成長と公正の両立を求めて ——新しいブラジルの経験を中心に——

2013年11月18日 (月曜)
国連大学 ウ・タント国際会議場
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主催:ジェトロ・アジア経済研究所、世界銀行、朝日新聞社

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基調講演1 成長と公正の両立の可能性:ブラジルの最近の経験から

Otaviano Canuto  世界銀行開発経済総局上級顧問(BRICS担当)

ブラジルは中間層が拡大すると同時に、貧困層、特に絶対的貧困層が縮小している。その結果ブラジルのジニ係数は、いまだ国際的には高水準とはいえ、過去15年で大きく縮小している。その主な背景として、雇用の増加(および特に非熟練労働者の賃金上昇)、人口動態の変化(女性の労働参加も含む)、法定最低賃金の積極的な引き上げ、政府による所得分配政策の4点が挙げられる。ラテンアメリカの所得不平等改善に関する寄与率をみると、時間当たりの労働所得増加が45%、所得移転が14%と大きい。特にブラジルでは前者が54.9%、所得移転が12.2%を占めている。

貧困や所得格差の改善に貢献した政府の取り組みとして、インフレ抑制をはじめとしたマクロ経済の安定、教育や医療への国民のアクセス拡大、条件付現金給付政策(Conditional Cash Transfer、以下CCT)など社会的セーフティネットの構築が挙げられる。CCTはカルドーゾ政権時代をルーツに持つもので、ルーラ政権により食料給付などを加え、「ボルサ・ファミリア(家族給付金)」として拡充されたものだ。同制度は費やされる予算に対してその波及的効果(Spill over)の大きさが認められている。予算規模としてはGDPの0.4%程度であるが、その波及効果として、起業意識の高まり(貧困層と中間層では消費パターンが違うため、貧困層の中間層への引上げが新たなビジネスチャンスを生んだ)、若年層の都市犯罪の減少、未成年女子の妊娠抑制、エイズ対策、食料価格の高騰などのショックへの貧困者の耐性向上などが挙げられる。

課題としては、競争力に関するマイナスの影響が挙げられる。つまり、所得の増加で需要は増えるが非貿易財であるサービス価格が上昇し、結果的に供給サイドのコスト上昇圧力を生む。また労働者賃金の上昇は労働生産性の低下を生み、産業の競争力が低下する。この課題に対処するためには、ビジネス環境を改善し民間資金を活用しつつ投資を促進するなど、水平的な取り組みが必要になってくる。つまり、これまで国内消費を重視してきたブラジルの成長モデルは寿命が来ており、新しい成長モデルを生み出す必要性に迫られている。

Otaviano Canuto(世界銀行開発経済総局上級顧問(BRICS担当))

Otaviano Canuto
世界銀行
開発経済総局上級顧問(BRICS担当)

基調講演2 ブラジル経済の最近の動向および傾向

Paulo Mansur Levy  ブラジル政府・応用経済研究所IPEA主任研究員

2004年~2010年の経済成長の要因を分析すると、第1に、2003年のルーラ政権発足時、政権交代で左派政権が成立したことにより政策の継続性が疑われたため為替などの金融指標が大きく下振れしたが、実際にはルーラが前カルドーゾ政権からの継続性を堅持し、保守的な財政政策・金融政策を採ったことにより信用が回復した。第2に、同期間における世界経済の拡大やコモディティ価格の上昇など、外部環境が有利であった。第3に、年金や給与天引き型ローンなどの国内制度の改革が進んだ。

GDP成長の原動力となるのは、産業ではサービス業、需要サイドでは個人消費が挙げられる。輸出は2005年までけん引要素であったが、それ以降は勢いを失った。個人消費の増加要因は、雇用の改善(正規雇用の拡大)、法定最低賃金の引き上げ、ボルサ・ファミリア、融資増加などである。2008年のリーマンショックをきっかけとした外部環境の悪化、つまり世界経済危機発生後の状況をみると、政府は財政支出や公共投資の拡大で対応したが、インフレ上昇に直面して2010年以降は支出を抑制する傾向にある。また、産業政策や公的金融機関による積極的な融資なども行ったが、2011年以降、経済成長は減速した。このことは、それまでの個人消費に依存した経済成長が限界にあることを示している。なぜなら家計の債務比率は上昇しており、供給サイドもインフレなどで生産コストが上昇し、需要に対応できない状況となっている。ブラジルでは生産性が低下しており、外部環境も十分な回復を見せていない。

ブラジルは今、構造的な課題に直面している。一つは労働生産性の問題で2000年代の生産性上昇率は低く、2011年以降はさらに低下している。これは、主に全要素生産性(TFP:Total Factor Productivity、労働や資本の量的増減ではなく、技術進歩や生産効率の変化がもたらす生産性)の低迷による。加えて2011年以降は投資(特に公的投資)も減速している。GDPに占める投資や貯蓄率も低く、外部資金への依存が強まっている。さらに今後は労働者の質の問題(すなわち教育)に加え、人口ボーナスの終了と高齢化(2020年以降は従属人口比率の増加予想)が社会保障費の増大と赤字の拡大をもたらす可能性があり、財政問題も大きな課題となっている。

Paulo Mansur Levy(ブラジル政府・応用経済研究所IPEA主任研究員)

Paulo Mansur Levy
ブラジル政府・応用経済研究所IPEA主任研究員

基調講演3 25周年を迎える市民憲法:新しいブラジルの足跡と課題

Mauricio Soares Bugarin  ブラジリア大学経済学部教授

1988年市民憲法は20年以上に及ぶ軍事体制の後に憲法制定議会が起草したもので、ブラジル社会の権威主義体制へのトラウマを色濃く反映している。それ故に言論の自由、宗教的信条、政治思想などの強固な擁護が盛り込まれている。さらに国家が取り得る恣意的な行為から市民を入念に守り、教育、公衆衛生、社会保障などの重要な社会権を確立している。このような特徴が「市民憲法」と呼ばれている所以である。同憲法は、それ以後のブラジルにおける政治闘争のルールを定めるとともに、検察庁の設置や行財政の分権化、大規模な公衆衛生制度SUS(統一保健医療制度)の創設、貧困層向けの社会保障、すべての競争的で能力に基づく公務員の選抜採用試験など、制度定着の基礎となる非常に重要な制度も確立している。

2013年6月の街頭での抗議デモは、6月2日のサンパウロ市バス料金の値上げをきっかけに全国に広がった。デモの要求は公共交通機関の運賃値下げから公共サービスの質的改善要求、汚職の撲滅、2014年に開催されるワールドカップ用サッカー競技場の高額な費用への批判まで、非常に多様であった。抗議デモを背景に、数週間で憲法修正案37(1988年憲法により新たに創出された検察官(Public Ministry)の活動範囲を制限することを目的としたもの)が議会で否決、さらにワールドカップのインフラ予算の削減を投票で決定、「サブソルト」石油生産からの収益を教育と保健医療の支出のみに使用する法案などが可決され、議会の審議のスピードアップがみられた。ブラジルの抗議デモは過去の例をみれば、歴史的に重要なタイミングで起きている。

今回の抗議デモの説明として一致した見解はないが、いくつかの解釈を紹介する。第1にMachado, Scartascini, Tommasi(2011)はラテンアメリカにおける街頭抗議を研究し、制度が定着しているところでは、アクターは制度化されたアリーナを通じて政治過程に参加する傾向が強く、制度が脆弱なところでは、抗議デモなど異例な参加手段の方が訴求力は高くなると結論付けた。換言すれば、市民が制度の有効性、特に政治的代表性に疑念を抱く場合、ブラジルでそうであったように市民は変化を推し進めようと街頭に出ることになる。第2に、カルドーゾ元大統領は2011年に出された先行文献において、電気系統と同様、社会は絶縁を破った電線がいつでも予期せぬ短絡(ショートサーキット)を引き起こす恐れがあり、実際に電気系統の保守点検を長期間怠った場合、短絡を起こすという理論を説明している。第3に、Francis Fukuyamaはブラジルでの抗議デモを「中間層革命」と捉え、より一般的で広がりのある現象の発現として分析し、以下のような明確な論点を指摘した。いくつかの国では新しい中間層が現れてきており、その中間層は学歴が高く、政府や倫理行動への要求が強く、市民権の定着に熱心である。しかし、ブラジルではこのような新中間層の多くが、実際には脆弱で容易に貧困層へ再び転落する恐れがあるため、物価上昇を強く嫌う傾向にある。今回の抗議デモは、公共政策の効果的で倫理的な取り組みに対して、新中間層の期待が膨らむ一方、政府がそれに応えられなかった結果とみることもできる。

結論として、批判はあるものの、ブラジルの抱える問題に対処してきたカルドーゾ、ルーラ、ジルマ・ルセフ3人の大統領の功績は大きいと考える。しかし所得拡大と教育の改善は、政府の政策選択をより注意深く観察し、公共財へより高い要求をつきつける新しいタイプの市民を生んだ。新中間層の出現により、ブラジルの指導者は新たなミッションを担うこととなった。それは、「新しいブラジル」から「より新しいブラジル」へと国を導く必要性だといる。

Mauricio Soares Bugarinブラジリア大学経済学部教授

Mauricio Soares Bugarin
ブラジリア大学経済学部教授

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