グローバル化のオセアニア

調査研究報告書

塩田 光喜  編

2010年3月発行

総論 
第1節 グローバル化 -驚異の20年
第2節 ITと金融 -グローバル化の原動力
第3節 -証券化- 金融テクノロジーの錬金術
第4節 世界分業体制の大変動
第5節 グローバル化のオセアニア
第6節 グローバル化のオセアニア -その歴史的位相
第7節 地球温暖化(グローバル・ウォーミング)
第8節 ジャンボ高潮 -暴走する海面上昇
終わりに



グローバリゼーションとは1989年11月のベルリンの壁崩壊に始まり、2008年9月のリーマン・ショックによって終わった世界資本主義の拡大の最終形態である。この20年間で、世界のGDPは3倍に、貿易額は5倍に、金融資産は30倍に急膨張し、貧困人口は10億人減少した。その急成長を支えたのはIT革命と金融テクノロジーの革命であった。このIT革命と金融革命の結合によって生まれたグローバリゼーションは世界の分業体制を激変させた。中国から東南アジアを経てインドへ至る、アジア大陸東南縁は「世界の工場」と変じ、太平洋島嶼諸国はこの「世界の工場」の後背地となった。そして、島嶼国経済は大陸中国や東南アジアのチャイニーズによって支配されつつある。戦後、太平洋はANZUS(アメリカ・豪・ニュージーランド)三国によるアングロ・サクソンの海だったが、今や地政学的変動が生じつつあるのである。そして、世界のGDPが3倍になるとともに、3倍になった温室効果ガスにより、地球温暖化(グローバル・ウォーミング)の速度は、太平洋の海面上昇をもたらし、それは2.5-5.5メートルに及ぶジャンボ高潮になって島嶼国の海岸・低地帯に襲いかかった。グローバリゼーションは経済的にも気候的にも太平洋島嶼諸国に変動をもたらし、強い社会的、環境的負荷(ストレス)を与えているのである。

第1章 
はじめに
第1節 グローバル化と人類学
第2節 太平洋島嶼部のグローバル化
 1.グローバルな近代化の未達成
 2.政治経済的脆弱性
 3.混淆する近代性と在地の論理
第3節 キリバス離島村落における村集会所の喪失
おわりに

本論ではまず、グローバル化概念を、「ポスト近代的グローバル化」および「グローバルな近代化」の2つに弁別した上で、人類学的研究への適用可能性を検討する。そして、国境線を無化するトランスナショナルな錯綜状況においても、いわゆる「第三世界」に住む多くの人々やメトロポリスへの出稼ぎ移民にとっては、グローバル化の果実を享受する機会もほとんどなく、疎外された状況に留めおかれている点を指摘する。さらに、脆弱な政治経済状況下におかれてきた太平洋島嶼国に視点を移し、グローバル化による多様な影響について概観する。グローバル化の波に飲み込まれた太平洋島嶼国では、新自由主義的政策の下で経済的不安定性が露呈し、各地で政治的混乱が生起するようになった。最後に、キリバス共和国の離島村落部におけるグローバル化の間接的影響および人々による反応を記述する。キリバス離島村落では、若年層の人口流出と過疎化という形態でグローバル化の間接的影響を被ってきた。それが村集会所の崩壊を引き起こし、離島の人々と土地との紐帯を弱めているのである。このように、太平洋島嶼国における多様な事例を見渡すと、国境や国民経済の枠組みが揺らいだグローバルな錯綜状況のなかで、在地の人々はトランスナショナルにネットワーク化され、また逆に脆弱な国家の内部に留まって分断されながら、日々の生活を営んでいることがわかる。



第2章 
はじめに
第1節 ソロモン諸島における森林伐採の概要
第2節 北ニュージョージアの伐採史
 1.LP社と植民地政府の蜜月時代
 2.イギリス系から東南アジア系の企業へ
第3節 グローバル化する森林資源
おわりに

太平洋における経済的なグローバル化は、世界市場に向けて天然資源の供給元に位置づけられる過程でもあった。19世紀末以降にビャクダン、ナマコ、ベッコウなどの供給に端を発し、現在では、(とくにメラネシアで)林業と鉱業が重要な位置を占める。そのうち本稿では、ソロモン諸島の林業を取り上げる。同諸島では、1960年代に輸出指向型の大規模な森林伐採がはじまった。そのさい、おもにイギリス系の伐採業者が植民地政府と結びつき、政府地で伐採がなされた。そして独立後の1980年代には、東南アジア系の伐採業者が土地所有者集団と直接的に契約を締結し、慣習地での伐採が主流となった。こうして1990年代には木材生産量が飛躍的に増加し、それが現在にも続いている。このような展開および転換は、たんに旧宗主国の企業から東南アジア系企業への交代を意味するだけではない。それは、国際木材市場動向の反映であるとともに、「新世界秩序」と称されるネオリベラリズムとも密接に結びついているのである。



第3章 
はじめに
第1節 パプアニューギニアとDV
 1.DV対策の歴史
 2.禁止命令
第2節 DVに対する州レベルの取り組み—マヌス州ピヒ・マヌス協会の事例
 1.ピヒ・マヌス協会の概要
 2.言説の集積場としてのピヒ・マヌス協会
おわりに

本稿の目的は、グローバル化の分析枠組みの一つであるカスケード論を踏まえて、国家レベルと州レベルの「段階」に分け、それぞれの「段階」におけるグローバル化のエージェントに注目しながら、パプアニューギニアにおける反DVのイデオスケープの成立過程を実証的に明らかにすることである。まずDVが「日常的にまかりとおってきた」パプアニューギニアの現状を確認したうえで(第1節)、1980年代以降の国家的取り組みをまとめる(第2節)。そして州レベルでは、筆者の調査地(マヌス州)を事例に、女性問題を扱う唯一の公的機関であるピヒ・マヌス協会の啓蒙活動を取りあげ、国家の取り組みがローカルな場に浸透していくプロセスを具体的に検証する。その際、人や組織だけではなく、会議室という場そのものがグローバル化のエージェントになっていることも考察する(第3節)。脆弱国家と呼ばれるパプアニューギニアの現状を鑑みると、反DVのイデオスケープがどこまでDV問題に根本的な解決をもたらすのかはまだはっきりとした答えは出せないが、少なくともDV包囲網が着実に築かれつつあることは確かであろう。



第4章 
はじめに
第1節 フィジーにおける政治的混乱
  1.クーデタ小史
  2.民族か階級か——クーデタに関する先行研究
第2節 2006年クーデタの背景と展開
  1.ガラセ内閣と軍部の対立の経緯
  2.クーデタへ
第3節 2006年クーデタの特質
  1.民族主義的要素
  2.各種団体の対応
  3.軍の変質
最後に

2006年12月5日、フィジー諸島共和国において、史上4度目に当たるクーデタが発生した。本稿は、この事件の展開について一定の素描を行うとともに、フィジーのこれまでのクーデタ(1987年5月、1987年9月、2000年5月)と対比することで今回のクーデタの特質をあきらかにすることを目的としている。そしてグローバル化の進展する中で国民国家の枠組が再編されている現代オセアニア社会の一側面について、政治的不安定性という視点からアプローチする準備作業としたい。

これまでのクーデタはいずれも、移民の末裔であるインド人を主体とする政権の成立と軌を一にした、先住系フィジー人による民族主義的運動という側面があった。それに対して、今回2006年のクーデタでは、これまでの3度のクーデタと異なり先住系フィジー人民族主義という側面は希薄で、政治腐敗が動機として掲げられている。そして、クーデタ後の政治過程も、(1)民族対立の要素、(2)関係者(最高首長会議、教会、労働組合、人権団体)のクーデタに対する反応、(3)軍の性質と行動、という3点において性質が異なっていることを論じた。


第5章 
はじめに
第1節 太平洋地域の地域統合
第2節 日本の戦後大洋州外交
第3節 「太平洋・島サミット」の展開
  1.第1回日本・南太平洋フォーラム首脳会談
  2.第2回日本・南太平洋フォーラム首脳会談
  3.第3回日本・南太平洋フォーラム首脳会談
  4.第4回日本・南太平洋フォーラム首脳会談
第4節 第5回太平洋・島サミットの概要と展開
  1.第5回太平洋・島サミットを巡る環境の変化
  2.「太平洋環境共同体」構想をめぐる経緯
  3.第5回島サミットと参加各国の反応
第5節 考察:太平洋環境共同体をめぐる論点
おわりに

本稿では、過去5回日本で開催された太平洋・島サミットの事例をもとに、グローバル社会への対応のために太平洋島嶼国で設立された地域統合である太平洋諸島フォーラムに対する日本の対応を考察していき、今後の対大洋州地域に対する外交政策のあり方について3つの立場を示しながら、それぞれの立場を進める上での問題点について明らかにした。PIFは、設立当初よりオーストラリアとニュージーランドという域内のリーダー的存在国家を組み込んできた結果、PIFの政策を決定する上でも両国の影響が強く示された。また日本主催して開催した太平洋・島サミットにおいても、2001年の同時多発テロ以降、オーストラリアのプレゼンスが高まりつつある。その中で、第5回島サミットで提唱された「太平洋環境共同体」構想は、島嶼国地域と日本がイコールパートナーとなるような新たな枠組み作りを提唱し、オーストラリア・ニュージーランドの両国の影響力を低減させる試みを示している。他方で、同サミットでは2006年のクーデタ以後軍事政権を続けているフィジーの参加問題をめぐり協議が行われ、結果日本はフィジーの政務レベルの参加を見送った。以上の状況を踏まえた場合、今後日本の対太平洋島嶼国外交を考える枠組みとしては、従来通りの域外国として立場、PIFの加盟国として参入する立場、太平洋環境共同体のような新たな枠組みを形成してリーダーシップを示す立場、のいずれかを取ることとなり、それぞれの場合を選択することにより、今後の対太平洋島嶼国に対する外交方針が明確化することになると予想される。


第6章 
はじめに
第1節 太平洋島嶼地域の植民地化と華人社会
第2節 太平洋島嶼地域の独立と華人社会
第3節 近年の太平洋島嶼地域における華人の活動
おわりに

本稿は太平洋島嶼地域における華人社会の変化を通時的に見ることにより、当該地域のグローバリゼーションの性格の理解を試みるものである。太平洋島嶼地域における華人の到来は西洋によるこの地域における中国向けの産物の取引とともに開始した。定着的な華人社会が形成されるのはこの地域の植民地化により、華人が主にプランテーション労働者として導入されることにより本格化した。第二次世界大戦から独立に至る過程で、太平洋の華人は次第に居住地域で現地化し、それと同時にオーストラリアやニュージーランド、北米へと再移住する人々も生じるようになった。さらに現在の太平洋地域では、中国や台湾、東南アジア諸国から華人ニューカマーが到来するようになった。これらの新移民は生活様式や経済活動等、多くの部で、植民地期から居住してきた華人と異なる特徴を持っている。太平洋の華人社会は現地化、再移住、新移民といった異なる方向性を持ちながらその性格を変化させ続けているのである。