レポート・報告書

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.180 政府開発援助に『ビジネスと人権』の視点を
──民間企業と連携する小規模農家支援の事例から──

井上 直美

2023年11月27日発行

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  • アフリカでは、小規模農家に営農に関する情報などを提供するデジタル農業市場が拡大しており、国際機関や政府開発援助はサービスを提供する企業に対する様々な支援を行っている。
  • しかし、農業プラットフォームの利用で起こる小農や地域社会への負の影響は看過されている。
  • 受入国の持続可能な開発を導くためには、小農支援に「ビジネスと人権」の視点が有効である。

サブサハラ・アフリカ(アフリカ)では、小規模農家(小農)に営農に関する情報やサービスを提供するデジタル農業市場が隆盛である。ケニアでは2割~3割の農家が関連サービスを利用する。多くのデジタル農業企業は、ドナーからの資金に依存し、国際機関や政府開発援助(ODA)機関は様々な企業支援を行っている(国際協力機構:JICA、アフリカ農業セクター開発戦略2022年)。日本のODA機関であるJICAは、フードバリューチェーンの強化や農家の収入を向上するためのODA事業で民間企業との連携を拡大している(JICA2021年次報告書)。

小農が使うサービスは、農業プラットフォームである。農業情報や農業資材を入手し生産物を売り、生産性や収入を改善する効果が見込まれている。しかし、現地で起こる小農や地域社会への負の影響についての議論はまだ十分ではない。本稿は、ODA機関が行う農業プラットフォームを活用した小農支援における「ビジネスと人権」の視点の必要性について、筆者がケニアで行った調査を基に検討する。本稿で紹介するのは限られた事例であるが、負の影響は個々のケースで異なる点に留意が必要である。

農業プラットフォームを活用した小農支援

ケニアにおける国際機関やODA機関による農業プラットフォームを活用した小農支援事例を2つ紹介する。1つは、国際機関の世界食糧計画(WFP)が民間の農業プラットフォーム企業と連携するFarm to Market Alliance(FtMA)(https://ftma.org/kenya/)である。FtMAは、全国の農村に農業支援の拠点を作り、地元の農民起業家を拠点リーダーとして育成する。拠点リーダーは、農業プラットフォームを活用して小農が営農に関する情報や投入材を入手し、生産物を販売するのを手伝い、取引から手数料を得る。その結果、小農が農業の生産性や収入を改善することを目指す。2つ目は、JICAのSHEP(市場志向型農業振興)プロジェクトである。SHEPは、長年ケニアで小規模園芸農家に対する農業技術支援を行っており、小農支援の豊富な知識と経験を有する。SHEPはパイロット・プロジェクトとしてFtMAと連携する特定の農業プラットフォームを使う拠点リーダーに対して農業技術支援を行う。彼らが小農に行う支援の質の向上を目指し、小農の農業生産技術が高まるという、今後への期待が高い取組みである。

農業プラットフォームの活用は、小農の農業生産性と収入の向上をもたらす小農支援である。しかし、小農や地域社会に負の影響をおよぼす可能性がある点に注意が必要である。

農業プラットフォームを使うことによる小農や地域社会にあたえる負の影響

小農が農業プラットフォームを使うことで小農自身や地域社会におよぶ負の影響を、筆者が2022年10月にケニアで行った農業プラットフォームを使う農家の調査を基に紹介する。

1つ目の事例では、農業プラットフォームを活用したことで生産管理を簡単かつ正確に行えるようになり、元は小規模だった酪農家が事業規模を拡大した一方で、同酪農家に雇われる労働者の人権や労働安全衛生は、改善されないままであった。筆者が酪農家に雇われる労働者に話を聞くと、労働者が労働安全衛生のリスクに直面する状況や、待遇は改善していなかった。労働者は、個人用保護具を使わずに牛のふん尿の清掃を行っていた。彼らが酪農家から受け取る月給は、9000ケニアシリング(9450円)で、住居費の差し引き後は6000ケニアシリング(6300円)であった。ケニアの一般的な家族が基礎的な生活水準を保つのに必要な2万2300ケニアシリング(2万3415円)を下回る。

2つ目は、小農が農業プラットフォームから入手し、生産向上のために使う化学肥料や除草剤などの投入材の不適切な取扱いが、小農や地域社会に負の影響をおよぼしている事例である。コーヒー生産農家は、農業プラットフォームを使って農業カレンダーの情報を得て、農薬や肥料を入手していた。その結果、小農のコーヒー豆の収穫量は増えて収入が向上した。しかし、筆者は、彼らが個人保護具をつけずに農薬を散布する様子や、農薬の袋等の農業廃棄物がコーヒーの木の根本に山積みになっている様子を目にした。そこでは、農薬を不適切に使うことで起こりうる健康被害や廃棄物による土壌汚染を無視した農業が行われていた。

デジタル農業プラットフォームを活用した小農支援に「ビジネスと人権」の視点を

国連『ビジネスと人権に関する指導原則』(指導原則)の原則4は、政府関係機関として人権尊重の責任を有するODA機関に対し、ODA機関から支援を受ける企業活動による人権侵害に対する人権デューディリジェンスの実効的な実践を企業に求めることを推奨している。政府関係機関の資金で行われる事業が人権デューディリジェンスを実施しない場合には、政府関係機関が人権侵害に加担したとみなされ、受入国の人権問題を悪化させる可能性すらある。

指導原則13によると、企業は直接負の影響を引き起こすか助長していない場合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につながっている人権への負の影響を防止、軽減するように努める必要がある。

本稿が取り上げた小農への負の影響は、農業プラットフォーム企業自身が不適切な労働環境や投入材の利用を助長したことによって生じたものではない。しかし2つ目の事例の負の影響は小農がプラットフォームから入手した投入材を使うことで起こった、プラットフォームのサービスに直接つながるものである。指導原則19に則れば、企業は小農が受けるこうした負の影響を最大限防止し軽減するために、自身の影響力を行使すべきである。プラットフォーム企業は、投入材の適切な利用に不慣れな小農が多い農村部では紹介した負の影響が発生しやすいことを人権デューディリジェンスで特定し、積極的に影響力を行使して改善のために働きかけることが望ましい。1つ目の事例では、労働環境を農家と協働で改善することが求められる。

ODA機関は、このような農業プラットフォームの影響を踏まえたううえで、実際もしくは潜在的な人権への負の影響を考慮しなければならない。ODA機関は、政府関係機関として企業よりも重い人権尊重の責任がある自覚を持ち、支援を受ける受益企業に人権デューディリジェンスを求め、自らの影響力を行使し、負の影響を防止し軽減するために企業と協働することが求められる。多くの企業は支援を必要としているだろう。

おわりに

日本のビジネスと人権に関する国家行動計画(NAP)は、開発協力において人権尊重に配慮した取組みを行うと宣言している。農業プラットフォームを活用した農民支援に限れば、自らの影響力を行使して負の影響をなくすための行動を企業に促し協働することが望ましい。

事例で取り上げたケニアは、アフリカで最初にNAPを策定した指導原則の推進国である。農家の生産性と収入の改善は、NAPにおいて持続可能な社会を作るための重要課題である。しかし小農に対する施策は十分ではない。零細農家支援の経験が豊富なSHEPは、ケニア政府や企業にとっての有効な協働相手となるだろう。

持続可能な開発を導くためには、日本のODAが行う農業プラットフォーム事業を活用する小農支援に「ビジネスと人権」の視点を組み込み、受入国政府を支援していくことが求められる。

(いのうえ なおみ/東京外国語大学・アジア経済研究所連携研究員)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

©2023年 執筆者