zimbabweTongaat Hulett トンガート・ヒューレット

アフリカ成長企業ファイルは2008年度~2009年度に実施した調査事業の成果です。

会社概要と沿革

トンガート・ヒューレットは農産品加工ビジネスを行っており、それには用地管理、土地開発および農業などの要素を統合したものが含まれる。

トンガート・グループはエドワード・サンダースとWJマーリーズとの間のパートナーシップから発展した会社で、その歴史は1875年に遡る。1892年9月7日、そのパートナーシップは南アフリカのプレトリアでトンガート製糖株式会社として法人化された。1969年から1970年の間に同社は事業を多角化し、トンガート・グループに改称した。

ヒューレット社の始まりは1850年代で、Sir J L Hulett and Sonsとして1892年に法人化され、その後社名をヒューレット製糖株式会社、ヒューレット株式会社に変更した。1962年、アングロ・アメリカン社がトンガート・グループの最初の株を買収した。アングロ・アメリカンは、トンガート・ヒューレットグループ(THG)への投資を維持し、1998年以降THGの50%以上の株を保有している。

多くの南アフリカ企業と同様に同社は、アルミニウム、建築資材、消費者向け食品、綿、食用油、産業用および商業用ケータリング、キノコ、砂糖、農地開発、澱粉・グルコース、繊維、運送業において権益を持つ多角的な産業事業体であった。しかし1990年代初頭からはいくつかの事業から撤退、農産品加工ビジネスと優良農地保有との間に存在する相乗効果を生かす事業に特化した。

トンガート・ヒューレット・グループの戦略見直しは、2006年のヒュラミン社のヨハネスブルグ株式取引所(JSE)への上場提案で結実した。これは、2007年にヒュラミンを2つに分割して上場させるというものであった。2つの会社とは、用地管理、土地開発および農業などの要素を統合した農産品加工ビジネスを専業とするトンガート・ヒューレット(TH)社と、アルミニウム圧延や押し出し成形、その他の半組立て、仕上がり品などを行うヒュラミンである。

これは、ヒュラミン株の50%をTHG株主に分割した直後のヒュラミンのJSE上場によって実現した。それと同時に、THとヒュラミン両社に広範囲のBEE(Black Economic Empowerment)資本が導入された。これによってトンガート・ヒューレット・グループの名称が変わり、トンガート・ヒューレット株式会社となった。

トンガート・ヒューレットはヨハネスブルグ株式取引所(JSE)に一次上場しており、それは1952年に遡る。ロンドン株式取引所には1939年から二次上場している。トンガート・ヒューレットは南アフリカ、ボツワナ、ナミビア、スワジランド、モザンビークおよびジンバブエの6カ国の約25箇所で35,000人以上を雇用している。

ジンバブエは、南部アフリカ地域では最も低コストの砂糖生産国として知られている。ジンバブエの砂糖事業はトライアングルとヒッポバレーの農場で行われていて、双方併せ600,000トンの砂糖製粉能力がある。

ヒッポバレー農場は柑橘類栽培の農場として1956年に設立され、3年後の1959年にサトウキビ栽培に拡大した。ヒッポバレーの果物缶詰は、1970年代まで南部アフリカ地域全体に輸出されていた。1975年には砂糖プランテーションに水を引くための灌漑計画を始めた。2006年、アングロ・アメリカンは、トンガート・ヒューレットのジンバブエ事業部であるトライアングル・シュガーにヒッポバレー農場の50.4パーセント株式を売却した。

トライアングル社は農業主体の砂糖会社で、トンガート・ヒューレット・グループの100%子会社であった。マーレイ・マクドウガルとトム・ドゥヌザが牧牛業のために1919年に設立したが、第一次世界大戦後の不況で、1920年代後半に農作物生産に乗り出した。主要な農作物は小麦であったが、1934年には18ヘクタールの灌漑農場でサトウキビ栽培を開始した。1939年9月11日、ジンバブエで最初の砂糖加工工場がトライアングルで開設されている。さまざまな問題から1944年に政府が経営することになったが、1954年に南アフリカのナタール・シンジケート社がトライアングルを購入、1957年にはナタールでビジネス・コンソーシアムを運営していたガイ・ヒューレットが引き継いだ。これがトライアングルとトンガート・ヒューレットの関係の始まりとなった。トライアングルの拡大は1960代初頭に始まり、サトウキビの灌漑用の水貯留および輸送インフラの開発を行った。

国内の所在地

トライアングル社は、首都ハラレの南東445 kmにあるジンバブエの南東低地草原地帯に位置する。ヒッポバレー農場は、トライアングル農場と隣接するジンバブエ南東のチレジにある。

製品・サービス

南部アフリカにおける砂糖と澱粉事業の一環として、トンガート・ヒューレットは、サトウキビとトウモロコシから精製された炭水化物生成物を生産している。

1ヘクタール当たり58.9トン、総計15,732トンのサトウキビが、トライアングル社との合弁であるムクワシネ農場から出荷されたが、前年実績(18,940トン)に比べ17%の減少となった。ムクワシネ農場の契約栽培農家は、2007年には2,376ヘクタールから138,448トンを出荷したが、2008年には2,100ヘクタールから81,808トンの出荷に留まった。平均生産高はそれぞれ1ヘクタール当たり39.0トンと58.3トンであった。

ジンバブエ・チレジ・サトウキビ農民協会(CSFAZ)、およびジンバブエ・サトウキビ農民協会(ZCFA)傘下の商業農家用栽培者から構成されているヒッポ・製粉グループから、1ヘクタール当たり53.0トンの平均生産高で総計119,024トンのサトウキビが出荷された。2007年に1ヘクタール当たり48.8トンのケインの平均生産高で185,533トンを出荷したのと比べて、38パーセントの減少となった。

従業員数

ジンバブエで8,000人が働いている。

財務情報

ジンバブエの砂糖事業は現在、トンガート・ヒューレットの財務表に統合されている。この統合はジンバブエが米ドルおよび南アフリカ・ランドを通貨とする経済に移行したときのマクロ経済変化に伴っており、これでファンダメンタルズを回復した。国際財務報告基準に則った会計処理上では、この事業統合で1兆9,690億ランドのバランスシート上の利益が出ている。

ジンバブエにおける2009年前半の事業利潤は3億500万ランドであった。ちなみに、2008年の配当は3500万ランドであった。

Zimbabwe: Group results

市場シェア

トライアングル社はジンバブエにおいて最大の砂糖生産者であり、ヒッポバレーは二番目の生産者である。

事業目的

「すべての株主に価値を創造することは、会社が運営される社会的および物理的環境に対し持続可能で、意義ある貢献である。高い優先度は、安全、健康および環境のあらゆる観点に置かれる。」 ジンバブエにおけるトライアングルの目標は、ジンバブエ低地の草原地帯において砂糖生産を拡大し続けることであり、トンガート・ヒューレット・グループおよびジンバブエの成長に向かって貢献することである。

ビジネスモデル

「前世紀からトンガート・ヒューレットは、南部アフリカ地域において確固とした基盤をもつ主導的な大規模農産物加工業者として、地位を確立している。食品の需要は世界中で増大しており、再生可能エネルギーは農業に対し新しい側面を導入しており、農業貿易体制はアフリカおよびEUが貿易ブロックとしてより身近に移動してきており変化しつつある。このように、アフリカにおける拡大および成長機会が現れてきている。トンガート・ヒューレットは、これらの機会を利用するために確固としたビジネス基盤と規模を有している。

「農業、土地、水、農業加工、食品およびエネルギーの社会経済および政治のダイナミックスの経営に成功するためには、ビジネスの統合が必要である。事業を行っている地域においてトンガート・ヒューレットが成長し発展するためには、地元のコミュニティと政府、従業員との信頼できるパートナーとしての関係を確立することが必要である。南アフリカにおける25%のBEE資本参加と、定住地要求問題の解決における関わり、モザンビーク砂糖事業を確立する際のモザンビーク政府とのパートナーシップ、ジンバブエのサトウキビ栽培農家の立場を確固たるものにするためのプログラムは、その地域への理解の深さと関係の広さを物語っている。」

「一体化したビジネスモデルには、土地と水の管理、農業、農業加工と土地開発への移行、および適切な時期でのその他の利用などが含まれる。トンガート・ヒューレットは、土地利用頻度の各種段階を通して、買収、農業および農業加工から土地開発への移行までを通し価値を最大化することができる。この注意深く管理されたプロセスは、引き続きトンガート・ヒューレットの保有農地の価値を高めることができる。」

ジンバブエにおける極度に困難な状況下でのトンガート・ヒューレットの戦略は、インフラおよび技術基盤を維持するよう徹底し、できる限りこれらの運営を管理することである。さらに、契約栽培農家の生産を以前の水準まで再構築することが強調されている。

株主・所有権益

トライアングル・シュガー社はトンガートの100%出資会社であり、ヒッポバレー農場はトンガートが50.35%を所有している。ヒッポバレーおよびトライアングルはムクワシネ農場の同率株主である。

政府との関係・社会貢献

ムガベ大統領の政府が、土地を持たない黒人の再定住のためサトウキビ・プランテーションを含め白人所有の商業農場の没収を開始した2000年以降、ジンバブエの砂糖生産は60万トンをピークに下降傾向にある。

ジンバブエは、トンガートが国内市場用に十分な量を生産していた事実にもかかわらず、6年間にわたって深刻な砂糖不足状態にある。政府高官による密輸や、砂糖価格を自由化することに対する政府の拒否は、地元市場で生産物を入手するのを難しくしている。いわゆる退役ゲリラや上級公務員、および警官を含む与党ZANU-PF支援者の多数は、2000年の農場侵入の最中にサトウキビ農地を占拠したが、作物生産ができないため土地を放棄してしまった。

2008年の当社の砂糖生産は、2007年の生産量349,000トンから減少して298,000トンだった。事業は、とりわけハイパーインフレの影響と為替レートの動き、外貨不足および価格統制の問題と戦わねばならなかった。契約栽培農家の土地問題によりもたらされたサトウキビ供給の減少に加え、スペアパーツや燃料の不足で生産がストップした。精製砂糖およびアルコールの生産レベルは、2ヵ所の砂糖工場におけるエネルギー不足で大きな影響を受けた。1980年以降、ジンバブエでは砂糖生産施設でアルコールを生産している。ジンバブエでは、トンガート・ヒューレットのモザンビーク事業がそうであるようにACP諸国の一員としてヨーロッパ市場での特恵待遇を享受している。しかしながら2008年の地元市場の販売価格は、世界レベルおよび地域レベルを大きく下回った。

ジンバブエの土地改革プロジェクトは、資材の欠如、運転資本の不足、サトウキビを育成・収穫するための新規入植者に対する金融やトレーニングの不足を抱えて着手された。結果として収穫量は38%も減少し、契約栽培農家の72%が減産となった。農薬、スペアパーツ、外貨の不足は会社と契約栽培農家双方にひどい悪影響を及ぼしている。契約栽培農家の農地のリハビリに着手はしたものの、マクロ経済環境の悪化のためこれといった進展はみられなかった。

マクロ経済状況が改善するとしても、約15,000ヘクタールの契約栽培農家の復興には3年から4年を要すると思われる。この復興のためEUの資金援助にアクセスしようとしている。ジンバブエには4500万ユーロが割り当てられ、その多くはEUとジンバブエ政府の監督の下、会社が設立したサトウキビ農地基金を通じて提供される予定だ。

同社はムクワシネ農場に関して政府と係争中である。自給自足農民が会社所有地の90%に許可なく住み着いているからである。2004年にムクワシネの所有地の一部が、土地改革プロジェクトの一環として政府による没収リストに組み入れられたのである。

現在598ヘクタールのみが経営パートナーであるヒッポバレーとトライアングル・エステートの管理下にあり、4,283ヘクタールのムクワシネ・サトウキビ農地はCSFAZの契約栽培農家の管理下にある。ムクワシネの中核農場は規模を縮小したにもかかわらず、契約栽培農家に対してエクステンション・サービスを行うため雇用規模は維持している。

与党Zanu-PFと野党MDCとの間で署名された2008年の包括的政治協定によって連合政府が作られたことで、マクロ経済のファンダメンタルズには改善の兆しがもたらされた。価格統制の撤廃、外貨による入札、外国為替自由化、国際収支支援、外国直接投資の流入は、経済の回復を刺激すると期待されている。

現在政府は、生産性向上と輸出拡大のため、国家農業新政策を展開中である。

製品開発

2008年にトンガートは、ジンバブエ・インフラ開発銀行(IDBZ)、トライアングル・エステートおよびロイタ・キャピタルと、トクウェ・ムルコシ・ダム建設のため最初の協定に署名した。トンガートは事業用にこのダムの水を使用したいと考えている。トクウェ・ムルコシ・ダム・プロジェクトについては10年間検討されてきたが、外貨不足のために実現しなかったものである。建設はまだ開始されていない。

さらに、トンガート・ヒューレットの2つの製粉工場に約7000万ランドが投入される予定である。また、製粉工場までのサトウキビ輸送能力を拡張するため、さらにR7500万ランドを投入する。