IDEスクエア

海外研究員レポート

現地調査研究を行う際の古くも大切な問題――クリスマス・イブに想う

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050217

岡部 正義

2018年2月

クリスマス・イブに届いた1通のテキスト

"sir can i have a favor? gusto po ng kapatid ko mag aral pero ang lola ko cant afford the tuition so i need sponsor po para sa financial assistance nya" (原文ママ)

これは、去るクリスマス・イブの2017年12月24日、筆者のもとに、調査地に住むとある青年から届いたテキスト(携帯のメールのこと)である。筆者は現在、フィリピンのある農村貧困地域で開発経済学における教育と貧困に関する調査を進めてきている(小稿の内容の性質上、ここでは具体的な地名紹介は控えさせていただく)。彼が送ってきたメッセージの大意は、「サー1、ご相談したいことがあるんです。僕の弟は大学に行きたいのですが、祖母には学費を払う余裕がありません。資金的に支援してくれるかたが必要なんです」といった内容であろうか。このテキスト自体に筆者の調査研究課題のエッセンスがつまっているのだが、おりしもフィリピン国内はなんといったって気の早いことに9月からクリスマスムードが高まってきており、その絶頂を迎える12月24日の聖夜のことであったため、その思いはなおさら強いものであった2。「支援者が必要」という言い回しだが、その真意を理解する作業こそが、ささやかな一つの出発点になりそうである。

外国研究、しかも途上国研究で、我々のような外国人が(あるいは特定的に日本人がといったほうが良いだろうか)実際に「フィールド」と呼ばれる調査地に入っていき、様々な調査活動を進めるなかで、すでに著されているフィールドワークに関する教科書やルポルタージュの多くが指摘している古典的で重要な問題を考えるきっかけになりそうである。小稿では、まず調査地内の人びとの関係性についてやや抽象的に模式的に整理し、そのうえで上記のクリスマス・イブに抱いた所感について検討し、「現地調査研究を行う際の古くも大切な問題」を考えてみることにしたい。

フィールド、ラポール――調査する者、調査される者、それを仲立ちする者
(1) 調査者をとりまく人びと――誰かが来た

フィールドは、調査者自身が身を置く帰属集団とは異なる社会集団であることが多い。調査者はあくまで「外部者」としてそこに地理的・物理的に入り込んでいき、自身の調査研究のための「データ」を取得するための「フィールドワーク」を展開する3。この際に重要なことは、専門用語で「ラポール(rapport)」(仏語)と称される信頼関係・人間関係の構築である。人類学でとくに重視されるが、社会科学分野でも重視されている考え方である(社会学、政治学、あるいは経済学といったディシプリンごとに、そして個別の研究課題の内容次第で、フィールドとの距離、築くべきとされるラポールの濃淡は異なる)。ここで、やや模式的に調査者と調査地内の人間関係について表現してみよう(図1)。

図1 調査者をとりまく模式図

図1 調査者をとりまく模式図

(出所)筆者作成。

まず、調査者「A」は、自身の調査を進める調査地を「α」に決定したとする。そして、調査者Aはαに入り、aという計画した研究課題に従事する(=Aはαでaについて調査研究する)。しかし、当然ながら調査者Aにとって調査地αに住む人々の集団は、自身にとっての帰属集団ではない。調査者Aの出身地(帰属集団)はβである(=β出身のAはαでaについて調査研究する)。このとき、とくに調査初期には、調査地αの内部に知り合いをつくるか見つけ出し、その人に仲立ちしてもらいながら、徐々に調査地αのなかでの活動範囲を広げていくのが良いと考えられる。このような考え方は、フィールドワークに関する教科書においても繰り返し主張されてきたことである(例えば、佐藤2002)。

自身が帰属する地域や集団(βが例えば先進国や都市、〇〇教国といった類型)とは大きく異なると考えられる地域や集団(αが例えば途上国や農村、□□教国といった類型)を分析する際には、帰属集団βで無意識に前提とされている価値観や規範を故意でなくとも無意識にα内に持ち込んでしまう可能性があるし、そのことに関して「一種恐れにも似た慎重な配慮が必要である」(中西1991: 21)。「仲立ち」の役割を担ってくれる調査地のこの人物は、αの内情をよく知る「よき先輩」として、調査者Aをα内のインフォーマントたち(調査研究に協力し情報を提供してくれたり、調査研究の対象となる人びと)に結び付けてくれたりすることが期待される。

さて、仲立ちをしてくれる調査協力者は、調査者Aが直接行う数々の打ち合わせや、調査研究の趣旨説明、また日常的に行動を共にすることなどによって、調査者Aと相互に理解を深め合う。このことは、仲立ちをする調査協力者にとっても、調査者Aがどのような人物かを見定め、調査研究課題aがその地域αにとって重要な社会課題であるかいなかを判断するための材料になるだろう。頻繁に連絡を取り、地域α内で行動をともにすることにより、調査者Aとの心理的距離は小さくなることが期待される。

(2) 構造的空隙――だんだん知っていく4

仲立ちをした人は、調査者Aのことを当座はα内でもっとも知る人物となり、α内に調査者Aを紹介し始める。α内にいるインフォーマント(現地住民)は、仲立ち人を通じて調査者Aを徐々に知るようになる。しかし、初期には、α内のインフォーマントたちにとっては、調査者Aとの相互理解は仲立ち人を通じて行われるのみであって、直接的に調査者Aを知る情報に乏しい。自分たちにとっても既知の関係にある仲立ち人を通じて、調査者Aとの相互理解を深めていく。このとき、仲立ち人は、調査者Aと、自身の帰属集団であるαの住人たちとの間に構造的空隙(structural hole(s))を有しているといえよう。

構造的空隙とは、社会学や経営学における手法の一つである社会ネットワーク理論の考え方である5。構造的空隙が存在する場合、Ⓧ–Ⓨ、Ⓧ–Ⓩ間で繰り広げられる人間関係は通常、Ⓨ・Ⓩにとっては非対称なものとなる。「漁夫の利」という故事逸話があるが、これも構造的空隙を利用した事例のひとつであったといえる。ここで仲立ちをする調査協力者をⓍ、外部からやってきた調査者AをⓎ、調査地α内のインフォーマントとなる人びとをⓏの位置にいると理解すると、Ⓧ–Ⓨ間の結びつきよりもⓍ–Ⓩ間の結びつきの方が血縁、地縁関係や知り合っている期間の長さに基づき、より強固なものであると考えることが妥当である(図2の太線)。

図2 構造的空隙

図2 構造的空隙

(出所)Burt (2004),中西(2008)を参考に作成。
(3) 青年が送ってきたテキストを考える――入り込めた?

図2でいえば、筆者はⓎ(調査者A)、青年はⓏ(α内の現地住民)である。筆者は、「バランガイ」と呼ばれるフィリピンの最小行政単位の村議(あるいは評議員)6 (図2のⓍの位置に相当)に仲立ちをお願いし、調査地域での活動を進めてきた。青年と筆者は、村議を介して知り合った仲にあるが、当然、村議が筆者のことをどのように普段、青年に話しているか分からない。「Mr. Okabeは、アジア経済研究所とかいう日本の機関からフィリピン大学に派遣されてやってきた日本人であり、フィリピンの開発問題について研究をしている」といつも紹介されるが、それで青年がどのように筆者のことを理解したりイメージしたりしているのかも青年の心のなかのことでしかない。

ここでその青年についても簡単に紹介しよう。幼少期に両親が彼を育てることをやめ(ネグレクト)、以後祖母に養育されてきた。現在、彼は州立大学の3年生であり、ソーシャル・ワーク学を専攻している。卒業後は、ソーシャル・ワーカーか教師となって地域コミュニティの老人や子どもたち、あるいは生活に困難を抱える人びとに貢献したいと夢を語る。初めて彼の家を訪ねたとき、彼は私のことをやはり「日本からやってきた何やら難しそうなことをやっている日本人」だと祖母に紹介した。周囲の家はだいたい水道が設備されているが、こちらの家では水道設備も整っていないのか、かすかに厠の匂いすらも空気に乗って家のなかのどこからとなくやってきて鼻をつく。組み木の周囲や上部をバナナの葉や木の枝を巻いてしつらえられた質素な建て構え家のなかから、クタッと首の周りが伸びきった穴の開いたTシャツにほつれたハーフパンツと、どれだけ履き古しているかわからないサンダルを履いた白髪の老女が出てきて私を歓待してくれた。青年の両親(祖母にとっては娘夫婦)は彼が幼いころにいなくなってしまい祖母が自分ひとりで孫たちを育ててきたこと、祖母自身は腎臓に病を患い仕事ができないこと、家の収入源は孫本人が受益者となっている「4Ps」とよばれる条件付き補助金に頼っていること7、生計手段がなく子どもたちには苦労をかけていること、青年本人は夏季休暇を使ってワーキング・プログラムに応募しひと夏かけて学費や生活費の足しを季節性労働に従事して稼いでいること、などを筆者に打ち明けた。「日本からやってきたOkabeさんよ、どうか教育や貧困の問題を追究し続けてほしい。そして、孫たちの未来をよろしくお願いしたい」と訴えかけるような視線で筆者に挨拶してきたことが印象的であった。  

村議が従前から筆者のことをどのように地域の人びとに話していたのかも分からない。筆者にとってもこの青年やその祖母がどういう人物であるか、初めての訪問時にただちによく知ることもできない。これから知っていかなければという想いこそあれ、ひとまず青年に最初に抱いた印象は「両親にネグレクトされ、祖母ひとりに育てられてきた貧しい家計の出身の大学生」であった。そして同時に、貧困の逆境に負けずに、大学進学を果たし、将来は地域コミュニティに貢献したいと崇高な夢をいだく心優しい青年像も印象的であった。そんな青年から送られてきたテキストが小稿冒頭の内容であった。昨年夏に初めて調査地入りをし、そこから4カ月ほどが経過したクリスマス・イブの日のことであった。筆者にとっては、現地の人びととの人間関係はすべて、仲立ちをしてくれた村議に負っている。村議の知らないところで、筆者と青年との間の直接の連絡があったことになる(図2でいえばⓎ–Ⓩ間のコミュニケーションということになる)。

テキストを受け取ったとき、偽らざる本音を吐露すれば、青年は私に間接的にスポンサーとしてお金を提供してほしがっているのかと思った。彼の家族構成、厳しい経済状況、さらに彼自身が勤勉であることから、弟の教育にも力になりたいと思いそうな人物であることが想像されたからである。彼(ら)が、日本からやってきた筆者にどのようなイメージをもっているのか。ひょっとしたら、世界有数の先進国からやってきた(大金持ちとまではいわないが)小金持ち、と映っているだろうか。はたまた、筆者について、教育や開発の問題を研究しているぐらいだから進学問題には深い理解を示してくれる人物だろうと期待していたのだろうか。あるいは、筆者に直接に金銭を要求しないまでも、篤志家を字義通りに探してほしいという依頼であったのだろうか。

調査地に初めて入って以来、先述の「ラポール」問題を意識して、筆者はことさらに調査地の人びととの友好関係の構築に努めてきている。かのようなテキストを青年が私に送ってくるようになったのも、「ラポール」の構築といったらまだまだであるが、少なくとも連絡をとってみようと思う範疇の知人関係のなかには入り込めたことを意味しているだろう。しかし、「ラポール」問題は行き過ぎると「オーバー・ラポール問題」(調査者と調査対象者との関係が近くなりすぎること)となり、客観的で円滑なその後の調査にとって障害となるばかりか、現地の人びとにとって通常では起こりえないインパクトをもたらしたり、ある種の依存体質を生み出したり、それが原因となって調査研究結果の中立性や客観性すら担保されない事態にもつながりかねない。さらに、筆者と青年との間でオーバー・ラポール状態になってしまうと、仲立ちをしてくれた村議やコミュニティ全体にとっても潜在的な迷惑がかかる。村議が知らないところで、なにか親密な取引を行ってはならないのである。何より、筆者自身が直接、金銭的な支援を調査地で行うことは御法度であると心得てきたし、そのような動機で調査地入りをしているわけではないのである。

ラポールは得るだけでなく、こちらからも発するもの

青年は、間違いなく筆者の調査研究にとって重要なインフォーマントの一人である。まして、大学生であることから、場合によっては調査補助を依頼したいくらいの能力ももっている。ここで青年を失意させたり、筆者へのネガティブな気持ちを抱かせたりしないように配慮する必要がある。彼を傷つけず、しかし同時に、金銭面での支援はできないことを理解してもらわなければならない。そのうえで、今後もただデータを「取る・取られる」だけの関係ではなく、現地コミュニティにとっての社会課題を共に考えるような良好な関係を維持していきたい。これらの課題のすべてをクリアするにはどうすればいいか悩んだ。またこの一件は、仲立ちをしてくれている村議の知らないうちに、個人間のやりとりで展開したことであり、これを村議がもし知ったらどうなるであろうかという思いも脳裏をよぎった。ひょっとしたら、村議は青年を叱りに行くかもしれないし、村議自身が筆者に申し訳なく思ってしまうかもしれない。結論としては、図2のⓍに位置する村議にはこの件は一切知らせず、筆者の心のなかにしまうことにした。

私が彼に行なった返答の内容はここではあえて記さないことにするが、青年との間に起きた問題は、もしかしたらラポール構築に向けて力みすぎてしまったことのツケが回ってきたのかもしれないし、筆者の言動がそのような金銭関係の依頼や相談をしやすい相手と覚えさせてしまったのかもしれない。何が正解か分からない。調査者の数だけ対処策があるのだろう。

ただ、クリスマス・イブのタイミングで筆者にあのようなテキストを送ってきた青年の心のうちを思うと、個人的には切なさがこみ上げてくる。それでも、調査者が調査対象地に金銭的なインパクトを与え過ぎたり、人びとの依存体質を助長するような行動をとったりしてはならない。今後も継続してフィールドと関わり合う限り、第二、第三の彼のような存在がきっと現れる。そのとき、どう対応するのか。唯一の正解がないからこそ、筆者なりの正解を自分のなかでつくりあげていくことが、今後の海外研究員としての派遣期間をより有意義に進めていくための大きな課題である。

最後に、これまでの議論で抜け落ちているもう一つの重要な点として、そのテキストを受け取った際に、シンプルに「それってどういうことなのか詳しく聞かせてくれ」とすぐに質問できなかったことがある。日常の人間関係であれば、真意が分からないことをいわれたときは、それはどういう意味かとまずは相手に問うだろう。筆者の心のなかでは、彼の家庭状況や経済状況、そしてラポール問題をやや過剰なまでに考えていたふしがあり、これがすぐにできなかった。これは、もしかしたら先に述べたオーバー・ラポールですらなく、そんなものは見当違いで、筆者自身が彼にステレオタイピングしているに過ぎないのかもしれない。ラポールは現地の調査対象者から得るだけのものでなく、調査者自身もまた調査対象者に向けて抱いていく双方向的なものでなければならないのだろう。

著者プロフィール

岡部正義(おかべまさよし)。アジア経済研究所海外研究員、フィリピン大学労働産業関係研究科客員研究員。開発経済学、教育経済学、国際教育開発学、フィリピン研究。主な著作に、"Gender-preferential Intergenerational Patterns in Primary Education Attainment"(International Journal of Educational Development, Vol. 46, 2016年)、「フィリピン・ミンダナオ農村部における教育需要の持続性に関する社会経済分析」(『アジア研究』63巻1号、2017年)など。

書籍:International Journal of Educational Development

書籍:アジ研 ワールド・トレンド

参考資料


  • Burt, Ronald S. 2004. "Structural Holes and Good Ideas." American Journal of Sociology 110, no. 2: pp. 349–99.
  • 後藤美樹. 2004 「フィリピンの住民自治組織・バランガイの機能と地域社会:首都圏近郊ラグナ州村落の住民生活における役割」『国際開発研究フォーラム』第25号、pp. 61–80。
  • 長坂格. 1998 「フィリピンにおけるバランガイの形成:フィリピン地域社会研究の一視点」『社会学雑誌(神戸大学社会学研究会)』第15号、pp. 88–106。
  • 中西徹. 1991 『スラムの経済学:フィリピンにおける都市インフォーマル部門』東京大学出版会。
  • ———. 2008 「深化するコミュニティ」高橋哲哉・山影進編『人間の安全保障』東京大学出版会、pp. 174–88.
  • 岡部正義. 2017. 「高等教育無償化へ大きく舵を取るフィリピン:2010年代早くも2つめの大規模教育政策」『IDEスクエア』 (ウエブ版海外研究員レポート、10月)ジェトロ・アジア経済研究所。
  • 佐藤郁哉. 2002 『フィールドワークの技法:問いを育てる、仮説をきたえる』新曜社。

脚注


  1. “sir”はどうやらフィリピン人が頻繁に用いる語のようである。対等ではない関係(年齢や地位など)の場合,目上であると認識している相手(客や上司など)に対して敬語のように用いられるようである(相手が男性の場合は”sir”で、女性の場合はマダムから来た“ma’am”(マム)である)。
  2. もっとも、クリスマスシーズンこそ「持つ者」と「持たざる者」(貧富の差)が人びとに痛感される時季かもしれない。持つ者は、日夜「パーティー」を行脚し、飲食やプレゼントに金の糸目をつけない。持たざる者は、そのような持つ者たちの豪快なある種の消費主義的行動を傍目で見ているだけである。
  3. フィールドワークというと質的・定性的なデータの収集活動のイメージが強いかもしれないが、ここでは比較的局所的な地理的範囲で行われる世帯調査や統計調査も含めてフィールドワークと呼ぶ。
  4. ここでの議論の主たる内容は、中西[2008]の理論部分に負っている。
  5. 単純な例として、二者間関係に基づいて人びととの結びつきが描かれる局面で、3人の人物Ⓧ、Ⓨ、Ⓩが存在するとしよう。このとき、Ⓧ–Ⓨ、Ⓧ–Ⓩの間には結びつきがある(例えば互いに知り合いである)が、人物Ⓨと人物Ⓩは互いを知らないとする(図2)。人物Ⓨが人物Ⓩに接近したい場合、Ⓨ–Ⓩ間を直接取り結ぶ関係性がないために、人物Ⓨは人物Ⓧを通じて人物Ⓩに接近することが可能である。ここでは人物Ⓨを調査者A、人物Ⓩを調査地αの人びとと捉えるとわかりやすいだろう。Ⓨ–Ⓩ間の結びつきが初期に存在しない時点で、Ⓨ–Ⓩ間には人物Ⓧからみて構造的空隙が存在する。
  6. バランガイ・カガワッド(barangay kagawad)と現地で呼ばれる職位にある者で、厳密には村議そのものとは異なるが単純化のため、そう呼ぶことにする。この制度やバランガイそのものについては、例えば長坂[1998]や後藤[2004]などを参照されたい。
  7. 4Psや条件付き補助金については拙稿 前回の海外研究員レポート(岡部2017)を参照されたい。