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アジ研ポリシー・ブリーフ

No.176 責任ある鉱物調達に向けて──鉱物追跡・認証の取組みと人権デューディリジェンス

猪口 絢子

2023年4月21日発行

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  • 鉱物追跡・認証の取組みは、企業の人権デューディリジェンス(DD)に有用な情報を提供する。一方で、取組み自体の透明性が疑われる場合や、取組みの評価対象が人権への負の影響を網羅していない場合があることに注意が必要である。
  • 企業は鉱物追跡・認証の取組みのみに依存することなく、国際NGOや現地NGO、地域や人権の専門家などとの協働を通じ、広範な情報収集を併せて行うべきである。
  • 政府は、企業とNGOや専門家との関係構築を促し、企業の支援を行うべきである。

企業の社会的責任を問う世界の潮流のなかで、採掘産業の取組みは比較的長い歴史を持つ。同産業が関係する人権への負の影響として、鉱山開発に伴う土地収奪、落盤やガス漏れなどの事故、粉塵や汚水による環境汚染や健康被害、児童労働、強制労働などがこれまで問題視されてきた。紛争影響下における操業では、採掘される資源が紛争や人権侵害の資金源として使われる(紛争鉱物)という、特有の問題も発生する。

1990年代以降、政府、国際機関、NGOにより、鉱物資源が紛争下で不当に利用されることを防ぐべく、企業にDDを求めるルール作りが行われてきた。業界は政府と連携しつつ、鉱物の加工流通過程の追跡(chain of custody)、鉱物や鉱山、精錬所の認証など、取組みの確立を急いだ(以下、「鉱物追跡・認証の取組み」と総称)。この動きは2011年に『ビジネスと人権に関する国連指導原則』が国連人権理事会で承認されるのに先んじて進んできた。現在では、紛争と鉱物資源の結びつきを超えたより広範な人権への負の影響の是正を目指す、責任ある鉱物調達の実現に向けた取組みが広がっており、人権DDの情報源として多くの企業に利用されている。

本稿は2022年に開催された2つの国際フォーラムを振り返り、これら鉱物追跡・認証の取組みが抱える根源的課題について考察する。

鉱物追跡・認証の取組みの透明性に疑いの目

2010年に『OECD紛争地域および高リスク地域からの鉱物の責任あるサプライチェーンのためのDDガイダンス』を発表して以降、OECDは定期的に、責任ある鉱物サプライチェーンのためのフォーラムを開催している。2022年5月の第15回フォーラムでは、ガイダンス発表から約10年間の取組みの成果が議論された。

OECDガイダンスは企業に対し、業界の取組みの活用を選択肢のひとつとして提示している。その代表例が、国際錫サプライチェーンイニシアティブ(International Tin Supply Chain Initiative: ITSCI)である。錫の業界団体の主導で作られた、鉱物追跡を通じて企業のDDを支援する枠組みで、紛争鉱物が問題となったコンゴ民主共和国と周辺国で利用されている。別団体による精錬所の認証の取組みなどと連携し、鉱物サプライチェーン全体からの紛争鉱物や児童労働の排除を目指してきた。

フォーラムの直前に、国際NGOグローバル・ウィットネス(GW)が報告書『The ITSCI laundromat』を発表した。同報告書は、ITSCI導入後も武装勢力の関与が排除できていないサプライチェーンの存在や、ITSCIと業界関係者や政府との癒着疑惑などを理由に、ITSCIが紛争鉱物のロンダリングに使われている可能性を指摘した。仮にサプライチェーンの川上の鉱物追跡を行うITSCIの信用が崩れると、ITSCIと連携した川下の精錬所認証の信用までもが危うい。

フォーラムでは、ITSCIとGWの両関係者が登壇するセッションが設けられた。ITSCIをはじめとした鉱物追跡・認証の取組みに対し、悲観的な意見と評価する意見との両方が聞かれた。人権DDを実施するうえで、業界主導の取組みに依存する企業側の責任を問う声もあった。

ITSCIはフォーラム後に、GWの主張は不正確だと反論する報告書を発表した。ITSCIによると、当該イニシアティブの本来の目的は、GWが期待するように武装勢力の関与というリスクが一切存在しないと保証することではなく、人権DDに必要なリスク情報を企業に提供することである。そして、その情報を基に人権DDを行う責任は企業にあると強調している。

ロシアのダイヤに対する認証制度の無力

この他、今回のOECDフォーラムでタイムリーに議論されたのは、ウクライナに武力侵攻したロシア政府が関与するダイヤの問題である。国際取引から紛争ダイヤの排除を図る、キンバリープロセス認証制度(Kimberley Process Certification Scheme: KPCS)が、ロシアのダイヤに対して何も行動を起こせていないことが問題視されたのである。

KPCSは、紛争ダイヤを反政府武装勢力などが関与するダイヤと定義している。政府が関与するダイヤについては、たとえ政府が深刻な人権侵害を繰り返していたとしてもKPCS の取組み対象から外れる。これまでもKPCSは、紛争ダイヤの定義が狭いことについて市民社会から批判されてきた。ロシアの武力侵攻をきっかけに、紛争ダイヤの定義の妥当性が改めて議論の的となったのである。

気候変動対策で高まる鉱物需要と負の影響

一方、2022年11月の第11回ビジネスと人権に関する国連フォーラムでは、従来から採掘産業で議論されてきた課題が改めて取り上げられた。採掘プロジェクトを始めるにあたって地域や先住民のコミュニティからFree and Prior Informed Consent(FPIC)が十分に得られていないことや、救済へのアクセスの不足などである。

また同フォーラムにおける重要な点として、現状でも採掘産業が十分に対処できているとは言えない人権への負の影響が、気候変動対策に伴う鉱物需要増によって、さらに増大する可能性があると議論された。2021年に国連総会と人権理事会で「清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利」が認められたばかりであるが、その実現に向けた取組みが、かえって採掘産業に関わる人々の人権を侵害してしまうという指摘だ。

例えば、電気自動車にも使われるリチウムイオン電池の生産には、リチウム以外にコバルト、ニッケル、マンガンなどの鉱物が必要となる。特にコバルトは、主要産出国であるコンゴ民主共和国での紛争や児童労働との関係が問題視されている。フォーラムではラテンアメリカ地域を例に、企業と地域コミュニティとの間で紛争が増加していることが報告された。

鉱物追跡・認証の取組みとの向き合い方

鉱物需要が増大するなかで、企業の責任はさらに重要視され、人権DDに対する社会からの期待が高まっていくと見られる。企業はますます、鉱物追跡・認証といった取組みを活用することになるだろう。

しかしこうした取組みがもたらす情報は、企業が集めるべき情報の一部に過ぎない。第一に、鉱物追跡・認証には、汚職や不正、一方の利害関係者の意向のみを反映した対象鉱物の定義の矮小化といったリスクが常に付きまとい、取組み自体の透明性が疑われる場合がある。第二に、鉱物追跡・認証の評価対象は各取組みによって様々で、人権への負の影響が必ずしも網羅的に評価されていない場合がある。例えば反政府武装勢力の関与や児童労働の有無は評価しても、政府の関与やFPIC、救済へのアクセスに関しては評価対象外といったことだ。そのため、鉱物追跡・認証の取組みのみに過度に依存すると、人権への負の影響を見過ごす可能性が高まる。企業は広く情報収集を行い、利用する取組みの透明性を注視しつつ、各取組みの枠に収まらない負の影響について、別途対応する必要がある。

とはいえ、企業が人権DDに必要な情報を自力で収集することは、容易ではない。特に紛争影響下の地域においては、より困難を伴う。ステークホルダー・エンゲージメントが重要であることは言うまでもないが、国際NGOや現地NGO、地域や人権の専門家との協働が、企業の助けになるだろう。政府は、企業とNGOや専門家との連携を促し、情報収集の支援を行うことで、企業の人権DDを促進できるだろう。

(いのくち あやこ/法・制度研究グループ)

本報告の内容や意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません

©2023年 猪口絢子