アジアにおける化学物質製品環境規制の影響

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.5

2012年8月31日

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近年、消費者の健康や安全、環境保護を目的とした製品環境規制の導入が先進国を中心に進んでいる。本稿では、製品環境規制の代表例であるEUのRoHS指令、REACH指令がアジアに与えるインパクトについて概観する。RoHS/REACH指令は、工場などでの環境汚染の低減を求める環境規制とは異なり、製品中の化学物質を規制する。特に、最終製品が規制を遵守することを求めるため、設計、原料、製造、輸送、消費、廃棄にわたるライフサイクルの段階で環境負荷の低減が求められ、サプライチェーン(SC)を通じた取組みを必要とする。EU向け輸出品は規制遵守を求められるため、他地域で導入された規制であるにもかかわらず、EUを仕向地とするアジア各国・企業も無縁ではいられない。さらに、アジアでは精緻な生産ネットワークが張りめぐらされており、1つの最終製品に関わる供給者が各国に立地していることが、対応を複雑にしている。そこで、これらの規制がアジア各国政策に与えた影響と背景、そしてSCを通じた企業への影響を概観したのち、総合的な展望を論じる。


1. アジア各国の政策への影響

2006年に電気・電子機器の有害物質の含有を規制するRoHS指令が施行され、各国でも同様の規制導入がすすんだ。同年日本で含有物質の情報提供や管理を求めるJ-Moss が実施されたほか、中国(2007年)、韓国(2008年)、トルコ(2009年)、アメリカ(2010年)、ベトナム(2012年)で同様の目的を持った規制やラベル要件が施行された。規制導入のリード役となったEUの政策導入の意図は、第一に、化学物質の著しい悪影響から地域の環境や健康を守る、第二に、規制政策を産業政策の一環ととらえ、規制を満たさない安価な製品を域内市場から排除することであろう。一方、追随した各国の意図は、第一に、自 国の環境や健康を守ること、また規制の厳しい市場に輸出できない製品が自国に輸入されるのではないかという懸念への対応、第二に、EUという大きな市 場への輸出を継続するためには、国内企業の対応を促す手段とすることである。結果的に、RoHS規制は、EUを重要な貿易相手国とする国々の規制を引き上げる圧力となった。市場規模が大きく、市民の環境規制に対する支持が高い国で導入された厳しい製品環境規制は、規制引き上げ競争(race-to-the-top)を引き起こしているといえよう。

健康や環境に良い規制が他地域にも広がるのは望ましいとも解釈できるが、課題もある。RoHS/REACH指令の導入には、EU各国が異なる規制を実施することで、域内に貿易障壁が形成されるとし、その状況を改善すべく域内に統一的な規制を実施した経緯がある。一方、アジア地域はEUとは反対方向に向かっている。例えば、各国版RoHSでは、規制引き上げ競争の波に乗り、各国がEU指令と同様の閾値を設定している。しかし、国ごとにラベルや記載内容等において、詳細は異なる。また、2020年までに化学物質の著しい悪影響を最小化するとの国際目標を達成するために改定や導入が進んでいる各国の化学物質管理・規制でも同様の現象がみられる。EUのREACH指令(2007年)が導入されたのち、日本の改正化審法(2010年)、中国の新化学物質環境管理弁法(2010年)などが制定されているほか、韓国も現在策定中である。今のところREACH指令のみが製品中の化学物質を対象とするが、他国でもより広範囲に規制されることもありうる。しかし、対象物質や検査方法、登録方法などがそれぞれ異なっており、アジアの化学物質規制は複雑化する様相をみせている。同じ製品を複数国の市場に供給する場合、国ごとに異なる規制対応が必要になる。また各国で規制の改定も行われるため、企業は規制情報収集と供給者への情報伝達作業に追われている。各国が導入するこれらの化学物質規制が技術的な貿易障壁とならないよう、各国が協調した取組みが不可欠だ。

2. サプライチェーンを通じた企業への影響

化学物質に関わる規制の企業への影響について、ベトナムやタイで行った企業ヒアリングからは、次のような状況が浮かび上がった。最終組立メーカー等 大手企業が規制情報を集めて供給者に伝達、遵守を支援する体制が整備されているSCに所属する企業は、遵守に問題はみられなかった。特に大手電機・電子メーカーは、各国の環境規制をクリアする水準の自社基準を示すグリーン調達マニュアルを供給者に配布するなどしており、供給者は規制情報の収集の必要に迫られていない。加えて、管理の厳しいSCでは、顧客が規制を遵守できる原材料を指定している。このため、供給者は自社の生産プロセスを管理すれば遵守が可能であり、顧客からの技術的な支援も受けられる。一方、組立メーカーにとって、供給者がコスト引き下げのために原材料を勝手に変更したり、決められた仕様を守れない場合、最終製品が規制を満たすことができないというリスクに直面する。このため、リスク回避の傾向が強い企業は、SCの管理を厳重にするため、供給者の数を減らす傾向がみられる。

SCに属さずに自社で輸出を行っている企業で規制対象となるような製品を製造している場合、規制の影響は甚大である。REACH指令などの規制内容を把握・理解し、対応のためにコンサルタントを雇用したり、製品検査などを行う必要があり、遵守コストが上昇している。特に中小企業ではこのような業務を担当できる人材も不足していることから、厳しい規制が課される市場への輸出を諦めるケースも見受けられる。これらの問題は、日本や韓国など裾野産業が発達している国の中小企業で特に深刻である。

3. アジア地域への影響

各国が規制引き上げ競争を通じて、厳しい製品環境規制を実施し、それに加えて企業がSCを通じた化学物質管理を適切に行うことで、厳しい環境規制を途上国で執行できる可能性があることは、これまでにはない規制実施のメカニズムといえよう。また、製品環境規制は環境負荷の少ない製品を製造する企業の競争条件を引き上げる役割も果たしており、影響は否定的な側面ばかりではない。しかし、規制の網と輸出競争からこぼれ落ちる国や企業がでてくる可能性にも目を向ける必要がある。貿易依存の高いアジア途上国で新規に輸出企業を育てていくことは、経済発展の鍵である。重要な輸出市場の製品環境規制遵守をしながら、後発国や各国の中小・零細企業が輸出し、成長してゆけるような支援が必要だ。

アジア各国は、自国企業支援を行っている。しかしそれだけでは十分とはいえない。SCがグローバルに展開している現状を踏まえると、各国の異なる規制 の遵守を容易にするような取組みがあれば、それはアジア域内のすべての国にとってWin-Winの解となりうる。アジア地域全体にとっての便益となるような、協調した各国の規制政策の策定について議論する時期がきている。今後もカーボンフットプリントなど、世界で製品環境規制が増えていくことが予想される。アジアはどう対応するのか。化学物質規制は、今後の製品環境規制への対応の試金石ともなりうるだろう。

(みちだ えつよ/新領域センター環境資源研究グループ)

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。