国境地帯のパワーバランス

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.81

勝又 郁子

2017年3月31日発行

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  • トルコ、シリア、イラク、イランの国境地帯にかかわる攻防は、すでに「イスラム国」後を見据えて動く。その渦中にあって、クルドは自立的な政治システムを築こうとしている。国境地帯の安定化は、トルコとシリア・クルドの敵対関係を修復できるかどうかが最大のポイントになるだろう。両者の対立が他勢力間の関係をこじらせる要因となっているからである。

イラク北部における利害の構図

イラク・クルディスタン地域のクルディスタン愛国者連合(PUK)とカンディール山に拠点を置くクルディスタン労働者党(PKK)は一定の利害を共有する。最大の理由はクルディスタン民主党(KDP)とのライバル関係だが、トルコとKDPが密接な関係を築いてきたのに対し、PUKはイランにより近い、という対外要因も強く作用している。留意すべきは、こうした関係が流動的で、すべての事象を規定しているわけではないということだ。

モースル奪還作戦に向けて、KDPはトルコとともにヌジャイフィ前ニネヴェ知事を支援してきた。同氏はかつて反クルドの急先鋒だったスンニ派アラブの指導者だが、トルコとKDPの支援で独自の民兵組織をもつにいたった。三者の共通項は、イランの影響下にあるシーア派の人民動員隊が影響力を拡大することへの強い懸念だ。

ニネヴェ県の複数の戦線では、PKK・人民防衛隊(YPG)とKDPのペシュメルガがともに「イスラム国」と戦う局面があった。だが、シンジャールでは、「イスラム国」から解放されるや、親PKK派と親KDP派の対立が生じている。同じことがKDPとスンニ派アラブや他勢力間にも起きることは十分に考えられる。

世界の注目は「イスラム国」との戦いに集まっているが、トルコはPKKの拠点があるカンディールへの越境空爆を激化させ、イランの革命防衛隊はクルド勢力に対し、イラク側への越境攻撃を行っている。これに対してクルディスタン地域政府(KRG)は両国に対して断固とした対応を示すことができずにいる。

さらにマーリキ元首相とPUKの一部およびゴランの接近がKRGの混乱に拍車をかけている。

シリア北部における利害の構図

アサド政権とPYD・YPGの「取り引き」がたびたび指摘される。少なくともアサド政権にとって、PYD・YPGを軍事的に排除すべき優先度は低い。クルドにとって重要なのは自治の確立であって政権打倒ではないからだ。そこに双方の交渉の余地が生じる。アサド政権は、北部をトルコ軍および親トルコ勢力に支配されるより、クルド勢力に「とりあえず預ける」方が得策と考えるだろう。

アサド政権を支援するロシアもクルドを敵とはみなさない。2016年6月以降、トルコはロシアと協力する必要からアサド政権打倒のトーンを下げた。それでもロシアがトルコをけん制するためのクルド・カードを容易に手放すとは考えにくい。

トルコのシリアにおける軍事作戦

トルコ陸空軍と親トルコのシリア反体制派武装組織が2016年8月から開始した「ユーフラテスの盾」作戦は、国境地帯から「イスラム国」の支配地域を奪還し、同時に、クルドがユーフラテス西岸に勢力範囲を広げることを阻止するのが目的だ。

トルコ軍と親トルコ勢力は、ユーフラテス西岸からクルドが支配するエフリーンまでの東西およそ100キロの国境地帯を掌握した。エフリーンなどクルド支配地域への攻撃も行われている。2017年3月上旬時点で、作戦はなお継続中だ。

トルコの懸念——「民主的コンフェデレーション」

なぜエルドアン大統領は、自ら主導したPKKとの和平プロセスを崩壊させ、国内のクルド地域の抗議行動を武力制圧し、クルド政治家を大量逮捕し、イラク北部を空爆し、シリアに地上軍を投入するリスクを冒してまで人民民主党(HDP)・PKK・PYD・YPGを敵視するのか。一般には、大統領制への移行をめざすエルドアン大統領が政敵を次々と排除していくプロセスの一環と説明される。それに加えてエルドアン大統領が懸念するのは、「民主的コンフェデレーション」がシリアでかたちを取り始めた状況ではないだろうか。

「民主的コンフェデレーション」は、オジャラン党首が米国のアナーキスト、マレイ・ブクチンの影響を受けて、獄中から提唱した。PKKの実質的No.1であるジェミル・バイクによれば、「国境は否定しないが重要ではなくなる」、既存の秩序を超えたネットワークの構築だ。

「民主的コンフェデレーション」は現在、シリア北部でクルドが実効支配する3つの「自治州」からなる。これに、PYD・YPGが影響力を強めているアラブやキリスト教徒などの混在地域が「イスラム国」から解放された後の参加を表明している。

トルコの懸念——クルド・ベルト(PKKベルト)

クルド組織の中でPKKが異色なのは、活動地域も思想的にも汎クルドであることだ。PKKはクルドを内包する各国で反体制運動を展開する関連組織をもつ。シリアに安定的な拠点ができれば、カンディールからシリア北西のエフリーンまでPKKのネットワークが地理的につながる。

PKKの影響力が強いクルド・ベルトが形成された場合、PKKがKRGの内政に介入しない限り、KRGがPKKに対して軍事行動を起こす可能性は低い。KRGの選択肢は、実現性がどれほど低くても、トルコとPKKが和平交渉を再開するよう仲介役に徹するほかにないだろう。

国境地帯の今後

「イスラム国」の脅威が排除された後の覇権争いは、シリアでは「クルドの自治」の存続を軸に展開されるだろう。クルドは、支配地域を復興・運営する行政能力とトルコを含む対外勢力との交渉手腕を問われる。まずはシリアの将来の枠組みを決める国際的なプロセスに参加することが必要だ。米国や有志国、ロシア、KRGがどこまでシリア・クルドとトルコの仲介役としてコミットできるかが国境地帯の新秩序を構築する鍵となる。

イラクでは、ペシュメルガが展開している係争地の帰属やニネワ県の再編を巡って覇権争いが本格化する。前者では、クルド独立を問う住民投票も絡み、中央政府とKRGの対立が先鋭化する可能性がある。後者ではKRG、トルコが支援するスンニ派、イランを後ろ盾とするシーア派が覇を競う構図だ。いずれの場合もKRG内の覇権抗争にPKKを含む外部勢力がつけ込む恐れがある。

「イスラム国」との戦いで多くの武器と新しい武装組織が溢れている。武力の差が交渉の行方を左右しやすい環境だ。諸勢力と周辺国が冷静な協議を行うことのできる基盤を作ることは国際社会の責任でもあるだろう。

(かつまた いくこ/ジャーナリスト)


トルコ
人民民主党(HDP):親PKK。議会第三勢力だが、PKKとの関連で議員や党員らが大量逮捕。
クルディスタン労働者党(PKK):トルコの非合法武装組織。本拠地はイラク・クルディスタン地域のカンディール山。1998年までゴラン高原に拠点をもち、シリア出身のゲリラも多数。欧州にも強大なネットワークをもつ
クルディスタン自由の鷹(TAK):PKKから分派したとされる過激組織。都市部の大規模テロでたびたび犯行声明を出している

イラン
自由生命党(PJAK):PKKの姉妹組織で、イランにおける武力闘争を行う。本拠地はカンディール山とみられる
イラン・クルディスタン民主党(KDP-I):クルドのマハーバード共和国(1946年)を率いた同名政党の流れを汲む。昨年、イランでの武力闘争再開を宣言
自由党:クルド独立を目指す。ISとの戦いでは同党の部隊がキルクーク近郊の前線でKDPとともに戦っている

シリア
民主連合党(PYD):PKKにきわめて近い。内戦中に急速に台頭。オジャランPKK党首が提唱する「民主的フェデレーション」を目指す
人民防衛隊(YPG):PYDの武装組織として発足。ISとの戦いで戦闘能力を高く評価される
シリア民主軍(SDF):YPGを中核にアラブやキリスト教徒などを含む北部の武装組織連合。 ISとの戦いで有志国と連携
クルディスタン民族評議会:PYDとライバル関係にある既存の中小クルド政党の連合。武装組織は限定的。KDPの支援が頼り。PYDともに「最高評議会」を設立したが機能していない

イラク
クルディスタン地域政府(KRG):イラク北部のほぼ3県で構成されるクルディスタン地域の政府。ペシュメルガはKRGのペシュメルガ省に統一されているが、実働部隊はKDP系とPUK系に分かれているのが実情
クルディスタン民主党(KDP):KRGの最大与党。マスウド・バルザーニ党首
クルディスタン愛国同盟(PUK):ジャラール・タラバーニ前イラク大統領が病に倒れて弱体化が顕著に。PUKを離党した幹部が中心となって結成されたゴランと再接近して巻き返しをはかる。PKKとは協力関係を保つ。イランと関係が強い。マーリキ前首相にも接近

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。