韓中、日中FTAの影響  —締約国および第三国への影響—

政策提言研究

奥田聡、 渡辺雄一  著
2010年10月29日発行 2011年3月修正

2011年3月

※本論文は、2008年の貿易データに基づいており、諸仮定は中韓両国間の妥結内容を織り込んでいません。現時点で中韓FTAが実現したとしても影響の度合いは異なりますのでご留意ください。(2014年12月)

1.研究実施の背景
韓国はアジア通貨危機およびリーマンショックを順調に乗り切り、世界経済が沈滞する中にあっても順調な経済成長を見せている。2009年の貿易総額は6866億ドルに上り、いまや世界交易の重要な一端を担うに至っている。

近年、韓国はFTA(自由貿易協定)を主軸とした対外経済政策を精力的に展開している。2003年に「FTAロードマップ」を施行して以来、アメリカやEUとのFTAを短期間にまとめるなど、着々と成果を上げている。発効済み、批准待ち、交渉中、研究中など何らかの動きのみられるFTA案件が仮にすべて発効した場合、韓国の貿易総額のうち実に9割以上がカバーされ、韓国独自の自由貿易ネットワーク構築が現実のものとなりつつある。韓国のFTA締結に向けての動きは広範かつ迅速である。

世界有数の貿易大国になった韓国の進める果敢なFTA推進は、韓国の競争相手、とりわけ日本に少なからぬ影響をあたえる。2000年代に入って、世界市場における日韓の輸出商品構造の競合は年を追うごとに激化し、一部商品においては韓国が優位を占める状況が現出している。韓国商品への評価の高まりやウォン安など、韓国の輸出を取り巻く環境は好転しているが、FTAの拡大は韓国の輸出環境をさらに改善するものと目されている。一方、韓国のFTA拡大はその貿易転換効果によって第三国からの輸出を締め出す危険をもはらんでいる。

韓国のFTAが第三国に与える影響については、2010年2月にアジア経済研究所より発刊された『 韓国のFTA 』(奥田聡、『韓国のFTA---10年の歩みと第三国への影響』、2010年2月、アジア経済研究所。) において韓米、韓EU FTAのほか、日韓EPAのケースが取り上げられているが、同書の発刊後の4月に李大統領が韓中FTAの検討を指示、10月には韓EU FTAが正式署名された。韓米FTAも12月に追加交渉が妥結し、批准・発効に向けて大きく前進した。このように、韓国のFTAをめぐる状況はここのところ急速に動いており、韓国のFTAが第三国に与える影響に関し最新の状況を加味した再検討を行う必要に迫られていた。今回は、各界のニーズを踏まえ、韓中FTAが第三国、とりわけ日本に与える影響を分析し、暫定的ではあるがその結果を発表することとした。また、韓中FTAがもたらす影響を埋め合わせる方策としては日中EPAを締結することが考えられるが、これについても影響分析を行った。
2.使用したデータ、手法について
データは関係当局が公表する公開データを使用することを基本としたが、一部有料データベース等からのデータも併用した。詳しくは下記を参照されたい。手法としては『 韓国のFTA 』(2010年。アジ研選書No.19)で用いられたものを基本とし、FTA締結直後1年間における影響を分析した。国内における影響の波及や生産性効果などについては考慮しなかった。韓中FTA、日中FTAはいずれも発効しておらず、譲許内容が明らかでないが、これについては日中両国が既に締結したFTAの例に倣うなど、一定の仮定を置いたうえで分析することとする。また、産業別の代替弾力性の値を見直すなどの修正を施した。

本研究では、韓中および日中FTAが発効したと場合の関税引き下げによって、FTA締約国における需要構造が変化するものとした。具体的には、締約輸入国が締約相手から輸入する物品に対する関税が撤廃されることにより締約輸入国の消費者の直面する価格が関税引き下げ分だけ下がると考えた。これにより、締約相手からの輸入品と締約輸入国の国内製品、および締約相手からの輸入品と第三国からの輸入品との比が変化するものと考えた。この比が変化する度合いを示すのが代替の弾力性であり、これは商品ごとの特性に応じて異なる値をとるものと考えた。

使用したデータおよび手法の詳細については以下のリンクを参照されたい。

<使用したデータ> <手法>
3.結果
【韓中・日中FTAの影響総括】
表1は韓中・日中FTAの影響を総括したものである。韓中FTAの発効によって、韓国は対中輸出を総額277億6000万ドル増やすとみられ、その内訳は第三国からの貿易転換効果が172億9300万ドル(うち日本は53億3600万ドル)、中国国産品との代替効果が104億6700万ドルである。一方、中国は対韓輸出を合計で126億3800万ドル増やすと見込まれ、その内訳は韓国国産品との代替効果が67億7700万ドル、第三国商品との代替に伴う貿易転換効果が58億6100万ドル(うち日本商品は16億3700万ドル)である。

同表より、日本は日中FTAの発効によって、対中輸出を466億7500万ドル増やすと見込まれ、その内訳は第三国商品との代替に伴う貿易転換効果が264億2900万ドル(うち韓国商品は48億500万ドル)で、中国国産品との代替効果が202億4500万ドルである。一方、中国は日中FTAの発効によって、日本国産品との代替効果が62億5200万ドル、第三国からの貿易転換効果が38億600万ドル(うち韓国は3億700万ドル)で、合計100億5800万ドルの対日輸出増加が見込まれる。
表1 韓中・日中FTAの影響総括
表1 韓中・日中FTAの影響総括


【各国の収支状況】
表2 は韓中・日中FTAの発効に伴う、各国の収支状況の内訳を示している。日本は合計で334億5000万ドルのプラスとなる(日中FTAに伴う対中輸出増で466億7500万ドル、対中輸入増でマイナス62億5200万ドル、韓中FTAでの貿易転換効果によるロスがマイナス69億7300万ドル)。一方、韓国は158億7000万ドルのプラスが見込まれるものの(韓中FTAに伴う対中輸出増で277億6000万ドル、対中輸入増でマイナス67億7700万ドル、日中FTAでの貿易転換効果によるロスがマイナス51億1200万ドル)、日本の半分以下のメリットしか享受できない。中国に至っては、対日本・韓国からの輸入増がひびいて80億1600万ドルのマイナスが見込まれる(韓中FTAに伴う対韓輸出増が126億3800万ドル、対韓輸入増でマイナス104億6700万ドル、日中FTAに伴う対日輸出増が100億5800万ドル、対日輸入増でマイナス202億4500万ドル)。
表2 各国の収支状況
表2 各国の収支状況


【産業別・品目別の輸出増加効果】
表3 は韓中FTA発効による、韓国の対中輸出増加の効果(中国製品および第三国製品との代替効果に分類)を産業別にみたものである。総額277億6000万ドル増えると見込まれる韓国の対中輸出のうち、光学・精密機器(56億3500万ドル)が最も大きく、次いで電機(41億8800万ドル)、機械(35億2500万ドル)、情報通信機器(21億1400万ドル)などの部門で対中輸出増が顕著である。その他、繊維・衣類(24億9000万ドル)や鉱物(24億5500万ドル)といった産業においても、輸出増加の効果が比較的大きいことが見込まれる。
表3 韓中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(中国市場)
表3 韓中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(中国市場)


表4 では、韓国の対中輸出が特に増えると予想される個別品目を示しているが、このうち光学・精密機器に分類される液晶デバイス機器や電機に含まれるその他蓄電池の伸びが突出している。また、石油などの調整品や通信機器部品、光ファイバーケーブルといった品目においても、顕著な対中輸出増が見込まれる。
表4 韓国の対中輸出増のうち、上位個別品目
表4 韓国の対中輸出増のうち、上位個別品目


一方、中国の韓中FTA発効による、対韓輸出増加の効果(韓国製品および第三国製品との代替効果に分類)を産業別に示したものが 表5 である。中国側は繊維・衣類(21億4400万ドル)の対韓輸出増の効果が最も大きく、次いで電機(21億2700万ドル)、機械(16億4300万ドル)、化学(10億2500万ドル)といった部門で韓国向け輸出の増加が顕著である。しかし、韓国側の敏感品目と考えられる農畜産物の対韓輸出の増加効果はそれほど大きなものではない(2億8100万ドル)。
表5 韓中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(韓国市場)
表5 韓中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(韓国市場)


中国の対韓輸出が特に増えると見込まれる個別品目を示した 表6 をみると、電機産業に入る点火用配線セットの伸びが最も高く、その他電気機器部品の増加も顕著である。また、繊維関連ではTシャツなど肌着の対韓輸出の増加が期待される。
表6 中国の対韓輸出増のうち、上位個別品目
表6 中国の対韓輸出増のうち、上位個別品目


表7 は日中FTAの発効による、日本の対中輸出増加の効果(中国製品および第三国製品との代替効果に分類)を産業別にみたものである。総額466億7500万ドル増加すると見込まれる日本の対中輸出のうち、機械部門(106億3200万ドル)での増加が突出して高く、次いで電機(78億9700万ドル)、光学・精密機器(59億2800万ドル)、自動車部品(44億4200万ドル)、情報通信機器(39億9400万ドル)の順で輸出増加効果が大きい。また、繊維・衣類(31億900万ドル)やその他金属(23億8500万ドル)といった部門でも、対中輸出は大きく伸びることが見込まれる。
表7 日中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(中国市場)
表7 日中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(中国市場)


表8 は日本の対中輸出が特に増えると予想される個別品目を示しているが、このうち電機産業に分類されるその他蓄電池、光学・精密機器に含まれる液晶デバイス機器、ギアボックスなど自動車部品の伸びが顕著である。この傾向は、韓中FTAの発効に伴う、韓国の対中輸出増加のパターンに類似している。
表8 日本の対中輸出増のうち、上位個別品目
表8 日本の対中輸出増のうち、上位個別品目


一方、 表9 は日中FTA発効による、中国の対日輸出増加の効果(日本製品および第三国製品との代替効果に分類)を産業別に示している。中国側は韓中FTAの場合と同様に、繊維・衣類の対日輸出増の効果が最も大きく(54億7100万ドル)、その増加額は韓中FTA発効における繊維産業での対韓輸出増の2倍以上となる。その他、ゴム・プラスチック(9億900万ドル)、化学(9億300万ドル)、履物・かばん類(5億4400万ドル)といった軽工業部門での対日輸出の増加が目立つ。また、韓中FTAと同様に、日中FTAによる農畜産物の対日輸出の増加はそれほど大きくはない(1億1900万ドル)。
表9 日中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(日本市場)
表9 日中FTA発効に伴う産業別輸出増加効果(日本市場)


中国の対日輸出が特に増加すると見込まれる個別品目を示した 表10 をみると、ズボンやオーバー、肌着など繊維・衣類製品がやはり中心を占めている。
表10 中国の対日輸出増のうち、上位個別品目
表10 中国の対日輸出増のうち、上位個別品目


【第三国への影響】
表11 は、韓中・日中FTAの発効に伴って、第三国が受ける影響(輸出減少額)を国別(EU諸国についてはまとめて集計)に示している。韓中FTAの発効に伴って、第三国が受ける貿易転換効果をみると、最も大きな影響を受ける国は日本であり、その輸出減少額は69億7300万ドルと見込まれる。そして、そのほとんどは韓国製品との競合が激しい中国市場においてである(53億3600万ドル)。また、台湾も中国市場において、日本に次ぐ輸出減少の影響を受けるとみられる(33億1900万ドル)。一方、韓国市場においては、EUの輸出減少額が最も多く、16億9500万ドルと推計される。EUは中国・韓国両市場合わせて、日本に次ぐ輸出減の影響を受けるとみられる(45億700万ドル)。

一方、日中FTAの発効に伴って、第三国が受ける貿易転換効果をみると、最も大きな影響を受けるのはEUであり、その輸出減少額は93億8100万ドルに上る。EUの輸出減少額のほとんどは中国市場においてであるが(82億2700万ドル)、日本市場においても第三国中最も多くの輸出減の影響を受けるとみられる。EUに次いで影響を受けると予想される国は韓国であり(51億1200万ドル)、その大半はEUと同様に中国市場への輸出減少である(48億500万ドル)。
表11 第三国が受ける影響(輸出減少額)
表11 第三国が受ける影響(輸出減少額)





使用したデータ

[輸入額] 2008年
日本: 財務省貿易統計 、HS8桁
韓国: 韓国貿易協会 、HS10桁
中国:World Trade Atlas、HS8桁
※いずれも、商品分類はHS分類の最も詳細なレベルにて採録。

[実行関税率]
日本:2008年4月、 税関公示データ
韓国:2009年1月、 関税庁公示データ
中国:2008年、WTO Integrated Data Base(IDB)
※FTA発効前の日本の対中輸入については、特恵関税率を全量適用すると仮定。

[FTA関税率]
日本:(日中FTA)日チリFTAの日本側税率を適用(2008年4月)
韓国:(韓中FTA)韓チリFTAの韓国側税率を適用(2009年1月)
中国:(日中、韓中FTA)韓チリFTAの韓国側譲許に準拠(2009年1月)。詳細レベルでの品目コードが韓中間で相違するため、品目コードが共通であるHS6桁水準での韓チリFTAの関税引き下げ率を計算。次に、中国のHS8桁水準各品目でのFTA譲許税率を以下のように仮定した。2008年現在の中国の最恵国HS8桁水準関税率に、当該品目が所属するHS6桁水準の韓チリFTAにおける韓国側関税引き下げ率を乗じて得た数値を中国のHS8桁水準品目のFTA譲許税率とする。

[国内生産額]
各国ともHS8-10桁の詳細な商品分類別の国内生産額のデータは存在しないため、便宜的に次のように仮定した。

輸入額÷輸入比率=国内生産額

ここで、輸入額は詳細な商品分類別の対世界輸入額、輸入比率は各国の産業連関表中分類における輸入比率(輸入額÷国内生産額)である。使用した産業連関表および分類数は次のとおりである。

日本: 2005年産業連関表 (購入者価格、108分類、確報)
韓国: 2008年産業連関表 (生産者価格、95分類、延長表)
中国:2007年投入産出表(中間投入135分類)中国国家統計局国民経済平衡統計司、全国投入産出調査弁公室編

各国とも、産業連関表中分類の各産業とHS分類との対応については筆者が定め、各産業に属するHS詳細分類各商品について輸入比率は同一と仮定した。(これはかなり強い仮定といえる)

[代替の弾力性]
CGE(計算可能な一般均衡)モデルで広く用いられるGTAPデータベースから引用した。今回は2005年公表のVersion6を用いることにした。貿易財42産業(農林水産業、鉱工業)について使用することとし、HS分類との対応については筆者が定めた。

2010年刊行の『 韓国のFTA 』(奥田聡、『韓国のFTA---10年の歩みと第三国への影響』、2010年2月、アジア経済研究所。) で使用した弾力性数値よりもかなり高い数値を採用した。それは、次の理由による。

  • 韓国のFTA 』では関税引き下げの商品分類を越えた交差弾力的効果を考慮していない。
  • 世界的不況で所得制約が厳しくなる中、各国の消費者が価格への反応度を高めている。
代替の弾力性は、締約相手からの輸入品と締約輸入国産品との間の代替(輸入品・国産品代替)と、締約相手からの輸入品と第三国からの輸入品との間の代替(輸入品間代替)を想定するが、これらに関してはDiranan et al (2006) (Betina V. Dimaranan, Robert A. McDougall, and Thomas W. Hertel( 2006). "GTAP 6 Data Base Documentation - Chapter 20: Behavioral Parameters", Global Trade Analysis Project, Purdue Univ.)を参照されたい。上掲書に従い、各国において代替の弾力性は同一と仮定した。
韓国のFTAの影響測定の手法について
[韓国の関税払い戻し制度の扱い]
韓国では輸出品生産に用いられた輸入原材料にかかる関税を申請により払い戻す制度がある。これにより、韓国では現在でも実際の徴収額が計算上の徴収額を大幅に下回っている。この実態を補正するため、韓国市場については「国内輸入」を計算の対象とした。これは、輸入総額から実際の関税払い戻しの対象となった「輸出用輸入」の総額を差し引いたものである。ただし、輸出用輸入と申告されたもののうち、相当部分が関税払い戻しを受けていないと思われるため、関税払い戻しを受けなかったとみられる輸出用輸入についてはこれを国内輸入とみなすこととした。国内輸入算出を具体的に示すと、


Md=M-Me×{(Tr/T)/(Me/M)}



となる。ただし、Mdは国内輸入額、Mは輸入総額、Meは「輸出用輸入額」申告総額、Trは輸出用関税払い戻し額、Tは関税徴収総額である。


[各品目における影響額の計算]
各品目のFTA発効時における関税撤廃に伴う即時的な影響額は次のように算出される。

輸入をM、国内生産額をD、η(MD)を輸入・国産品間の代替の弾力性、η(MM)を輸入品間の代替の弾力性、従前の従価関税率 をτ、FTA発効初年の関税引き下げ率(0~100%、即時撤廃の場合は100%)をδとする。下付き添え字iはFTAの締約輸入国、jは締約輸出国とし、hが品目を表すものとする。またΔを増分とする。すると、商品hにおいて、FTA発効にともなう関税撤廃がi国自身の国産品に及ぼす効果は次のように計算される。

ΔMijh(MD)=(Dh+Mijh)*(1-1/(1+ (Mijh/Dh)*EXP(LN(1+τijh*δijh) *ηh(MD)))

また、i国の第三国からの輸入に及ぼす効果(貿易転換効果)は次のように計算される。

ΔMijh(MM)=Mih*(1-1/(1+ (Mijh/(Mih-Mijh))*EXP(LN(1+τijh*δijh) *ηh(MM)))

個別の第三国への影響は、当該国の第三国内シェアに応じた案分にて算出できる。