レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.212 EU企業サステナビリティデューデリジェンス指令とオムニバス規則

木下 由香子

2025年2月19日発行

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  • 地政学的影響で政策が遅れても人権と環境のデューデリジェンスは事業の最低条件になる
  • デューデリジェンスはどこまで実施すべきかよりもどう実施すべきかが重要である
  • 政府は調達先国との協力、キャパシティの構築、課題解決のサポートをすべきである

EU企業サステナビリティデューデリジェンス指令(CSDDD)は、法案提案までの議論に足かけ4年を費やし合計6年をかけて2024年7月25日に正式に発効された。しかし発効から半年も経たないうちに同法は政治主導の議論により方向性が変わる可能性が生まれている。CSDDDが政治的圧力を受けるのは3度目になる。1度目は法案発出時、規制精査委員会において2度却下されるも担当欧州委員の主導で法案提案に漕ぎつけた時、2度目は法文の政治的暫定合意後に一部加盟国が意見を翻しその内容が覆された時である。そしてオムニバス規則の対象となった現在が3度目といえる。2度目と3度目の動きには、グリーンディール政策への反動と地政学的変化の影響がある。本稿では、オムニバスの議論に加え、CSDDDの域外企業への影響と残された課題についてまとめる。

法の簡素化の傾向(オムニバス)とステークホルダの動き

2024年11月のブダペスト宣言で、欧州理事会が欧州委員会に報告要件の25%削減を求めて以来、オムニバス規則の議論が活発化している。フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は当初、このオムニバスは企業サステナビリティ情報開示指令(CSRD)、CSDDDEUタクソノミーに関する開示を対象とし、主な目標は規制の重複を回避し行政負担を軽減することだと強調していた。その後、12月1日から第二次フォン・デア・ライエン欧州委員会が始動し、欧州議会選挙におけるグリーン勢力や左派の退潮を受けて、産業界寄りの姿勢が鮮明になった。欧州の産業競争力の向上を至上命題とし、新閣僚に宛てた政策指示書においても行政負担の軽減と法の簡素化を指示した。「簡素化」は「競争力向上」と結びつき、2025年1月29 日に発表されたCompetitiveness Compassで、オムニバスの取り組みの第1弾としてサステナブルファイナンス報告、デューデリジェンス、タクソノミーの簡素化が示唆された。法案は3月に発表される予定である。

この状況下、様々なステークホルダが意見を出し始めた。欧州議会のグリーン勢力が一連の動きに警鐘を鳴らす書簡を欧州委員に送る一方で、中道右派の欧州議員は委員会に対し関連法令への更なる簡素化努力を促す書簡を送った。ドイツはCSRDの2年間の施行延期と閾値の引き上げやセクター別基準の導入中止を求め、フランスはCSDDDの無期限延期、CSRDの実施2年間延期、更には大企業と中小企業との間に中間(Mid-Cap)のカテゴリーを新設することを提案した。NGOからは270以上の組織が共同署名したオムニバスの動きに反対する書簡が発表されている。企業側のオムニバスに対する反応は一様ではない。負担の大幅な軽減や延期を支持する意見がある一方で、法文改定の議論を再開することで、法的確実性や長期的投資、更には欧州立法制度への信頼に大きな影響を与えると懸念する意見もある。

CSDDDの域外企業への影響

CSDDDは2026年7月26日までにEU各国法に導入予定であるが、日本企業はこの法律の域外適用に留意すべきである。売上高基準を満たす域外企業グループの最終親会社がスコープに追加された理由は、欧州企業と同じ競争条件を確保するためである。またCSDDDは指令であるため一部の義務内容を除いては各加盟国に更に厳しい内容を定める裁量が与えられている点にも注意を要する。例えば、過料の上限は全世界純売上高の5%を下回ってはならないと定められており、加盟国はこれを超える設定が可能である。また今後実施法令やガイドラインで更に詳細な内容が規定されるため注視が必要である。作成予定のガイドラインの数が多いため、欧州委員会は優先順位決定のためのパブリックコンサルテーションを実施する予定だが、現在オムニバスの動きの影響を受け延期されている。

欧州産業団体の提案

在欧日系ビジネス協議会を含む27の在欧産業団体は、昨年11月に指令導入に関する合同意見書を発表した。同書ではまず新たな協力体制の構築を求めている。指令自体は成立したものの、実際の導入にあたり曖昧な点も多く、CSRD等の既存法との定義の違い等明確にすべき点が残る。実施法令及びガイドラインの策定過程において実務経験を持つ企業を早期に関与させ、優先分野を特定し、実態に即した実施法令やガイダンスを作成することを提案している。次に企業が新しい規制に適応するための十分な準備期間の確保を提案する。ガイドライン及び実施法令については、指令の遵守が義務化される少なくとも2年前に採択されるか、あるいは移行期間を延長することも考慮すべきと提案し、更に機能的な単一市場を確保するための重要な柱であるルールの調和の必要性を指摘する。

企業を取り巻く環境変化と課題

CSDDDの義務発生(2027年)を前に企業を取り巻く環境は変化し課題が見えている。CSDDDはリスクベースのアプローチを導入しているが、デューデリジェンス実施方法の詳細規定はない。更なるガイドラインを待つなかで既に準備を始めた取引先からは情報提供の依頼や契約変更要請が様々な形態で増加している。また情報を集める側には、指令の対象でない事業者から協力を得られず十分な情報が集められない課題がある。バリューチェーンはグローバルに繋がっているためEUや日本以外の地域における対応姿勢が日本企業のデューデリジェンスの質に影響を与える。今後はNGOからの関与の増加、更には訴訟リスクの増大も考えられる。CSDDD対象企業は自社の方針が示す内容と実態に乖離がある場合、高いリスクを伴うと認識するべきである。こうしたCSDDDによる新たな課題に対し企業の努力だけでなく産業界や政府が協力して環境を整えることが急務となっている。煩雑な調査作業を緩和するガイダンスやツール、調達先国への協力やキャパシティ向上施策が必要である。

また、NGOからの問合せや将来的な訴訟リスクに対しては、リスクの文脈は各々であるため、どのような場合に企業に責任が生じ、何が妥当な対処方法なのか、ステークホルダとの意味のある対話はどう行うべきなのか、知恵を持ち寄り知見を高めるための取り組みが今までになく必要となる。またステークホルダとの対話は、その機会を見つけること自体が難しい状況もあり得る。問題が起きた際に本当に重要となるステークホルダの声をいかにキャッチできるか、対話を通じて受け取った内容の意味を正しく理解できるかなど、トレーニングを積んだスキルが必要となる。また、中立な立場でステークホルダと企業との間で信頼を失わずに意味のある対話をサポートする仲裁者の育成も重要である。

まとめ

CSDDDは2011年の国連ビジネスと人権に関する指導原則と同等の重要な変化をもたらすとされているが、発案以来政治的影響を受け続けている。法律の施行は地政学的変化と無縁ではないが、世界的な動きが止まることはない。人権と環境に関するデューデリジェンスの実施はCSDDDによってコンプライアンスに変わり、企業が操業するための必要最低限のルールとなりつつある。目先の地政学的な動きによる影響で取り組みを中止することは、コスト面や将来の備えにおいて望ましくない。デューデリジェンスの実施は環境や人に対するリスクを抑えることが目的であり、それによって長期的なビジネスリスクの低減につながる。CSDDDでは必要に応じてビジネスモデルの見直しが求められている。デューデリジェンスの実施は単なるリスクのチェック作業ではなく、企業のリスク管理やガバナンスの強化、つまり経営そのものに直結していると考えるべきである。

(きのした ゆかこ/在欧日系ビジネス協議会)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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