途上国の人々は自由貿易をどう捉えているのか

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.28

佐藤 寛
2013年9月13日

PDF (952KB)

WTOドーハラウンドの成果と停滞
WTOドーハラウンドは、正式名称に「開発」を冠しているとおり本来貿易自由化交渉の過程で途上国の開発に最大限の配慮をすることが目指されていた。しかしながら、現時点では包括的な妥結への道筋は見えておらず、途上国の開発に対する配慮も十分に実現できていないという批判も聞かれる。

いわゆる発展途上国のなかでも、近年「新興国」として注目を浴びている国々はWTOに参加し、自由貿易の枠組みに組み入れられることでそれなりに利益を得ていると考えられる。しかしながら、途上国のなかでもとりわけ経済規模が小さく、産業の育成が十分でない後発発展途上国(LDC)は、様々な制度的条件をクリアしてWTOの枠組みに参加できたとしても、自動的に「自由貿易」のメリットを享受できるわけではない。それゆえに、WTO参加の見返りに特恵的・優遇的条件を得たり、輸出力の増強を図るための様々な支援(Aid for Trade)を得ることで、ドーハラウンドが唱える「貿易を梃子とした」経済発展を達成することを期待している。



実際、いくつかの「開発イシュー」が進展した。例えば、アメリカ合衆国における綿花補助金の削減は、途上国の競争力を相対的に高める効果があったし、LDC諸国を対象とする先進国の無税・無枠の市場アクセスの供与も輸出の可能性を増やした。またHIV/AIDSなど感染症対策の一環として、医薬品アクセスを高めるためにTRIPs 協定が改正(ジェネリック薬品の製造許可)されたことも成果といえよう。

しかしLDC諸国にとって、この程度では国内的な犠牲を払って自由貿易体制に参加する見返りとしては必ずしも十分でないという認識が強いように思われる。他方、WTOの関係者からは「LDC諸国は自らの利益になる部分だけを要求するフリーライダー的な存在になりつつある」という批判も聞かれる。


WTOパブリックフォーラムに向けて
本調査では、2013年秋にジュネーブで予定されているWTOパブリックフォーラムで中間報告を行い、①ドーハラウンド期間中にLDC支援として実施された諸措置とその効果の検証結果、② LDC諸国の人々はWTOをどのように捉えているのかに関する「人々の声」調査の結果について触れることを予定している。さらに、これらの調査結果を踏まえて、
a)今後の世界貿易システムにおける途上国の参加を促すためにはどのような取り組みが必要か
b)ドーハラウンド後の国際社会は、途上国の「貿易と開発」問題にどのように取り組むべきか
c)わが国の貿易政策が途上国開発に対する配慮を含むべきであるとするならば、どのような取り組みが必要か

といった諸点についても、政策提言を行いたい。


「人々の声」予備調査
2012年度は、自由貿易体制についての「人々の声」を集めるための予備調査を実施した(2013年2月~3月)。具体的にはWTO加盟のLDCのなかから、カンボジアとマダガスカルを取り上げた。両国を取り上げたのは、調査実施するためのネットワークをアジア経済研究所が有しているのと同時に、いずれも繊維産業に一定の進展が見られ、これは自由貿易体制との関連があるのではないかと考えられたこと、また農業が経済に占める比率もある程度あることから、LDCとしての代表性があると考えたからである。

「人々の声」調査のアイディアは、世界銀行が2000年に実施した“Voices of the Poor”調査に倣ったものである。本調査は世論調査的に人々の意識を「はい」「いいえ」の割合で捉える定量的な調査ではなく、途上国の生活者、生産者、(小規模)販売者などの「普通の人々」が、生活必需品や食料の売り買い、輸出・輸入をどのように考えているのかを人々の言葉で表現してもらうことを主目的としている。したがって、カンボジアとマダガスカルでは基本的に似たような調査項目を設定しているが、対象者の経済的階層、居住地、経済主体としての立場などによって聞き方を変えており単純に結果を比較することはできない。

今回の予備調査では、以下のような一連の問いかけを行った。①あなたの生活は5年前、10年前と比べてよくなったと思いますか、②日常生活に必要なもの(食料、衣料品、燃料など)は入手しやすくなりましたか、③日常的に必要なものをどこで買っていますか、④あなたが生産したものはどこで売っていますか、⑤国産品と輸入品、どちらが良いですか(食料、衣料、電化製品それぞれについて)、⑥あなたの国は輸出を増やすべきだと思いますか、他国との輸出競争に勝つためには何が必要だと思いますか、⑦輸入品(食料、衣料、電化製品それぞれについて)に関税をかけるべきだと思いますか、⑧先進国と途上国が貿易をするとどちらが得をすると思いますか。

調査方法としては対面インタビューと、10人程度のフォーカス・グループディスカッションを試みた。


消費者としては歓迎、生産者としては困惑
今回の対象者は比較的低所得者層が多かったことから、買い物をする場所は大半が「市場」であったが、カンボジアの農村部では品目によっては「スーパーマーケット」という人が現れ始めていることがわかった。また輸入品と国産品についての問いでは、マダガスカルでは「安ければ良い」という答えが一般的であり「輸入品であろうが、中国製であろうが、国産であろうが問題ではない」という答えが多かった。マダガスカルに限らず、現在のアフリカでは「輸入品」は「中国製品」が圧倒的であるが「中国製品」のイメージは一様ではない。「安かろう悪かろう」というイメージを持つ人もいれば、「中国製は国産に比べておしゃれ」というイメージを持つ人もいる。また「安い中国製品が流入したおかげで、国産できないものも入手できる」と評価する声もある。

一般に食料品については「国産の方が味がよい」という声はあるが、マダガスカルでは、良い品質のものを輸出に回して品質は劣るが安い輸入品を食べる羽目になっている、という認識が見られる。カンボジアでは養豚が盛んであったが、2010-11年にベトナムで豚の伝染病が発生し殺処分されたものの、それが安価でカンボジアに流入してカンボジア国内の豚肉価格が暴落したうえ、伝染病も蔓延したことから「農作物、家畜の輸入には関税をかけたほうが良い」という声があったことが興味深い。

また、カンボジアでは「先進国と途上国が貿易をすれば先進国が得をする」と考えている人が多かった。これが、貿易統計的に裏付けられるかどうかはさておき、人々がそのように「思い込んでいる」こと自体は事実であり、こうした「言説」は政策に対しても一定の影響力を持っていることを過小評価してはなるまい。

なお、本調査では両国の縫製工場労働者に対しても聞きとりを行う予定である。縫製工場での雇用は途上国では「自由貿易」のひとつの成果として捉えられがちであるが、人々がこの仕事をどのように捉えているのかを把握することには意味がある。さらに、本調査では途上国の貿易政策担当者にも、WTOや自由貿易に対してどのような観念を持っているかを聞く予定であるが、こうした政策担当者と庶民のとの間に何らかの「パーセプションギャップ」が見出せれば、それもあわせて報告したいと考えている。

(さとう ひろし/研究企画部長)



本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。