キャッチアップ再考

調査研究報告書

佐藤 幸人  編

2012年3月発行

目次 (121KB)
第1章
後発国工業化のプロセスを、後発国の主体的条件と国際経済環境との相互作用の 枠組から理解し、これを、戦後国際経済秩序の4段階に分けて、各段階で特徴的な蓄積様式を特定化する。台湾と韓国の発展経験を念頭に置くが、ASEAN、中国への工業化の外延的波及もこの枠組みの中での理解を試みる。これらの国々の経験から、キャッチアップ工業化の成功は、外的な国際環境へ主体的な適応プロセスであることを示す。

第2章
キャッチアップ再考研究の一助として、国家と企業のふたつのレベルにおける発展と能力形成にかかわる研究をレビューする。
後発国の経済発展をめぐる議論は、「国家」主導仮説と「市場」主導仮説とのせめぎ合いを経て、国家も市場も適正な「制度」に支えられることを重視する議論へと進化した。後発国が発展のチャンスを内部化する「能力」論では、社会のいくつかのレベルに能力の形成主体が存在し、それら各主体の能力向上を支える制度的要素が重視される。企業の成長論は、市場の不完全性という企業外的条件から出発する議論と、資源の活用による企業の内生的拡大に着目する議論とに二分される。だが、企業レベルの能力形成論は、企業内の資源や学習プロセスを中心テーマとしつつ、外的環境との相互作用を能力形成の契機として重視している。
キャッチアップ再考研究は、一国内のいくつかのレベルにおける能力形成主体を統合的に把握し、能力形成を支える各国固有の諸制度を分析の射程に入れることによって、複眼的、複線的な比較地域研究になり得ることが示唆される。

第3章
キャッチアップ型工業化に関するこれまでの議論は、 1980年代までの後発国の経済発展および後発国と先進国の経済的関係の重要なパターンを的確にとらえてきたと考えられる。しかしながら、1990年代以降の世界経済の変動の中、キャッチアップ型工業化論と後発国の経済発展の実際の間にずれが生じ、次第に広がってきたようにみえる。言い換えれば、それまでのキャッチアップ型工業化論に潜在していた不足や限界が露呈されるようになったのである。
本稿ではまず、従来のキャッチアップ型工業化論にどのような不足や限界があったのかを検討し、それをもとに研究上の新たな課題を抽出する。次にそれを踏まえながら、近年の開発主義国家論の議論をレビューする。キャッチアップ型工業化論と、経済発展における国家の役割を重視し、分析する開発主義国家論とは問題意識が重なるところが大きい。最近の開発主義国家論の代表的な研究においてどのような議論がおこなわれているのかを示し、本稿の問題意識との間の対話を試みる。

第4章
本稿では、エレクトロニクス産業における東アジアの後発工業国企業の急速なキャッチアップの背景を、後発工業国にとっての外的要因である産業技術レベルの変化と、後発工業国の側の内的要因に分けて考察する。前者については、1990年後半から進んだ先進工業国の製造設備やコア部品のベンダーによる「擦り合わせ要素のカプセル化」の進展、後者については設備投資促進的な制度環境、活発な労働移動を通じた人的資源の制約緩和、企業の学習メカニズムの特性、後発国企業による新たな事業モデルの構築といった点が重要であったことを指摘し、両者の絡み合いのなかから急速なキャッチアップが実現したことを論じる。

第5章
「キャッチアップ」型の経済発展の典型とされる韓国では、1960年代後半以降、育成すべき主導的産業の選定および個別産業における戦略製品の選択といった面で日本の経験を追跡し、発展軌道に乗ることに成功した。ところが、2000年代に入ると、韓国の産業・企業では、「キャッチアップ」という用語では必ずしも捉えられない事例が散見されるようになった。本稿では、この代表的な例のひとつである半導体産業におけるサムスン電子を分析の対象に取り上げ、「キャッチアップ」型の発展に照らして、半導体産業における新しい局面がどのような含意をもっているかを、後発工業化論に依拠しながら考察することとしたい。

第6章
一人当たりGDPの水準でみて、台湾の所得水準は先進国に着実にキャッチアップし、一部の先進国を上回るようになっている。この背後には技術進歩による生産性の向上があると考えられる。特許取得数も顕著に増加している。しかしその一方で技術貿易赤字の対GDP比は拡大基調に歯止めがかかってない。この台湾で「イノベーションのパラドクス」と呼ばれる現象はいかなるメカニズムで生じており、そこから浮かび上がる台湾のキャッチアップ過程の特徴・問題は何か。これらの問いに答えるための論点整理、基礎的な統計分析を行う。

第7章
キャッチアップという概念には収まらない後発国の技術発展のケースもまた?なからずみられ、それらを切り捨ててしまうと後発国の技術発展の重要な一側面を見落とすように思われる。本稿ではこれらをまとめて「キャッチダウン型技術発展」と総称したい。キャッチアップ型技術発展が「大規模、最新、資本集約的」といった特徴を持つのに対して、キャッチダウン型技術発展は、小規模、労働集約的、低価格、機能が簡易で低品質、といった特徴を持つ。本稿は、キャッチダウンという概念を、既存研究における類似のアイディアと対比しながらその意味を明らかにするとともに、中国におけるキャッチダウンの実例を紹介していきたい。

第8章
過去の東アジアのキャッチアップ過程では、労働の抑圧や労働市場メカニズムを通じて、市場均衡賃金またはそれ以下の賃金が達成されたことが、低コスト労働力を競争力の源泉とした労働集約的製品の輸出指向工業化に寄与したとみなされた。一方、1990年代半ばから発展したカンボジアの輸出向け縫製産業は、労働者保護政策を採りつつ同時に産業発展を遂げている。このカンボジアの事例は、後発途上国がキャッチアップを遂げるにあたっての新たな労働政策モデルとなりうるのだろうか。本稿では、カンボジアの縫製産業が持続的に労働条件を向上させながら産業発展に成功した要因について考察し、「途上国が工業化を通じてキャッチアップを遂げる際に、どのような労働政策が有効であるのか」という問題を考えるにあたっての議論の材料を提供したい。