2019年の中東地域――さらなる混迷への予兆

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.132

鈴木 均

2020年4月13日発行

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  • 米国トランプ政権の決定によるガーセム・ソレイマーニー司令官の暗殺により、米国がイランと核問題で近い将来に直接交渉する可能性はなくなった。
  • ソレイマーニー暗殺の負の影響はすでにイラクの内政、シリア情勢の悪化などに現れている。
  • 日本としては今後環境問題などでの中東各国間の利害調整など、将来的な域内安定化のために貢献しうる分野は少なくないものと考えられる。
はじめに――ソレイマーニー暗殺の衝撃

2019年春から2020年2月までの中東地域においても様々な政治的出来事があった。その帰結を象徴し、また今後数年間の展開をある意味で暗示しているのが2020年1月3日の米軍によるイランの革命防衛隊コドゥス特殊部隊司令官ガーセム・ソレイマーニーの暗殺であり、またその直後のイラン側によるイラク領内の米軍駐屯地への報復爆撃である。

その一方で1月8日のイラン側の報復攻撃は米軍の死者を出すには至らず(それでも爆撃の際の衝撃で脳に障害を受けた米兵は100人以上に上っている)、米国がこれに対する反撃を控えたことでトランプ政権として当面イランと開戦する意思がないことも明確になっている。

またこの攻撃があった1月8日にはイラン革命防衛隊がウクライナ民間機を誤射して176名の一般人乗客・乗員の命を奪った。米国への軍事攻撃を敢行したイラン軍事当局の極度の緊張がこの誤爆の要因として考えられるが、イラン国内外で政府に対する国民からの厳しい批判を惹起した。

いずれにしてもこの司令官暗殺の帰結として、米国トランプ政権がイラン側との直接交渉のチャンネルを失ったことの意味は大きく、その影響は今後の米国の中東政策全体に影を落とし続けるであろう。隣国のイラクでは国際法を無視した米国のこの軍事行動に対する国民的な反発がすでに内政に影響を与えている。

シリア情勢で躓くトルコ

また2020年1月以降のシリア情勢の混迷化も調整役としてのソレイマーニーの不在が影響していよう。シリアをめぐってはこれまでイラン、トルコ、ロシアの3国間での調整がテーブルに上っていたが、これもソレイマーニー司令官の軍事的・戦略的な貢献が大きかった。2019年12月のアスタナ会合ではロシア・イラン・トルコの連名でシリアの主権および領土の保全について声明を行っている。だがソレイマーニー司令官が不在となった現在、異なる利害をもつ複数の外国勢力が平和的な交渉の場を維持することの困難さがいち早く露呈してきた。

トルコは以前からシリア北部イドリブ県の実効支配権をめぐってロシアとの利害が対立していたが、2020年1月に同地域でトルコ兵部隊が30人余の死者を出したことで両国の関係が悪化、他方でトルコとシリアは実質的に戦争状態に入っているとの指摘もある。改めて言うまでもなくシリア軍の背後にはロシアの存在がある。こうした軍事的な危機的状況を乗り越えるだけの政治的・外交的な選択肢がトルコのエルドアン大統領に残されているのかどうか、注視を続けていく必要があろう。

沈黙するサウジアラビア

イラン・米国関係が軍事的な衝突の危機を孕んだ袋小路に入っているなかで、トランプ政権によってイランに代わり湾岸地域での政治的主導権を託すものと期待されたサウジアラビアの動きは現状では決して活発ではない。その背景として2018年10月のジャマール・カショギ氏暗殺事件の真相が未だに明らかでなく、とりわけムハンマド・ビン・サルマン皇太子の同事件への関与が不透明であることによる国際的な信頼の失墜が大きい。特に対イラン関係では2019年9月14日のサウジ・アラムコ石油施設へのドローン攻撃により石油施設そのものが持っている軍事攻撃への脆弱性を再認識する結果となり、いわば「牙を抜かれた」状態になっていることも関係していよう。

米国トランプ政権との強い信頼関係を背景に権力を掌握してきたムハンマド・ビン・サルマン皇太子のサウジ威信は以前のように絶対的なものでなくなっている。これは一国の命運をトランプ政権に全面的に頼ることへのサルマン国王周辺の逡巡もあると思われるが、2019年の当初に米国が構想していたイスラエル・サウジアラビアを軸とする「イラン包囲網」の形成はもはや現実性を失っているといえよう。

米国とターリバーンの和平合意調印

2020年2月29日にトランプ政権は18年間という長期に及んだ米国のアフガニスタン戦争を終結させ、14カ月間をかけて駐留米軍の撤退を完了するべくターリバーン勢力との「和平合意」に調印した。

この米軍撤退に向けた交渉は、2018年12月20日に当時のジェームズ・マティス国防長官が辞任に至る理由となった案件のひとつであり、トランプ大統領はその直後からザルマイ・ハリールザードを特使に任命してターリバーン側との交渉に当たらせ、2019年8月16日には交渉の進展状況について閣僚および関係者と同席して報告を受けている。

だがこの「和平合意」が、アフガニスタン国内諸勢力の将来的な和平の達成と統一的な政府の樹立に直接つながるものであるのかは不透明であり、現在ターリバーンの主要な資金源になっているケシ栽培と麻薬密貿易を脱却する道筋もまったく見えていない。こうしたなかで米国の撤兵を最優先させた米国・ターリバーン間の「和平合意」がむしろカーブルのアシュラフ・ガニー政権の基盤を切り崩し、やがて新たな国内的分裂状態をもたらすことになる危険性は否定できないのである。

中東各国が直面する環境問題・水問題

以上見てきたように、2019年の年初以降現在までの中東主要各国の困難な現状はいずれも安易な状況打開への期待を拒むものである。だがこの地域の政治的・社会的安定にとって見逃すことのできないもう一つの脅威は、地球規模での気候変動とその中東地域における具体的な現われとしての渇水問題である。

中東における水問題については日本でも最近注目を集めているところであるが、イランから湾岸アラブ各国、シリアからレバノン、イスラエル、エジプト、スーダン、マグレブ諸国まで、いずれの社会においてもかねてからの人口増加と都市化に伴う社会問題に加えて、水不足の問題が近年ますます深刻化していることは言うまでもない。

筆者が西暦2000年以来イランで調査フィールドにしてきたザーヤンデルード川最下流の地方小都市ヴァルザネでは近年頻繁に農業用水の枯渇が問題となり、2018年の夏に訪問した際にはコミュニティ自体の存続が危ぶまれるほどであった。2019年は幸い比較的に降雨量があったものの、逆に国内各地で涸れ川に水が溢れて鉄砲水となり、エスファハンなどでは死者の出る騒ぎとなった。イランを含む乾燥地域において水の管理が政治の根幹をなしていることは現在でも変わらない事実である。

またテヘランをはじめとするイラン主要都市の空気汚染問題は以前に増して深刻であるが、空気汚染の要因を正確に把握するための前提となるべき周辺国との情報共有のシステムが欠如している。これは抱えている問題の深刻さにもかかわらず、その解決のための政治的条件が全く整っていないことを示している。

日本がこれまで比較的に安定した経済的発展のなかで1960年代以降こうした環境問題(公害問題)への取組みの蓄積を有していること、また近年でも東日本大震災以降は自然災害への取組みの経験を蓄積しつつあることは、環境問題および水問題への真剣な取組みへの必要が差し迫っている中東地域にとって学ぶべき点が多いことを示唆している。とりわけ環境問題における中東各国間での基本的な問題意識の共有は急務であり、この点で日本が将来的に果たし得る役割は大きなものがある。

(すずき ひとし/地域研究センター 上席主任研究員)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。