IDEスクエア

コラム

文化ののぞき穴

第15回 ベトナムの女性トップ水泳選手――東京五輪アスリート候補の闘い

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051917

2020年12月

(5,096字)

池江選手のようなスター

ベトナムにも日本の池江璃花子選手のような水泳の女性スター選手がいる。グエン・ティ・アイン・ヴィエン選手(以下、アイン・ヴィエン選手)だ1。身長は173センチと、池江選手より2センチ高い。アイン・ヴィエン選手はベトナム人民軍に所属する。2年に一度開催される東南アジア競技大会(SEA Games)2に2011年の第26回パレンバン、ジャカルタ大会から5回連続で出場した。獲得したメダル数は金メダル25個、銀メダル8個、銅メダル2個の計35個に上る。

しかしながら、傍目には順調であるかのように見えるアイン・ヴィエン選手も、五輪、世界水泳選手権、アジア競技大会といった東南アジア地域よりも大きな舞台では、さほど目立った結果を残せていない。特にここ数年は、得意としてきた400メートル個人メドレーでも、タイムが伸び悩んでいる。そうしたなか、7年間に及んだアメリカでの武者修行が打ち切りとなり、13歳から彼女が指導を受けてきたダン・アイン・トゥアン コーチ(以下、トゥアン コーチ)が2020年1月に辞任した。

新型コロナ禍により、東京五輪の日程は2021年7月23日~8月8日開催に延期された。2021年11月21日~12月2日には、ベトナムの首都ハノイで第31回東南アジア競技大会の開催が予定されており、2021年はアイン・ヴィエン選手にとってまさしく闘いの年となる。以下では、国家、国民から常に結果を出すことを求められてきた女性アスリートの歩みを垣間見ることを通して、ベトナムのスポーツ文化にふれてみたい。

最初の水泳コーチは祖父

1996年11月9日、アイン・ヴィエン選手はベトナム南部の穀倉地帯メコンデルタの中心地カントー省(現在のカントー市3)の農家に生まれた。父親はグエン・ヴァン・タックさん、母親はグエン・ティ・アイン・ホンさん。弟のグエン・クアン・トゥアンさんも水泳選手だ。ベトナム南部では末子相続の傾向が強く、父親のタックさんは末息子だったため、アイン・ヴィエン選手は父方の祖父母と暮らしていた4。最初の「水泳コーチ」は、祖父のグエン・ヴァン・トーイさんだった。故郷カントーの農村地域では、小運河が多く、親や祖父母が、子どもたちが溺れないようによく泳ぎの手ほどきをしていた。アイン・ヴィエン選手が4、5歳の頃、トーイさんは彼女を自宅近くの小運河に連れ出し、息継ぎ、足の使い方など泳ぎを指導した。アイン・ヴィエン選手は水を怖れることもなく、水から上がることを嫌がり、トーイさんをよく困らせた。余談になるが、祖母のヴォ・ティ・バイさんによると、アイン・ヴィエン選手は子どもの頃、バイさんが作る餅菓子を売るのを手伝ってくれたという5

2007年、アイン・ヴィエン選手がロントゥエン第1小学校5年生の時に転機が訪れた。同小学校が水泳大会を組織した際、友人が黙って彼女の名前を参加名簿に書き込んだ。競技会当日にそれを知ったアイン・ヴィエン選手は、その大会に出場して優勝する。続いて中央直轄市レベルの競技会6でも活躍した彼女は、小学校教師の指導も受けて、力をつけていった。そして翌2008年、第9軍区7 において水泳選手として専門的な訓練を受けるようにとの「誘い」を受ける。同軍区での訓練、練習を経て、ベトナムのアスリートとしては異例の支援を受けて、2019年にフィリピンのマニラで開かれた第30回東南アジア競技大会を迎えるまで7年間にわたり、アメリカで練習に取り組んだ8

写真:アイン・ヴィエン選手の故郷カントーを流れるカントー川
アイン・ヴィエン選手の故郷カントーを流れるカントー川
アイン・ヴィエン選手は、先述したように東南アジア競技大会で結果を出し続ける一方で、2014年には、中国で開かれた南京ユース五輪の200メートル個人メドレーで金メダルを獲得する。同年に韓国の仁川で開かれたアジア競技大会では、400メートル個人メドレーで銅メダル、200メートル背泳ぎで銅メダルを獲得した。続く2015年の国際水泳連盟(FINA)競泳ワールドカップでは、200メートル個人メドレーで銅メダル一つ、400メートル個人メドレーで銀メダルと銅メダルを一つずつ獲得している。そして、ロンドン五輪に続く2度目の五輪出場となったリオデジャネイロ五輪では、決勝進出こそならなかったものの、400メートル個人メドレーで自己新記録の4分36秒85をマークして9位に入った。
ここ数年の伸び悩みと重圧

しかしながら、ここ数年は得意種目の400メートル個人メドレーでも記録が伸び悩んでいる。2017年にハンガリーのブダペストで開かれた世界選手権の400メートル個人メドレーでは4分40秒39で10位、2014年に銅メダルを獲得した2018年開催のアジア競技大会(ジャカルタ、パレンバン)では、4分42秒81で5位に沈んだ。そして、2019年に韓国の光州で開かれた世界選手権では4分47秒96で19位に終わり、同じ年に開かれた第30回東南アジア競技大会では優勝こそしたものの、タイムは4分47秒85と、東京五輪参加標準記録B(OST)9である4分46秒89を突破できなかった。

2017年にマレーシアのクアラルンプールで開かれた
第29回東南アジア競技大会女子400メートル個人メドレーに出場したアイン・ヴィエン選手。

ベトナム国内では、アイン・ヴィエン選手の頑張りを称賛する声がある一方で、こうした伸び悩みを厳しく見る向きもある。その背景のひとつには、アイン・ヴィエン選手に対しては、アメリカでの長期練習など、ベトナムでは異例の「投資」が行われてきたことがある。例えば2012年以降年間20億ドン~30億ドン(2019年末のレートは1円=約208ドン)の資金がアイン・ヴィエン選手に注がれてきた。そして第30回東南アジア競技大会が開かれた2019年には約40億ドンの資金が「投資」される見込みと伝えられていた。この額は、ベトナムの全陸上選手に対する訓練費を上回っているという10

また、ベトナムのスポーツ選手育成の中心機関である文化・スポーツ・観光省に属する体育・スポーツ総局は、先の第30回東南アジア競技大会と東京五輪に向けて選抜した66人の選手に対して、1日1人当たり食費40万ドン、練習手当50万ドンを支給するとしていた11。この66人の選抜選手に対する支援額1年間分を計算すると、216億8100万ドンとなる。選手育成資金が潤沢とは言い難いベトナムのスポーツ界において、アイン・ヴィエン選手一人に対する「投資」額が突出していることが分かる。

アメリカでの厳しい鍛錬の日々

ベトナム国民からアイン・ヴィエン選手のアメリカでの生活が見えづらかったことも、厳しい意見が出る要因であったかもしれない12。しかし、アメリカでのアイン・ヴィエン選手の日々は、けっして楽なものではなかった。朝7時15分に練習を開始し、終わるのは夜8時30分頃。食事はトゥアン コーチが作る。牛肉1キログラム、エビ50匹など、食事も強化策の一環だ。衣服は同コーチが購入したものを着用し、休暇は1年に7日間。倹約生活に努め、アメリカでの自己最高の買い物は、130ドルのスポーツシューズであった。先述した第30回東南アジア競技大会前の練習では調子が思うように上がらず、夜涙が溢れ、不安のために眠れなくなり、鎮静薬を服用した。精神的に追い詰められて引退届も書いた13。アイン・ヴィエン選手はスポーツ界の現実について次のように語っている。「栄光か、無か、スポーツは過酷です。いい結果を出した時には関心を持たれますが、衰退した時には『投資』が得られないのは当たり前のことです。スポーツは常に新たな要素が出て来ます。賞味期限切れの選手を待つような我慢をする人はいません。スポーツの栄光はひとつの円(循環)のようなもので、ひとつの星が出てきたら、新しい星に場所を譲るために確実に去らなければなりません」14

長年指導を受けてきた信頼するコーチの辞任

精神的にぎりぎりの状態で迎えたその2019年第30回東南アジア競技大会でアイン・ヴィエン選手は6つの金メダル、2つの銀メダルを獲得して、大会最優秀女性選手に選ばれた15。メダルを獲得した8種目の決勝で彼女が泳いだ距離は、合計2350メートルになる。彼女は、同大会時におけるテレビのインタビューで涙した。涙の訳は、メダルは獲得したものの、記録面で個人目標を達成することができず、ピークから離れてしまっているのを感じ、自分自身に失望したからだった16

その後、強化資金の不足により、アメリカでの武者修行を終えたアイン・ヴィエン選手は、ホーチミン市体育・スポーツ大学で学びながら、ホーチミン市国家スポーツ訓練センターで練習することになった。しかし、13歳から教えを受けてきたトゥアン コーチの姿はもうそこにはない。アイン・ヴィエン選手の強化費用に使うとして、あるベトナムの俳優から借りた1万ドルが、未返済であると訴えられた同コーチは、家庭の事情を理由に、2020年1月末でコーチを辞任したのだ17

その後、2020年4月下旬の段階では、アイン・ヴィエン選手はベトナム水泳チームのファン・ティ・ハイン コーチの下で他の水泳選手と共に練習を続けていると伝えられていた。そして2020年8月下旬に入ると、体育・スポーツ総局幹部からの情報として、男子選手の育成で成果を挙げてきた中国のホアン・クォック・フイ コーチが指導を行う可能性や、外国人コーチ招聘の可能性が報じられた18。2020年10月16日~21日に開かれた全国水泳選手権に軍の代表として出場したアイン・ヴィエン選手は、14の金メダルを獲得している。しかし、国内記録をひとつも破ることができなかった。パフォーマンスを上げるために、アイン・ヴィエン選手自身は、再びアメリカに渡って練習することを希望している19。ヴォ・クォック・タン ホーチミン市国家スポーツ訓練センター長は、2021年にベトナムのハノイで開催される第31回東南アジア競技大会で6~8の金メダルは獲得できるとして、アイン・ヴィエン選手への集中的な投資を継続する方針を示しており20、具体的な指導、練習体制がそのうちに明らかになると思われる21。東京五輪での活躍を考えると、出場種目を絞って練習する必要がある。しかし、ベトナムで東南アジア競技大会が開催される以上、アイン・ヴィエン選手はそこでの活躍を何よりも優先することを求められるかもしれない。

将来目標のひとつはコーチになること

家族を心の支えとして闘い続けるアイン・ヴィエン選手の将来の目標のひとつは、水泳のコーチになることである。体を動かすことやスポーツが盛んで生活の一部になっているベトナムであるが、水泳については実はまだそれほどではなく、溺れない水泳技術を子どもに教えることが、課題のひとつになっている22。ベトナムでは毎年、子どもの水難事故が後を絶たず、2020年6月末に開かれたあるワークショップでの報告によると、過去10年間で毎年2000人の子どもが亡くなっている。溺水による15歳未満児の死者は、東南アジアで1番目、世界でも2番目に多い23。同報告は、2018年6月からベトナムの全国63省・中央直轄市のうち8省・中央直轄市で子どもに溺れない技術を教えるプログラムが実施されたと伝えているが24、学校へのプール設置を含め、一般の子どもたちが安全に泳ぎを学べる環境はまだ十分に整っていないようである。

多くのベトナムの子どもたちがアイン・ヴィエン選手を必要としている。今の闘いの日々を無事に終え、いつか自身の希望をかなえ、ベトナムにおける水泳文化の普及に尽力する日々をアイン・ヴィエン選手に迎えてほしい。

写真の出典
  • 筆者撮影
参考文献
  • 寺本実2020『ベトナムの社会誌――ドイモイ期の記憶の断片――』風響社ブックレット。
著者プロフィール

寺本実(てらもとみのる) アジア経済研究所地域研究センター東南アジアⅡ研究グループ研究員。単著に『ベトナムの社会誌――ドイモイ期の記憶の断片――』風響社ブックレット2020年、主な編著に『現代ベトナムの国家と社会――人々と国の関係性が生み出す<ドイモイ>のダイナミズム――』明石書店2011年、主な著作に「ベトナムの枯葉剤被災者扶助制度と被災者の生活――中部クアンチ省における事例調査に基づく一考察――」(論文『アジア経済』第53巻第1号、2012年1月)、最近の論考に「ベトナムにおける医療保険制度の骨格」(『健保連海外医療保障』No.125、2020年3月)など。

  1. 拙著(寺本2020:70-71)で少しだけアイン・ヴィエン選手について紹介している。
  2. 東南アジアスポーツ連盟(South East Asian Sports Federation)が主催する競技大会。第1回大会は、1959年にタイのバンコクで開催された。
  3. カントー省は、国会決議22号(2003年11月26日)に基づき、中央直轄市のカントー市とハウザン省に分けられた。
  4. アイン・ヴィエン選手の両親は、偶然共に「グエン」姓であるが、ベトナムでは夫婦別姓で、子どもは父親の苗字を名乗る形になる。家父長的儒教規範が強い北部では長男が家を継ぐ風習が強い。
  5. Lao Động online 2019年12月10日付Thanh Niên online 2019年12月4日付
  6. フードン健康競技会(Hội khỏe Phù Đổng)。同競技会は、「偉大なホーおじさん(故ホー・チ・ミン主席)の範にしたがって、身体を鍛えよう」という目標の下に、ベトナム全国で小学生、中学生、高校生を対象にして開催されるスポーツ大会である。
  7. ハノイ首都司令部を除き、ベトナムに7つある軍区のひとつ。第7軍区に属するロンアン省を除く、メコンデルタ地域に位置する省・中央直轄市が属する。
  8. Lao Động online 2019年12月10日付Thanh Niên online 2019年12月4日付Wikipedia tiếng Việt 2020年4月4日アクセス。
  9. 国際水泳連盟が定めた五輪参加標準記録のひとつ。 参加標準記録には、参加標準A記録(OQT)と参加標準B記録(OST)がある。
  10. Nhân Dân 2019年8月4日付。
  11. Sài gòn Giải phóng 2020年3月28日付。
  12. 情報は多くないが、アイン・ヴィエン選手は、アメリカのフロリダ州の水泳クラブに所属して練習に励んでいたようである。
  13. NDH Signature 2020年3月5日付、Sài gòn Giải phóng 2020年3月8日付。
  14. NDH Signature 2020年3月5日付
  15. アイン・ヴィエン選手が金メダルを獲得したのは、以下の種目である。400メートル個人メドレー、200メートル個人メドレー、400メートル自由形、200メートル自由形、200メートル背泳ぎ、100メートル背泳ぎ。銀メダルについては、50メートル背泳ぎ、800メートル自由型で獲得した。
  16. NDH Signature 2020年3月5日付
  17. Tuổi Trẻ online 2020年1月30日付
  18. Sài gòn Giải phóng 2020年8月27日付。
  19. VnExpress 2020年10月22日付
  20. Sài gòn Giải phóng 2020年8月27日付。
  21. 本稿執筆現在(2020年11月)、筆者は新たな情報を得ていない。
  22. 神奈川新聞ウエブサイトによると、2019年、日本のサギヌマスイミングクラブを運営するエスアンドエフ(宮前区)が、子どもの水難事故が問題視されているベトナムで水泳クラブを設立し、ベトナムに水泳の文化を根付かせようと活動している。
  23. 当該報告書は手元になく、具体的な状況については分からない。しかし、ベトナムでは用水路、運河、川、池(ため池含む)、湖、海、これらに加えて大雨や洪水時の道路の冠水など、水のある風景が至る所で見られる。最近では、ため池、ダム湖などの危険性、特に台風や熱帯低気圧による大雨、洪水時の危険性がよく指摘されている。
  24. Đại đoàn kết 2020年11月3日付。子どもに溺れない技術を伝えるプログラムは、103行政村で実施されたという。
【連載目次】

文化ののぞき穴