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海外研究員レポート

豚肉価格の上昇にみる労働力過剰時代のおわり:先進国にさしかかる中国

 

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00049989

渡邉 真理子

2008年1月

1. インフレクラッシャーついに登場

2008年1月15日、国家発展改革委員会は、「臨時価格抑制政策措置」をとることを発表した。1989年、1994年の物価高騰の際に、なりふりかまわない物価抑制政策をおこなったインフレクラッシャー・計画委員会(現、国家発展改革委員会)がついに動き出した。

1989年の際には、当時人気商品で価格高騰が著しかったテレビを大量に輸入し市場に回し、物価の鎮静化を図った。しかし、食品価格などの高騰を抑えられず、この混乱が天安門事件に結びついたと主張する向きもある。1994年には、南巡講話の直後の経済過熱が物価の高騰を招き、消費者価格は27%前後、改革開放開始以来現在まで最大の物価の伸び率を記録した。このときは、朱ヨウ基首相(当時)が計画委員会と国家経済貿易委員会を通じて、銀行の企業への貸付に総枠を設けるという荒技で与信と投資を抑えた結果、経済が急速に冷え込み物価も落ちつくにいたった。

さて今回、発展改革委員会がインフレをつぶすために発表した方式は、幾分か洗練された。これまでの統制ではなく、市場価格にキャップをかぶせるというかたちをとった。

「一度の価格引き上げが4%、10日間の累計が6%、30日間の累計が10%の引き上げをおこなった流通、卸企業は24時間以内に、当局の求める経営情報などともに書面で報告しなければならない。当局が問題があると認識した場合は、3日以内に価格を原状に戻すかそれよりも引き下げるかをしなければならない。(『国家発展改革委関於対部分重要商品及服務実行臨時価格干預措置的実施弁法』)」具体的な品目としては、1)食糧、2)植物油、3)豚肉および牛羊肉その他関連製品、4)乳製品、5)鶏卵、6)液化石油など(公定価格品目は除外)、7)その他重用品である。だが、たとえば豚肉、卵などは、市場流通の相当部分を自由市場を経由しており、コントロール可能な流通企業が介在していない場合もある。

金融当局は、この数年市場からの過剰流動性の解除に躍起になっている。こうした金融当局の動きに加え、計画委員会が直接価格抑制への態度をみせたことは、政府が短期的な暴騰を非常に恐れていることがわかる。この政府の動きが、インフレ心理を冷やすことができるのか、より加速させるのか、見ものである。

このように、インフレ問題はオリンピックを前にして、非常に緊急性を帯びてきた。現在起きている事象は、短期的な問題というより、長期的な構造変化の現れが原因となっている。短期的な物価のためには、もちろん金融引き締めというベーシックな政策対応が不可欠である。しかし、現在起こっている構造的な変化からくる要因に対しては、これに対応した供給側の調整を促す政策を打ち出すことが、よりよい政策である。

2. 今起こりつつある大きな変化

ここ数年、中国経済には大きな構造変化が進行中といえる。いわゆるルイスの転換点を中国が通過しつつあることを示す現象が、まず労働市場に現れた変化につづき、農産物市場の価格高騰というかたちで、現れているのではないか、と思われる。

(1)無制限供給の労働力は消えつつあるのではないか

まず、労働力の過剰感がなくなってきた傍証として、1)民工荒現象(農村からの手稼ぎ労働者の不足感。2004年に労働和社会保障部の報告書が出る)、2)農民は、農村にいない(社会調査の実施に当たって、戸籍をもとにサンプリングすると農村にいるはずの農民がいないことが多い)、3)若年労働力がすくなくなるだろうという人口学からの予測がある。さらに、こうした人口構造の変化の結果、4)貯蓄が少なくなり、投資資金が減るという研究も出されている(蔡昉2007年12月9日『財経』年会での講演)。

こうした現象の結果として、賃金の上昇が始まり、マクロの金融政策やミクロでの生産性の向上が対応できなければ、物価の上昇が始まる。つまり、上昇せざるを得ない賃金の上昇を克服しつつ、経済成長と物価の安定のためには、生産部門の生産性の向上が最大の課題となる局面に移りつつあるようなのである。つまり、中国の経済の基礎的条件が発展途上国のそれから、先進国型のそれへと転換しつつある、とも表現できる時代に入りつつあるようである。いわゆるルイスの転換点論が議論した現象が、いままさに中国において見られるようになっている。

(2)ルイスの転換点

1954年にアーサー・ルイスが発表した論文で分析した転換点の議論の要点は次のとおりである。

第I段階 工業化の初期段階
ある発展途上国が、工業化を開始する以前、産業は農業だけ、労働力は過剰であるとする。ここに、工業の投資が行われると、過剰な労働力を吸収できる。この労働力は過剰なので、賃金は最低の水準のまましばらくは変化がない。このため、工業は、安い賃金のメリットで高い利益率を得ることができる。この高い利益が、工業部門への投資を呼び込み、工業部門は拡大していく。

第II段階 転換点
 II‐1 こうして工業が拡大し、過剰労働力をすべて吸収されると、ある時点で賃金の上昇が始まる(転換点)にぶつかる。
 II‐2 このとき、さらに工業が労働力を吸収し、その他の変化がおきないとすると、農業の生産量がおちてしまう。農業の生産性が上昇するか、輸入ができないと、経済は飢餓に陥ってしまう。(飢餓点)
 II‐3 工業も賃金が上がっているので、生産性の向上が不可欠になる。

ちなみに、日本の転換点については、南亮進『日本の経済発展』をはじめとする多くの研究がある。おおよそ1960年代末から1970年ごろまでに、転換点を通過したというのが定説になっている。

さて、現在の中国が転換点にあるのか。この点については、まず2003年ごろから目につくようになった労働市場の逼迫という現象、つまり上の要点のII‐1に注目して、転換点がはじまったのではないか、という議論が始まった。本稿が注目するのは、現在起きている豚肉価格の上昇はII‐2という現象が引き起こしているのではないか、という点である。

(3)豚肉価格上昇の原因

冒頭の発展改革委員会の通知に関連して、発展改革委員会は2008年1月上旬全国主要36都市では、豚肉価格が前年同期比43%の上昇を記録した、と報告している。この豚肉価格の高騰は、2007年の春以来のホットな社会問題で、多くの調査や報道がなされている。
朝つぶした新鮮な豚を村の広場に売りにくる(福建省安渓県で)

朝つぶした新鮮な豚を村の広場に売りにくる(福建省安渓県で)

これをみると、次のような原因があるという。1)中国の豚肉生産は、企業ではなく、農民の庭先飼育が主力であり、おおよそ6割を占めるという。2)しかし、農民にとって豚の庭先肥育は十分に儲からなくなってきている。この要因は、飼料の高騰とともに、子豚価格の上昇がある。子豚価格の上昇は、2005年の疫病発生によるものもあるが、全般的なコストの上昇により一貫して上昇基調にある。さらに、野菜、果物などの他の商品作物、出稼ぎなど他の選択肢が多いので、豚肉生産を放棄するようになった。この結果、豚肉の生産量が減少、もしくは十分に需要に応じて延びない現象が起こった(→ルイスの転換点論のII‐2の農産物生産の減少)。3)結果として、供給が下落、価格が上昇した。4)2007年には、海外の市況の影響もうけ、飼料の値上がりも加わる。5)以上の原因から見て、豚肉価格を安定させるためには、供給側の生産性の向上が必要。より具体的には、庭先肥育から大規模・会社化への転換を進める必要がある(→ルイスの転換点論のII‐2の農業の生産性が必要)。

以上の議論に関連するデータを見ると次のような動きがわかる。

イ)2006年に肥育頭数が減少

イ)2006年に肥育頭数が減少

(出所)全国農産物成本収益飼料汇編各年版

精肉の生産量は減っていないようだが、肥育数が減っている。これが、2007年の供給量の減少につながったのではないか。

ロ)豚生産(庭先肥育)の収益の動向

ロ)豚生産(庭先肥育)の収益の動向

(出所)全国農産物成本収益飼料汇編各年版

1頭当りの利潤の歴史的な動向をみると、最大は1995年の200元、平均して100元程度で推移している。1農家あたりの飼育頭数に関する統計データはないが、3から5頭といわれている。肥育日数が150日程度とすると、年間のべ6から10頭できる。とすると、豚肉生産による利益は、1年で600元から1000元の利益となる。これは、北京で農民工の賃金である月800元から1000元という相場に比べると、小さい。

ハ)庭先肥育豚肉生産のコスト構造

ハ)庭先肥育豚肉生産のコスト構造

(出所)全国農産物成本収益飼料汇編各年版

庭先肥育の豚肉生産のコスト構造をみると、飼料費は、2006年から上昇しているが、この年、コスト全体は減少している。コスト全体を上下しているのは、子豚の仕入れ価格である。

ニ)地域別の収益コストの動向(2006)

ニ)地域別の収益コストの動向(2006)

(出所)全国農産物成本収益飼料汇編各年版

この収益とコストの関係を地域別にみると、さらに別の面も見えてくる。まず、豚肉生産の生産基地となっているのは、四川省、湖南省、河南省、山東省である(以下表の黄色字で表示)。そのうち、生産基地のうち、四川、湖南で、庭先豚肥育は赤字化している。これが、2007年以降の供給不足の引き金になったのではないか、とおもわれる。一方、河南、山東などの農業の産業化企業化が進んでいるとおもわれる地域は、黒字を確保できている。

過剰労働力が消えた段階で、農産物の生産を確保するために必要な農業の生産性の向上は(ルイスの転換点2.(2))、「庭先肥育から、企業化・産業化による生産方式の転換」というかたちで現在進行中であるといえるようである。

さらに、また地域間の庭先販売価格の差も大きく、四川-広東で270元近い。現在のところ、四川から広東への物流費がこれを上回っていることを示唆しており、物流の効率化によって、「農業の生産性を向上する」ことも可能なのかもしれない。

(4)人口ボーナスから人口債務へ

以上のように、中国でも過剰労働力の時代から完全就業の時代に移行しつつあることのサインかもしれない現象が見られるようになっている。これらに加え、人口構成が経済発展にもたらすメリットが消えてしまうことを人口学者が警告している。

蔡ふぁん氏によると、人口学では、若い人口が多く、老人が少ない状況では、労働力が多く、養う人が少ない、かつ貯蓄が多く、投資の原資が多いことから、経済成長が加速される人口ボーナスが働くという議論がある。彼の講演によると、中国の平均経済成長(1982-2000)8.4%のうち、1.3から2.3ポイントは人口ボーナスのおかげという。しかし、現在の人口構成をみると、2012年から15年には、若年人口/老人比率が減少し始め、人口ボーナスが消えてしまうという。

3. 中国の発展メカニズムが変質する?
(1) 政策の動向の変化

以上の要因から、中国の発展メカニズムが変質する可能性が高い。まず、膨大だったはずの過剰量労働力がなくなったとき、賃金は上昇をし始め、生産性の向上によって始めて利益が確保できるようになる。さらに、人間の生産性を挙げるためには、労働者の利益と権利の保護が有利になる環境になっていくだろう。

さらに興味深いのは、中央と地方の政策の方向性が一致するのではないか、という指摘である。これまで、中央政府が、環境保護、人権保護を唱えても、地方政府・人民は招商・就業機会を考えて、環境保護のコストは無視、賃金を抑制してきた。しかし、これから労働力を確保するために、地方政府も、環境の改善、賃金の上昇を求めるになるだろう。「改革開放の歴史以来初めて、中央政府、地方政府、そして人民のベクトルが一致するフェーズに入るのではないか(by 蔡ふぁん)。」という。

(2)転換を迫られる企業のビジネスモデル

この環境の変化は、企業のビジネスモデルにも大きな影響を与えるだろう。まず、低賃金のメリットが消えてしまうため、人海戦術型の競争戦略に頼った企業は競争力が失われていくだろう。労働力が人的資本となる時代への転換ができるかどうかが、企業の競争力を左右する状況が生まれるだろう。

また、中央政府と地方政府のベクトルが一致し、環境、福利問題を重視するようになるのであれば、企業にとって環境や福利コストの実効的な負荷が高まることになる。この面での転換の成否も企業の競争力を左右するようになるだろう。

(3)今回のインフレと「バブル」との関係

冒頭に書いたように、中国政府は2008年に入り、インフレに対してかなり敏感な対応を見せるようになっている。すわ、日本の1980年代のバブルなのか、いつバブルが破裂し、長い停滞の時代に入るのか、そうした議論がかなり議論されている。しかし、インフレを構成する要因のうち、食肉の値上がりが、もし本稿で検討したように、現在の状況がルイスの転換点の調整プロセスで、農産物の生産性向上が追いついていないがために、起きているのであれば、農業の生産性改善のための投資に資金を回せば、十分な農産物の供給が確保され、価格は安定する。実際、農業労働力が減少し続けている現在、農業の機械化が急速に進んでいるという。また、とすると今のインフレは金融的な要因が主因ではない。政府が物価安定にすべきことは、過度な金融引き締めや価格の統制管理ではなく、農業工業を問わずに生産性の向上に貢献する政策である。

今回の中国の豚肉騒動は、まさに日本の1970年代のトイレットペーパー買占め騒動のように見えてくる。当時、安かろう悪かろうで売っていた日本も人件費が上がり始め、先進国にさしかかろうとしていた。そこに、資源価格の上昇のショックがパニックをもたらしたけれども、このときは高い原油と人件費を前提に生産性を挙げる方向に経営調整が行われ、高度成長は続いていった。生産性の向上をやりつくし、ただお金があふれていた日本の1980年代のようなバブルは、まだ中国には出現していないようにおもわれる。

以上