技術選択と経済発展

調査研究報告書

弦間正彦・吉野久生 編

2012年3月発行

序章
技術選択と経済発展 (528KB) / 弦間正彦、吉野久生
本調査報告書は、技術選択と経済発展の関係について、実証的にまとめたものである。市場の失敗が存在する場合には、政府の市場への介入による技術選択が、中長期的な経済発展を可能にすることを示し、さらに、歴史的に確立された労働技術の習得・継承制度とそれを守る政策が存在する場合にも、もともとの要素賦存比率に基づいて労働・資本投入比率が決定する技術の選択が行われないにも関わらず、産業の発展、ひいては経済発展に至る事例が多く存在することも示した。これら一連の検証から、経済発展を考える上で、技術選択の視点を持つことが重要であることを議論した。

第1章
戦後日本の高度経済成長,それに続く韓国,台湾,東南アジ諸国の経済発展はアフリカ諸国やラテン・アメリカ諸国の同時期の低成長と対比して驚異とされた。東アジア諸国の高成長の原因を巡っては多くの議論がなされてきたが,1993年に世界銀行が『東アジアの奇跡』を発表すると高い貯蓄率による国内投資や教育の重要性,マクロ経済の安定性等が注目されるようになった。これらの要因はアジア諸国の政策が大きく関係していたことから政府の政策に関心が集中したのである。これまで議論されてきた工業化政策は製造業の発展を中心とした政策の集合であり,サービス産業や農業部部門の政策を含まない。途上国においては相変わらず製造業が経済発展の鍵を握ると考えられているためである。本章でもこの考えをおおむね踏襲するがサービス産業による発展(たとえば観光による発展)の限界にも言及する。東アジアの工業化政策の歴史をみると日本や韓国,台湾などは貿易自由化と国内工業化政策の組み合わせが機能した例である。一方,ASEAN諸国の工業化政策の歴史は外資を利用した工業化ではあったが,タイなどを除けば多くの国で技術のスピルオーバー効果を効率よく享受できなかった。外資自由化(市場開放政策)が制度改革や技術革新政策のタイミングとかみ合わず,機能しなかったためと思われる。
貿易と投資の自由化が格段に進み,先進国では人口の老齢化に伴う市場の縮小が生じ,1970-90年代のような急激な世界需要の拡大が将来見込めない現代では,東アジア諸国にとっても新しい工業化政策が必要とされている。新しい工業化政策の中心は技術革新を促す法律や制度改革(インセンティブの導入),人的資本の蓄積を促す教育投資,産学連携といった政策がより重要になってくることを指摘する。

第2章
IT産業と技術選択 (696KB) / 吉野久生
情報技術(IT)産業はその成長率が大きいばかりではなく、生産、需要の規模においても、巨大な産業となっている。1980年代に隆盛を極めた日本のIT産業は、その後の韓国企業の規模の経済を牽引力とする集中豪雨的な投資、米国企業の特にCPUにおける技術進歩の一方で、急速に世界市場でのシェアを縮小することとなった。しかしながら、IT技術の急速な進歩は、製品の性能に関してさらに飛躍的に高度な機能を要請するようになり、このことによって、システムLSIへの需要が高まるようになった。システムLSIの生産については、規模の経済性が存在せず、労働に体化するような性質の技術が必要となり、これを生産しているのは、日米欧の企業である。売買可能な技術を中心とする発展径路をとるか、労働に体化するような性質の技術を中心とする発展径路をとるかは、歴史的背景によって決定されているものと考えられる。世界の半導体売上高を見ると、1970年から2000年迄の平均成長率は14%と著しい伸びであった。しかし、2000年から2010年迄の平均成長率を見ると、大幅な低下を見せて4%となっている。LSIの集積度は三年で四倍となる、というムーアの法則にいよいよ限界が見えてきた感がある。技術進歩の停滞によって市場の拡大にブレーキがかかれば、この法則に依拠して中央演算処理装置の性能を伸ばし、これを牽引力としてきた成長モデルにとってはマイナス要因となろう。また、組み立て加工工業を牽引力としている場合には成長は停滞することとなる。それでは、日本や欧州のように技術が労働に体化するような場合にはどうであろうか。米国のテキサス・インスツルメント社は既に1995年頃、アナログ半導体に焦点を絞った経営方針を策定している。その後携帯電話のDSPの販売好調があったため、これは目立つことはなかったが、日本のルネサンス社のマイコンの伸びがあって、現在では、アナログ半導体の開発とその微細化に尽力している。今後見込まれる、ロボット、医療介護、エネルギー市場の急激な拡大にとって、このアナログ半導体関連分野は不可欠であり、また大きな成長の可能性を持つ分野であるものと考えられる。

第3章
本章では、国ごとに異なる制度や文化、習慣などの「外生変数」のもとで、創業時もしくは戦争などによる中断を経た後の生産再開時に与えられた技術を「初期値」として、生産者全体を取り巻く経済環境の変化という「ショック」に対応していくことが、生産者ごとの技術選択のダイナミクスを生み出すことになると考え、おもに日本およびドイツの自動車産業を例にとり、初期値や外生変数の違いによる技術選択ダイナミクスのパターンについて比較検討する。分析の結果、日本の自動車メーカーにおける量産体制は、生産システムの柔軟性や開発生産性の向上によってモデルの多様化と生産規模の拡大を両立するような、おもに労働集約的な技術によって確立されてきたものであるのに対し、ドイツの自動車メーカーにおける量産体制は、柔軟性を併せ持つ自動化という資本集約的技術の導入と作業組織の柔軟化という労働集約的技術の両方の側面を持つものであることが明らかになった。また、外国企業から生産技術を学習し導入する際や自らを取り巻く外生変数が変化した際には、創業時に与えられた初期値や風土・文化・制度などの外生変数に合わせた調整が行われるとともに、どの企業においても必ず取捨選択が行われ、自分達が追求すべき基本方針は堅持する姿勢が見られる。たとえば、戦略構想力やブランド力などアイディアという面で強みを持つ欧米の企業が、モジュール組立方式を導入することによって「閉鎖・統合型」の製品アーキテクチャを持つ自動車をアイディアを素材の上で表現することが容易な「開放・モジュラー型」の製品アーキテクチャを持つものへと近づける努力を行っている一方で、アイディアよりも製造品質の面で強みを持つトヨタは導入に消極的である点などに企業ごとの姿勢の違いを見ることができる。

第4章
本研究では、2001~05年までの世界およそ100カ国を対象に、地球温暖化と大気汚染を考慮したHicks.Moorsteen生産性指数を使用して環境効率性を推計し、技術選択の方向性について実証分析を行った。また、計測された環境効率性を使用して、2000年代前半において環境クズネッツ曲線(=Environmental Kuznets Curve:EKC)が成立するか否かを横断面分析によって検証した。

第5章
もともと主食であるコメ・小麦などの生産においては、要素賦存比率に基づいて労働・資本投入比率が決定する技術の選択が行われてきたモンスーンアジアの農業であるが、必ずしもそのような技術選択が行われない事例もあり、その理由を探り、農業発展における技術選択の役割を理解する目的で本研究が行われた。経済発展に伴い労働の相対的な希少性が高まる中で、他産業における技術選択の結果として、農業の投入要素の比率が決定する事例がアジアの事例においては存在するものと考えられる。

第6章
ハンガリー及びポーランドは1990年代の体制の変革に伴って、農業部門は以前の中央による計画経済から市場経済に移行した。更に、2004年5月にはEUへ加盟を果たし、その結果EUの共通農業政策(CAP)に組み込まれて農業部門は一層の構造改革を求められに至っている。
移行以前のハンガリー農業は集団農場の下にあったが、移行後は農地のかっての所有者への返還により政策としては個人農家の育成を進めた。その結果、農地の細分化と生産手段の不足、補助金の大幅なカット等によって90年代は大幅な生産低下をもたらした。他方、ポーランドは当初から計画経済下での集団化が失敗して、個人農が圧倒的なシェアを占めて来ており、90年代の移行期には大幅な生産高の減少は避けられたが、零細規模故の生産性は依然として低い水準に留まっている。このような状況の下でのEU加盟によるCAPの適用には極めて高いハードルが立ちはだかる。両国はEUへの加盟以前からCAPの適用準備として補助金が支給され、農業生産構造の改革を進めている。補助金は加入時点の2004年から旧加盟国への配分の25%、それ以降は毎年5%の上乗せした割合で2013年に満額の支給が予定されている。両国の農業生産構造はEUの大規模経営と比較してその規模は極めて小さく、まずはその規模の拡大が求められているが、加盟して7年の2011年時点では、依然として目に見える成果は得られているとは言い難い。しかし、その他の農業インフラの開発・改善としての機械の導入、農業生産物の加工、農産物の流通、農村経済の多角等は漸進しており、農業生産性の向上への貢献が窺える。EUとの貿易によって農産物の大量流入を双方が危惧していたが、結果は杞憂であって相互貿易の拡大が生まれてきている。しかし、外国人の土地の購入についてはポーランドは2016年まで延期する予定といわれる。
今年度はハンガリー及びポーランドの農業の現状の把握に努め、来年度に技術選択と経済発展の分析に進む予定である。