移住と「帰郷」—離散民族と故地—

調査研究報告書

岡 奈津子  編

2008年3月発行

この報告書は中間報告書です。最終成果は
アジア経済 』2010年6月、第51巻第6号、2010年6月発行
です。
まえがき (274KB)
第1章
はじめに
第1節 先行研究
第2節 カザフ人の「帰還」
第3節 聞き取り調査—モンゴルとウズベキスタン出身者の事例
むすびにかえて


カザフスタンは1991年の独立以降、諸外国に住むカザフ人に父祖の地への「帰還」を呼びかけてきた。これに応えて、モンゴルやウズベキスタンなどからカザフ人の移住が続いている。本章では、この問題に関連する先行研究、および政府の在外カザフ人呼び寄せ政策を概観した上で、現地で実施した移民への聞き取り調査の事例を紹介する。

第2章
ツェリノグラード事件再考 (446KB) / 半谷史郎
はじめに
第1節 ツェリノグラード事件までの経緯
第2節 ツェリノグラード事件の背景
おわりに
補論 戦後ソ連社会でドイツ人アイデンティティを確立することの難しさ


1979年6月にソ連カザフ共和国でおきたツェリノグラード事件は、ドイツ自治州構想に反対するカザフ人の抗議行動だが、1970 年代に顕著になった「領域自治」観の変化が大きな影響を与えている。本稿では、視野を広げ、新史料も利用しながら、ツェリノグラード事件の再検討を試みた。

第3章
はじめに
第1節 ナゴルノ・カラバフ問題の背景
第2節 ナゴルノ・カラバフ問題の発生とアルメニア社会
第3節 独立後のアルメニアと在外同胞
まとめ


在外アルメニア人同胞は、1991年のアルメニアの独立、その後の政権運営、およびナゴルノ・カラバフの帰属をめぐるアゼルバイジャンとの紛争において、人材、物資、資金の供給を通じて本国に大きな影響を与えた。しかしながら、米国とアルメニアの関係が冷却化した1994年秋以降、旧ソ連以外のアルメニア人社会の影響力は徐々に減退した。