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香港区議会議員選挙――「想定外」の結果が示す中国の情報収集の弱点

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051514

2019年12月

(5,903字)

11月24日投開票の香港区議会議員選挙は、驚くべき結果となった。投票率は71.2%と、区議会議員選挙はもちろんのこと、香港のあらゆる大型の選挙で史上最高を記録した。

筆者は同日香港に滞在し、朝から各地の投票所を回った。「逃亡犯条例」改正反対に端を発し、6月の大規模デモ以来半年近く続く抗議活動のなかで、今回の選挙には当初から注目が集まり、盛り上がりはある程度予想されていた。しかし、至る所の投票所に、早朝から長い列ができる様子を実際に目にして、筆者は驚きとともに、感動を禁じ得なかった。明らかに、香港では人々の政治への「覚醒」が広がっていた。韓国・台湾・フィリピンなど、東アジアの各地で前世紀に発生した民主化の熱気は、あるいはこのようなものだったのかと想像をめぐらせた。

選挙結果も衝撃的なものであった。過半数を獲れるか否かが焦点とされていた民主派の議席数は、452議席中388議席と、なんと8割以上に達した。区議会は元来、親政府派の牙城であった。一区あたり平均人口1万人強のごく小さな選挙区ごとに、コミュニティの細かい問題を争点として争われる区議会議員選挙は、豊富な資金力で組織選挙を戦う親政府派に優位性があり、前回2015年には親政府派が7割近い議席を得ていた。民主派が区議会の多数派となったのは史上初めてのことである。

写真:投票所の外には、朝から大勢の人が投票待ちの行列を作った

投票所の外には、朝から大勢の人が投票待ちの行列を作った(11月24日、新界・屯門地区にて)
結果は想定外か?

事前に民主派のこれほどの勝利を予測した者はほとんどいない。何分、投票率があまりにも「異常」に伸びた。前回2015年の区議会議員選挙の投票率は47.0%で、これでも香港区議会議員選挙としては過去最高であった。デモ発生前であれば、多くの人々が「政治に関心がない」と評されてきた香港で、投票率が7割を越えることなど、誰も夢にも思わなかったと言っても過言ではない。

ところが、直前の情勢予測で、投票率7割近くを予想した者がいた。ネット上での議論を観察したビッグデータを元に予測を行っているメディア関係者の李鴻彦は、デモについてのネット検索や書き込みなどの状況を調べ、6月9日と16日のデモの前夜、参加人数をそれぞれ「75万人以上」「144万人に達する」と予想していた。今回の区議会議員選挙については、投票前日に香港のネットメディア「立場新聞」が報じた李鴻彦の予測のグラフは、明らかに「投票率70%」の可能性を示していた1。投票率が上がれば民主派有利が基本とされる香港で、これは事実上、民主派勝利の予測になる。

これほど鮮やかな予測ができなくても、少なくとも民主派が勝つと予想できるデータはいくらでもあった。香港民意研究所が行っている、「仮に明日選挙があったら、あなたは林鄭月娥行政長官に投票しますか」と問う世論調査は、10月には「はい」が11%台、「いいえ」は8割を超えるレベルに至っていた。同研究所の11月の調査では、デモの暴力化について、政府に大きな責任があると見る者は84%、警察は74%に対し、デモ参加者に大きな責任があると述べた者は40%に留まった。政党・政治団体への評価の調査も、デモ後に民主派が人気を得る一方、親政府派が嫌われる傾向を明らかに示していた。この条件下で、小選挙区制の普通選挙をやれば、常識的に考えて民主派の地滑り的勝利になる。後は民主派がどの程度勝つかという幅の問題、というところまでは、広く予想されていたところであった。

ところが、中央政府は事前には「親政府派勝利」と予測していたようなのである。『ニューズウィーク(日本版)』が報じたところによれば、『環球時報』や『人民日報』など、中国政府系の各メディアは、親政府派勝利の予定稿を用意して選挙結果を待っていたという。『チャイナ・デイリー』や『環球時報』は投票当日の報道でも、投票率の高さを「香港の混乱がこれ以上、続かないようにという市民の願いのあらわれ」だと主張し、予想が外れて民主派が勝利した場合の備えはほとんどなかったという2

実際、中国政府や香港の共産党系メディアは、選挙後は選挙が終わったとのみ報じ、選挙結果については沈黙するという状態に陥った。訪日中であった王毅外相は、民主派勝利の選挙結果について問われ、「香港が中国の一部であるという事実は変わることはない」という、明らかに回答にならない不可解な回答をした。

情報のゆがみ

そもそも、先述の李鴻彦のようなビッグデータを利用した社会の統制や監視は、中国政府の十八番と見られていたことではないか。香港の民間の学者がアクセスできるデータでも、デモの大規模化や投票率の上昇は予測できたのであるから、政府にも予測できそうなところである。それでも政府が誤ったのはなぜか。先述のニューズウィークの記事は、デモが長引くという失態を隠すために、中央政府の香港出先機関である中央政府駐香港連絡弁公室(中連弁)が、自分に都合の良い情報ばかりを上に報告して、指導部をだましていたと推測している。

これは筆者にとって既視感のある状況である。2003年、香港は返還直後からのアジア通貨危機に、新型肺炎SARSの流行が加わって、最悪の不況に陥っていた。そのようななかでも香港政府は、大陸で「邪教」とされて取り締まられた気功集団「法輪功」の香港での活動を嫌う中央政府の求めに応じて、「国家安全条例」の審議を拙速に進め、可決を目指した。これに対し7月1日、民主派は反対デモを発動した。デモは主催者側発表50万人(警察発表35万人)という巨大な規模になり、条例は廃案に追い込まれたほか、間接的に董建華行政長官の任期途中での辞任につながったと見られている。この時、中連弁は事前に「デモはあっても、規模はせいぜい3万人」との情報を指導部にあげていたとされる。当時の温家宝総理はデモ当日、午前中に返還6周年式典に参加し、午後は深圳に移動して香港のテレビでデモを見ており、情報と実態の違いに愕然としたと言われる。

こうした香港の事例に限らず、共産党政権下の中国の現代史には、上からの強い締め付けと、それに忖度する下からの歪んだ情報がもたらす、様々な問題の事例があふれている。共産党に批判的な勢力を「右派」と称して激しく弾圧した1957年の反右派闘争では、上からの右派摘発の「数値目標」達成のために、末端ではくじ引きで右派を選んだり、子どもを右派として報告したりしたと言われる。また、経済成長の極端な目標を掲げて国民を大動員した大躍進運動では、農村がノルマとして科された増産目標を達成したとの虚偽報告を上げた結果、それに見合う過剰な上納を上から要求されて困窮し、飢餓が蔓延した。これは巨大ピラミッド型組織の宿痾と言える。

問題解決を阻む構造的欠陥

そもそも、現在に至るまでのデモの長期化と対立の深刻化自体、中国共産党的な論理での不正確な現状分析が原因と思われる。

今回のデモはネット上で呼びかけられ、計画が議論され、そして決行されているというのが常識である。全体を統括する特定のリーダーはおらず、行動の形式も臨機応変に変わる。これに対し、中国政府はこのデモの背後に隠れた指導者がおり、彼らは米国の指示に従って動いていると考えている。2014年の雨傘運動は、路上に設置された「大台(メイン・ステージ)」に、学者や学生リーダーなどの指導者が上がって運動を率いようとしたが、彼らが他の参加者の反感を買うことで弱体化し、運動終了後には「大台」の者たちが集中的に刑事責任を問われた。このため今回も、中央政府は「大台」を叩けばデモを崩壊させられると信じているようであり、共産党寄りの新聞では、実は誰が「大台」であったというような「調査報道」や、彼らが外国人と接触していたとされる「独自報道」が繰り返されている。

しかし、8月18日に共産党中央政法委員会が名指しして激しく非難した、香港に災いをもたらす「四人組」とは、返還当時の香港政府ナンバー2の政務長官から後に民主派に転じた陳方安生(アンソン・チャン)、天安門事件以来の民主派で、民主党初代主席の李柱銘(マーティン・リー)、中国の民主化を求める組織「支連会」のリーダーで、民主党元主席の何俊仁(アルバート・ホー)と、共産党に批判的な新聞『蘋果日報』を返還前に創刊したオーナーの黎智英(ジミー・ライ)という、最年少でも67歳の古株の民主派である。彼らが、11月30日までに逮捕された5890人のうち、約4割の2345人が学生(うち910人が未成年であり、最年少は11歳)という、今回の若い運動の指導者であるはずがない。それにもかかわらず、上からのストーリーが「隠れた指導者」論である以上、中央政府のために香港情報の収集にあたる学者たちはそのラインに沿って情報収集と分析を行い、香港政府はこれに合わせて行動せざるを得ない。8月30日、香港警察は雨傘運動指導者の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)と周庭(アグネス・チョウ)のほか、多数の民主派立法会議員や活動家を逮捕した。北京の目には、香港がついに「大台」をあぶり出したと映ったかもしれない。しかし、これでデモは勢いを失うどころか、翌31日の無許可デモは大規模に行われ、激しい衝突に転じた。

香港の学者・葉蔭聡は、共産党政権の情報収集の仕組みの問題点を10月6日の香港紙『明報』で一気に指摘している。すなわち、政府に提言する立場にある中国の学者は、所属部門の指導者からクリーンであることを求められるため、香港とのコネクションが深い者は逆に外される傾向にあり、多くは広東語もできない。一方、香港の学者が中国国内の学術会議に出るためには、2年前から(恐らく政治的理由で)中国側で上の許可が必要になったという。こうして、まともな学者が排除される一方、政策提言は、香港に少し留学した経験があるという程度の大陸の若い学者が、簡単な短文を書けば多額の「研究資金」を得られるという、小遣い稼ぎの手段に堕す。こうした「内部参考」とされる提言自体も、上に忖度するため、民主派寄りのメディアの情報を避けて、共産党系の香港メディアの情報を引用する傾向が強まっている。こうして、ひたすら自分たちで作った都合の良い情報が共鳴して、濃縮されていくのだという。

2003年の「50万人デモ」以後、中央政府は香港情報収集の体制の問題に気づき、大量の「学者」を香港に派遣して、各界の者と接触して情報収集を試みた。民主派も彼らの情報収集の対象であり、当初はこれに積極的に応じ、北京の対香港政策策定を助けようとした者も多かった。しかし、そのなかの一人であり、香港中文大学で香港と中国大陸の社会学を研究してきた陳健民は、2013年2月、中央政府との絶縁を宣言する。彼は2003年以降10年にわたり、中央政府の「仲介者」とされる大陸の学者たちに対し、普通選挙についての提言を繰り返してきた。しかし、それは全く聞き入れられないまま、繰り返し訪れる学者たちに同じことを話す羽目になった。これは時間の無駄であり、普通選挙を待つのももはや限界であるとして、彼と仲間の10名の学者は、今後一切大陸の学者と会わないと宣言した。陳健民はその後、民主化要求の「セントラル占拠運動」の発起人の一人、そして雨傘運動の中心的人物となり、現在は獄中にある。

情報収集の問題点には、温家宝が2003年に驚愕したように、現在の北京の中央政府も気づいているとも言われる。中国取材経験豊富なメディア学者・呂秉権は、中央政府指導者が実は直接香港のテレビを視聴できる機械を北京で設置して自ら見ていると、10月23日付『明報』に書いている。それでも、現在の情報収集の構造的欠陥を乗り越えるのは難しいであろう。批判を受け入れるとの毛沢東の約束に呼応して、1956年からの「百花斉放・百家争鳴」運動で共産党批判を行った知識人が、翌年からの「反右派闘争」で返り討ちに遭った歴史からも、直言がリスクを伴うことは明らかである。

写真:仲間の民主派候補の応援をしているアグネス・チョウさん

仲間の民主派候補の応援をしているアグネス・チョウさん(11月24日、香港島・田湾地区にて)
タイム・リミットが迫る

選挙の結果は、北京の香港ストーリーの誤りを暴露してしまった。これまでの半年間の対香港政策に修正がなければ、香港の問題が解決しないことは明らかであろう。

もっとも、今回の選挙はあくまで実権の少ない区議会のものであり、結果が直接香港政治に与えるインパクトは限定的である。しかし、現状がこのまま続くと、北京にとってはとんでもない問題が来年以降発生する。来年9月には立法会議員選挙がある。制度設計上容易ではないものの、ここで万一民主派が過半数を得れば、あらゆる法律が民主派主導で制定されることになる。これは民主派の目からは「革命」の成功、北京から見れば香港の「独立」になってしまう。

中央政府は何とか急いで現状を変えねばならない。習近平国家主席も、香港の暴力停止を最も「緊迫した」任務とまで称した。しかし、デモに対して強硬策をとれば、「香港人権・民主主義法」を成立させた米国が動くであろうし、妥協策をとれば、今度は「一部の暴徒」論を信じ、強硬策を支持する中国国内の世論が動揺する。

区議会議員選挙の後、暴力的なデモは一段落している。しかし、政治課題が困難さを増すのはむしろこれからである。

写真:激しい衝突の現場となった香港理工大学。外壁や歩道橋が焼け焦げ、落書きがされている

激しい衝突の現場となった香港理工大学。外壁や歩道橋が焼け焦げ、落書きがされている(11月22日)
写真の出典
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著者プロフィール

倉田徹(くらたとおる) 立教大学法学部政治学科教授。博士(地域研究)。専門は中国・香港政治。アジア経済研究所編『アジア動向年報』の「香港」を担当(2015年~)。著書に『中国返還後の香港』(名古屋大学出版会、2009年、サントリー学芸賞受賞)、共著に『香港』(張彧暋と共著、岩波新書、2015年)、編著に『香港の過去・現在・未来』(勉誠出版、2019年)など。

書籍:中国返還後の香港

書籍:香港の過去・現在・未来