[緊急リポート]ミャンマーの新展開:開放と成長への助走

トピックリポート

No.12*

桐生 稔 編
1995年9月発行
CONTENTS

まえがき / 桐生 稔

  1. ミャンマーは1988年8、9月の民主化騒動で、1962年より続いた「ビルマ式社会主義」を基礎としたネーウィン体制が崩壊。民主化勢力を武力で抑えた国軍が政権を奪取、国軍幹部が構成する国家法・秩序回復評議会(SLORC)が政権を担当する軍部独裁体制(以下軍政)となっている。
  2. 軍政は、政権樹立直後に複数政党制に基づく、議会制民主主義の復活を約束した。これに従い、1990年5月に総選挙が実施された。選挙の結果は民主化勢力を集約した国民民主連盟(NLD)が、議席の80%を獲得して圧倒的に勝利した。このため民主化勢力の独走を怖れた軍政は、政権移譲に応じず、むしろ民主化勢力への弾圧を強め、多くの政治家が逮捕された。
  3. 軍政による民主化勢力への弾圧と政権を移譲しない態度は、米・西欧、国連から厳しい非難を受けた。89年7月から自宅軟禁されていたアウンサン・スーチーにノーベル平和賞が授与されたこと、またヤカイン地方のベンガル系回教徒が大量にバングラデシュへ難民として流出したことなどで、国際世論からの非難はさらに高まった。国際的孤立化を怖れた軍政は、92年4月に、それまでの軍政トップ(SLORC議長)であったソウマウン上級大将を更迭(辞任)して、タンシュウェ上級大将が代わって、柔軟路線を展開する。
    夜間外出禁止令・戒厳令の全面撤回、カレン族への攻撃停止、ベンガル系回教徒難民問題の解決、大学再開、政治犯の釈放などを実施した。
  4. 軍政は民政移管への条件として、憲法制定が必要だとして、93年1月から憲法制定のための国民会議を招集。95年7月現在で、全体の3分の2程度の審議を終えた。軍政は憲法制定を全民族の合意に基づいたものとしたいため、少数民族のうち武装反乱を続けるグループとの和平交渉を1992年末から始め、95年 7月現在、16グループのうちカレン族を除いて、15グループと和平が成立した。これにより、憲法草案は、96年度中にも国民に提示されることになる。憲法制定後、憲法に基づき選挙が実施され、二院制の議会が招集され、新しい政治体制が発足する予定になっている。
  5. 95年7月9日、軍政はアウンサン・スーチーの自宅軟禁を解除した。国際非難の緩和を期待したものであるが、一方では、軍政は軍政の準備している新体制への移行に自信を深めていることを裏付けた。釈放されたスーチーは、いまのところ軍政を刺激することを避け、長期的視野に立った民主化運動を進める姿勢を示している。従って、88年のような軍と民主化勢力が直接対決するような事態が起こる可能性は低い。
  6. 7月末からのASEAN外相会議に、94年に引き続き議長国(ブルネイ)の招待で出席、将来のASEAN加盟の可能性が高くなった。当会議での外相会談で、河野外相は、対ミャンマーODAの一部再開をアウンジョー外相に表明した。
  7. 軍政は成立直後に「ビルマ式社会主義」の放棄を宣言、対外開放と市場経済化を軸とする経済改革に着手、民間投資規制緩和、民間外資の導入、国境貿易の公認化などを実施、とくに92年以降にその効果が表面化し始めた。95年6月末現在の外資の進出状況は、141件約27億ドル、案件数、投資額ともにシンガポールが第1位。
  8. マクロ経済は、92年以降順調に推移し、GDP成長率は、92/93年度9.7%、93/94年度5.9%、94/95年度6.8%であった。とくに農業、民間工業、ホテル・観光部門が活況を続けており、経済発展のリーディングセクターとなっている。しかし、チャット貨のオーバーバリュー、対外債務、インフラの未整備など問題や制約要因も多い。
  9. 軍政に対する諸外国の評価は、アジア諸国と米・西欧とではきわめて対照的である。中国は、軍政に対し友好関係を保持し、経済交流や首脳の相互訪問によってプレゼンスを拡大し、アジアへのひとつの足掛かりとしようとしている。ASERANは基本的には、「非難よりは積極的関係を持つことによる民主化の勧奨」というスタンスをとり、とくにシンガポールは、経済関係を強めている。
    米・西欧は軍政そのものを認めることに消極的で、人権改善と民主化の推進とりわけ、民政移管を求めている。アウンサン・スーチーの釈放後も、基本的な評価を変えていないが、軍政に対する非難を弱めていることは確実である。
  10. 我が国の軍政に対する姿勢は、人権改善と民主化推進については、米・西欧とほぼ同様の要請をしつつも、経済協力の一部を実施するなど、積極的介入を試みてきた。前政権時には、対ミャンマーODAの約8割を供与してきた我が国としては、ODAの全面再開の条件を明示することによって、ミャンマーの民主化プロセスを支援することができる立場にある。
    軍政によるアウンサン・スーチーの釈放は、その条件のひとつであった。我が国としては、軍政が用意する”民主化”体制が、如何なるものであれ、軍政ではない”議会制による文民政府”であるならば、そのプロセスの促進のために力を貸すべきである。たとえ国軍の政治的指導力が部分的に残された文民政府であったとしても、いっときも速やかに軍政でなくなる政府の樹立を支援すべきである。それがミャンマーの真の民主主義体制への一歩になると考えなければならない。そのためにも、ODAの再開は慎重かつ段階的に実施すべきで、しかも、前政権時ではODAで実施した産業プロジェクトやインフラ、エネルギー開発には民間投資を動員し、ODAでは、農業・農村・地方開発、生活改善などに力を注ぐべきであろう。
第1章
1. 軍政の基本的政治戦略
2. 少数民族問題の行方
3. 今後の展開—民主化の可能性
第2章
1. 市場経済化の政策展開の過程
2. 対外開放の進展
3. 民間投資と民営化
第3章
1. マクロ経済
2. 上昇する物価・賃金
3. 貿易・国際収支・為替
4. 外資政策と外資の進出状況
 (1) 民間外資に対する基本政策
第4章
1. ミャンマー・中国関係
2. アセアン諸国との関係強化
3. アセアンへの加盟問題
4. 動き出した地域協力
第5章
1. 対ミャンマーODA再会の基本条件
 (1) 民主化と人権問題の解決
 (2) 開発戦略と債務返済スケジュールの策定
 (3) 市場経済化の進展
2. ODA再開と活用に関わる留意点
 (1) 過去の実績評価の必要性
 (2) 市場経済化と対外開放への支援
 (3) 我が国経済協力の再開に向けての重要事項