香港返還と中国、台湾:一国二制度の行方

トピックリポート

No.19*

大西 康雄  編
1997年1月発行
CONTENTS

まえがき / 大西 康雄

中国、香港、台湾の経済関係の現状と経済的統合の展望

  1. 中国は、来世紀にわたる発展戦略として、経済のさらなる市場化推進を決定した。ただし、経済の安定的発展のためには、経済のマクロ・コントロール確立、国有セクターの立て直し、農業部門の停滞打破、地域・部門間の経済格差拡大の抑制、資源制約・環境制約への対応、などの問題に取り組む必要がある。江沢民政権は、こうした認識に立って従来の小平型改革・開放路線の修正を図りつつあるが、路線の修正は香港、台湾との経済関係に大きな影響を与えることになろう。
  2. 今後、対外開放分野においては、地域(沿海地域)優遇策に替わって産業政策に基づいた外資導入政策の調整が実施される。この結果、従来香港、台湾の対中投資の主力をなしてきた労働集約的業種の投資は次第に減少するだろうし、沿海部に集中しがちだった投資地域も分散化を迫られることになる。しかし、その反面、中国が国内市場開放に着手したことから、香港、台湾を含む外資にとっての投資チャンスは拡大したとも言える。
  3. 香港、台湾の経済は、対中投資拡大が対中貿易の拡大をもたらすという投資主導型戦略によって中国経済とともに高成長を達成してきたが、中国の工業化が進展したことに加え、上述した中国側の政策転換もあってこうした戦略は行き詰まりを見せている。打開の方途は、中国経済の成長に合わせて自身の経済の高度化をはかることにあるが、香港と台湾では対応にかなりの違いがでよう。
  4. 香港の場合は、中国経済との統合を前提に、その国際金融センターとしての優位を維持し、ソフト、ハード両面のインフラをさらに整備して、華南地域の貿易・物流拠点を目指す戦略をとることになろう。台湾の場合は、「アジア太平洋オペレーション・センター」構想に見られるように、域内製造業の高度化(ハイテク産業の育成)、インフラ整備推進によって自立的な産業基盤を形成しようとしている。こうした戦略の成否は中港台関係の今後に大きな影響を与えることになろう。
  5. 中国と香港、台湾の経済的統合の進展は、三者関係における中国の主導権を強めることになろう。他方、経済的統合の進展は中国をも拘束することになる。特に返還後の香港については、将来「一国家二制度」方式による中台統一を目指す限り、同方式のテスト・ケースとして慎重な運営がなされることになろう。
  6. 中国では、1990年代に入って地域経済変動に新たな動きが出てきている。返還後の香港も、こうした変動の中に組み込まれていくことになろう。地域経済発展のモデルとして従来は「香港・広東リンケージ」モデルが有力だったが、今後は「上海・長江リンケージ」モデルが脚光を浴びよう。中国が返還後の香港経済に期待する機能は、従来のような「資金調達・輸出の拠点」機能に加えて「市場経済への移行期の諸矛盾を緩和するバッファー・ゾーン」としての機能であるが、今後時間の経過とともに経済の主導権は長江経済圏に移行するであろう。

中国の対香港、対台湾政策と政治的統合の展望

  1. 香港返還作業は最終段階を迎えており、中国は香港特別行政区(SAR)準備委員会を通じて主導権を握りつつ、初代行政長官、臨時立法会議員の選出を有利に進めてきた。中国人民解放軍の香港駐留準備も進んでいる。返還作業自体すでに内政問題と化しており、江沢民政権内で返還後の香港の主導権をめぐる争いが激化している。返還後はこれに加えて、SAR政府と中国中央政府の利害調整をどうするか、SARと他地方との軋轢にどう対応するかなどの難問が浮上してこよう。
  2. 尖閣諸島(香港名称:釣魚台)問題をめぐって香港では民衆レベルの反日運動が展開された。中国政府は「愛国主義」の発露としての運動には支持を表明したが、これが中国国内に波及することについては警戒感を隠さなかった。返還後の香港における政治運動への対応基準は明確に示されてこなかったが、今回の反日運動への中国政府の対応ぶりはそれを推測する一つの材料を提供したといえる。
  3. 『香港特別行政区基本法』は、SAR政府に対し従来の行政機構を維持し、香港社会の安定を保つことを要請している。香港政庁は、こうした要請に応えるべく公務員の現地化、再訓練(中国語教育など)を進めており、こうした実務的準備はSAR政府にとってもプラスであろう。SAR政府にとっての難題は、中央政府との政策協調である。返還後の教育政策のあり方や米ドル・ペッグ制の存否をめぐる議論は、中央政府の影響力増大に対する香港社会の不安を示している。
  4. 各種の世論調査の結果が示唆するように、返還を挟んで香港住民のアイデンティティーが流動化することが予測される。1996年夏に尖閣諸島問題をめぐって見られた住民運動の高揚をとらえて、こうした流動化の先触れであると速断することはできない。しかし、香港住民は、今後否応なく中国人としてのアイデンティティー構築という難題に直面することになる。
  5. 台湾の李登輝総統は就任演説で条件を付けつつ大陸訪問の意思を表明したが、中国側の反応は冷淡で、李総統に対する評価が依然厳しいことが明らかとなった。統一問題に関して中台のハイレベルの対話が進展する可能性は低い。他方中国は、中台間の経済交流についてはさらに推進しようとしており、当面の対台湾政策は、(1)経済的利益を武器に台湾の友好国を取り込むという「逆実務外交」と(2)政経分離方式で台湾経済界を取り込む、という両面作戦を特徴とすることになろう。
  6. 台湾当局は、対中実務関係においては規制を緩和し、中国との関係改善に努めようとする方向を示している。ただし、中国の対台湾政策への懸念が払拭された訳ではなく、台湾経済の不調もあって中国への投資を規制しようとする動きも出ている。台湾と中国は、それぞれ相手側の承認国を自身の側に取り込むことを目指して国際社会での角逐を強めている。香港返還後にすぐ問題となりそうなのは、台湾承認国の在香港公館や台湾の在香港実務機構(中華旅行社など)に対する処遇がどうなるかである。
  7. 尖閣諸島問題をめぐっては、台湾でも民衆レベルの反日運動が見られた。新党などは香港、中国と連携しようとする姿勢を見せたが、民主進歩党はこうした動きは中国主導の統一につながるものだとして反対した。台湾当局は、同問題処理に関する原則として(1)台湾の領有権を主張する、(2)平和裡に解決する、(3)中国との協力はしない、(4)漁民の利益保護を優先する、の4項目を表明しており、日本との間で穏便な解決が目指されることになろう。
第1章
はじめに
第1節 経済の市場化の進展と新たな課題
第2節 当面の経済政策の調整
第3節 香港、台湾との経済関係への影響
第4節 転換期の香港経済、台湾経済
第5節 若干の展望
おわりに
第2章
はじめに
第1節 中国の香港返還政策
第2節 内政問題化する香港返還
第3節 台湾総統選挙以後の中国の対台湾政策
おわりに
第3章
はじめに
第1節 1980年代の地域経済発展モデル
第2節 開発戦略の再検討
第3節 地域経済変動と産業政策
第4章

返還を控えた香港—政治・経済システムの行方 / 谷垣 真理子

はじめに
第1節 香港システム—返還を跨ぐ変化と連続性
第2節 公務員機構—政治制度の連続性
第3節 特別行政区政府の政策決定上の困難
第4節 香港住民のアイデンティティーの流動化
おわりに
第5章
はじめに
第1節 原則の応酬
第2節 実務関係改善への努力
第3節 経済不調の影響
第4節 国際間における中台対立
第5節 香港返還をめぐる台湾の対応—尖閣諸島問題の影響
おわりに
資料編

中国・香港・台湾の主要経済指標、貿易・外国直接投資統計 / 張 紀南