開催報告

国際シンポジウム

激動する湾岸アラブ諸国を読み解く:君主制、移民、湾岸経済の展望

開催日時
2014年9月17日(水曜)

会場
ジェトロ本部5階展示場

主催
宇都宮大学国際学部多文化公共圏センター、ジェトロ・アジア経済研究所

内容

趣旨説明
松尾昌樹氏(宇都宮大学 国際学部准教授)

セッション1:湾岸の経済と君主制の今
  • 湾岸アラブ諸国の国家——ビジネス関係:政策徹底におけるビジネス・アクターの役割——
    マーク・ヴァレリー氏(英エクセター大学 社会科学・国際研究学部講師)
  • 高まる透明性と説明責任要求:湾岸アラブ諸国における議会
    石黒大岳(アジア経済研究所 地域研究センター研究員)
セッション2:湾岸の経済と移民の今
  • アラビア半島の国際都市における移民と労働力、そしてビジネス
    アンドリュー・ガードナー氏(米ピュージェット・サウンド大学 社会学・人類学部准教授)
  • 湾岸アラブ諸国のエスノクラシー:移民に依存する労働市場と体制の安定性
    松尾昌樹氏(宇都宮大学 国際学部准教授)
セッション3:質疑応答・総合ディスカッション
  • 総評と各討論者コメント
  • 質疑応答

趣旨説明
松尾昌樹氏(宇都宮大学 国際学部准教授)

私は湾岸アラブ諸国の移民がこれらの国の政治・経済・社会にどのような影響を与えるか、文部科学省の支援を受けて4年間の研究プランとして進めている。これまでサウジアラビア、バーレーン、オマーンでの現地調査を行ってきた。本日はその研究成果の一部を発表したい。英国からヴァレリー先生、米国からガードナー先生を招き、この地域の最新の動向、移民と経済の関係について議論する。セッションは3つ。最後のセッションでは会場の皆様からの質問にも回答していきたい。会場の皆様から質問を伺うことで研究の質を高めたい。本日はよろしくお願いします。

セッション1:湾岸の経済と君主制の今

湾岸アラブ諸国の国家——ビジネス関係:政策徹底におけるビジネス・アクターの役割——

マーク・ヴァレリー氏(英エクセター大学 社会科学・国際研究学部講師)

マーク・ヴァレリー氏(英エクセター大学 社会科学・国際研究学部講師)

報告資料(67.9KB)

講演ノート(231KB)

石油以前、国内の安定性を保つために湾岸アラブ諸国では、指導者と地域のエリートが結びついた。その中でも、商人は指導者を財政的に支援するキー・パートナーであった。

石油が発見されると、石油によるレント収入(国民の生産活動とは関係なく天然資源の輸出収入など、国家に直接的に流入する非稼得性の利益)が、湾岸アラブ諸国の政治的正統性にとってコーナーストーンとなった。指導者と国民は、ここで新たな「社会契約」を結ぶことになる。すなわち、「代表なくして課税なし」という標語と逆の状況、「課税なくして代表なし」と言える状況が発生したのである。

クウェートでは、強力な商人エリートが意思決定への参与と政治的役割を求めていた。他方、カタルやUAEでは、商人層は意思決定への参与を求めるにはまだ弱小であった。しかし、この状況下でいずれの政治権力も商人層を意思決定から遠ざけた。その代り、政治権力は(国内市場を保護し)外国人商人層の参入を抑止するために働いた。バーレーンでは、ビジネス・エリートは支配家系内の勢力バランスに依拠している。2000年の労働市場改革でも、権力闘争が首相の周りにいる商人層と、皇太子の周りにいる商人層との間で繰り広げられた。オマーンは他の湾岸諸国と大きく異なり、カーブース国王がほぼ全ての権力を一手に握っている。ビジネス・エリートは国家の経済活動において戦略的な地位を占め、政権の政治的正統性を支えている。

経済のグローバル化に対応した湾岸アラブ諸国の昨今の労働市場改革、経済の民営化、労働者の自国民化などは、ビジネス・エリートがこれまで(国内市場の保護などで)獲得してきた既得権益を脅かしている。湾岸アラブ諸国では他の国に比べて、(姻戚関係の構築や経済成長によって)ビジネス・エリートが影響力を強めているが、政治権力とのバランスはどこにあるのだろうか。

アラブの春は、国家・ビジネス関係における新たな要素である。クウェート、バーレーン、オマーンでは、デモが最大の課題となっている。デモ参加者の要求は、雇用の創出、汚職対処などである。ビジネス・エリートの権益は政治エリートと結びついており、これらはデモ参加者に汚職と批判され、デモの主要なターゲットとなった。オマーンでは実際に、長らく務めた国家経済大臣と商工大臣が罷免され、石油レントに基づく政治的正統性はもはや新たな世代にとって受け入れられないことが露わになった。ここには体制の将来にとってジレンマが存在する。

バーレーンでは、状況が異なり、引き続きビジネス・エリートは支配家系内の勢力均衡に依存している。UAEでは、ビジネス・エリートは政府の政策を支持し、デモに同調するような兆候は見られなかった。支配家系は経済をコントロールしている。カタルもUAEと同様、支配家系がコントロールしている。


高まる透明性と説明責任要求:湾岸アラブ諸国における議会

石黒大岳(アジア経済研究所 地域研究センター研究員)

石黒大岳(アジア経済研究所 地域研究センター研究員)

報告資料(1.87MB)

ビジネス・エリートと体制側が結びつくことで体制が安定するというのがヴァレリー氏の議論だが、私はビジネス・エリートとは逆に、政権に反対意見をいうアクターを扱う。クウェートの政策決定プロセスを例に、各種アクターがどのように関与しているのか、アラブの春の前後におけるアクターの変化についても説明する。

湾岸アラブ諸国で立法権を有する議会があるのはクウェート、バーレーン、オマーンの3カ国。アラブ首長国連邦、サウジアラビア、カタルは政府の案を審査、助言する諮問評議会で立法権はない。湾岸アラブ諸国では、選挙の実施、選挙権や定員の拡大などの改革が1990年代から行われてきた。しかしこの改革は見せかけの改革で、外圧に対する一時的な改革でしかないとも言える。また、反体制派を体制側に取り込むという意味もある。

中東・湾岸地域では、議会制度をめぐる改革は上からの改革であることが多い。しかしながら、任命制であっても議員の中には自らの役割を政府に対するチェック機能に見出し、それを積極的に果たしていこうという動きが広がりつつある。

若者の人口も非常に増えており、これまで通り政府は国民を養いきれなくなりつつある。また、国内で消費する石油が増え、財源が減り、国民に分配する資源が減っていくという問題がある。政府としては財政の構造を改革し、過度に政府に依存する体制を変える必要がある。今後の財政構造次第では、国民だけではなく、支配一族も養えなくなるのではないかと言われており、痛みを伴う改革は免れない。政府は民営化を進めているが、これが腐敗の温床となっているとの指摘もあり、議会、国民に対する説明責任や、手続きの透明性が求められている。

次に、クウェートでの議会政治をめぐるアクター間の関係の変化を概説する。政府に対して最初にものを言ってきたのは有力商人層だったが、2000年代半ば以降、彼らは政府の側についた。クウェートでは、1980年代後半以降、都市部に新興中間層が形成され、市民社会を形成している。また、都市周辺部でも2000年代後半以降、新興中間層市民社会の形成が活発化している。都市周辺部の新興中間層は政治化した部族とも言える。2000年代の選挙制度改革において政治化した部族は有権者の中で多数派を占めるようになる。これに対し、有力商人層や新興中間層(都市部)が反発している。

2008年の選挙を境に、支持母体と政治勢力の関係は複雑になってきた。それは先ほどの部族の影響力の高まりが影響している。もともと部族で都市周辺部に定住した人たちは政治的に目覚めてクウェートの政治史に表れてきたということである。

それでは、議会のこれまでの対立要因は何かということだが、政治体制をイスラーム化していくイスラーム主義勢力とリベラル派の対立があるが、実際的には利益誘導の対立が本質的な対立を構成している。周辺部に行くほどインフラの整備が進んでいない。公共サービスが劣化している周辺部に流入した部族が人口的には多数派になった。いまはイスラーム主義者や、ポピュリストが政府と対立している。

野党の主張は、都市周辺部のインフラの整備が進まない中で、石油の富はどこにいったのかということ。つまり透明性・説明責任を要求している。彼らはイスラームの公正概念を持ち出し、政府を批判している。ポピュリストは資源ナショナリズム的である。クウェートの富はクウェートに還元されるべきだと主張し、また、政府の汚職・腐敗は消えていないと批判している。

野党と政府の対立が収まらない理由としては、野党が人口的には上回っていることがある。また、野党は政策の遂行結果に責任を負わず、閣僚の罷免要求を多用している。こうした結果、行政機能がマヒしている。クウェートでは、近年6回の選挙を行ったが、こうした混乱は政府、そして政府の足を引っ張る議会の双方が悪いと市民は考えている。

経済政策を策定するのは政府だが、議会の協力は不可欠である。石油事業などの入札と契約条件を議会はチェックし、会計審査院での審査を要求したりする。

ビジネス展開上の留意点としては、王族が決定するような大規模な公共事業であっても、議会に対してそれなりに説明責任を果たすことが求められているということである。彼らを説得するためには分配が公平であり、公正さと整合性が取れているということが重要なことである。

セッション2:湾岸の経済と移民の今

アラビア半島の国際都市における移民と労働力、そしてビジネス

アンドリュー・ガードナー氏(米ピュージェット・サウンド大学 社会学・人類学部准教授)

アンドリュー・ガードナー氏(米ピュージェット・サウンド大学 社会学・人類学部准教授)

報告資料(2.24MB)

講演ノート(261KB)

本報告ではいくつかの事例を取り上げ、今日の湾岸アラブ諸国を特徴付けるいくつかの習慣、通念、関係を説明するが、これらの事例は湾岸産油国全体を明らかにするというよりは、これまでの私の人類学的関心に基づいて行った研究をまとめてお話しする。

  1. 湾岸諸国の歴史と人口

    最初に湾岸産油国の歴史と人口について、お話ししたい。湾岸各国について語る際には、GCC(湾岸協力会議)を構成する各国の非常に独特な歴史的経験を理解することに多大な努力が払われてきた。しかしこうした努力は時として、豊富な天然資源を持つ、オスマン帝国や大英帝国の植民地主義的支配を受けたといった共通性によって編み出されてきたもう一つの歴史を隠してしまうことがある。各国の違い、特殊さばかりを言うのではなく、各国の共通点を述べる方が有益なこともある。

    その一方で、部外者から見れば、湾岸各国の国民は均質で画一的だと思われているが、実は人類学的に言うと、かなり多様である。遊牧民族に遡ることができるバドゥと、都市部の商人や海上貿易商人に起源を持つハダル、あるいはアフリカから連れて来られた奴隷の子孫のアブドゥ、ペルシャ移民も存在する。また、アラブ民族を自称する者もいる。スンニー派やシーア派という分け方もある。こうした多様性の中にあって、アラブ社会と国家の中心的特徴は、ナショナリズムと、支配一族・部族の正統性を同時に維持しようとしているところにある。華やかな国際都市の建設は世界に対するアピールでもあり、ナショナリズムを活気づけるものだ。博物館等々に見られる伝統文化産業の活況は、単一のナショナリズムを作り上げようとする手の込んだ試みだ。これらの活動は世界中の人々を意識して、国際的で近代的なイメージを作り出そうとするものであり、これを実施した支配者の寛大さを示すものである。

  2. 開発と都市開発

    開発はこうした湾岸諸国のシステムを支えるものである。都市開発こそ最重要なものである。GCC諸国では公的部門で働いている人が多数を占め、公共事業は富の分配であると言える。GCC諸国は、国家主導の開発の結果、文化資本を作り出すことに成功した。インフラ開発への支出は、国家から国民への富の移転である。

    つまり、湾岸アラブ諸国の法制度によれば、例外を除いて「国民」だけが土地と不動産を所有できる。こうした法制度に加え、「国民」が外国人労働者のスポンサー(身元引受人)となるカファーラ制があらゆるビジネス・シーンに盛り込まれている。カタルでは、サッカー・ワールド・カップ等の招致によるスタジアム建設等のインフラ開発にかかる国家の支出は、上述の諸制度や開発を請け負う地元企業が獲得する利益を通じて「国民」に還元される。このため、開発は、国家の富が市民に割り振られる結節点とみなされることになる。そして、権威主義的な指導者の正統性の基盤へとつながる訳である。

  3. アラビア半島への移民現象

    湾岸諸国は大量の労働力を必要としており、そうした労働力は南アジアや東南アジアからの供給に依存することになっている。こうした労働力の国境を超える移動を分析することが民俗学者としての私の基本的な研究対象である。また、単純労働者の視点から見たGCC諸国のシステムについても研究している。国境を超える移民労働者のパスポートは、通常、違法ではあるが雇用者に取り上げられてしまう。また、送り出し国でブローカーに約束された賃金は、しばしば実際に払われる賃金と異なる。しかし、就労ビザの発給と労働契約によって、カファーラ制は移民を1人のスポンサーに縛り付けるので、彼らには頼る手段が何も無い。カファーラ制では、移民を管理する責任について、スポンサーを務める国民と、代理人たちに配分していることになる。移民とその家族は送り出し国のブローカーに借金を抱えたまま帰国することになり、しばしばこうした搾取に晒されることになる。このように、GCC諸国のシステムは、低開発地域の労働力を吸収している。労働者、つまり移民の側からいえば、スポンサーとの関係に彼らの立場が規定される。

  4. 「ゲートキーパー」、「イマジニア」とビジネス関係

    近々発表される私の著作の中で、ディヴェンドラというカタルに移民した人のエピソードがある。移民労働者には賃金の不払い問題、あるいは給料の天引きなどの問題がある。また罰せられることもあるが、これは雇用主であるパレスチナ人との対話が欠如したことが問題であった。私の研究では出自が異なる様々な人の関係を扱い、湾岸諸国の国境を越えた存在をどう捉えればよいのかと考えてきた。アラビア半島の労働環境をよく理解しようとしたが、抵抗に逢った。そこには「ゲートキーパー」(門番)の役割を果たす人々がいたため、労働者に直接話をすることは難しかったからである。それに対して「ゲートキーパー」の後ろに居る湾岸アラブ諸国の人々は協力的であった。カファーラ制というヒエラルキーの中で、労働者とそれ以外の人々との連絡を管理する「ゲートキーパー」の存在があるのは社会的事実である。スポンサーの代理人が彼らの窓口となる。窓口係という存在は大事な存在である。この種の窓口係は湾岸の環境から必然的に生まれてきたものである。「ゲートキーパー」は窓口係だけではなく、コミュニケーションの結節点であり、自分の上司にとって社会的に何が適切か判断する役割を果たすことができる「イマジニア」(想像の具現者)なのである。彼らは湾岸地域とのつながりは希薄であり、湾岸社会の実態をそれほど知っている訳ではないが、自身の関心や欲望に基づいて概念を想像している。「イマジニア」によって作られた現地のアラブ人の関心や通念と、実際の現地の国民の関心や通念との間には、非常に大きな乖離があることも重要である。

以上、私は4つのテーマに焦点を当てた。湾岸アラブ諸国の独特な人口構成、都市開発、移民労働者、ビジネスにおけるイマジニアなどである。冒頭申し上げたとおり、これは今日の湾岸アラブ諸国を完全に描こうとしたのではなく、私の経験に照らして、今日の時代に支配的な社会的、文化的、政治的、経済的な関係を特徴付ける断片について取り扱ったものであるとご理解いただければ幸いである。


湾岸アラブ諸国のエスノクラシー:移民に依存する労働市場と体制の安定性

松尾昌樹氏(宇都宮大学 国際学部准教授)

松尾昌樹氏(宇都宮大学 国際学部准教授)

報告資料(1.37MB)

講演ノート(1.81MB)

エスノクラシーとは「国民と移民という国籍の違いに基づいて格差を生成・維持することで、権威主義体制の柔靱性を高める統治制度」。湾岸では移民人口が国民人口を上回っており、労働力ではその傾向はさらに顕著になっている。移民は政治的・経済的に欠かすことができないにも関わらず、国民に対して低い地位にある。これが湾岸アラブ型エスノクラシーである。

本報告では、なぜ移民を大量に受け入れている湾岸アラブ諸国は安定しているのかについてお話ししたい。これまでは石油等の天然資源による収入を国家が国民に配分するレンティア国家仮説がよく知られていた。しかし、こうした単なる配分政策は国民人口の増加、天然資源の国内消費の増大による輸出余力の低下等により、徐々に機能しなくなっている。また、エスノクラシー体制では、国民の特権意識を作ることによる国民間の格差や区分(宗派)の隠蔽、アラブの部族性など国民の特徴に注目する研究が多かったが、移民という要素はこれからの湾岸諸国の統治を見ていく上で重要である点をお話ししたい。

まず湾岸アラブ諸国の労働市場の分析についてお話しする。湾岸アラブ諸国は高分業諸国(クウェート、カタル、UAE)と低分業諸国(バーレーン、オマーン、サウジアラビア)に分けられる。エスノクラシー体制が確立している高分業諸国では反体制運動が弱く、低分業諸国では反体制運動が強いことが予想される。低分業諸国では、石油収入の伸びが期待できない事、また、若年人口の増加により、全ての国民を公的部門に吸収することが不可能になっている。例えば、クウェート、カタルは公的部門で国民の労働人口を吸収することが可能(財政的に余剰)であるが、バーレーンでは既に予算に占める人件費の割合が45%となっており、財政的に分業体制を維持できない状態となっている。これは構造的な問題であって、政策的解決は困難な問題である。また、サウジアラビアもバーレーンとほぼ同様の状況である。

次に、クウェートとバーレーンの比較をしたい。まず公・民の賃金格差についてであるが、図示したとおり、民間部門に押し出されたクウェート国民は、賃金面で決して移民とは競合しない。しかし、バーレーンでは特に民間部門において、公的部門で働く国民より低く、移民と同様の賃金となっており競合してしまう。これがバーレーンでのアラブの春以降の強い政府批判につながっていると考えられる。

最後にサウジアラビアについてであるが、サウジアラビアも分業体制はできていないが、全土でのデモは発生しなかった。クォータ制度(ニターカート制度)を導入し、企業に対して高賃金で自国民を雇用することを要求しており、雇用しない場合、移民雇用に必要な書類を許可しない等のペナルティーを課す。これによって、民間部門で働く「国民」は、公的部門で働く「国民」より賃金は安いものの、移民と比べて高い賃金のまま雇用にありつけることになった。企業は大量の移民を労働力として雇用しているので、サウジアラビア人を雇用することで発生するコストを移民に転嫁することでこの制度に対応している。この結果、国民と移民の格差を生み出す状況、すなわちエスノクラシー体制が確立され、国民の不満を抑えることが可能となっているのである。

エスノクラシー体制は必然ではない。では、なぜ湾岸アラブ諸国はこれを導入せねばならなかったのか。それはレンティア国家だからである。例えば、普通の国では移民を導入することで得られる利益を課税を通じて再配分することができる。しかし、湾岸諸国では税金をとらないため、税制度を用いた富の再配分機能を持っておらず、貧しい国民に配分できないから、エスノクラシー体制を導入した。すなわち、石油依存経済がもたらす、(1)経済成長による移民依存、(2)「オランダ病」、(3)レンティア国家化が、エスノクラシー体制をもたらす。これは湾岸諸国が奴隷の文化を持っているといったことに関係なく、エスノクラシー体制が構造的に必要であることを示しており、今後もこの体制は継続していくと考えられる。

セッション3:質疑応答・総合ディスカッション

質疑応答・総合ディスカッションの様子

総合コーディネーター
堀拔功二氏(日本エネルギー経済研究所 中東研究センター研究員)
討論者
マーク・ヴァレリー氏
アンドリュー・ガードナー氏
松尾昌樹氏
石黒大岳
総評と各討論者コメント

(堀拔氏)第1セッションでは、湾岸政治の意思決定がどのように行われているか、ビジネス・エリートと議会から切り込んだ。ヴァレリー氏は君主体制の存続にビジネス・エリートがどのような役割を果たしているかを指摘し、既得権益の保護という点で君主体制の存続を支持する理由があるとした。石黒氏は湾岸で最も民主的といわれるクウェートの政治においても、利益誘導の政治が展開され、これが政治問題化していると指摘した。第2セッションでは外国人労働者に関して取り上げた。湾岸は人口の半分が外国人であり、これを無視して政治・経済を論じることは不可能で、これに着目したのが有益だと考える。ガードナー氏はドバイやドーハでの都市開発のなかで移民がどのような文脈にあるか、また「ゲートキーパー」や「イマジニア」という新しい概念を用いて問題に切り込み、新しい構造を分析した。松尾氏は統計データから、どのように湾岸諸国が移民を利用して体制を安定させようとしているかを論じた。

各報告者それぞれの報告を聞いたうえでの、感想、コメント等を1人づつお願いしたい。

(松尾氏)ヴァレリー氏のビジネス・アクター、企業が移民をどう利用としているのかという論点が興味深かった。ビジネス・アクターと政治エリートが綱引きをしているという指摘は、これらの国々が開放経済に向かうのかを考える上で重要だと考えられる。ガードナー氏のゲートキーパーとイマジニアという概念は非常に重要な視点であった。外国人が低い地位にあるが、それは国家が作ったものではなく、中間に移民(パレスチナ人)が介在し、彼らが良しとする移民のイメージを、新たに移民に与えている。ゲートキーパーが作り上げたイメージを、受入国が積極的に作り上げたものとして我々は捉えてしまっていた訳である。

(ヴァレリー氏)皆それぞれ興味深い報告をしたと思う。私の報告について、客席の皆様がどうお考えになったか、この時間を使って是非、オーディエンスと議論したい。

(ガードナー氏)エスノクラシーの議論、透明性の議論は非常に興味深いものであった。私の本では「ワスタ」(縁故主義)について書いたが、そこでも透明性が欠如しているということを指摘した。しかし、これは国民の主要な利権であり、これを取り除くことは難しい。透明性を高め、文化的・政治的なものを取り除くことで、社会システムのメンバーシップなしで意思決定を行うことは、彼らにとって奇異なものとなるだろう。

(石黒)私の報告では、ヴァレリー氏の議論と対をなすよう意識した。代表なくして課税なしというのが湾岸地域の特徴である。しかし、税金を徴収していないにも関わらず、国民は説明責任を要求するという興味深い事例をクウェートは提供している。

質疑応答(堀拔氏が会場の質問と合わせながら、各討論者に質問していく形式)

(堀拔氏)外国人顧問、外国人コンサルタントが湾岸の経済政策にどのように影響を与えるのか。各国の「国民」にも優秀な人材は居ると思われるが、なぜ顧問等に「外国人」が多用されるのか。

(ヴァレリー氏)多くのGCCの大企業においてアドバイザーは外国人であることが多い。ビジネス・ファミリーがなぜ外国から顧問を雇うかというと、熟練しているという理由以外に、彼らは自国民より頼りになり、地元社会に根ざしておらず、会社の秘密を保持してくれることが挙げられる。また、ゲートキーパーとコンサルタントはリンクしている。多くの湾岸諸国の人々は必ずしも地元の人を信頼しておらず、政治決定に社会を巻き込むことを避けているとも考えられる。

(堀拔氏)石黒氏は透明性、説明責任について話されたが、クウェートでは納税の義務がないにもかかわらず、なぜ政府は透明性を求められるのか。

(石黒)現地のNGOでも透明性や説明責任を実際に求めている。ワスタもそうだが、見えないところで決まってしまうことに不満を持っている。汚職に関しても無視できないレベルという認識。

(松尾氏)税金を払っていないのに参加するのはなぜかという問いは、そもそも問いとして正しくない。ヨーロッパではそれが普通であるが、中東や他の地域にそれがあてはまるとは限らない。湾岸では国民が税金を払ってないが、国家がもっている石油は国民の財産であり、それを国家が管理しているだけという意識がある。透明性や説明責任は、石油が国民の財産であるというロジックで結びつけると、説明できる。

(石黒)付け加えると、資源ナショナリズムという主張が説得力を持つのかというと、これはより利益をもたらせということだが、その正当化には、イスラームの公正さの概念を持ち出し、資源はアッラーから与えられた恩寵で、メンバーの共有財産であり、「国民」はそれに自由にアクセスできるという考え方がある。国家は管理しても良いが、独占することは許さないとする考え方である。

(堀拔氏)移民の問題について。カタルは外国人労働者を酷使して建設事業などを進めているが、外国人労働者問題の根源はスポンサー制度なのか。

(ガードナー氏)都市開発、建設の問題は政治の正統性を高める道具で、それは市民に対する恩寵である。2022年のワールド・カップも政府の正統性を高める効果があると思われる。人権の問題は間違いなくある。私の研究もそれを扱っている。ジャーナリストはこの問題について取材しようとするが、ゲートキーパーが一種のファイヤーウォールとなって彼らの情報の入手を拒んでいるので、情報がなかなか出てこない状況。

(堀拔氏)このままカタルの外国人労働者問題が発展すると、W杯の開催権剥奪もあるのか。

(ガードナー氏)分からない。賄賂の問題もある。また、スポンサー・システム、すなわちカファーラが廃止されたとしても、労働契約は破棄されない。しかし、長期的な将来像としては、私は楽観的だ。

(堀拔氏)日本も看護師や介護士などの分野で移民を受け入れようかという話があるが、日本の移民政策に対するインプリケーションはあるか。

(松尾氏)こういうことを想定しながら研究プランを練っていた。いくつかのヒントはあると思う。

  1. 何が移民問題なのかは受入国によって異なる。日本でも移民が帰らないのではないかという不安があるが、これには渡航の制限を緩めてしまうことが有効である。湾岸諸国は制限が緩く、欧米の方が厳しい。しかし、湾岸諸国では彼らは自国に帰る。なぜなら渡航するコストが低く、一度帰っても、また来られるからである。渡航コストが高いと、一度来たら、もう帰らなくなる。移民受入れはハードルを下げることで、不法滞在化を防ぐことができるかもしれない。
  2. 現代は移民労働力を世界中で奪いあう時代である。アジアでは韓国や台湾は、日本よりもはるかに進んだ移民受入れ制度を有しており、移民にとって日本は最適な選択肢ではないかもしれない。より移民の権利が高い国の方が、優秀な移民労働力を得られるのは自明であり、湾岸諸国は労働の生産性が低い労働力ばかりを受け入れるという、この点では、湾岸諸国は非常にまずい方法をとっている。エスノクラシー体制は、労働者の人権意識の議論よりも、労働者の福利厚生を高めることが企業の生産性向上につながると訴えることによって、変化があるかもしれないと考えている。
  3. 欧州型移民受入れが日本の議論のベースであり、これは潜在的な国民になる人を受け入れる制度。しかし、世界的に見れば、これは特殊な例であり、他の国、例えばシンガポールなどでは一般的ではない。流動性の高い移民と、労働者の人権は共存可能か、21世紀型の移民社会を考えるうえで極めて重要な要素である。

(堀拔氏)ビジネス・エリートとは一体どういう人たちを指すのか。支配家系と同盟を結んでいるのは自国民だけなのか。欧米のビジネスマンや、出自を周辺国にたどり現地化した商人層などをビジネス・エリートと呼びうるか。

(ヴァレリー氏)私の報告の中では、主に自国民のことを想定していた。私は研究で少数(5~10)のビジネス・ファミリー、商工会議所を取り上げた。他の研究者が言うところの商人層(Marchants)である。少数の外国人、エジプト、パレスチナ、パキスタン出身の人は国籍を得て、国民となり、ビジネス・エリートに属する者もいる。彼らはとても強力である。他の外国人(欧米人やアジア人)はビジネス・エリートではない。なぜなら地域に根ざしていないからである。ビジネス・エリートとは、一人のビジネスマンを指すわけではないという点をご理解いただきたい。

(堀拔氏)ビジネス・エリートは「国民」の若年者層の雇用創出をどう見ているのか。責任をもって取り組もうとしているのか、それとも移民の雇用を好むのか。

(ヴァレリー氏)報告でジレンマとして述べた点である。すなわち、短期的な利益としては低賃金、労働力の汎用性ということだが、同時に長期的には雇用創出という社会的責任がある。現実には、企業は利益を求める。私は悲観的すぎるかもしれないが、これは長期的なジレンマで、構造的問題であり、解決されていない。アラブの春で多くの若者がこれを主張しており、このような事態は将来も繰り返されるだろう。

(堀拔氏)国連や国際労働機関は湾岸の労働問題にどのような対応をしているのか。

(ガードナー氏)世界的に労働者の問題はそれほど認知されていない。国際機関は会議を開催し、湾岸諸国に批判的な報告書を発行したりしている。これらは湾岸諸国にも認識されているが、このような圧力によって湾岸諸国が政策を変更することはないだろう。彼らはこのような声を遮断できる。しかし、若者は異なる。若者は、外国人、人権、労働者の権利に対して異なる態度を有する。この世代が問題の景色を変えつつある。

(堀拔氏)労働者の送り出し国のプレッシャーをどう評価するか。フィリピン政府やインド政府は最低賃金制を導入するよう要求している。フィリピンは実際にメイドの送りだしをストップした。

(ガードナー氏)第1に、全ての送り出し国は事情が異なる。これは単一の問題ではなく、規則の不在といった構造的な問題である。フィリピンのケースは興味深いが、受入国は新しく、より安い労働者を供給できるインドネシアや南アジアに手を伸ばしている。悲しいことに、フィリピンは理想的に行動したが、構造的にはエチオピア人が新たに来るだけだった。驚くべきことに、労働者キャンプにはベトナム人やカンボジア人の新たなキャンプが出来ており、受入国は新たな外国人労働者の送り出し先を見つけてきたのである。

(ヴァレリー氏)インドは湾岸諸国にとって経済的なつながりという意味でも重要である。大型のプロジェクトもある。インドとGCCの関係は、GCC諸国のインド人に対する扱いに関わってくる。インドは経済大国であると同時に、移民送り出し国である。ペーパーでも触れたが、移民のネットワークはトランスナショナルである。他方、状況は悪化してきている。アフリカから欧州への移民は年々増えている。私は悲観的で、移民労働者として来たいという要求の方が強いのである。

(堀拔氏)最後に、これまでの議論をまとめる。湾岸の政治、ビジネス・エリート、移民、君主制の相互依存関係を明らかにした。これらが権威主義体制の維持に影響を与えていることが分かった。では今後10年間の見通しでは何が課題か。イスラーム国といった問題や、地域情勢の変動も含め、今後の君主体制の存続の課題は何か、それぞれコメント願う。

(石黒)現行の分断して統治するシステムは行き詰るだろう。政府が反対派の言い分を取り入れられるか、反対派も歩み寄れる現実な政策を主張できるかが重要である。このためには反対派にも責任を分有させ、政治における経験をつませることが大切である。

(ガードナー氏)君主制の持続性の問題であるが、石油がなくなった後どうするかという問題も関わってくる。君主制は劇的な変革に適応できるのかにかかっている。人類学者として言いたいのは、伝統に頼ること、環境に対応すること、特に伝統に頼ることが良いのかもしれない。

(ヴァレリー氏)湾岸6カ国は、人口の半分が25歳以下である。我々は高等教育を受けた若者達が5年以内に出てくることを見ることになる。彼らの雇用の問題は経済的というより社会的な問題だ。また、若者世代の考え方は祖父母とは異なり、意思決定を少数に任せるつもりはない。アラブの春はこの一部であり、これから多くの変動が起こるだろう。

(松尾氏)地政学的な面としては、バーレーンやクウェートは国土が小さい故に運動(反乱)を物理的に抑えることができるが、サウジアラビアは国土が大きいので運動(反乱)を抑え込むことは困難である。オマーンは権力を独占している君主が変われば、統治の体制が変わるだろう。それ以外の国では改革は大変難しい。移民の話だと、最近のグローバル経営として、倫理的に正しい経営というのがある。この点に関してAppleやAmazonに批判があるが、このようにグローバルな企業が批判の対象となり、企業自体による労働状況の改善が行われるかもしれない。こうして、君主制は残ったまま、移民の状況が変わってくるという奇妙な状況が続くかもしれないという未来を描ける。

(堀拔氏)今後も大きく変化していくことが予想されるが、大きな文脈、大きな視点で見る必要があるということだろう。本日は長らくのご清聴に感謝したい。通訳の方にも御礼申し上げる。