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No.33
[緊急レポート]「スハルト体制の終焉とインドネシアの新時代」
エグゼクティブ・サマリー
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多難なハビビ新政権の船出
1998年5月、開発の父と讚えられたスハルト大統領が辞任に追いこまれ、ハビビ副大統領が大統領に昇格した。この政変劇の立て役者はウィラント国軍司令官であるが、同司令官が軍内を一応掌握したことで、ハビビ政権は脆弱ながらも維持される格好となっている。
スハルト退陣を主張した民主化グループやイスラム団体は、ウィラント司令官と呼応してスハルト退陣を要求してきたが、これらが一定の戦略下で統一的に組織化されていたとは言えず、その政治力は強くない。
ハビビ政府は、混乱する経済の再建のために、政治的安定の回復と改革あるいは民主化の促進によって国内外の信頼を得なければならない。経済再建策は、 IMF等の国際機関の指導を尊重しながら、国情に応じて主体的に策定されなければならない。その実施に当たっては、スハルト時代の「腐敗、癒着、縁者びいき」(KKN)に陥った強権体制の浄化が必要である。
政治面では民主化が必須である。しかし、民主化を支える中産階級が育っていないため、いまのところ改革を後押しする姿勢を見せている国軍によって、「上からの民主化」が実行されることを期待せざるを得ない。民主化の内容は、具体的には政党法、選挙法などの政治関連諸法の改正と、それにもとづく選挙や国民協議会の開催が実行され、新たに大統領が選出されることである。ハビビ政権が上記の改革を約束し、着実に実行しない限り、国際社会からの本格的な支援は期待できない。
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スハルト辞任の経緯と背景
32年の長期政権を維持してきたスハルトが辞任せざるをえなくなった背景は何であろうか。5月19日に「続投宣言」をしたスハルトが21日に突如辞任したように受け止められたスハルト辞任劇だったが、実際にはその1週間前のジャカルタ暴動を境に次々と側近がスハルトから離れていった現実があった。その辞任劇の中で、国軍参謀本部を本拠とするウィラント国軍司令官派は、法改正と総選挙を経た新しい国民協議会の場でスハルトを引退させ新国家指導者を選出する穏健な政権交替シナリオを準備し、これをスハルトに承諾させることで、初めてスハルト引退へ道を開いた。この背景には、暴動の直後にウィラント派がスハルトの娘婿であるプラボウォ陸軍戦略予備軍(KOSTRAD)司令官派との軍内確執に一定の決着をつけ、軍内を掌握していたことがあった。ウィラント派は、ハルモコ国会議長が提示したスハルト即時辞任シナリオ(ハビビの自動的な大統領昇格)を一旦は抑え込んだ。だが、穏健引退シナリオが想定していた「改革委員会」や「改革内閣」には人が集まらなかった。学生運動は、暴動に再び利用されないよう大衆動員を自制し、最後は国会籠城戦術でスハルト辞任へ圧力をかけた。地方都市では、大衆がスハルト辞任へ向け行動を起こした。こうして体制内外の力が融合し、結局、穏健引退シナリオは崩れ、スハルト即時辞任、ハビビ大統領の誕生にいたったのである。
スハルト辞任への経緯は、次のようなスハルト後の方向性を示唆している。スハルトの返り咲きの可能性はないこと、ウィラント派は軍内を一応掌握しつつ政局全体に影響力を保持するだろうこと、学生・市民の「改革パワー」と急進改革派知識人らはハビビ政権がスハルト体制の悪弊に訣別して改革を進めるかどうかのチェック機能を当面果たしていくだろうこと、である。
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ハビビ新政権の特徴
ハビビはスハルトのいわば「養子」であった。彼の軌跡を振り返ると、幼少時の出会いから副大統領の就任に至るまで、前大統領スハルトの影響力の大きさを知ることができる。
ハビビは科学技術を重視するテクノロジストと形容され、資源の最適配分を重視するエコノミストとは対立関係にある。もっとも、過去十数年の彼はむしろ政治家としての側面が強く、イスラム知識人協会(ICMI)結成を機に自らのグループを形成して体制内での政治的発言力を増大させてきた。副大統領に就任してわずか2カ月で第3代大統領に就任したが、最終局面では「養父」とも言えるスハルトに大統領辞職を促すほどだった。
ハビビ新政権は「開発改革内閣」と称しているが、過半数の閣僚は留任であり、しかもハビビに近い人物やスハルト退陣へ積極的に動いた人物らが閣僚に登用された。ハビビ新政権の安定は、これまで敵対してきた国軍との関係次第である。そして、国内のイスラム色や民族主義感情がどれだけ強まるか、ハビビ自身の権益である戦略産業やハビビの親族ビジネスにメスを入れられるか、なども今後の注目点である。ハビビが下手な粉飾でごまかそうとすれば、真の「改革」を求める国民は、即座に厳しく対応することであろう。
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新政権下における法制度上の問題
今回の大統領交代は、形式上憲法手続きに従ったが、将来に民主化の課題を残したままの体制変革であった。ハビビ大統領の就任は憲法上の要件を満たしていないという議論の背景には、憲法論議よりも、その正当性を受け入れるかどうかの問題がある。
今後の民主化関連の法的課題は、短期的には次期大統領任命に向けた総選挙法、政党法などの改正である。長期的には、開発独裁体制の復活を防止するための法的手段の改正である。経済民主化の法的手段として重要なことは、98年3月にすでに成立し、6月から施行される破産法、および独占禁止法の制定である。独禁法の制定は、スハルト一族の強力な許認可権や機密漏洩を背景に築いてきた財産形成構造を民主的に解体することを意味する。また、消費者保護法の制定や徴税、許認可制度実施における透明性の確保が必要である。
これからの民主化における法的課題は、第1にスハルト強権政治体制の精算、第2に植民地時代から引き継いだ時代遅れの制度的呪縛からの解放、第3に各地方で依然として生き、機能している慣習法「アダット」と近代法制度の調和を図ること、第4に民主化をインドネシアの現状に合わせていかに着実に、段階的に行うかということである。
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政治改革の進捗状況と展望
政治腐敗に対する批判の高揚の中で誕生したハビビ新政権は、政治・経済分野における改革の実施を旗印とし、発足から2週間あまりのうちにさまざまな決定を下した。政治改革については、結社の自由と言論の自由を即座に認めた点が特に注目される。また政府は、今後の選挙関連法改革、総選挙実施、新正副大統領選出への道筋を示し、選挙への参加者を極度に制限してきたスハルト期とは異なり、開かれた選挙を実施することを明言した。一方で、多数の政治学者、イスラム指導者らが選挙の公平性の確立を主張しており、政治改革を求める社会の要求の高まりの中で、公正で開かれた選挙が実現する可能性が高くなった。
しかし、政治改革が順調に実行され、最終的にインドネシアに安定的な民主体制が確立されるか否かはいまだ判然としない。ハビビ政権の支持基盤は脆弱であり、現在の社会の平静さは、様々な政治勢力が社会的混乱のコストを認識し、権力闘争を自制していることによって保たれているに過ぎない。すでにハビビ政権の改革スケジュールに異論を唱える勢力が出てきており、批判勢力に対する対応を誤れば、ハビビ大統領が早期の退陣を強いられる可能性もある。また、公正で開かれた選挙が実現したとしても、安定的な政府の形成、ならびに政治不安を招くことなく大統領を定期的に選出することを可能とする政党システムに帰着するかどうかは、まったくわからない状況である。
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通貨危機がもたらした経済的困窮と今後の見通し
1997年以来の通貨危機は、干ばつによる農作物価格の上昇とともに、インフレを引き起こす一方、雇用不安を併発させ、国民生活を圧迫した。98年5月の石油精製品価格引上げと、それに続く交通運賃引上げは、5月14日のジャカルタ暴動の引き金になった。
通貨ルピアの下落により、対外民間債務が膨張し、対外的な信用低下に結びついた。他方、ルピア安定化のために実施された高金利政策は、銀行経営を悪化させた。IMFの融資条件として実施された、経営不振民間16銀行の清算処分、それに続く4月の民間14銀行に対する営業凍結ないしは経営の一時的な移行措置は、銀行部門に対する信用の低下をもたらし、各地で取付け騒ぎが起きた。民間債務問題、銀行部門の信用低下は、輸出入信用状(L/C)開設が困難になるといった状況をもたらし、輸出の停滞をももたらした。
今後の経済の課題は、L/C開設が困難な状況を打開することなどを通じ、輸出部門を活性化させることであろう。一方、一人当たりGDPが約400ドルにまで低下した現況においては、国内需要の低下を克服することは困難であり、1,000ドルの水準に戻るのには、3年の年月は必要とされよう。今後、国内需要低下の解決策として注目されるのは、これまで採られてきた高金利政策の見直しと、IMFや世銀による支援策の動向であろう。
なお、民間債務問題に関しては解決の糸口が得られる一方、将来的には政府の累積債務問題の再燃が懸念されるところである。