レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.190 EU企業サステナビリティ デューディリジェンス指令案の動向

木下 由香子

2024年4月22日発行

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  • 欧州CS3D は政治的暫定合意のあと最終段階で採択不能になるもぎりぎりで成立へ向かっている
  • 全体の対象企業は大幅に減少したが、日本企業はEU域内売上額によって対象となるので留意が必要
  • 企業は気を抜かずに人権と環境のDDを進め、政府は企業が有効なDDができる環境の整備に力を

企業の人権および環境デューディリジェンス(DD)を義務化するEU企業サステナビリティデューディリジェンス指令案(CS3D)は2022年2月23日に発案され、通常立法プロセスに基づき欧州議会、理事会(加盟国)による修正後、欧州議会、理事会、欧州委員会の三者協議(トライローグ)で議論を重ねてきた。同法案は2023年12月14日未明に政治的暫定合意となり、理事会、欧州議会による承認を待つのみとなった。

ところが、通常は形式的といわれている最終承認の時点になり同法案は採択不能という誰もが想定していなかった事態に陥った。その後、議長国ベルギーの懸命な調整が続き3月15日(本稿執筆現在)加盟国が承認、成立へ向かい始めている。

採択不能に至るまでの経緯と理由

政治的暫定合意の法文は発表時、一部の条項や法案の序文は手つかずの状態であった。その後、実務側による詳細の調整が実施され、法文の内容がほぼ固まった直後の1月15日、ドイツ連立政権の3党の一つであるドイツ自由民主党(FDP)が同指令案の拒否を求める決議を採択した。その理由は、同指令案がドイツのDD法より厳しい内容であるため企業への負荷を高めること、新たに法的責任を導入し、環境要件を大幅に引き上げるためドイツのみならず欧州経済の競争力を脅かすこと、そして気候変動計画の策定義務や、取締役会・監査役会に対する金銭的インセンティブの導入などはコーポレートガバナンスに深く影響し、他の法律ですでに議論されてきたというものであった。

決議発表当初は、「最後のささやかな抵抗」と捉えられていたが、この決議の影響は広がり2月29日の理事会採択では必要な特定多数(15カ国かつ人口の65%)を確保できず一旦不採択となった。メディア情報によると反対した国はスウェーデンのみであったが、実質反対を意味する棄権票を投じた国はドイツ、フランス、イタリアなどEU加盟国の半数以上あったという。

なぜ加盟国は政治合意したはずの法文を最終段階で不採択にしたのか。少なくとも3つの理由が考えられる。まずは選挙の影響である。2024年は5年に一度の欧州委員会の任期が終わる年でもあり、また欧州議会の総選挙も6月に実施される。欧州委員の選出は選挙ではないが、欧州委員会委員長候補は欧州議会内の各政治会派が指名するため政治色が濃い。このような状況下で加盟国は政治的駆け引きを始めたのだ。2つ目は現欧州委員会が牽引してきた野心的な政策への反動だ。欧州グリーンディールのもと数々の政策パッケージが提案され、法律の「雪崩」と表現された。次第に産業界側の疲弊と不安が顕著になり始め、ビジネスヨーロッパなどの産業団体が行政負担による競争力低下の懸念を訴え始めた。昨年3月にはフォンデアライエン欧州委員会委員長が情報開示の負荷を25%下げる宣言をするなど、競争力低下阻止に対する配慮がEU行政のトップに見られるようになった。3つ目は法案策定以前の躓きの影響である。同法案の策定過程ではステークホルダの巻き込み方に偏りが見られ、特に産業団体側に不満が生まれた。また、コーポレートガバナンスの分野に踏み込んだ条項や域内調和が難しい「指令」の適用など、指摘されていた課題が十分に議論されずに発案に至り、結局トライローグの最後まで課題であり続けた。これらの課題は同法に限らず今後の欧州政策策定の背景として把握しておきたいポイントである。

法案の重要ポイントの現状

12月に暫定合意された法文が不採択となった後、議長国ベルギーは加盟国の説得に乗り出した。そのため最終合意された法文には大きな譲歩が含まれている。現時点で分かっている情報から日本企業に影響のあるポイントについて解説する。

適用範囲(スコープ):理事会での法案不採択後、議長国ベルギーが譲歩案策定に乗り出すと国内法とのバランスから大幅な緩和を求める加盟国が圧力をかけた。最終的には平均従業員数は1000人超、世界の純売上高は4.5億ユーロ超となり(非EU企業の場合は人数の適用は無し)、加えてリスクセクターの条件も排除されたため、対象企業は12月の暫定合意より約7割減少といわれる大幅な変更となった。ただし、欧州委員会提案時点と比べれば、グループ単位で連結して閾値を満たす場合は親会社が適用対象となる要件が加えられており注意が必要だ。

気候変動に関する義務:地球温暖化を1.5℃に抑える世界目標に基づき、気候変動緩和のための移行計画を採択し、実施する義務を定める第15条は暫定合意に至るまで議論が最も難航したポイントだ。なかでも取締役等に金銭的インセンティブなどを通じて、移行計画の実施を促進するための適切な政策を確保する義務については企業側からも強い反対があり、最終的に議長国であるベルギーの案に基づき削除された模様だ。

DDの範囲:発案当初あった「確立したビジネス関係」は早々に削除され、12月の最終合意では「Chain of activities、活動チェーン」という言葉が選ばれた。最終的に上流取引先の活動に加え、下流に関しては企業の製品の流通、輸送、保管に関連する川下ビジネスパートナーの自社のため、または自社の代理として行う活動に限定された。廃棄、解体、リサイクル、埋め立て、デュアルユース製品と武器も対象外となる。また、最後まで議論されていた機関投資家および資産運用会社による下流への働きはすべて削除されたが、指令発行2年後に必要性について欧州委員会が報告をまとめることになった。

民事責任と取締役の義務:発案時の表明保証や適切な検証措置による責任の緩和は削除された。企業が故意または過失によりDDの義務(第7条8条)を遵守せず、その結果損害を生じさせた場合に責任が生じることになる。損害が活動チェーンのなかで取引先によってのみ引き起こされた場合は責任がないと明記された。また取締役の善管注意義務(第25条)とDDの設定と監督の義務(26条)は完全に削除された。

適用開始時期は最終合意で大幅に閾値が拡大し、全体的に後ろ倒しの段階的な導入となった。一番適用の早い企業はEU企業であれば平均従業員数が5000人、全世界純売上高が15億ユーロを超える場合、また、非EU企業であればEU域内純売上高が15億ユーロを超える場合、指令発効から3年目以降に適用開始(早くて2027年)となる。

このほか認識すべきポイントは、ステークホルダとの「意味のある」エンゲージメント実施の義務、親会社が子会社に代わってDDの義務履行の可能性の導入、 企業秘密情報の開示への配慮、違反者に対して 上限が全世界純売上高の5%以上となる金額の過料の導入、本指令の対象となる 第三国企業の示唆的リストの公表などがある。

まとめ

CS3Dは紆余曲折を経て成立に向かっている。全体の対象企業は大幅に減少したが、対象となる日本企業は連結売上を考慮する必要がある。欧州でDDの義務化の議論が始まってから既に5年以上が経ち、この間にDDの実施はもはやベストプラクティスではなく通常の企業行動の一部と考えられている。3月5日にはEU強制労働関連製品の上市禁止規則案も政治的合意に至った。当局から強制労働関連製品の指摘を受けた場合、企業自身を守るのはDD実施の事実である。さらにEU電池規則やEU企業サステナビリティ報告指令下でDD実施は必要となる。

DDは本来企業活動による負の影響を先に見つけ出しリスクになる前に解決することで企業活動に寄与する。かかる備えのある企業との取引を求める企業は増えている。企業は気を抜かずにDD実施を進め、キャパシティを高める必要があり、政府は企業がDDを着実に実施できる環境の整備に力を割く必要がある。

(きのした ゆかこ/在欧日系ビジネス協議会)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

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