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トピックリポート

No.29
イラク・フセイン体制の現状—経済制裁部分解除開始から一年
エグゼクティブ・サマリー

1996年12月から開始された経済制裁の部分解除以来、イラク政権は比較的国内的、対外的に安定した状態にある。国内的には、湾岸戦争後中央の支配下から離れた北部クルディスタン地域へのアクセスを回復し、国内の反政府活動も一応押さえ込んでいる。海外に拠点を置く反政府組織は、いずれも米国などの諸外国の支援が低下しているとともに、国内との連絡が密接にできないことから、十分な機能を果たしていない。

サッダーム・フセイン政権は、特に湾岸戦争後、従来のバアス党中心の支配体制からフセインの同郷集団、親族集団を核とした個人支配に変化してきた。その結果、親族に権力を集中させる一方で親族内部の対立抗争が生じ、95年にはナンバー3といわれた大統領娘婿のフセイン・カーミルの亡命、その後の殺害、96 年12月にはナンバー2といわれた大統領長子ウダイ・サッダームの暗殺未遂事件といった形で政権中枢を揺るがせた。これらの問題はまだ残るものの、現時点では親族の間で次子クサイを実質的後継者とした権力継承ルートが一本化され、不協和音はそれほど表面化していない。

党、軍部に対するフセイン政権の支配は相変わらず堅固であり、これらの支配組織の幹部の中には、国外亡命を選択する者はいても、反旗を翻す者が出現する可能性は少ない。ただ軍内部には政権の部族、親族重視志向が反映されており、軍内の部族対立がしばしば見られ、反政府行動に繋がる可能性は否定できない。社会全般においては、国内経済の悪化に伴い社会経済的不満は強まっているものの、それが大衆暴動に転化するほど政権の治安・監視能力が弱まっているわけではない。

対外的には、特に周辺諸国との関係改善が目立つ。特に断交状態にあったシリアがイラクとの国境を15年間ぶりに開き、95年来反イラク姿勢を取ってきたヨルダンも、対イラク経済関係を重視して関係改善に向かっている。これらの動きは部分解除開始によるイラクとの交易拡大を期待してのことであるが、さらに中東和平交渉においてイスラエルとの対抗上アラブ諸国側がイラク復帰に期待しているとの要因もある。イラクはトルコのアラブ、イランへの脅威を梃子に、地域社会への復帰を望んでいるが、周辺諸国側の意図は限定的、経済利益優先のものにとどまる。

国内経済は7年半にわたる経済制裁によって破綻をきたし、微々たる対ヨルダン、対トルコ交易に依存してきた。また従来の社会主義的経済体制はヤミ市場を中心とする野放図な自由経済に変貌し、中間層は瓦解、貧富格差が広がった。部分解除の実施で多少の事態の改善が期待されたが、国連制裁委員会の厳格な監視、米国などの案件処理の遅れから食料、医薬品のイラク国内到着は大幅に遅れ、失望感が強まっている。

イラク政府にとっての部分解除のメリットは、石油輸出契約を政治的選択的に取り結ぶことによって一部の欧米諸国、企業を抱き込み、これをイラク支援者としてイラクの制裁完全解除要求の代弁者とした点である。特に膨大な対イラク債権を抱えるフランス、ロシアは制裁の完全解除後の石油での債務返済を期待して、制裁後のイラク油田開発計画にプロダクション・シェアリング方式で参加することに合意している。中国も同様で、これら安保理メンバーの抱き込みによって、制裁完全解除には至らなくとも、少なくとも部分解除の現行枠がイラクにとって不利である旨、国際社会を説得する可能性が生まれた。

他方米国は、依然としてイラクに対する敵対姿勢を崩していない。国連決議の完全履行ない間は制裁の完全解除はありえない、との原則を強調する一方で、政府高官がフセイン政権が存続する限り対イラク関係改善はない、とも発言している。しかし実際にフセイン政権転覆活動に積極的にテコ入れしているわけではなく、ポスト・フセイン体制に対する青写真も描けていない。弱体化して湾岸アラブ産油国に対する軍事的脅威とならない状態でフセイン政権を放置する、という消極的な選択にとどまっている。しばしば実行してきたイラクへの軍事的圧力も効果をあげず、現時点では米国の力瘤外交よりロシアの懐柔外交が、イラクを国連活動に協力させるケースが多い。

対イラク強硬姿勢を続ける英米と、制裁解除後のイラク経済に期待するロシア、仏、周辺アラブ諸国との亀裂が深まる中で、イラクは日本に対し、後者の役割を期待している。対イラク経済関係から見れば、日本は仏などと同様の対イラク債権国であり、イラクからの石油購入を期待する日本企業を石油契約から排除する形で、日本企業への圧力を強めている。