東南アジアにおける商業銀行部門の変容と現状

調査研究報告書

三重野 文晴 編

2018年3月発行

第1章

報告書の序として、ASEAN 商業銀行セクターの最近の動向を鳥瞰する。

アジア金融危機から再編を経験してきた先進 ASEAN 諸国の銀行セクターには、2010年代に入って大きな動きが見られる。その背景としてあるのは、2000 年代半ばから輸出成長によって格段に安定した実物経済と、その結果としての経常収支黒字=貯蓄超過=対外資産増加というマクロ経済環境の変容である。いまや、先進 ASEAN 諸国は、資本フローの出し手として国際金融市場に存在感を示しつつある。

そうした環境変化を背景に、この地域の商業銀行セクターは、一方ではビジネスモデルを模索しており、一方では外資のプレゼンスの拡大と主要銀行の海外展開という国際市場への進出を志向している。ビジネスモデルの点では、貸出業務は実物部門の成長セクターである製造業などよりは、家計の消費向け融資に依存する傾向がある。タイ、インドネシアでは外資の参入が継続的に進み、最近では特に日系銀行や東アジアの銀行の展開という新しい局面が現れている。一方で、シンガポールやマレーシアで形成された大規模行の一部には、ASEAN 全域への展開を図るものも現れてきている。

2015 年のアセアン市場統合(AEC)を踏まえた銀行部門の政策協調の枠組み、例えば「適格 ASEAN 銀行」の認証制度など、これを後押しする動きもあるが、政策効果や今後のこうした変容の持続性については、注意深く見ていく必要がある。

第2章

本章では、ASEAN のマクロ経済動向を概観する。全体としては、順調な経済発展を遂げてきた ASEAN 諸国であるが、アジア通貨危機(1997 年)や世界金融危機(2008 年)を経て明らかとなったマクロ経済の課題について考える。

ひとつは、域内経済格差の存在である。高所得国としても上位に位置するシンガポールから、内戦を経てようやく経済発展の端緒についたばかりのカンボジアまで、40 倍を超える所得格差が存在している。域内経済格差の縮小が肝要である。第 2 に、アジア通貨危機後の平均成長率の低下が問題である。その背景には、投資率の低下にともなう貯蓄超過経済への転換がある。第 3 に、過剰とも思える外貨準備の蓄積には、コストも伴うことを認識する必要がある。第 4 に、一部の国における少子高齢化の進展は、経済成長を底上げする「人口学的配当」の終わりを示唆する。高所得を実現済みのシンガポールは別として、タイやベトナムなど、経済発展途上の諸国においては、深刻な問題と考えられる。最後に、金融深化と資本市場の成長においては、上位数か国を除けば、いまだ十分とは言えず、今後も継続的な政策努力が求められる。

第3章

ASEAN 経済共同体(AEC)の構築に伴って ASEAN 金融統合が政策的に進められており、その一環として適格 ASEAN 銀行(QABs)を相互認証するプロセスが進んでいる。しかし、これがどれだけ実効性を伴うものとなるかは不透明である。

リーマン・ショック後に欧州の銀行が弱体化してアジアでの活動を縮小したのに対し、域内の銀行がこれにとって代わる動きをみせたが、これを主に担っているのは域内の主要国(日本・中国など)の銀行であり、ASEAN ではシンガポール・マレーシア・タイの上位行に限られる。今後、ASEAN 地域を重視するこれらの銀行による域内での拠点開設や国内銀行への出資・買収が一層拡大することが予想される。

特に、経済成長の余地が大きい一方、金融サービスの供給が不足しているフィリピン・ インドネシア・CLMV 諸国などが主な進出先となる。CLM 諸国の金融システムの拡大は、とりわけ急速である。これらの国では、リテール・ビジネスを中心に競争が激化すると考えられ、フィンテックの活用による金融包摂の促進や金融サービスの向上が重要なポイントとなろう。

今後、経済統合が進んで銀行統合が加速する可能性は高いが、国ごとの金融発展度の格 差は大きく、これを放置すれば競争激化の中で金融不安定化のリスクが高まるであろう。こうした中、QABs の枠組みの構築を着実に進めるとともに、域内の銀行の国際競争力を高めることが重要と考えられる。

第4章

ASEAN6か国を対象に銀行部門の現状についてアジア通貨危後の発展の状況を概観し、危機以降から2013 年までの個別商業銀行の財務指標の変化を国別に比較する。アジア通貨危機後、各国で銀行部門は再構築されてきたが、国により銀行部門の状況は異なる。金融センターであるシンガポールの銀行部門は確実に資産を拡大し、特に世界金融危機以降世界の資金を吸収している。高位中所得国であるマレーシア、タイの銀行は危機を経験しながらも安定的に発展している。その一方、低位中所得国のインドネシア、フィリピンは実物経済の発展とは異なり、銀行部門の低迷が続いている。中所得国になり急速に発展しているベトナムは、経済の発展に比例して銀行部門も拡大している。このように ASEAN 域内においても、銀行部門の発展の格差は大きく、今後経済統合が進む中でこうした格差が域内銀行の進出を促進することが考えられる。

第5章

タイではアジア金融危機をきっかけに商業銀行部門に大きな再編が起きた。破綻処理の対象となった中規模行、小規模行を外資が買収する形で参入があり、大規模行も海外から多くの出資を受けた。

2000年代の「金融セクター・マスタープラン(I)」や 2010 年から実施されたそのフェ ーズ II においては、海外からの銀行業の参入が奨励されるとともに、地場資本からの商業銀行への新規参入も広げられた。一方で従来からの金融コングロマリットによるビジネスの拡大は抑制的されてきた。

外資の参入にはこれまで段階的に進んできている。金融危機直後に参入した欧米系外資はリーマンショック以降退潮気味であり、それに代わって日系、中国・台湾系、アセアン域内系の外資の参入が目立っている。

商業銀行部門における外資のプレゼンスを定量的に観察すると、外国人株主比率は安定的に上昇し、2014 年には平均で 40%台という極めて高い水準に至っている。他方、買収などによって参入した外国銀行の銀行部門に占める比率は全体としては微増傾向にはあるが、リーマンショック時には一旦低下し、2010 年代には回復するが10%前後で推移している。

こうした外資を中心とする商業銀行部門への新規参入が、市場の競争環境に与える影響はあまり大きくなく、どちらかといえば、むしろ寡占性を強めているように見える。

商業銀行の収益構造を観察すると、外国銀行の収益率や経営効率性は、大手の地場銀行には見劣りし、同規模の中規模地場銀行と同じ程 度である。この点で、外国銀行の参入が、優れた金融技術の導入に繋がって銀行部門を効率化するといった、仮説は現段階では、必ずしも明らかではない。

第6章

本章では、2000 年以降におけるフィリピン銀行部門について、金融仲介の観点から停滞と進展を概観する。外資系金融機関による国内大手銀行の買収を経験していない同国では、国内資本ユニバーサル/商業銀行の預金・与信残高シェアは、現在に至るまで一貫して 80~90%と非常に高い。しかし、2000 年代後半まで財務状況の改善を余儀なくされ、その後のリーマン・ショック経て 2010 年に前アキノ政権が発足し、2013 年に民主化(1985 年)後初めて投資適格を得て直近約 5 年にわたる好況の現在も、1990 年代末の与信規模(対GDP比)への回復を見ていない。その間停滞していた対産業(製造業)部門与信に代わる貸出先として伸長したのが、主に都市部の中間所得層を対象とする家計向けローン(クレジットカード、自動車/オートバイ、消費者金融)である。

他方、金融アクセスの観点から銀行部門を見ると、2000 年から中央銀行が展開している金融包摂(Financial Inclusion)に関するさまざまな取組みが行われているものの、改善に向けた成果はなかなか上がっていないという現実がある。マニラ首都圏および地方の大都市とそれ以外の地域との金融サービスへのアクセスにおける格差は、2000 年代以降に約 300行の地方・協同組合銀行が清算されていること、地銀レベルの合併・買収推進プログラムや外資系銀行による買収、100%所有の容認が段階的に実施されてきたものの、このような状態は、首都圏・大都市外に所在する企業や産業、一般国民への金融仲介の停滞も意味する。今後は、中銀を中心とする施策の方向性を変更する必要もあろう。

近年、行政機関や現政権は「高位中所得国入り」を国家的目標に掲げ、農業・製造業の地方分散や中小企業・起業促進による所得レベルの引き上げを謳っている。金融仲介の促進は産業振興と表裏一体であるため、国内資本銀行を中心とする金融サービスの普遍化は不可欠である。

第7章

インドネシアの商業銀行部門の所有者構造はアジア通貨危機以降大きく変わってい る。115行の商業銀行のうち、従来地場資本が所有していた民間銀行のほとんどを外国銀行が買収した結果、インドネシアの主要な民間銀行は外国資本に変化している。2000年代初めから現在まで断続的に続く外国銀行のインドネシア銀行市場への参入は、時期により大きく 3 つの段階に分けることができる。第一段階は、アジア通貨危機後の銀行部門再編の過程で国有化された銀行株式の売却にともなう外国資本の参入である。第二段階は、大型売却が収まった後に中規模民間銀行の買収を中心としてアジア域内・中東の銀行による参入である。そして 2013 年以降の第3段階は非外為銀行など小規模銀行も含めた銀行の東アジアの銀行による買収である。

商業銀行部門の現状をまとめ、個別銀行の財務指標の変化を検討した結果、資産や貸出は伸び、自己資本比率や不良債権比率は改善していることが確認された。また、利益率は回復し利ざやの高さも高く、インドネシアの商業銀行は健全で収益性も高いといえる。こうした銀行財務の改善とインドネシアの経済規模の大きさが、外国銀行によるインドネシア銀行市場の参入の要因のひとつともいえる。