SAARC-ASEAN両事務局間の協力の現状

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.96

2017年3月31日発行

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  • ASEAN-SAARC両事務局間の協力は2000年央に盛り上がりを見せた。これはSAARCがASEANのFTAについての経験から学びたいという動機であった。
  • SAFTA発効に加え、ASEAN印FTA(ASEANプラス1)やパキスタン-マレーシアFTA(地域横断主義)が追求されたことや、BIMSTEC(超地域主義)が活動を活発化させたことにより、地域間主義は下火になった。現在両事務局間の交流は停滞している。
はじめに

地域概念は絶対的なものではない。地域はその存在を主張する主体によって形成されてゆく側面がある。地域機構はそのような主体の一つである。第二次世界大戦直後は東南アジアという概念は未確立であったが、ASEANが半世紀前に発足し、多くの人々が「東南アジア」は存在すると信じるようになったといえる。

しかしながら21世紀は、国境や地域概念にとらわれずに経済活動が行われるグローバリゼーションの時代である。既存の地域概念にとらわれない協力の可能性もある。本稿では東南アジアと南アジアの協力深化について、制度面から考察を行いたい。特に、地域機構であるASEANとその南アジアにおけるカウンターパートであるSAARCとの間の協力について掘り下げたい。

既存地域を越えた協力の類型

既存地域を越えた協力には5つの類型がある。第一に既存の地域グループ間の協力がある。第二に異なる地域グループに属する二カ国がバイ協力を行うことが考えられる。第三に協力の一方が地域グループで他方が国という可能性がある。第四に新たな地域グループが既存の複数の地域グループと重複するように形成されることがありうる。最後に新たに極めて大きな地域グループが既存の複数の小さい地域グループを包括するように創設されることが考えられる1

既存地域を越えた協力の類型
注:BIMSTEC(ベンガル湾多分野技術経済協力)のメンバーはインド、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、タイ、ミャンマー。ダッカに事務局。IORA(環インド洋地域協力連合)の参加国は19カ国(東はオーストラリア、西は南アフリカ、北はイラン)。モーリシャスに事務局。

ASEAN-SAARC関係の経緯

ASEANとSAARCの外務閣僚レベルの最初の接触は1998年9月の国連総会の際にもたれた。この場でASEAN-SAARC閣僚会合を毎年国連総会時に開催することが合意された。2002年9月の閣僚会議では、FTA、HIV/AIDS、観光、貧困削減が潜在的協力分野とされ、両事務局に対して協力深化のためのマンデートを与えた。その後2004年1月には「両事務局間パートナシップ作業計画」が合意された。この2年間の作業計画(2004-2005年)は、貿易、HIV/AIDS、観光、科学・技術、金融、貧困削減、犯罪、エネルギーを対象分野とし、両事務局間で経験の共有を行うことを主目的とした。作業計画は2006年に修正され、協力分野が拡大した。2007年12月には貿易等11分野を含む新作業計画(2008-2009年)が策定された2

新作業計画が策定された頃から、両事務局間の交流は下火になったようである。ASEANの年報は2007-2008版を最後に、2012-2013年版を唯一の例外として、SAARCについての記述がなくなる。2012-2013年版年報によると2013年2月にSAARC事務局がASEAN事務局を訪問した際に、2008-2009年の作業計画を延長する可能性について協議がなされたが、その後特段の進展はなかったようである。

制度間の補完・競合関係

なぜSAARCとASEANの協力は一時的に盛り上がった後急激に後退したのであろうか。上述の協力の5類型を基に特に制度間の補完、競合関係に焦点を当てつつ簡単な考察を行いたい。

第一は、1996年に交渉が開始されたSAFTAが2006年1月に発効したことである。つまり、2002年に協議が開始され2004年に策定された両事務局間の作業計画は、FTAの履行についてSAARCがASEANの経験から学ぶことが主目的であったと考えられる。このことは、地域協力(SAARC)と地域間協力(SAARC-ASEAN)が、少なくともSAARC側からしてみれば補完関係にあったことを意味する(地域協力のための地域間協力)。このことは、アジアと欧州の間の地域間主義であるASEMによって、アジア側の地域主義が触発されたことと類似している3

第二に、SAARCは、(1)加盟国の間でASEANとの協力に温度差があること、(2)事務局の権限が弱いこと、(3)意思決定プロセスが非効率なこと等が指摘される。結果、加盟各国が独自の対外経済外交を追求するが、ここで重要なのはインドとパキスタンの競合関係である(表)。最初の地域横断主義は2005年に締結された星印FTAであったが、これに刺激を受けたパキスタンは同年中にシンガポール、マレーシア、インドネシア、中国とのFTA交渉を開始した4。上記の枠組み類型に照らせば、地域横断主義と地域外主義(ASEANプラス1)は、地域間主義と競合関係にあるといえる。この点も、EU-韓国FTAやEU-日本FTAの交渉が進む一方で、EUとアジアのFTA(ASEM大のFTA)の議論が下火になったことと類似している。

第三に、1997年に設立されたBIMSTECの活動が、第一回サミットの開催に象徴されるように2004年頃から活発化したことが挙げられる。同年にはBIMSTECのFTAの枠組み協定も署名されている。これは超地域主義と地域間主義が競合していることも示唆している。

表:印パのFTA

インド パキスタン
ASEAN 2009年8月 なし
日本 2011年2月 なし
マレーシア 2011年2月 2007年11月
シンガポール 2005年6月 交渉未妥結
韓国 2009年8月 なし
中国 なし 2006年11月
インドネシア 交渉未妥結 2012年2月
まとめ

ASEAN、SAARC両事務局間の協力は2000年央に盛り上がりを見せたが、これはSAFTAを履行するに当たって、SAARCがASEANの経験を学習したいという動機があった。地域協力と地域間協力は補完的といえる。一方、インドがASEANおよびASEAN諸国とのFTAを単独で交渉開始したことで、印パが競って地域横断協力、地域外協力を推進する状況となった。また、超地域主義の枠組みであるBIMSTECも求心力を高めた。これらは競合関係にある地域間主義であるASEAN-SAARCを停滞させることとなった。

(浜中慎太郎 新領域研究センター)

脚注


  1. 地域概念は未確立なので、後二者の差は曖昧である。
  2. ASEAN年報2003-2004, 77; ASEAN年報2006-2007, 4; ASEAN年報2007-2008, 4。
  3. J. Gilson (2002) Asia Meets Europe: Inter-regionalism and the Asia-Europe Meeting, Edward Edgar.
  4. 星パFTAと印尼FTAは未調印。FTA交渉開始が実現可能性を十分考慮していなかったことを示唆している。

本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。