじめ、人間が生きるということに関わるものすべてに及ぶ。人権課題は、ビジネスの業種によって多様であるし、ビジネスを行う対象地域によっても異なる。たとえば資源・エネルギー産業では、資源の採掘で生じる環境への負荷、地元住民の生活や文化への負の影響、住民移転問題などが懸念される。また鉱物資源から得られる収入が紛争の資金源になることも指摘されており、アメリカでは2010年7月に上場企業に対してコンゴ民主主義共和国および隣接諸国で産出された鉱物の製品への使用に関する開示および報告を義務づけている。

また繊維・アパレル産業では、中国やバングラデシュなどにおける労働者の権利侵害が指摘される例が後を絶たない。コストを抑えようとする企業が人件費の比較的低い新興国・途上国へ工場を展開していくなかで、大きな人権リスクを抱えている業種のひとつである。

これからますます盛んになる新興国・途上国におけるインフラ開発においては、開発対象地域の住民の人権、現場の労働者の人権、そしてその開発によって影響を受けると予想される人々の人権が配慮される必要がある。途上国においては、土地の所有権や使用権、その売買について法規定が未整備で、政府による土地収用に関しても制度が不十分な場合が多い。政府から開発許可を得た土地の所有権が明確でなかったり、収用されたはずの土地に住民が居続けたりしている場合もある。地元政府が住民に対して十分な説明責任をはたさず、住民の理解を得られていない場合、人権侵害の糾弾の矛先は、かかる開発プロジェクトへ投資・支援する外国政府や企業に向けられそのリスクを背負うことになる。つまり、対象国の法令遵守を超えて、ビジネスに求められる住民とのエンゲージメントがあるのだ。そしてこれらの人権課題の理解には、そのコンテクスト、すなわちその国、その地域、そこに住む人々の歴史や文化や社会背景の考察が必要である。

日本がはたすべき人権尊重の責任
日本は高度経済成長期の公害を経験し、環境問題を高技術によって克服してきた。環境・社会配慮の基底には人権の尊重があるのだから、「指導原則」を活用して、新興国や途上国における人権課題と企業に求められる責任についてさらなる理解とコミットメントが必要である。

途上国に対する援助においてビジネスが重視され、援助を梃子に日本企業の海外進出を促進する安倍政権の方針は開発協力大綱に反映されている。日本企業の進出を推進する狙いがあればこそ、日本政府には、国家としてのビジネスと人権に関するコミットメント、そして日本企業のコミットメントを後押しする政策が望まれている。

(やまだ みわ/新領域研究センター法・制度研究グループ長)






本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。