開催報告

国際シンポジウム

21世紀の経済発展における政府の役割とは?

基調講演1「21世紀における国家と開発主義」
ベン・ファイン 氏 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院経済学部教授

ベン・ファイン 氏 <br> ロンドン大学東洋アフリカ研究学院経済学部教授
ベン・ファイン 氏
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院経済学部教授
1.イントロダクション

この講演は、金融化(financialisation)と新自由主義(neo-liberalism)、そして両者の関係について考えることから始めます(2節)、つぎに、それらが開発に対して及ぼしてきた影響を、開発国家と産業政策という観点からそれぞれ検討します(3節、4節)。さらに、広告の役割と広告がどう理解されているかを検討しつつ、そのアナロジーにより援助と開発について考察し(5節)、最後に、日本の援助政策に対する含意について触れたいと思います。

2.金融化と新自由主義 (Financialisation and Neo-Liberalism)

まず2つのパラドックスを紹介することから始めたいと思います。第1のパラドックスは、現在の経済危機の性格にかかわっています。根底的な物的条件からみれば、世界経済の可能性は、戦後ブームに比べれば成長が鈍っていた1970年代以降の30年間についても、実は強かったと思われます。たとえば、科学技術の広範な展開による生産性の増加、そして中国の市場経済化や女性の労働市場参入による労働力の大幅な増加です。それにもかかわらず、なぜ経済成長は鈍化し危機が起こったのでしょうか。

第2のパラドックスは、現在の世界危機への対応にかかわっています。今回の危機により、国家介入を否定的に捉え、市場を最重視する新自由主義は、痛打を浴びました。しかし、国家の返り咲きは限定的で、ケインジアンの黄金時代とは比べるべくもありません(とくに欧州では、厳しい財政支出カット策が展開されています)。
これらのパラドックスをどう理解すればよいでしょうか? 第1のパラドックスについては、私は金融化に注目します。この比較的新しい概念の定義にまだ定説はありませんが、重要なことは、過去30年における金融の規模、多様化そして影響の拡大であり、そのことは、根底では強い条件のあった実体経済の犠牲により起こってきたと考えられるのです。

金融化はまた、第2のパラドックスについても鍵となります。過去30年間に、国内的にも国際的にも進行した金融部門の強大化と制度化は、政策を創案し実施する国家の能力を変容させるほどの影響がありました。たとえば、公的部門があった領域ではそれは縮減され、他の領域ではそもそも公的部門に依拠する案は最初から排除されたのです。
この点、金融化と新自由主義の関係を理解することは重要です。市場自由化を求める新自由主義は金融に関係した市場にまず適用され、また偶然のショックを除けば市場は常に完全に働くという考えに基づく新金融経済学が、学問の世界で影響力を強めました。

私自身は、金融化は、金融市場を越えて広範な影響をもち、新自由主義を規定し、基礎づけているものだと考えます。この見方を理解するために、さらに2つのポイントが重要です。第1に、新自由主義を構成するイデオロギーと学説と政策との間の関係は、時、所、主題により変化します。たとえば、国家介入は最小限にすべきというイデオロギー・学説にもかかわらず、新自由主義はつねに国家介入に深く関わっています。ただし、それは民間資本(とくに金融)を促進するための介入です。第2に、新自由主義には1990年代初頭を境にして2つの段階があり、その第一段階はショック療法と呼ぶべきもので、ラテンアメリカ諸国や旧ソビエト圏において、民間資本の促進がその結果を顧みずに進められました。第二段階は、第一段階のもたらした負の結果への対応である国家の役割の復活ですが、この第二段階でも金融化のプロセスを支え続けるための国家介入は顕著でした。

3.開発国家パラダイム(Developmental State Paradigm: DSP)

つまり、現在、国家の役割を積極的な意味で再発見すること自体、困難な状況に私たちは置かれています。それゆえ、歴史を広く見渡すことが適切です。最近の例で重要なのは、開発国家として知られる経験で、この経験から国家の役割を肯定的に捉える研究を私は開発国家パラダイム(DSP)と呼んでいます。DSPは、おもに東アジアNICs(新興工業諸国)のキャッチアップ型産業発展の経験に依拠しており、実はこのことがDSPの限界ともなっています。

第1に、DSPは、後発国、キャッチアップ、産業化に関心を絞っており、開発プロセスの他の段階と他の様相を研究の対象外としがちです。第2に、ある一国に焦点をあてるため、国際的な要因は多数の要因のひとつ程度になり、またどんな国も条件さえ整えば開発国家になりうると前提しています。第3に、DSPは経済学派と政治学派とに区分されますが、それらはお互いに交わるところがありません。経済学派は市場と制度の不完全性を矯正する政策内容に焦点をあて、政治学派は政策の内容がなんであれ国家がそれを採用し実施するさまざまな条件を特定しようとします。第4に、DSPは、経済学の主流派と同じく、国家と市場の二分論を分析の出発点としており、国家と市場が結果・プロセスであること、それらの根底にあって蠢動するさまざまな利害の作用を捉えられません。第5に、その帰納的な方法にはサンプルの偏りがあり、失敗した開発例に十分な注意を払っていません。

いずれにしても、DSPは、1980年代から、開発における国家の役割を強調し、新自由主義の政策面を代表するワシントン・コンセンサスを批判することに重要な役割を果たしました。しかし、1990年代後半からDSPは、多くの要因によりかつての勢いを失っています。その第1は、アジア経済危機であり、これに対応した東アジアの奇跡はそもそも存在しなかったという議論です。第2は、後発産業化について、キャッチアップと最前線での競争とを区別してこなかったことです。第3に、開発国家の成功はそれ自体の基礎を崩すという議論が起こり、また、産業化における国家の肯定的な役割を重視するDSPが避けていた、民主化や社会福祉などの問題が、経済発展の結果、前面に出てきたことです。

4.産業政策

以上の検討から、国家の役割を再考するため、DSPの議論をどう深めればよいでしょうか? 開発の他の様相や他の段階を組み入れ、国家対市場の二元論を分析の出発点とすることを退け、さまざまな利害が市場と政府を通じてどのように形成・実現されるのかを検討することが重要だと考えます。もうひとつ組み入れるべき要因は、開発の条件を規定する世界経済の発展であり、上述した金融化という現象です。金融化の経験は、開発途上国では、とくに援助国・機関を通じて、産業政策やインフラの提供に大きな影響がありました。

ワシントン・コンセンサスの下では、産業政策は、市場最重視のイデオロギーに抑えこまれて、貿易など諸々の自由化と民営化とほぼ同義になっていました。このような見方は、いまだに根強いものですが、もちろん不適切で、それは自由化と民営化に限られません。

それでは、産業政策をどう考えるべきでしょうか? 以上の議論から、第1に、経済学のモデルを選択して演繹的に産業政策を導くのではなく、経験的に帰納して考察することが広く許容されるべきです。第2に、産業の成功の達成は重要ですが、それは経済的・社会的な開発に関連した、より広い目的に対置されねばなりません。第3に、それゆえ、産業政策は、特定の部門を、狭義のパフォーマンスの観点からターゲットにする垂直的なアプローチだけでなく、水平的なアプローチによって補われなければなりません。

つまり、産業政策は、ある一部門のレベルでは、適切な介入をその部門の川上から川下に至る文脈から特定するため、垂直的な観点から考える必要があり、同時に、マクロ経済の安定性から科学技術、環境、インフラ、雇用、ベーシックニーズの提供にいたるまで部門横断的に広がる水平的な諸要因を組み込む必要があるのです。社会政策も同様です。

5.広告から援助へ(From Ad to Aid)?

以上の駆け足の検討を前提として、援助の役割と開発について考えてみましょう。ごく大まかに、援助に関する議論は、次の両極のどちらかに落ち着きます。一方では、援助は善で、開発を促進すると考えられ、他方では、援助は悪で、むしろ逆効果ですらあると考えられています。援助の文献を詳細に検討する時間は、今日はないので、広告に関する研究成果を紹介し、それを導きの糸として援助を考察してみましょう。この分野には、援助と開発よりもずっと長い研究の蓄積があり、より成熟した議論があるからです。まず、私が精力的に研究してきた広告と消費について いくつかのポイントを示します。

第1に、歴史的に、広告を善悪の観点から捉える慣習があり、それは今も存在します。第2に、しかし、ポスト・モダニズムにより相当に影響されたため、広告の分析はそのような善悪二分論を超えた段階に入っています。第3に、ポスト・モダニズムは、今では広告を含む消費一般に対する物質文化研究(material culture approach)に行き着いています。そこでは、なにが、誰によって、誰に向かって、なんのために広告されているのかを検討し、それを商品の生産から消費にいたる物質的・文化的プロセスとの関連で分析し、さらに、関係者によりどのような意味がその内容を変化させつつ反復して付与されるのかを研究します。第4に、以上のことは、援助と開発にも概ねそのままあてはまります。つまり、援助国、被援助国、意図および結果を横断して働く、複雑な相互作用が問題なのです。

私自身の、広告と消費に関する研究は、Haug(1986)が提唱した美的幻想(エステティク・イルージョン)という考え方を出発点にしています。その着想は、商品は時とともに価値を失っていくものの、それに対する需要は広告を通じて魅惑的な内容を与えられて維持されるというもので、美的幻想とは、商品そのものと、それがどのように認識されるかというギャップを橋渡しするものです。援助においても、美的幻想がしばしば作り出されます。援助とそれがどう認識されるかを橋渡しする言葉は、Cornwall と Eadeの『「開発の言説を脱構築する——流行語と曖昧語(Buzzwords and Fuzzwords)』という本によく描かれており、エンパワメントからガバナンスまで多くの開発・援助の専門用語が含まれます。

そして、こうした言葉の氾濫は、援助自体の性質とその影響の驚くべき多様さに対応しています。たとえば、アフリカの場合、援助の問題はその額だけではなく、「援助複合体(aid complex)」の出現とその急速な成長の問題でもあるのです。たとえば、アフリカ諸国の少なからぬ行政機関が、援助の激増により著しい業務過剰に陥っており、その結果、援助を管理すること自体が開発行為に代替してしまい、開発政策を策定する国家能力が損なわれる、という現象が起こっています。こうした援助拡大の結果は多様で、援助プロジェクトの評価の仕方にまで、恣意的で混乱した状況を招いています。

最後に、広告の研究は、消費者研究やマーケティングの病理学(pathology)という形をとりましたが、援助については開発経済学の病理学がこれにあたります。古い開発経済学は、脱植民地化と冷戦の時代に生まれ、帰納的な手法に立ち、演繹的なミクロ・マクロ経済学に懐疑的でした。その政策含意は、私が「プレ・ワシントン・コンセンサス」と呼ぶものであり、社会的・経済的なインフラの提供、産業化の促進における国家の役割を重視するものでした。対照的に、新しい開発経済学はワシントン・コンセンサスと深い関係がありますが、開発経済学の位置づけを、完全市場を基準とする演繹的な新古典派経済学の応用分野にかえたのです。さらに、ポスト・ワシントン・コンセンサスの考え方の基礎にある、より新しい(newer)開発経済学は、完全市場ではなく不完全市場を出発点にかえただけで、開発経済学を一般理論の応用分野と位置付ける点では、変化はありません。

開発経済学の以上の3段階には、それぞれ対応するイデオロギーや実際の政策があり、それは国家重視から国家軽視へと移行し、そして今は、その両極の間です。政策としての援助は、当初は物的インフラに向けられており、後に世銀は、当初こそ躊躇したものの、ソフトローンの領域に踏み込んでいったのです。今日、もちろん状況は異なり、援助の方法と目的の範囲にほとんど限定はありません。さらに、コンセンサスの移行は、開発の思想や実践における世銀の影響が大きくなっていった過程でもあります。ただし、ポスト・ワシントン・コンセンサスへの移行は、ワシントン・コンセンサスの政策からの訣別を意味してはいません。いずれも介入主義的であり、そして援助の配分に関する彼らの与える処方箋と、それと関係するコンディショナリティ(政策条件)は、むしろ強化されてきています。
現在の危機における国際機関の対応のひとつは、インフラの保持に焦点をあてることです。ただし、私は、こうした動きにつき、疑いをもってみています。というのは、この変化が国際機関による政策介入の余地をさらに広げることになるのではないかという懸念に加えて、民営化をめぐって、同じようなことがすでに起こっていたからです。

1990年代初頭まで、民営化に対する世銀の立場は、イデオロギーと「まずは、やるべし(just do it)」という政策が一致していたとみなすことができましたが、ポスト・ワシントン・コンセンサスへ移行後しばらくして、再考(rethink)が起こります。しかし、それは単に、新自由主義のショック療法段階で、可能な民営化をすべて実行してしまっており、またそれによって生じた結果に問題があるとわかったからで、再考と呼ぶべきものではありませんでした。結局のところ、電気や水の供給など、経済的・社会的インフラの供与に民間部門が参加することを可能にする源として、国家の役割を位置づけ直しただけでした。

さらに、援助と開発の大きな構図をみると、今回の危機以前でさえも先進国の強い関与はありませんでした。たとえば、危機の際に金融部門の救済に使われた資金と比べれば、途上国の都市人口の大多数に上下水道を提供するために必要となるコストなど、その5%に過ぎないのに、そうした資金が提供されたことはありません。また、たとえば、2009年にはアフリカのインフラ投資は危機以前の水準を維持したと報告されていますが、それは民間主体の破綻に対応するドナー国による融資の増加に依拠していただけでした。さらに、不足している資金をどう調達するかも、効率性を高め、民間部門の参加を促すという危機以前からの政策を引き続き採用・強化するというアイデアがあるだけです。しかし、これは明らかにすでに失敗したものなのです。アフリカの保健衛生問題についても同様です。

6.おわりに

世界金融危機により、開発や援助の役割についての考え方が、なんらかの形で岐路をむかえたと考えることは、楽観的すぎるかもしれませんが、勇気づけられることです。しかし、国家と援助の役割は民間部門を促進することにあるとする考え方は、依然として広く残っており、日本を含めてどの国の援助政策もこの影響から自由ではありません。

もちろん、全体的な構図は混沌としています。アジアの台頭しつつある援助ドナーに関する研究をみると、援助モデルというものが依然として存在しないことがわかります。援助の決定要因と結果は、時、場所、動機、結果などにおいてあまりに多様なのです。

同じことは日本の援助にもあてはまります。さらに、資金に比べてターゲットがあまりに多いというジレンマの存在が、日本の援助に関する最近の研究から読みとれます。

この点、日本がどういった方向を採るべきかを私が述べることはおこがましいので、援助政策について私なら指針とするであろう原則を列挙します。第1、目的と影響については控えめに考えること、第2、国家の能力構築に貢献するようにし、それを崩したり利用したりしないこと、第3、金融を政策に従属させ、その逆にはさせないこと、第4、現実には誰の利益に役立つことになるのか、それが意図されたものか、それらのことを加味したうえで意義があるのかを評価すること、第5、援助を、経済的・社会的変化の構造的なプロセスとしての開発の理解のなかで位置づけること、最後に、援助が贈与であるべきならば、見返りを期待せずに与えることを前提とすること。ご清聴感謝します。

基調講演2「世界銀行と開発パートナー:東アジアにおける貧困削減と持続可能な成長」
ジム・アダムズ 氏 世界銀行東アジア・大洋州地域担当副総裁

ジム・アダムズ 氏 世界銀行東アジア・大洋州地域担当副総裁

ジム・アダムズ 氏 世界銀行東アジア・大洋州地域担当副総裁

最近の東アジアで何が起きているかに関する見方と、私ども(世界銀行)が地域のパートナーと、開発の問題、貧困削減に対して何をしているかというお話をしたいと思います。

東アジアの地域は、過去20年でどの地域よりも急速な成長を遂げており非常に堅調なものでした。雇用も非常に伸びています。一方で、リスクも高まっていることも事実で、資本の流入が非常に増えていることと、流動性の問題、株式市場、不動産価格、その他資産評価、為替も上がっています。資産バブルという問題は慎重に見ていかなければならないでしょう。インフレの圧力も高まっています。貿易のインパクト、為替が全地域的に上がっています。非常にアグレッシブに貿易が回復しているので、政府は刺激策を取りやめ、引き締めを行っています。私の見方ではそれは正しいことだと思っています。

東アジア地域の貧困削減ですが、持続的なレベルで推移しており、国際スタンダードを当てはめても非常に良好です。最大の過去30年の貧困削減を示しているのは中国ですが、ほかの東アジアの地域も中国と同じく、1日2ドル以下で暮らす貧困層の人口が大幅に減ってきています。

特に私が日本の聴衆にとって重要だと思うのは、グリーン成長の重要性です。かなりこの地域においては注目を浴びています。地域の国々と協力して、再生可能エネルギー、排出削減、エネルギー効率の向上、生産プロセスの改善、そして廃棄物の削減といった一連の活動をしています。日本の製造業者、生産者の役割というメッセージが先ほど出ましたが、これらの領域において非常に重要だと思います。最新の技術を日本が提供するということは、この地域に非常にチャンスを提供するものだと思います。

さて、ここで東アジア地域の課題について申し上げたいと思います。

この地域は天災に対して脆弱性が非常に高い地域です。自然災害、津波、地震もありました。気候変動に関しましては、国際的な反応がまだ積極的ではありません。そして人々が忘れがちなのは、東アジア太平洋に世界でも多くの脆弱な国々が含まれているということです。また、ますます注目を浴びている問題は、東アジアの不平等の格差拡大です。

各国の課題は、地域がいかに多様であるかを示しています。中国は、成長のリバランス、西部や貧しい地域への支援、急速な都市化、社会的なセーフティネットの改善といった課題を抱えています。社会的なサービスが足りないという問題にも直面しています。

中所得諸国というのは、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンなどが含まれます。またベトナムも新興の中所得国です。これらは多くの課題を抱えており、インフラの開発、ナレッジエコノミーの開発、そしてショックを抑制するという課題もあります。

最も貧しいIDAの諸国の課題は、ガバナンスの改善、投資環境の改善、健全な天然資源の管理、そして地域の成長の好機をとらえるということです。ファイン先生がアフリカでこの問題に言及されましたが、同じような問題がここで体験されています。

世銀では新しい成長戦略を手がけています。各国がどうしたら最も効果的にグローバルな環境問題に対応できるか、そして民間セクターの開発、金融セクターの開発も行っています。貧困削減に関しては、食糧安全保障が重要です。ゼーリック総裁がFinancial Timesで、食糧安全保障や食糧危機の問題にも触れています。医療、教育、社会保護というのも主要なテーマです。

聴衆のみなさまは民間セクターのインフラへの役割に関して関心を持っておられると思うので、インフラでの民間資本の導入について申し上げたいと思います。

東アジアではインフラのニーズは非常に高く、向こう10年、約5兆ドルのインフラの投資が必要です。公共予算は制約があるため民間資金を活用し、その資源を動員するという話をしています。民間資金導入のネックに対応するため、フィリピン、中国、インドネシアに関して格付けプログラムの導入を検討しています。ベトナムにおいてはパイロットプログラムなどを行っていて、官民のパートナーシップ(PPP)の資金調達の枠組みを検討しています。またインドネシアでは、インフラ保証基金があり、民間セクターの投資促進を試みています。ベトナムにおいては、ホーチミン市が民間の投資をインフラに導入することに協力しています。地域の機関と協力しながらこのようなことをしています。整合性のあるアドバイス、そして学ばれた教訓を十分に普及させることをしています。

地域的なドナーと二国間でパートナーをしており、日本もその一つです。いくつかの問題に取り組んでいますが、気候変動の問題、太平洋諸国における開発プログラム、ジェンダー問題における教育分野での取り組み、いまだにアジア地域で大きな課題となっている水の供給、衛生などのインフラ、労働市場、社会保障といった領域をはじめとする社会的な保護などに注力し、成果をあげています。

日本とのパートナーシップについて申し上げます。日本は世界でも最大の二国間ドナーです。ファイン先生は先ほど70年代最大のパートナーだとおっしゃいました。今は最大ではありませんが、40年以上日本とのパートナーシップを組んでいます。日本社会開発基金(JSDF)は、1990年代の危機後に生まれたもので、カントリーレベルでより有効にNGOと協力できる能力を世銀に加えることが重要であると考え、その手段を日本が提供しようと、過去10年で5億ドルもの支援が行われています。これは日本の開発に対するコミットメントを反映するものです。考え方としては、東アジアの金融危機がきっかけとなったわけですが、日本はグローバルな手段で各地域に提供されるものと主張しました。日本は中核的なODAピラーも支援してくださっています。これは特に貧困削減、脆弱な国、平和構築に使われています。IDA16の増資に関しても、非常に大きな額を日本はプレッジしてくださったわけですし、ニューヨークのミレニアム開発目標のサミットにおいては、医療、教育に関して大きな貢献を約束してくださいました。日本とはこれからも緊密に協力をし続けることを期待します。

最後に、具体的にわれわれが地域の間に何をしたかということについてお話ししたいと思います。

インフラ、気候変動についても日本と協力しました。特にインドネシア、ベトナムにおいては水、エネルギー、災害の管理などの作業をしており、かなりの支援を日本から得ています。インドネシアの金融危機時に、インドネシア政府は、資本市場の債権の借り入れをまかなっている資金が十分でないと懸念しましたが、アジア開銀とともに日本の支援で50億ドルのファシリティーが導入されました。フィリピンにおいてはPPP、インフラ、灌漑などの支援が行われており、資金の移転、提供においても日本との協力を考えています。ベトナムに関しては、日本が最大の二国間のドナーとなっており、都市の輸送などに資金が使われていますし、ラオスにおいては、貧困削減の政策支援、カンボジアも貧困削減の政策支援が提供されています。モンゴルにおいては都市開発を手がけていますが、モンゴルにおいては危機に見舞われたときに、銅の価格が暴落して予算をまかなうことができなかったため、アジア開銀と日本の機関とIMFが協力し、資源をモンゴルに提供することで予算をまかなうことを可能にしました。

日本と世銀との関係というのは非常に密接な相互の支援に基づいています。フォーカスとしては、われわれの支援が貧困緩和に役立てられるように、非常に密接にこれを監視しており、効果が上がることを確実なものにしています。ありがとうございました。

報告1「Korea Diligently Running With International Economic Policies Over the Past Six Decades」
チェ・ウック 氏 韓国対外経済政策研究院院長

チェ・ウック 氏 韓国対外経済政策研究院院長

チェ・ウック 氏
韓国対外経済政策研究院院長

ここでは、まず韓国の通商政策について報告します。その次に、韓国の投資政策、ODA政策、海外直接投資についてお話しし、最後に私からの評価について申し上げます。

韓国の貿易に占める製品の割合を見ていきますと、過去から随分変わってきました。1960年代、韓国は労働集約型産業の輸出が中心でした。例えば衣類や繊維などです。1970年代になりますと、重化学工業、鉄鋼、そして船舶などが増えました。1980年代になりますと、資本集約型あるいは技術集約型産業での輸出が増えてきました。半導体や自動車などです。しかし輸出のパターンはありましたが、輸入のパターンに関してははっきりとした変化はありませんでした。2009年の数字をご紹介いたしますと、輸出の3%未満が一次産品で、97%は工業製品が占めています。さらに重化学工業製品が輸出の90%以上を占めています。

1960年代以前の韓国の主な産業化政策は、輸入代替工業化でした。当時の韓国には、体系立った産業政策はありませんでした。しかし1960年代になり、大きな政策の変更がありました。1960年代の初頭、通商政策が大きく変わり、輸入代替から輸出促進へとシフトしていったのです。1960年代から1970年代にかけて、輸入は非常に厳しく管理されました。輸入を規制するため、平均関税が非常に高く維持され、さまざまな種類の特別関税も設けられました。1967年に平均関税が約40%である一方、輸入自由化比率はわずか60%でした。しかし1980年代以降、韓国政府は輸入規制を緩和させて、市場競争システムを強化していきました。輸入自由化5カ年計画が策定され、1983年から1988年にかけて実施されました。この期間で注目すべきは、輸入自由化通告制度が導入されたことです。これは成功裏に実施され、政府政策への信頼性も高まりました。その後韓国政府は、GATTやWTOなどを通じて引き続き市場の自由化を行っていきます。そして1995年、輸入自由化比率は99%に達しました。これは1967年の60%から大きく伸びています。2000年には、韓国は積極的な市場開放という政策スタンスを継続して実施しています。

このように輸出促進政策や措置を講じていくだけではなく、さまざまな通商支援制度を導入しました。例えば輸出補償制度は、輸出促進のため1969年に導入されています。1962年には、KOTRAと呼ばれる日本のジェトロに非常に類似しているものが、輸出主導的な経済発展を迅速に動かしていくことを目的に設立されています。KITA(韓国国際貿易協会)は1946年に設立されていますが、これは韓国から輸出する貿易関係の業界にかかわる人たちの利害を代表する機関として立ち上げられています。そして、海外市場への進出において重要な役割を担いました。また、韓国の輸出入銀行は1976年に設立されました。輸出入に関して中長期で信用を提供し、海外との国際的な経済協力を促し、トレードファイナンスなどを支援していくためです。

韓国は多角的貿易協定の恩恵を大いに受けていると言えます。例えばDDA(Doha Development Agenda)などです。韓国は2000年まで日本や中国のようにFTA(自由貿易協定)を全く結んでいませんでした。しかし、チリとFTAを2002年に締結して2004年に発効して以降、韓国は合わせて8つのFTAを結び、そのうち5つは既に発効しています。アメリカ、EU、ペルーの3つは議会による合意(発効)待ちです。それ以外にも、カナダ、メキシコ、6つの湾岸諸国によるGCC、オーストラリア、コロンビア、トルコ、日本との、7つのFTAが現在交渉中です。しかし日本とのFTA交渉は2004年以降中断されています。

また、韓国は中国とのFTA、そして韓国・中国・日本の3カ国でのFTAを締結すべく検討中です。またメルコスール(南米南部共同体)、SACU(南部アフリカ関税同盟)とのFTAも検討中です。

次に韓国の投資政策について見ていきたいと思います。対内・対外的な海外直接投資の政策についてです。

韓国における海外直接投資は1962年から認められていますが、1995年までその金額は非常に少額でした。というのも、韓国政府は海外直接投資よりも開発戦略において外債に依存していたからです。しかしOECDに1966年に加盟して以降、韓国政府は非常に積極的に自由化のステップをとり、サービス産業を開放するとともに、外資による友好的なM&Aを認めていく方向へと変わっていきました。韓国政府は幾つかのFEZs(自由経済区)も指定しています。これには釜山、鎮海、光陽、仁川、大邱広域市などが含まれています。こういった自由経済区が指定されることによって、より多くの外資を誘致できるようになりました。率直に言って今は非常にうまくいっている状態ではありませんが、これからの改善を期待しています。

一方、韓国の対外直接投資政策ですが、1985年まではほとんどなかったと言っていいと思います。なぜなら当時、認められてはいたものの、非常に厳しい許可制を採っていたのです。1980年代初頭に、前もって許可を取るという制度は撤廃されたものの、1986年まで対外直接投資の自由化は行われませんでした。1994年以降にさらに自由化がされ、それによって対外直接投資は飛躍的に伸びてきました。韓国の対外直接投資の48%はアジア向けです。約28%が北米向け、15%がヨーロッパ向けとなっています。

最後に韓国のODAについてです。韓国のODAは順調に伸びてきています。しかし日本、あるいはアメリカ、EU、中国などと比べると非常に少額です。2009年では、米ドルにして8億1600万ドル。これはGNIの0.1%です。そのうち71%が二国間援助、残りの29%は多国間援助となっています。無償資金協力が63%を占めており、37%は融資です。 韓国からアジア諸国への援助は1998年から2009年にかけて減っています。1998年では韓国からのODAの83%がアジア諸国向けでしたが、2009年には54%になっています。とはいえ、依然としてアジア諸国が韓国ODAの主たる被援助国となっています。それに比べて、アフリカ諸国が5%から16%に、中南米が4%から10%に増えてきました。韓国からの援助の多くが、途上国向けの社会経済インフラの整備に使われています。

昨年1月、韓国はOECDのDAC(開発援助委員会)に加わりました。すなわち韓国は、被援助国から新興ドナー国へと成功裏にその姿を変えていった、唯一かつ最初の国なのです。

韓国は現在ODAとして、GNIのわずか0.1%を拠出しています。しかし今後、2012年までには0.15%まで増やし、2015年までには0.25%まで拡大させていきたいと考えています。引き続き、これからもアジアは韓国にとってコアの地域となっていきます。そして、IT、グリーン成長、インフラ、ナレッジシェアリング、韓国の成長経験について共有していきたいと思っています。

韓国の経済成長における主な戦略は、輸出主導型の成長をするというものでした。この戦略あるいは政策は、輸入規制政策や政府の介入とうまく歩調を合わせていました。ファイン教授も先ほどおっしゃっていましたが、政府の介入が有効だったのではないかと考えています。

韓国学界あるいは政府関係者は、政策は非常に成功した、そして韓国の経済成長において、現在の発展を遂げるためには効果的だったが、同じ政策が果たして今のような状況の中で導入されるべきかどうかは分からないとよく言います。なぜなら、通商政策などで多くのことが規制されているような状況だからです。

報告2「グローバル化する開発主義」
平野 克己 ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長

平野 克己<br> ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長

平野 克己
ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長

今日の課題である開発主義国家と東アジアの関係で、まず日本との関係からお話しいたします。かつて日本は間違いなく開発主義の国家と言われていたのですが、その経験がかえって日本の成長を阻んでいるという議論が、今日本の中で強くなっています。それは、過剰な政府の介入があることによって、特に金融が自由に動かないので、むしろもっと日本の市場を自由化していく方が、日本の経済の成長を再生するに当たっては有利なのだという議論です。この開発主義経験の「桎梏」論(足かせ論)が本当なのかということを考えたいと思います。

地域別に世界の総輸出の中での比率を見ると、OPECが大きいのは石油危機のときです。資源価格が高いときには途上国の比率が高くなります。資源価格が高くなると、途上国の成長率は先進国より高くなるという傾向があります。しかしながら、これと全く違うパターンを取る途上国の国がありました。それが韓国を筆頭とするNIEs(新興工業経済地域)で、製造用製品を輸出することによって徐々に比率を伸ばしてきました。これを追い掛けたのがASEANです。これをまた猛烈な勢いで追い掛けているのが中国という構造です。このNIEsの前に、実は日本が輸出をがっと伸ばしてきています。これが経済学における開発主義国家論の現象だったのですが、これをどのように説明するかということです。

振り返ってみると、開発の議論というのは実は常に焦点は輸出、つまり貿易にありました。古くは南北問題というパラダイムがありました。この南北問題のときのメインの問題は、途上国が輸出している一次産品の価格を高くしろという議論でした。つまり貿易の議論だったのです。今お話ししたNIEsの台頭をいかに説明するかというのは、つまり途上国には製造業製品の輸出が可能なのか、また実際に伸びているとするとそれは一体どういう理由なのかということを説明しようとする議論でした。

これが開発の議論の中、経済学の中でどのような議論になったのか。世界銀行の1991年の開発報告のある章の題を「開発の政治経済学(The Political Economy of Development)」と命名しています。これは途上国における製造業製品の輸出の拡大を説明する議論でした。また全く同じ議論を、かの有名なジェフリー・サックスは「輸出主導型成長の政治経済学(The Political Economy of export-led glowth)」と彼は名付けています。実は世界銀行が始めた構造調整の背景にあった経済哲学が、この考え方でした。構造調整というとどうしてもネオリベラルと言われますが、実は出発点はそうではありません。それほどに世界の開発観を変える議論だったのです。

これを前段としまして、それでは開発主義のエッセンスとは一体何なのだろうかということについて、私なりの考えを述べさせていただきます。

どのような開発途上国も経済成長を全面に掲げていましたが、その中でNIEsはどこが違ったのか、そして開発主義の国家がどう違ったのか。結果として見ると、それは国際競争で勝てる企業の育成に成功できた国だったのです。国際競争の場で勝てるようになったからこそ輸出を伸ばせた。そういう製造業企業をつくることができた国がNIEsとして、また開発主義国家として、現在われわれが通念的に考えている国の在り方だろうと思います。

この政策は、一般に産業政策と言われますが、社会主義国家も産業政策をたくさんしたのです。しかしNIEsがやった産業政策の特徴は何かというと、国内市場の規制をなるべく少なくして自由市場を保つことよりも、国際市場での競争力を付けるということを主眼に置きました。これが恐らくは開発主義国家のエッセンスであったろうと私は考えています。

そういった特徴を持った開発主義の国家が今どうなっているかというと、これも韓国に典型的に表れていますが、チェ先生のお話にもあったとおり、グローバライズしようとしています。具体的には、それまで輸出振興が主な政策のターゲットだったものが、だんだん海外投資へと重点がシフトしています。そのターゲットが先進国市場だけではなくて、だんだん低所得への市場、案件へと広がっています。その一つは特に中国において典型的ですが、さらなる成長を続けるために資源をどうしても調達してこなければいけません。この厳しい大競争の中で資源の権益を確保しなければいけないということが、リクワイヤメントの一つとしてあります。

こういった開発主義国家の独特の国際開発への貢献をまた具体的に見ていきますと、OAD、のような援助とは少し違います。むしろ日本が最初に持っていた援助の在り方に近いものです。それは何かと一言でいうと、貿易と投資を生み出すための呼び水として援助を提供するというやり方でした。そしてもう一つ、プロジェクト指向がものすごく強いことです。具体的な物的なインフラストラクチャーを作り上げていくという指向が非常に強いという特徴を持っていると思います。

その中で、現在日本でも盛んに議論され復活してきているのが、ODAに出資機能を持たせるということです。これは中国が典型的です。このような変化の背景として、やはり中国が世界のGDPの1割経済になってきている、さらにどんどん伸びているという現実があるのだろうと思います。

そこで、国際開発の貢献ということから、この動きとODAを見てみましょう。日本が出す投資は90年代に一度ピークを迎え停滞していたのが、ここに来てぐっと伸びてきています。これには日本の市場がどんどん小さくなっていく、その中で企業が生き残りを図るとなれば、どうしても外の市場へ出ていかなければいけないということが一つと、資源調達ということがあります。これとODAの動きを見てみますと、こうして民間の投資が盛り上がっていく一方で、ODAは徐々に減ってきているのが日本の姿です。韓国は、出ていくODAが入ってくるODAを既に凌駕しています。先進国化が急速に進んでいるということが、対外経済政策でも見られます。この大いに出ていこうという韓国企業の動きにODAがついていっています。日本から比べれば韓国は理想的な姿をしています。中国はまだまだ入ってくる量は多いですが、既に今、出ていく投資がその半分ぐらいにまで来ています。

日本の旧JBIC(ODA借款)の援助ローンの動きを見ると、急速に伸びていたものが、90年代に入ると、大幅に減ってマイナスになっています。これは実は世界銀行の援助機関であるIDAと一緒に伸びてきていました。ほかの国はどんどん援助を無償化しましたから、世界でODAでローンをして開発金融をやっているのは実はずっと世界銀行と日本だったのです。この開発金融がどんどん今重要になってきているのですが、日本のODAローンはものすごい優良債権で、インドネシアや中国やタイなどにたくさん出してきましたが、それが順調に経済成長しているので遅れることなく、むしろ前倒しされてどんどん返されてきています。出しても出しても返ってくるので、収支はとんとんというのが日本のODAなのです。だから日本のODAというのは、かつて成功したがゆえに増えないという構造になっているのです。しかし開発金融を提供しているということで言えば、日本はすごく健闘しています。では中国はどうでしょうか。先月Financial Timesが中国の開発銀行と輸銀を合わせると、世界銀行(IBRD)の融資額を抜いたという記事がありました。2009年と2010年合わせて、この2つの銀行で1000億ドルぐらいを出しました。そうしますと、極めて多い開発金融が中国から途上国に提供されていることになります。もし本当に2年間で1000億ドルが開発金融として、インフラ中心、エネルギー中心で出ているとすれば、中国の途上国融資の拡大ぶりというのはものすごい勢いなのです。恐らく、やはり韓国と同じように中国もその巨大な規模において外に出ていく動きを政府が支えている、まさに社会主義的官民連携が行われていると言えると思います。

では日本の課題は何か。日本の国際開発に対して期待されている最大の貢献は、恐らく日本経済が再び成長を始めることなのです。日本経済が成長することによって、世界全体に与えていくプラスの効果は、はるかに大きなものがあります。まさに今日本がしなければいけないのは、経済成長をもう一回再生することだと考えます。

再生するためには、日本がこれまで出ていた比較的所得の高い国のみならず、低所得国へも出ていかなければいけません。投資もしなければいけない、事業もしなければいけない、インフラも輸出したいし商品も売りたいのです。日本の開発協力の在り方はどうあるべきなのかと考えると、それは日本が開発協力について再び初心に戻ることではないでしょうか。経済協力は通産(経産)省の管轄だったので、「経済協力の現状と問題点」という報告書が出ています。その中には、われわれの援助というのは高い理念に基づいて、具体的には貿易と投資を生み出すことだと書いてあります。この貿易と投資を生み出すという途上国との関係をもう一回視野に入れることが、私たちが開発主義で伸びてきた国家としての原点を見極めるということではないかと私は考えています。

具体的な政策については、次のプレゼンターである柳瀬課長にお願いしたいと思います。

報告3「産業構造ビジョン2010とその後の進展」
柳瀬 唯夫 氏 経済産業省大臣官房総務課長

柳瀬 唯夫 氏 経済産業省大臣官房総務課長

柳瀬 唯夫 氏 経済産業省大臣官房総務課長

私からは、政権交代の後の経済政策の流れをご紹介したいと思います。

まず、日本の産業は一体どうなっているのかを冷静に見ようと思います。

「日本経済の行き詰まり」という点で見ますと、今の経済の行き詰まりを数字がはっきり示しております。1人当たりのGDPを見ますと、2000年には世界3位だったのが2008年に23位、IMDの国際競争力ランキングで見ても90年に1位だったのが、今や27位というグローバルなプレゼンスの大変な凋落となっています。

なぜこのように日本の産業が行き詰っているのかを三つの要因で分析しています。一つ目が産業構造全体の問題です。2000年になってからの日本全体の付加価値の伸びは、その半分近くが自動車あるいは自動車に引っ張られた部品関連作業で生み出されているということで、一国の経済の成長の半分が一つの産業に依存しています。もう一つの産業構造上の問題として、情報通信、重電、半導体科学、どれを取ってみても日本勢の企業の利益率は海外勢の利益率の半分です。主要産業を見ますと、北米もヨーロッパもアジアも1社か2社に収れんしてきています。多分アメリカは株主のプレッシャーで低成長部門、低収益部門から撤退が進んで集約化が進んだのだと思います。ヨーロッパは市場統合、マーケットの圧力でチャンピオンが生まれていきました。アジアは、特に中国・韓国はかなり政府主導で産業再編が進みました。他方、日本だけはプラザ合意や外的なショックが来たときも公共事業の拡大、超低金利といった需要サイドで対応したものですから、産業サイドはそのまま多数の企業が消耗戦を繰り返すという産業構造が残ってしまったのだと思います。

二つ目の課題として、企業のビジネスモデルの問題があるのではないかと思われます。「日本の技術は世界一」と日本人は語りますが、技術で勝ってビジネスで負けるという連戦連敗の繰り返しなのです。最初に新製品として投入したときには、世界マーケットのほぼ100%のシェアを日本製品は占めていますが、マーケットが広がっていくにしたがって急速にシェアを落としていき、大体10%ぐらいまで下がってしまいます。これを分析していきますと、例えばコンピュータでいえば、インテルは、ブラックボックスの外の部分を国際標準にして、圧倒的な市場の成長に合わせたアジア各国の生産力を使っています。ところが、日本は1980年代までに世界を席巻した垂直統合・自前主義のビジネスモデルからいつまでも抜け出せず、せっかくいい技術を導入しても瞬く間にビジネスで負けるということではないかと思います。

三つ目の要因が、「企業を取り巻くビジネスインフラの課題」です。これは外国企業にアンケートをして、驚くような結果が出ました。3年前のアンケートで、アジアでどこに一番立地の魅力がありますかと聞くと、統括拠点は日本が一番、製造拠点・工場は中国が一番魅力がある、それから研究開発拠点は日本が一番、バックオフィスは日本が2番で中国は1番という結果で、そんなものかなと思っていました。しかし今回アンケートを取って驚いたことに、日本はどれもほとんど1位にも2位にもなっていません。この2~3年の間で、アジアにおける立地競争力においてものすごく極端な低下が起きています。

では、それでどうやっていくのか。ファイン先生の先ほどの産業政策のスピーチのクライテリアを使えば、バーティカルとホリゾンタルという産業政策です。まずはそこで戦略分野を五つピックしました。一つはアジア全体で見て所得弾力性の高い産業、炭素生産性の高い分野、そして日本の少子高齢化で市場が広がっていく分野という切り口で、五つの分野を戦略分野としています。一つは原子力あるいは水・鉄道といったインフラあるいはシステムの輸出、もう一つはスマートコミュニティーや電気自動車などの環境エネルギー課題解決産業、三つ目にファッション・ゲームソフト・コンテンツといった文化産業、それから医療・介護・健康サービス、ロボット・宇宙などの先端分野の五つを取り上げています。

もう一つは、ファイン先生の言われたホリゾンタルな産業政策です。「日本のアジア拠点化総合戦略」は、要するに海外の人、資本、技術が日本に来るようにして、日本をアジアの拠点にしていこうということです。一つは海外企業、外国企業のアジア本社あるいは研究開発拠点を日本に呼び込むためのインセンティブづくりで、そこで働く人の入国管理・税金の問題です。二つ目が「国際的水準を目指した法人税改革」です。日本は国・地方合わせて法人税が40%を超えていますが、OECD諸国の平均は25%を切っています。アジア諸国も25%を切っておりまして、15%も税率に差があると、企業はなかなか日本で活動しようと思いません。三つ目が「収益力を高める産業再編」です。日本の場合は官が主導する、あるいは昔のようにメインバンクが主導することが効率的とも、うまくいくとも思いません。産業界がグローバルな産業再編をしようとするときに、邪魔にならないようにしていく。例えば労働の移動の円滑化や競争政策で、できるだけ不透明あるいは過剰な規制が阻害要因にならないようにということをしています。四つ目に、「付加価値獲得に資する国際戦略」ということで、国際標準化をどうするか、あるいは通商戦略をどうするか。

それでは、結局それで何を実現したいのかということです。「産業構造ビジョンで実現したいこと」、これは政府、民間といわず国を挙げて産業のグローバル化時代の競争力強化に乗り出すということです。そのためにはまず日本産業の「行き詰まり」をきちんと直視する、1990年ごろまでの「成功の神話」、遅れたビジネスモデルから脱却していくということで、四つの転換を提言しています。

一つは「産業構造の転換」です。自動車依存の一本足から戦略5分野へ。それから付加価値の獲得の源泉を、高品質・単品売りからシステム売り・文化付加価値へ。そして今までの成長制約要因であった環境エネルギー、少子高齢化に対して、むしろこの課題解決する産業で利益を取っていく。

それから二つ目が「企業のビジネスモデルの転換の支援」です。垂直統合・自前主義からモジュール化のモデルに切り替えていきます。それは、ブラックボックスとオープン国際標準の戦略的な組み合わせということです。

それから、日本の政治がいつも陥るパラドックスとして、グローバル化を進めるのか、国内雇用を守るのかの二者択一の議論があります。しかし日本はやはり人口が減っていきますので、国内市場が伸びるというのはマクロでは考えられません。他方、グローバル市場、特にアジアの市場は伸びていくので、グローバル化を進めない限り、日本の経済がジリ貧なのは明らかです。しかしながら、国内が弱いまま、あるいは国内に立地の魅力がないままでグローバル化をすれば、単に企業が海外に出ていき、雇用、利益の源泉、イノベーションの源泉が単純に海外に出ていくだけで、海外に移れない日本国民だけが不利になります。ですから、グローバル化をするだけではなく国内を魅力あるものにしなければいけない、国内立地の競争力強化をしなければいけないということです。

最後に、政府の役割を変えていかなければいけません。1980年代までの日本は、言ってみれば政府主導で、資源配分、個別産業保護、「護送船団方式」、各省縦割りで、これが機能していた時代は良かったのですが、高度成長が終わり、かえって弊害になっていきました。1990年代以降、特に2000年以降は逆に、市場機能至上主義で国の役割を全面的に否定する、何もしないのが一番いいのだという議論がかなり強く出てきました。そんなことをしている間に世界は全く違うところにいっていました。

世界の競争のゲームが変化したということで、一つは資本のグローバル化が進んで、企業が国を選ぶ時代になりました。ヨーロッパで市場統合が起きたのが、海に囲まれた日本でも随分遅れてこの2~3年に起き始めています。もっと大きいのは、国家資本主義、社会主義的市場経済国が台頭してきたということです。今までの中国であれば安い賃金、工場という位置付けだったのが、マーケットという位置付けになり、今やコンペティターになっていくという現実があります。

それからどの国においても、環境エネルギーや高齢化といった社会課題の解決時代が成長の中心になっています。当然こういう外部経済・不経済が大きく働く分野では、政府の政策が産業の発展に直結します。

その結果、市場機能を最大限活用した新たな官民連携の構築が必要です。戦略的な政・官・民の連携(トップ外交、コンソーシアム形成)です。今までアメリカ・フランスなどは激しくやっていますが、日本はトランジスター外交以来全くこういうのをやらなくなっていた珍しい国だと思いますが、そこはやはりグローバルスタンダードに持っていく必要があります。それからJBIC、NEXIIによる支援の強化、それから研究開発拠点も1社だけではなかなか性能評価拠点などは作れない時代ですので、ここはコンソーシアムを作り、国も支援することが必要ではないかと。

こういうようなことを産業構造ビジョンでまとめ、今、これの具体的な施策を成長戦略として個別の予算、税制、法律を今の国会に出しているということです。

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谷口 和繁 氏 世界銀行駐日特別代表

谷口 和繁 氏 世界銀行駐日特別代表

谷口 和繁 氏 世界銀行駐日特別代表

本日の大きなテーマは開発と政府の役割でした。世界銀行の特色の一つは、貸し出しの相手先が国だということです。したがって、基本的には国の役割を肯定しながら開発に臨んでいるというのが世界銀行のビジネスモデルになるわけです。ただし、世の中が変わってきていますので、これもアダムズ副総裁が説明しましたが、同じ世界銀行グループの中にIFCという機関とMIGAという機関がございます。この二つは民間企業に直接貸し出ししたり投資したり、あるいは企業による民間投資に対してさらにそれを保証するという役割の機関になります。これだけ取ってみても、伝統的な開発と国の関係と民間の関係といったものの流れが多少分かると思います。

先ほど冒頭のあいさつで申し上げたとおり、今、世界全体でGDPそのものの規模とすれば、アメリカ・ヨーロッパ・日本が大きく、中国がこれに追いつき追い越してきたわけですが、世界経済の中でまだ先進国全体のGDPというものは大きいです。ただし成長エンジンとしてどこが大きくなってきているかというと、残念ながら日本が典型で20年間ほとんど成長しておらず、アメリカ・ヨーロッパも成長率としてはそれほど高いものは望めません。今後10年、20年というタームで取ってみても、途上国の成長率の方がはるかに高いです。

したがいまして、これから日本企業に限らず、グローバル企業がもし自分の国、自分の会社の売り上げや利益を伸ばそうと考えれば、どこに進出すべきかということはもう明らかになっています。途上国に進出して途上国のマーケットと一緒に伸びない限りはその企業の発展はないと言えると思います。私が若いころは、国際的に活躍したいなと思えばロンドンやパリやニューヨークを目指したわけですが、これからの若い人や企業が世界を目指す場合は、中国やインド、アフリカを目指していくことにならざるを得ないし、そうしない限り活力は生まれてこないということだと思います。

それから国との関係ということで世界銀行が感じていることを申し上げます。これまで世界銀行と途上国との関係として、日本も含めて60年くらい世界銀行は開発に関して経験を持っていることになります。そのうち、特にアフリカの国々が1960年代に独立して国の数が増えましたので、世界銀行の役割も少しずつ変わってきています。経済の単位で考えると200はあると思います。その中で1年や2年なら、それこそ資源の値段がぱっと上がったり、たまたま商品がヒットすることで成長する国はありますが、戦後年率7%以上の成長を25年以上続けたのは、日本が一番初めの成功例で、香港・台湾含めて13地域しかありません。

その13地域の中に主な東アジアの国が入っていますが、例えばアフリカのボツワナといった国も入っています。そのような国がどういうことをやって世界の200の国・地域の中で一応成功したのかということをまとめたレポートが出ています。先ほどの韓国の戦略の中でも共通点がありますが、例えば輸出市場に対する積極的な関与、それから国内的には基本的に安定した政策運営や貯蓄重視の経済運営といったことが幾つか入っています。そういう意味で少なくとも国としてやるべき共通の戦略がある程度は見えてきます。

ただし、これは理論的に頭の中で考えて実行したらうまくいくというよりは、結果的に成功した国がどんなことをやっていたか後から見てみたというやり方です。一番初めに世銀やIMFなどでいろいろパラダイムがあって、まずこれをやるべきだということでやってみて失敗した、うまくいかなかったという反省の話もございました。

現在の世界銀行はどういう考え方を取っているかと言いますと、基本的に世界中でうまくいくやり方、特に開発の面でそういう万能薬のような政策はないと考えています。したがいまして、その国の置かれている環境や背景、産業構造あるいは人口動態も含めた中で、一番いいやり方をその国自身が本当は見つけるべきで、そのお手伝いを世界銀行や支援国がしていくことになると思います。

支援国の役割と申しましても、先ほど申したとおり、これから途上国の経済成長の方が先進国の経済成長より大きくなっていきますので、助けてあげるというよりは、パートナーとなって一緒に成長していくという考え方の方がむしろ近いと思います。そういう意味では、これから、今日のテーマでもいろいろな議論がありますが、世界銀行からすると、それぞれの国が勝った負けたというよりは、全体としてパイを大きくしながらそのパイをうまくみんなで分かち合っていくというやり方がいいのではないかと考えているところです。

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ベン・ファイン 氏 ロンドン大学東洋アフリカ学院教授

ベン・ファイン 氏 ロンドン大学東洋アフリカ学院教授

ベン・ファイン 氏 ロンドン大学東洋アフリカ学院教授

議論、ご発言、非常に豊かなものでした。私の方から1時間以上申し上げたいことがあるのですが、10分で抑えたいと思います。

私は通常の考え方ではない非典型的な考え方をしたいと思います。グローバルな危機によって非常に膨大な課題が投げ掛けられ、従来典型的な考え方というのはうまくいかないことが分かり、これは捨てられたのですが、ただ非典型的な考え方を求めるのも非常に難しいものです。しかしながら申し上げておきたいことは、日本であろうとも、韓国であろうとも、もし通常どおりの考え方だけをしていたのであれば今のような成果はなかったと思います。

前のスピーカーに関して私自身の区分けをしたくないのですが、スピーカーが話しておられたのは開発主義国家をどうやって維持するかでした。つまり後発国の産業化が達成された中でどうやって開発主義国家をするか。そして一方では、グローバルな状況が変わってきているということでした。私が最初に申し上げたように、この変化したグローバルの状況の中で、金融化が非常に重要であるということを再度強調したいと思います。後発国の産業化の作業というのはこれから達成される、これから直面しなければならない問題です。先進国、それから後発国の問題に対応するならば、まず開発主義国家という考え方が登場しなければ何の前進もないわけです。福祉国家の概念もそうですし、社会経済的なインフラ、そして援助の役割というものも考えなければなりません。これがなければ前進がありません。これは日本にとっては決定的な問題です。新しい成長戦略を考えているし、こういう問題は非常に重要なのです。非典型的な考え方でこれに対応しなければなりません。

これは私の無知から来るのかもしれませんが、日本の伝統的な産業政策が、少し時期尚早に捨てられているのではないか、却下されているのではないかと懸念しています。ここで、ある程度批判的な考え方をしなければならないと私は思います。これだけが主要な問題ではないのかもしれませんが、私どもが典型的な考え方しかできないのは、ある程度世銀のせいもあるわけです。

最新のノーベル賞受賞者に3名のエコノミストがいます。金融危機までその傾向としてはノーベル賞は金融経済学の人たちに与えられましたが、それは今変わってきており、最新のノーベル賞の授賞者は労働経済学の授賞者でした。その前提として、すべてのセクターで同時に失業が増大するのは無理だという議論です。典型的な考え方から脱却するというのは、まさにこういうことです。

私が申し上げたかった主要な点というのは、非典型的な考え方をする一つの方法として、ミクロとマクロの経済学の区別をなくす、そしてマクロをミクロに従属させることをやめるということなのです。国家の役割を理解する上で、今までの考え方ではこれが非常にダメージが大きかったのです。国家の役割から、ミクロとマクロの経済学の区別を撤廃すべきなのです。特に産業政策あるいは医療、教育、福祉、金融化という話をする際には、伝統的なミクロとマクロの経済の区別は、国家の役割を理解する上で不適切なのです。

金融のミクロ経済学、そして有効市場の仮説というのは一方で成立し、マクロ経済というのは金融政策であって、全くお互いに関係ないと言われていました。IMFも「これは間違いだった」と今は認めています。私は金融のミクロ経済ではなくて世界の金融化だと思っているのですが、このミクロ経済、経済の金融化がマクロ経済的にも重要だということを理解すべきだったとIMFは認めています。今日の世界ではそれが十分に理解されるべきだと考えます。

少し長く話しすぎましたが、最後にもう一つだけお話を申し上げたいと思います。私の専門分野の南アについてです。金融化が南アの経済にどういう影響を与えたかという話です。ジム・アダムズさんは南アの不平等は世界でも最悪の状況だと示されました。アパルトヘイト以後、むしろ悪化したのです。過去20年南アで金融についてどういうことが起きたか、そして経済にとって金融化が何をもたらすかということを申し上げます。

学者、政策立案者、政府、すべてが認めている点ですが、まず第1に金融サービスの南アでのシェアというのは非常に急速に伸びてきて、ほかのセクターをしのいでいます。金融サービスがGDPの20%くらいになっているのです。しかしながら、人口の40%は全く金融サービスを受けていません。それが最初の点です。

それから2番目に、金融が何を達成すべきなのか。金融とは効率的に有効に資源を動員し、投資のために配分されます。南アの投資のレベルはGDPの10%をやや上回るという程度で、世界でも最下位です。経済の20%は金融サービスですが、投資のレベルはこれだけ低いのです。

なぜこうなっているのかは非常に明白です。かなりの資本逃避があるからなのです。これはアフリカでも政策上最も深刻な問題でしょう。そのほとんどが不法の非合法の資本逃避です。南アは2007年、ピーク時には資本逃避がGDPの20%もありました。投資がGDPの10%の中でそれだけの資本逃避があったわけです。そして不法の非合法の移転価格でこういうものが起きていました。

それから資源が否定されている中で、南アでは為替レートも非常に高いです。それで資本逃避の価値が高くなる、金利も非常に高くなっています。短期の流入によって、長期の資本流出の埋め合わせをしようとしています。為替レートが非常に高い、金利が非常に高いということは、30%の失業を抱える経済にとって非常に悪影響を及ぼします。

私が申し上げたいのは、この場合、南アの経済の脈略の中で金融化を見る場合に、ミクロやマクロなどという区別を撤廃することが重要なのです。どうやって政策をうまく考案して、資源を最も開発の目的に活用できるかということを考えていかなければなりません。

パネルディスカッション

白石 隆<br> ジェトロ・アジア経済研究所所長

白石 隆
ジェトロ・アジア経済研究所所長
モデレーター
白石 隆(ジェトロ・アジア経済研究所所長)

パネリスト
チェ・ウック 氏(韓国対外経済政策研究院院長)

平野 克己(ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター長)

柳瀬 唯夫 氏(経済産業省大臣官房総務課長)

ベン・ファイン 氏(ロンドン大学東洋アフリカ学院教授)

谷口 和繁 氏(世界銀行駐日特別代表)

白石  どうもありがとうございます。恐らく皆さんもこれまでの議論を聞いていて疑問に思っていることが幾つかあるのではないかと思います。あと25分ぐらいディスカッションの時間があると思いますが、同じ問題について随分違う考え方が提出されているものが幾つかあります。一つは産業政策をどのように考えるのかということです。最初にファイン先生は、産業政策をどう定義するかは非常に広範囲(Wide range)になってきていると指摘されました。

それに対して、チェ先生は二つ言葉を使っています。一つはストレングスニング・マーケットメカニズム(マーケットメカニズムを強化する)、もう一つはクリア・マーケット・シグナリングということで、マーケットがうまく働く政策をするということをもって産業政策と言っておられるのかなと私は理解しました。

さらに平野さんは非常にはっきりと、要するに国際競争で勝てる企業を育てるのが産業政策だと定義をされていました。この辺りをどう考えるのかということを、特にこのお三方と、実際にそういう産業政策そのものを今計画し実行しようとしている柳瀬課長に、もう少し突っ込んで伺ってみたいと思います。

ファイン  また発言する用意をしておりませんでした。産業政策という観点から非常に重要だと思うのは、先ほど言ったように、水平・垂直の要因を見ていくということです。セクター内で戦略的なこともそうですし、その国特有のものも見ていかなければなりません。日本の場合には、よりネットワークタイプの政策を追求したがっていらっしゃいます。特に強調したいのは、ほかの国は開発の違う段階にあるので、そういう状況というのはほかの国の抱える問題とは違うのです。多くの場合、課題は大きいかもしれませんが、こういう問題を抱えている日本はむしろ幸運かもしれません。

そして市場をうまく機能させるという問題については、そういう見方が正しいかどうかは私はまだ説得されていません。日本の製造業、そして日本の活動をうまく生かすためには、マーケットを通じて、あるいは国を通じていろいろなことをすることを意味するかもしれません。ただ、これは憶測で決定することはできません。いろいろな障壁を検討した上で決めていかなければなりません。障壁、障害というのは国内ばかりの問題ではなくて、グローバルな経済要因も、競争相手(コンペティター)もかかわってきます。

念頭に置いておかなければならないのは、その定義上、全部が第1位に、最前線にいくことはできないわけです。

チェ  スピーカーの皆さんにはいい発表、いい報告をいただきまして、ありがとうございます。われわれが避けなければいけないのは誤解です。政府の介入、あるいは介入的な政策といったときに、誤解してはいけないと思います。私も言いましたように、過去には政府が市場機能に介入することが可能でした。しかし今、多くの政策や措置が国際的、あるいはグローバルなルールにのっとっています。ですので、そのような状況を回避することはできません。では今政府が市場をより機能させるために何ができるかといえば、先ほど発表の中でも申し上げたように、市場メカニズムを作るということ、そしてはっきりとした市場に対するシグナルを送るということです。

先ほど発表の中で、柳瀬さんは、日本は産業的な組織が必要だとおっしゃっていました。どうでしょうか。率直に申し上げると、韓国も同じですが、韓国だけではなく日本でもさまざまな保護主義があります。だからこそ競争力のない多くの企業が市場にとどまることを許されているわけです。しかしこれは是正しなければなりません。自由化を通じて、あるいは政府による規制緩和によってのみ是正されます。韓国にはたくさんの問題があります。政府は多くの規制を敷いています。しかし、そういったものは自由化を通じて、徐々にレベルが解除されてきています。

まずWTOによって韓国は随分影響を受けました。産業構造の再編も行いました。また、韓国がOECDに加盟したことも、やはり大きな影響がありました。OECD加盟によって韓国経済の改革が進められたのです。OECDへの加盟が理由にはなっていませんが、韓国は1997年には金融危機に直面し、IMFから厳しいルールが提示されました。こういった政策がすべて正しかったとは思いません。しかし韓国はその方針に従いました。そして韓国はその産業構造を再構築したのです。

2000年代に入り、先ほど申し上げましたように、韓国はさまざまなFTAを締結しました。FTAが韓国と日本との間で締結され自由化が進めば、皆さんがどのように考えられるかは分かりませんが、韓国の自由化はずっと進むことになるでしょう。それは恐らく農業部門の影響が大きいと思います。日本は農業部門において大きな困難を抱えていますが、韓国も同じです。非常に大規模なデモが韓国でも街頭で行われました。大勢の人がそんなに強く反発するとは思わなかったのです。ですが韓国の政治家はこのような大規模なデモあるいは農業部門からの強い反発を乗り越えたのです。

韓国は確かにたくさんの問題があります。しかし今お話ししたようなさまざまな出来事を経験し、歴史的な勢いもあって、韓国は再編後に実現させました。自由化はとても重要だと思います。そして韓国がすべきことは民間部門にただ介入するというのではなくて、さまざまな障壁を規制し、FTAも一種のインフラだと思うのですが、こういったものを提供していかなければいけないと思います。そして多角的貿易交渉などを成功裏に行っていくのは、政府の役割、政府が主導していくものだと思います。そのような方向に政府が、それこそ企業に対しシグナルを送らなければいけないのです。そうすれば企業も自分たちがやっていることに対し納得するでしょう。

白石  それでは次に柳瀬課長、いかがでしょうか。

柳瀬  全くおっしゃるように産業政策というのは、定義やその人の使うイメージには相当広いずれがあると思います。私はファイン先生のご説明がものすごく実感として分かります。最近の産業政策はものすごく広がっていると思います。それで、私は日本の産業政策について、韓国・アメリカ・ヨーロッパに比べて2周遅れとよく言っています。

マーケットメカニズムが機能する規制緩和あるいはビジネス・インフラストラクチャーの強化が遅れているという意味が1周目です。今でも随分規制はかなり残っていると思いますし、法人税やFTA、トランスポーテーションといった物理的(フィジカル)なインフラストラクチャーがみんな弱いのです。これは日本が悪化しているのではなく、税制を変えFTAも結び、仁川国際空港を整備した韓国をはじめ、アジアの国が急速に進んでいるときに、日本が立ち止まっていたため、ものすごく立ち遅れています。これについて一つ言えば、大きな原因は日本の政治にありました。既得権益がかなり強く影響していた中で身動きがつかなかったときに、政権交代という既得権益と政権にある程度距離ができるのは日本が変わる一つのチャンスですが、これが実行できるかどうかは、ちょっとよく分かりません。

それから、2周遅れの2周目というのは規制緩和、ビジネスインフラの整備に加えて、世界的に言うとセクトリアルな動きが出ています。これは昔のようなガバメント・インターベンションというより、もう少しソフィストケートされていますが、かなりリアルな動きとして出てきていると思います。

私たちにとってものすごくショックだったのは、「産業政策をやめろ」とものすごい圧力を日本にかけたアメリカ政府のことです。それで日本の歴史として、ずっとインダストリアルポリシーから撤退してきたのですが、そのアメリカがオバマ政権になって、ストラテジックセクターといって、電気自動車に必要なバッテリーや素材の工場を作れば国が半分補助金を出す、2000億の補助金を用意すると。こんなことを日本がやったらただちに外圧でつぶされたようなことを、アメリカ自身がやるのです。もう一つのストラテジックセクターがスマートグリッドです。アメリカは送電線が弱いのに加えて新エネルギーの導入のため、ITによるコントロールと送電を最適な組み合わせにしようとしました。このIT技術を使ったエネルギー供給を、スマートグリッドと言います。これが第1の電気自動車に並ぶ第2のストラテジックセクターです。これは、電気のコントロールのためにITのスマートメーターを各需要家につける必要があります。これに3000億円中央政府が補助金を使って配るということで、かなりストラテジックセクターに焦点を当てています。

市場原理主義の本元のイギリスでも、一時期は「これからはITと金融でイギリスは生きていくのです」と言っていたので、それになびいて「日本はものづくりなんか早く捨てろ。そんなのは頭が悪い人がやるのであって、頭がいい人はITとファイナンスに行く」と言っていた日本の学者の人もいっぱいいたのですが、去年出てきたイギリス政府のレポートを見ると「あれは間違っていました。製造業と組み合わせないことには国富は拡大しないのです」と。それで航空機やロボットなどいろいろな幾つかの産業分野を特定しています。

韓国では李明博政権になり、ものすごく今自信を持って、2009年に立て続けにいろいろな産業分野をフォーカスしたインダストリアルポリシーを発表しています。18分野で5年間で数兆円の基金をスペシフィックなセクターに研究開発などの補助をします。それから半導体はもう完全に日本をオーバーライドしましたが、半導体製造装置は全く弱いということで、500億円の半導体製造装置の補助金のファンドを作ると。それから、半導体製造とさらには半導体を作るための部品材料は圧倒的に日本が強いのですが、ここについても今サムスンケミカルといったところが強化しています。かなりそこは世界的に成長の源泉がある程度見えてきているので、環境回り、ハイテク回りといったところを、セクターを目指して、どの国も今やっています。

これが2周目ですが、日本はどちらも今全くスクラッチ状態にあるものですから、そこは少し規制緩和と、ある程度重要分野について官民の連携を深めようというポジションにいるわけです。

白石  どうもありがとうございます。平野さん、いかがでしょうか。

平野  産業政策は何かというと、実は百科事典的な説明が一番簡単です。それは産業政策の反対側は何かということなのです。反対語は市場維持政策です。具体的に何かというと、つまり独占禁止法なのです。独占禁止法と全く違う発想の政策で産業のターゲッティングをする政策が、「産業政策」と定義されているわけです。産業政策、つまり産業に政府が何か介入すれば開発国家かというと、それは社会主義国家を見れば分かりますが、そうではありません。

ではなぜ独禁法を棚上げしたりするかというと、それは強い企業をつくるためです。NIEsと言われた韓国、それから台湾、香港、シンガポールもそうですが、小さな国で市場に任せておくと、企業の数が大きくなりすぎて過剰投資が起こります。それを防ぐ小国性というのが、実はこの産業政策にとってみると一つの大きな特徴なのです。

これは本当は小国が採る政策でした。国内市場が小さいので、外で稼いでこなければ完全雇用もできないし利益も上がらないからだったのですが、ところが今柳瀬課長からご紹介がありましたように、最近大国がするのです。アメリカもやるしフランスもやる、それから中国は十何億という人口を持っているのに貿易依存度が70%です。日本などは貿易依存度が三十数%しかない世界で最も少ない内向き国家ですが、巨大な国家が外に向かっていって、しかも小国的な政策と言われていた産業政策をやるのが今の時代なのです。

だから、経済の理論的な姿として市場優先がいいのかどうなのかという前に、そういう状況の中で日本はどうやって生き残るのだと考えていくと、柳瀬課長からご紹介があったとおり、かつてアメリカに散々言われ、経済学としては汚い政策と言われた産業政策ですが、きれいか汚いかよりも、生き残るためには一体どういう雇用者が必要で、どういう技術の集積体が必要かという経済の原点から考えるならば、産業政策が目指そうとしていたものは恐らくはエッセンスとして今の日本も必要であろうということを申し上げたかったということです。

2011年2月16日 国際シンポジウム パネルディスカッション

白石  どうもありがとうございます。時間が押していますので、もう一つだけ私の方からどうしても伺いたい質問があります。ファイン先生はファイナンシャライゼーションという言葉を使われていました。確かにファイナンスのロジックで資源配分がいびつになるということは容易に想像できますし、現に私が知っている事例などを考えてもそういうことは起こるだろうなと思います。同時に、ファイン先生の今日の最初のプレゼンテーションの中では、援助の役割というのは果たして民間部門を促進することなのかというクエスチョンがありましたが、私は否定的なインプリケーションでそういうクエスチョンを挙げていると受け止めています。

その一方で、特に平野さんは、開発金融というのは非常に重要なのだと。ここから先は私の考えですが、それがある意味ではかつて日本のODAなどでもそうでしたし、東アジアとアフリカでもう10年以上前ですが経済産業省(通産省)がやったスタディーを見ると、どうして東アジアとアフリカで経済成長に差が出たかというと、一つはガバナンスの問題だけれども、もう一つはODAと並んで民間投資が入っていったかどうかだという、かなり説得的なスタディーも私はあった記憶があります。

この辺は、ファイン先生は開発金融をどう考えておられますか。それから、中国政府はむしろ経済協力(エコノミック・コーオペレーション)という言葉をよく使っていると思いますが、特に中国のようなタイプの援助についてどう考えますか。

一方、谷口さん、それからチェ先生、平野さんはファイナンシャライゼーションの方はどう考えられますか。もう時間があまりございませんので手短にお願いできればと思います。では今度は谷口さんから。

谷口  ファイナンシャライゼーションというのは意味が少し分からないところもあるのですが、金融の役割ということで考えると、例えば環境問題にしろ産業問題にしろ、私はやはり金融の役割が引き続きあると。それでむしろ国家同士あるいは企業同士で環境も含めてなかなかうまくいかない問題を、金融の力でもし多少ともファシリテートできれば、それはいいことではないかと考えています。

平野  開発金融とファイナンシャライゼーションという、ファイン先生がおっしゃっているものの大きな違いは、どこで利益を取るかだと思います。これは時間の問題で、目の前で取ろうとするのがファイナンシャライゼーションで、10年後に取ろうとするのが金融なのです。つまり投資なのです。

今の経済がグローバリゼーションの出発点がビッグバンであったように、金融から始まりました。この金融が一時全くハーネスなしの状態になったことは確かです。アジア通貨危機もそうやって起こりました。こうなってくると経済学も通用しないので、最近は経済物理学というのができて、動きが全く分かりません。特に通貨や株価の動きが分からないという状態になっています。これは何らかのコントロールをはめないと、国際開発にとって私はマイナスだと思っています。ですが今谷口さんがおっしゃったとおり、金融そのものの動きは開発には不可欠なもので、そういった歴史的な観点から言えばこれはきれいにしゅん別をして考えるべきではないかと私は思っています。

チェ  金融化は批判もあります。しかしながら金融というのは非常に重要であると認識しなければなりません。危機の間には批判もありましたが、問題が起きたのは監督の欠如、関心の欠如があったからだと思います。規律がしっかりして強力ならば、そして適切な監督がなされるならば、金融化自体はむしろ経済に有益だと思います。経済がより良く発展するだろうし、金融セクターのみならず、製造部門にも有益だと考えます。

2011年2月16日 国際シンポジウム パネルディスカッション

もう一つだけ付け加えてよければ申し上げたいのですが、産業構造という話をするときに、サービス産業の重要性は強調しなければならないと思います。特に韓国および日本も製造部門は強いですが、日本でさえ先進国にはサービス産業で後れを取っていますし、韓国ももっと後れを取っていると思うのです。内需を拡大するためにはサービス産業を強化しなければなりません。サービスの生産性が韓国では非常に低めです。サービス部門はGDPの60%以上を占めているのですが、サービス産業の生産性というのはアメリカの半分、フランスの70%ですし、日本の80%になっています。ですから、サービス部門の生産性を拡大することができれば、内需を刺激できると思います。サービスというのは瞬間的に消費されるので、サービス産業自体にとって重要なばかりではなく、製造部門の成長もさらに促すと考えられます。ですから韓国、日本両国ともサービス部門により多くの投資をしていかなければならないと考えます。

最も適切なやり方としては、サービス部門の規制緩和です。韓国はその上での問題を抱えています。既得権が非常に多く、既得権があるのでサービス部門での規制撤廃というのは難しいです。でも、それができれば韓国経済はまた飛躍を遂げることができると思います。それを再度強調したいと思います。

白石  ファイン先生、最後にいかがでしょうか。

ファイン  ありがとうございます。金融化についてまず申し上げたいと思います。伝統的にマルキシズムはフリードリヒ・エンゲルスから由来するもので、その考え方として、銀行はますます産業を支配するというものです。金融化を、金融セクターが産業部門を支配すると理解する人も多いのです。私にとって開発金融というのは、金融の開発ではなく金融の利用の発展であると考えます。それが重要だと思うのです。

この答えを推測できるでしょうか。とある国は、産業は銀行金融に非常に依存していて、どの国を取っても4~15倍ほど金融に依存しています。その国は中国です。これは私が説明したい金融化の例ではありません。産業の投資を非常に多くの銀行がファイナンスしているのですが、その投資は短期的に利得を獲得するというものとは違うわけです。私にとって開発金融の最も重要な側面は、ファイナンスの統制と方向です。過去30年間、金融化で金融市場を作ってきた場合どうなるかということを見てきました。

保護について一言、三つの点を申し上げます。これは前の発言から出てきたことですが、どういう政策でも貿易政策としてとらえられます。研究開発、輸送、社会、経済インフラ、これらは全部競争力を強化する方向に動くので、競争力が強化されれば輸出のパフォーマンスが上がります。ですから、貿易が不公正だと考えられます。産業政策とはあらゆる政策を合わせたものなのです。

2番目の点は、ある程度原則的には、実践でもそうですが、アメリカは最も保護主義的な傾向が強い経済です。これは農業のみならず、国内産業をいろいろな形で支援しているからだけではなく、アメリカにとって不利だということで、WTOを盛んに活用して輸入者あるいは輸出者を提訴しています。自らルールを破るのはよくないと言いつつ、非常に冷酷な形でWTOを使って自分勝手なことをしているのです。

それからもう一つの点は、それほど確かではないのですが、貿易政策、産業政策は新しい状況の中でどういうものが許されるべきかという点です。どの程度こういうものを使えるかということは新しい状況下でまだ十分に問われていないと思います。

最後に中国について2~3点申し上げます。政策について十分な知識はないのですが、中国について議論する場合、対外的な関係、競争力や輸出、そして対米の黒字が話題になるのですが、中国の発展を駆動してきたのは内需向けの成長であり、国内市場の成長を認識することが重要と申し上げます。特に中国から教訓を学ぶとすれば、国内産業を育成して、国内市場に対して供給しているということです。それから韓国、日本もそうであったように、輸出の成功はそこに付随してきます。

2番目に、中国の援助政策とその影響について、十分に知識を持っているとは言えず、私の見解は偏見もあるのかもしれませんが、中国を悪者にしてはいけないということです。中国の援助の発展は全世界的な経済にポジティブだと思っています。