イラク・クルディスタンの将来をめぐる議論

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.79

吉岡 明子

2017年3月29日発行

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  • イラクの自治区であるクルディスタン地域は。2014年以降、独立の希望を公言するようになっている。治安や経済的要因から早期独立は現実的ではないものの、長期的には独立へ動きだす可能性は十分にあり、少なくともイラク国家と一体化する方向へ動く可能性は極めて低い。それゆえ諸外国は、対イラク外交と並行して伏線的な対クルディスタン外交を構築している。

公言された独立の希望

イラク・クルディスタン地域はイラクの自治区であるが、2014年以降、いずれ独立国家になるという希望を公言するようになっている。それまでは、少なくとも公式には、あくまでイラク国家における自治区が自分たちの最終的な選択だという姿勢を取ってきた。

立場が変わった背景には、イラク戦争があった2003年以降、イラク政府とクルドの自治政府(KRG: Kurdistan Regional Government)の間で、域内の治安維持や天然資源の管理など、主権に関わる事柄において妥協が成立せず、常に緊張が存在してきたことがある。とりわけ2006~2014年のマーリキ政権期にはクルドへの圧力が強まったことで、イラク政府に対する反感が増した。そして、2012年には、スンナ派政党や一部のシーア派政党と組んでマーリキ首相(当時)の不信任案が話し合われたが、結局イランの介入で頓挫した。

この一件はクルドにとって、クルディスタン地域の利益を守るためにイラク政界においてクルドの立場を強化するという、従来の姿勢から変化する転機になったと言える。2014年の国民議会選挙においてマーリキの三選問題が大きな話題になっていたが、その際、KDP幹部は「首相候補はシーア派政党連合が決めることだ」と述べて、もはやクルドとしては中央政界人事へ影響力を及ぼそうという努力を諦めていることを明かした。代わってクルドが求めたことは、原油を輸出することで財政的に自立し、将来的に独立するか、それが難しいならば、イラク国家との連合(confederation)によって、「事実上の国家」に近い現状を公式に追認させることだった。

これが公の立場として表明されたのが、2014年央だった。過激派組織「イスラーム国」(IS: Islamic State)がモスルを含む広範な土地を支配し、イラク軍が雲散霧消したことによって、クルドは長年帰属が不確定だった係争地のほぼ全てを実効支配する機会を得た。これによって、一気に独立への機運が高まることになった。しかし、その後の情勢は、クルド自身もISとの戦闘に巻き込まれ、また、国際原油価格が急落したことで独自の原油輸出による収入も激減し、とても早期の独立を実現できる状況ではなくなっている。また、域内統治の問題もある。2015年以降、クルディスタン地域内部の政治対立が深刻化しており、第一党のKDP(クルディスタン民主党)がKRGの中核を成す一方、第二・三党のゴランやPUK(クルディスタン愛国同盟)は不満を強めている。それがイラクの中央政界における足並みの乱れに繋がっており、ゴランやPUKはKDPよりもイラク政府との協調姿勢をとっている。

ただし、それはゴランやPUKが、イラク・クルディスタンの将来像をイラク国家の中に描いているからではない。KDPの手に権力が集中する現状でクルディスタンが独立すれば、ますます現在の域内の権力構図を固定化することになるという懸念があるための行動である。すなわち、彼らにとってイラク政府やアラブ政党との協調は、対KDPの政治カードに過ぎず、長期的には独立か、あるいはイラクとの連合国家になる以外にクルドが目指す将来像はないという点は、すでにクルディスタン地域の共通理解となっている。

他方、イラクの政界においても、常にイラク国家の国益よりもクルディスタン地域の利益を優先するクルド勢力に対する風当たりは厳しく、もはやクルドはイラクにいらない、という意見が頻繁に聞かれるようになっている。すなわち、クルディスタン地域が独立したいのならば、イラク政府はそれを認める可能性が高いという観測が近年急速に増えている。その場合、帰属が定まっていない係争地をどうするのか、すなわち、クルディスタン国家の国境線をどこに引くのかという点が、最大の懸案として残ることが予想される。

各国の対KRG外交

すでに30カ国近い国がクルディスタン地域の主都エルビルに領事館や大使館分館を開設しているが、そうした外交団に特徴的なことは、KRGを外交的なカウンターパートとして扱っていることである。すなわち、対クルディスタン外交は対イラク外交の一環であると同時に、バグダードとエルビルの双方にパイプを構築し、伏線的な外交を行っている。というのも、KRGは、あくまでクルディスタンと外国政府との間で「二国間」関係の構築を求めているからである1

こうした伏線的な外交関係は、クルディスタン地域の独立を支持するものではない。政府として公の立場でクルディスタン地域の独立を支持しているのはイスラエルなどごく一部の例外だけで、国際社会の主要国はいずれも、あくまでイラクの領土的一体性を支持するという立場を崩していない。

だが、いずれイラク政府との協議を経てイラク・クルディスタン地域が独立国家になるという観測があることに加えて、少なくともクルディスタン地域が自発的にイラク国家と統合に向かうという可能性は極めて低いことは明白であり、そうした現状に対応する形で、各国は伏線的な外交を行っている。

イラク・クルディスタンを巡る地域情勢において、主権国家であるはずのイラクの存在感は薄い。例えば、2015年のシリア北部のコバニにおいて、ISとシリア・クルド勢力との攻防戦の最中、イラク・クルディスタン地域から軍事援助が行われた。この作戦に関係したのは当事者であるシリア・クルドとKRGの他、米国政府とトルコ政府だけであった。すなわち、イラクの国内から国外への軍事支援という問題であるにもかかわらず、イラク政府は決定に関与しておらず、対イラク外交の枠組みではカバーできない問題がすでに生じているという現実が存在している。

日本にとっても、長期的な視点に立った情報蓄積並びに人脈構築、すなわちクルディスタン地域の情勢をクルディスタン地域からフォローし、日本との関係構築とその深化を図ることが必要とされる時期にきていると言えよう。

(よしおか あきこ/日本エネルギー経済研究所中東研究センター)

脚注


  1. 欧米諸国の場合、在外クルド人ディアスポラが多く、彼らがロビー活動を行っていることでクルド問題への関心が高く、対クルディスタン外交を形成する効果を生んでいるという事情もある。

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。