現代インドの国際関係: メジャー・パワーへの模索

調査研究報告書

近藤 則夫  編

2010年3月発行

この報告書は中間報告書です。最終成果は
近藤 則夫 編『 現代インドの国際関係 -メジャー・パワーへの模索- 』研究双書No.599、2012年2月発行
です。
第1章
はじめに
第1節 インドのルック・イースト外交
第2節 インドと中国・日本との関係
第3節 アジアの将来ビジョン—4カ国枠組みと東アジア共同体
第4節 結び

インド外交の基本的な目標は、国益増進、独立護持、大国の地位獲得にある。この目標を実現すべく展開された外交政策は、冷戦期においては、非同盟政策(50年代—60年代)とこれに続く印ソ同盟政策(70年代—80年代)であり、冷戦終結後90年代以降は全方位外交政策(ないしは多角的外交政策)に変位した。

インド外交政策の特徴はそのパートナーシップ外交にある。非同盟は当時の米ソ東西両陣営に加わらないだけでなく、非同盟同士がパートナーを組む外交だった。その本質は、インド外交の根本的な性格とも言うべき「自主独立」とも深い関わりを持っている。

印ソ同盟は密接な両国関係に基づくパートナー外交だったが、その自主独立を損なったことから、世界各国と親交関係を持とうとする全方位外交に転じたと言える。

全方位外交とはいえ、これには際だった特徴がある。一つは、主要国(米国、中国、ロシア、日本、英国、フランス、ドイツなど)との戦略的パートナーシップ関係を構築すると同時にインド以東のアジアに対する積極的なアプローチ政策を続けていることである。

今後のアジア情勢を展望すれば、中国とインドが大きく台頭することは間違いなく、日本としてはどのような対外政策をとるべきかが大きな問題となる。基本的には、関与(エンゲージメント)と警戒態勢(ヘッジング)の両視点を基盤にした対印政策を推進していく必要があろう。すなわち、アジア共同体的なアーキテクチャーの構築を目指すとともに、必要な安全保障等の措置を講ずる体制である。

第2章
第1節 印パ和平プロセスの進展
第2節 ムンバイ・テロの衝撃
第3節 対話再開の模索と挫折
第4節 インドの対話再開提案
第5節 ムンバイ後のインドの対パ外交に関する評価
第6節 対パ和平の必要性をめぐる議論

インドのみならず国際社会を震撼させた2008年11月のムンバイ同時多発テロ事件を機に、インドはパキスタンとのあいだで2004年以来つづけられてきた「複合的対話」を含む政府間公式協議を停止した。以来、インドは事件に関わった者の引き渡し、あるいは処罰、さらにはパキスタンに根拠地をもつ反インドテロ組織の根絶を、政府間対話再開の条件だと主張してきた。しかしマンモハン・シン政権は、当初の条件が実質的には満たされていないにもかかわらず、2010年2月、政府間対話の開始を宣言した。

本稿は、対話停止から再開に至るプロセスを追い、インド政府が少なくとも2度対話再開を決定する機会を逸したこと、そしてそれは主として国内世論、メディアの反発によることを明らかにする。そのうえで、ムンバイ・テロ後のインドの対話停止と再開決定をインドがどのように評価しているかを有識者の評論やインタヴューから整理する。

主要大国とのあいだではプラグマティックに行動するインドが、ことパキスタンに関しては、かならずしもそのように行動できない傾向が、ムンバイ・テロ後のインドの対応に如実に表れているといえよう。

第3章
はじめに—日印平和条約と資産返還・補償問題
第1節 日印平和条約の資産返還条項
第2節 在印日本資産返還交渉の経過
おわりに

1952年6月に締結された日印平和条約は、その第4条で在印日本資産の返還、第5条で在日インド資産の返還ないし補償を定めた。特に前者はサンフランシスコ平和条約にはみられない条項で、インド政府とりわけネルー首相の日本に対する友好感情の象徴とみなされた。しかし、両国資産の返還、補償交渉は、最終的な解決まで約7年間を費やした。在日インド資産の返還と補償が、戦時下の敵産管理問題などと絡んで、その解決が長引いたためである。ともあれ、1958から59年にかけて完了した両国資産の返還と補償によって、日本は政府レベルでの対インド戦後処理を終え、50年代半ば以降本格化したインドの経済建設に官民を挙げて関与する足掛かりを据えることができた。

第4章
インドとアフリカの国際関係 (125KB) / 近藤 則夫
はじめに
第1節 1980 年代までのインドとアフリカ: 反植民地主義、反人種主義、および中国の出現
第2節 アフリカ解放以降のインドとアフリカ: 地域協力の進展
第3節 インドの対アフリカエネルギー外交: 石油を中心として
第4節 インドのソフト・パワー
おわりにかえて

インド独立以降、近年に至るまでのインドとアフリカの関係は、概観すると政治・イデオロギー次元から、アフリカ諸国の独立と解放、冷戦の終結をへて、経済次元にそのアジェンダがシフトしてきた。そして経済次元が重要となるプロセスは、インドが経済自由化に転換し、一方、南アフリカがアパルトヘイト体制を廃棄し民主化を進めたことにより、1990年代前半に両国が国際的な自由経済システムに復帰することでさらに加速された。そのような中で多国間の協力関係を定めるフレームワーク創設の必要性が意識された結果、出てきたのが環インド洋地域協力連合であった。しかし、これはルースな協議体であり、利害関係が多様な環インド洋諸国の協議体としては成果を上げていない。それに対して参加国数を3 カ国に限定したインド・ブラジル・南アフリカ対話フォーラムは一定の進展を見せている。

現在、インド政府にとって重要性が高いのはエネルギー資源外交である。この分野はアジア新興国の中国や韓国と激しく競合する場であり、その特色は各国のソフト・パワーよりも経済力などのハード・パワーの方が影響力が大きいという点である。このようなトレンドを見ると、今後のインド・アフリカ関係でより重要になるのは2国間関係であると思われる。この点に関していうと、インドがアフリカの地域大国である南アフリカと比較的に密接な関係を維持していることは重要なポイントであろう。

しかし注意すべきはそのような密接性は南アフリカにおけるインド人コミュニティの存在といったソフト・パワー資源に必ずしもよるものではないという点である。より重要な結合要因は両地域大国の経済関係であり、戦略的関係であろう。

第5章
第1節 はじめに
第2節 在外インド人の経緯と現状
第3節 インドの在外インド人政策-対外関係の観点から-
第4節 在外インド人の政治活動-米国のインド系コミュニティの事例-
第5節 おわりに

在外インド人(インド系移民)は近年急速に経済力や政治力を拡大させ、ホスト国及びインド本国の政治過程に関与を強めている。本稿では、インドの在外インド人政策の変遷を整理するとともに、米国のインド系コミュニティによる政治活動を取り上げながら、インドの対外関係における在外インド人の影響について検討する。

インドの在外インド人政策は独立後以来、在外インド人に関わる問題への不関与・不介入を基本としてきたが、1991年の経済自由化を契機に彼らとの関係強化を本格的に志向するようになった。一方、米国ではインド系コミュニティの存在が同国の対印イメージを向上させるとともに、高い経済力を背景とするインド系がその政治活動を通じて米印関係の改善・向上にも役割を果たすようになった。このように、在外インド人の政治活動とそのインパクトは、これまで国際環境の変化や二国間関係から説明されてきたインドの対外関係に対し新たな分析視角を提供するものである。インドの対外関係を分析する上で在外インド人が主要なファクターに浮上していると考えられる。

第6章
インドの国連平和維持活動(PKO) (64KB) / 伊豆山 真理
はじめに
第1節 冷戦期におけるインドのPKO
第2節 冷戦後におけるインドのPKOの位置づけ
第3節 冷戦後におけるインドの参加ミッション
第4節 外交政策・国防政策におけるPKOの意義
おわりにかえて

冷戦後のPKOは、国家間紛争よりも国内紛争に関わるケースが多くなり、紛争後の国家再建までも含む幅広い活動を包含するようになった。またそれに伴って、中立性、紛争当事者の合意、最低限の武力行使、という伝統的な行動原則にも解釈の変化が生じている。

これに対してインドは、伝統的なPKO解釈を堅持しつつも、実践においては武力行使を授権された、平和構築を含む複合型PKOに大規模な部隊を参加させてきた。

インドは、国連保護軍(UNPROFOR)において、実現不可能なマンデート、資源の不足という困難を経験し、続く第2次国連ソマリア活動(UNOSOM II)では、先進国とは逆に成功体験を経験した。これを基礎として、アフリカにおけるミッションに継続的に参加している。

PKOは、第1に国連主義外交の実践として、第2に軍事交流の道具としての意義を持つ。「国連主義外交」には、「大国間政治」の対極概念としての意味と、「インドの国益主導外交」の対極概念としての意味の2つの要素があるが、冷戦後は後者、すなわち「超国家組織国連を強化する外交」が強調されるようになってきた。この延長線上に、米国を含む常任理事国と同等の責任と影響力を保持することを志向している。国連における「強靱なPKO(robust peacekeeping)」議論への積極的参加も、インドが部隊派遣国として国連の政策決定に関与する意欲の表明と見ることができる。