新興国におけるベーシックインカムをめぐる議論

調査研究報告書

宇佐見 耕一 編

2012年3月発行

第1章
ベーシックインカム(BI)は、近年、先進工業国のみならず途上国世界でも議論されるようになっているが、もともと不十分な所得保障しか存在しない途上国世界におけるBIは、それ自体を単独で論じるよりも、社会的保護の必要性への認識から拡大しつつあるさまざまな現金給付の、一つの究極的な形としてとらえるほうが適切であるように思われる。本章は、「選別的か、普遍的か」、「条件付きか、無条件か」の2つの軸によって現金給付を類型化したうえで、条件付き現金給付(CCT)、コミュニティ選抜による現金給付、社会年金、BI型現金給付など、ラテンアメリカとアフリカ諸国で全国的に、あるいはパイロット的に実施されている現金給付の実例を検討する。


第2章
21世紀になりアルゼンチンでは、貧困政策の中核として現金給付政策が大きな位置を占めるようになった。現金給付政策をめぐっては、1990年代に市民であることを条件として、全市民に一定額の現金を給付すべしとするベーシックインカムの議論が紹介された。しかし実際に施行された政策は、条件付き現金給付と呼ばれるもので、子供の通学等を条件に貧困世帯に現金を給付する政策である。とはいえ、ベーシックインカムのアイディアは、社会政策学者や社会政策を実施する為政者にも浸透し、その普遍主義は形を変えて各種現金給付政策の中に組み込まれている。

第3章
1987年の民主化以前の韓国では、日本型生活保障システム1を採用して高度経済成長を達成してきた。日本型生活保障システムを要約するなら、解雇が容易ではない労働法によって守られた長期雇用、その結果としての比較的低い失業率と抑制された格差、そして比較的?ない社会保障支出、というものであった。ところが1997年の通貨危機で導入されたIMFの支援条件によって、韓国社会は新自由主義思想に基づく社会制度に転換したため、解雇が容易になった。その結果として失業率が高まり、また採用では非正規雇用が増えたのでワーキングプアが増加した。政府はその対策として新たな生活保障システムを作る必要に迫られ、最低生活を保障する国民基礎生活保障法が制定された。しかし、その新たな生活保障システムである国民基礎生活保障法は未だ十分なものではなく、格差は拡大傾向にある。2012年の大統領選挙の争点は、格差縮小と貧困削減であり、ベーシック・インカム(BI)の思想が関心を集めている。BIの実現には、制度の改革として税体系の改革が必要であるというのが韓国研究者の意見である。

第4章
ベーシックインカムは全ての個人に無条件に一定の所得移転を行うことである。このような社会政策の方法は受給者の絞り込みを行うターゲッティングを重視する最近の貧困対策の方法とは違った思想に基づくものである。本章では受給者の間を差別化するターゲッティングに伴う負の側面を緩和する方法としてベーシックインカムを捉え、これらの負の側面を明示的に考慮した貧困指標を考えることによって、ベーシックインカムを正当化する政策目標を探ってみたい。特に近年注目されている分極化指標はベーシックインカムの意義を考える上で重要であると思われる。