コスタリカにおける「中所得国の罠」の克服に向けて

アジ研ポリシー・ブリーフ

No.23

鍋嶋 郁
2013年9月13日

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中所得国においては、「中所得国の罠」と呼ばれる、低廉・大量生産部門による競争性が人件費の高騰などの理由によって低下し、他方で高度専門知識や技術革新に依拠する高付加価値製品・サービス部門への産業構造の変革が容易に実現しないことから、結果的に経済成長が鈍化・失速している事例が、中南米や中東、東欧などの諸国で観察されてきた。

中南米諸国のなかで、コスタリカはこれまで順調な経済発展を遂げている。コスタリカの経済成長は、製造業における海外直接投資に基づいた輸出主導型経済成長戦略のもと、電子機器や医療機器産業等の高付加価値産業における海外直接投資によってもたらされた。この分野における主導的な企業を誘致することによって投資先としての評判を高め、海外投資先を模索する企業にとって魅力的な場所となった。



そこで本研究会では、「中所得国の罠」の実態とその克服に関する考察の対象としてコスタリカを選定し、コスタリカ政府機関、多国籍企業、国内企業、教育機関との議論を基に、東南アジアにおける発展の経験を踏まえ、コスタリカの現状をいくつかの特質すべき視点から概観した。複数の企業へのヒアリングからコスタリカの優位性として挙げられたものは、政治的安定、政府機関の執政能力の高さ、インセンティブの設定、地理的好条件、そして人的資本の供給力等であった。その一方で、コスタリカは「中所得国の罠」と呼ばれる状況が示す課題を抱えている。コスタリカが「中所得国の罠」を脱し、更なる経済成長を実現するために政策上の重要なポイントとなると考えられる産業育成、インフラ整備、人的資源と教育強化の3点から提言を行う。医療

機器分野におけるサプライチェーン構築を通じた比較優位の確立(産業育成)
コスタリカにとっては、電子機器のようなすでに確立された大規模な生産ネットワークへの参入はきわめて難しいものだと感じられる。これには2つの理由がある。ひとつは、電子機器関連のサプライチェーンはすでに大きく進展しており、その多くが北東・東南アジアに位置しているという点である。いまひとつは、コスタリカは現在、地域的に隔離された状況だという点である。地理的に言えばコスタリカの位置は決して悪いものではないが、地域生産ネットワークという観点から見ると、アメリカやEU といった主要な市場に対して、投入財の輸入と中間財および最終財の輸出の両方に関して、直接の取引を行うのには孤立した存在となってしまっている。ある特定分野におけるメキシコを除いては、コスタリカが属する生産ネットワークに参入している国は他にない。これは、多くの国が生産のどこかのステージに参入している東南アジアの例と比べて大きな違いである。

また近年、多国籍企業のサービス分野への移行という流れが見られる。これは賃金の上昇という点ではよい動きのように捉えられるが、製造業分野における発展の欠落を一部反映したものではないかという懸念もある。製造業における現地企業の成長を目指すのであれば、他の企業との関連性が非常に少ないという点から、多国籍企業のサービス産業への過大な移行は望ましい方向ではない。

多国籍企業から見たコスタリカの工業化はいまだ未成熟である。医療機器産業の誘致に成功し、この分野の企業がコスタリカにおいて集積しているように思われるが、これが現地企業の台頭につながっていない。おそらくこの産業が比較的小規模で、より専門的な部材等の投入を必要とするからであろう。これは、多国籍企業が現地企業に求める要件から技術的および経営的な機能が除かれており、また設備面で求められる投資(もしくは経営のやり方の変化)が現地企業の規模に比べ大きなものであるため、彼らがサプライヤーとして発展することを困難にしているのである。

他方で、コスタリカはすでに述べているとおり、医療機器などの高付加価値産業における多国籍企業の誘致に成功している。彼らへのヒアリングを通じ、医療機器分野は他の産業と比較した場合、一般的にはグローバリゼーションが進んでいないと感じられた。これは言わば、医療機器産業におけるサプライチェーンはまだ構築段階であり、この機会を利用しコスタリカは他国に対し優位性を得ることができるということである。


物流・エネルギーインフラのさらなる拡充(インフラ整備)
コスタリカで事業展開している企業への聞き取りにおいて、国内のインフラ整備の不十分さが多く指摘された。特に、陸路での輸送の質と電気等のインフラは企業にとっての重要性が高い。もしコスタリカが特に製造業の分野で輸出主導型成長戦略を進めるのであれば、輸送および物流基盤の整備が必要である。同様に、エネルギー政策も、産業政策と環境政策の観点から非常に重要な要素となる。所得の上昇とともにもたらされるエネルギー需要の増大にどう対応していくかは、コスタリカの将来的な成長の方向性に影響を与えることであろう。


高等教育ならびに研究開発人材の質的向上(人的資源と教育強化)
コスタリカに進出している多くの多国籍企業が、現在の人的資本の供給力に関して賞賛する一方、必要となるスキルの将来的な供給可能性について懸念を抱いている。海外直接投資の急激な上昇は、オペレーター、技術者、経営者のすべての労働者レベルで、人材の競争を生む。国内に質の高い人材を抱えていることは、多国籍企業にとって海外直接投資先としてのキーポイントとなるため、教育機関、政府、民間企業はともに協働し、人材の供給が海外直接投資の誘致にあたってのボトルネックとならないようにするべきである。そのような安定した人的資本の流入はある一定までは賃金の上昇を抑えることに繋がり、他国に対し多少の期間コスト面での優位性を保つことができる。

同時に、今後の十分な人材の供給のためには教育の質により気を配り始める必要がある。現在、技術教育を含めた下位教育における質は十分であるように見えるが、今後は大学等の高等教育における質の向上、特に研究分野における質の向上により注力すべきである。展望今回の現地訪問から得られた考察は、以下のとおりである。第一に、コスタリカは海外直接投資の誘致に成功している現在の強みをそのまま継続させる必要がある。それは、政治的およびマクロ経済的な安定と、人的資本の供給力である。さらに、これまで、コスタリカの最も重要な成長源となっていた継続した人材育成への注力を、より集中的、効率的に行う必要がある。政府、産業界、教育セクターは、コミュニケーションと情報交換を緊密に行い、コスタリカが十分な量と質の人的資本を提供できるよう、協働していく必要がある。また、今後の輸出促進政策を支えるべく、流通インフラの強化も必要となってくるであろう。

(なべしま かおる/新領域研究センター上席主任調査研究員)



本報告の内容や意見は、執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式見解を示すものではありません。