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コラム

途上国研究の最先端

途上国研究の先端的内容を平易に解説し、社会科学的な面から外国理解の一助となることをめざします。
月に2回を目安に新しい記事を配信します。

  • 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化 / 川中 豪 民主化はさまざまな不平等を是正すると期待される。それまで権威主義のもとで抑制されてきた政治参加の機会が広がり、政治的な自由が保障されるなかで、多くの人が自らの政治的な選好を表明し、その利益代表を政治の場に送ることができるはずである。社会において劣位に置かれてきた人々もそうした機会や権利を活用し、不平等解消の声が政治の場にも出されれば、差別は減少するだろう。 2024/03/01
  • 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後 / 永島 優 2013年4月24日。バングラデシュの首都ダッカにある、多数の縫製工場が入居していたビル「ラナ・プラザ」が崩壊した。1000人以上が死亡し、2500人以上が怪我を負うという、史上稀にみる大惨事であった。この事故をきっかけに、同国における既製服縫製産業の労働者が直面していた劣悪な労働環境に対して、国際社会の視線が一挙に注がれることとなり、公的な政策だけでなく、海を越えた先進国の消費地からの圧力によって、産業界の自主的な変革が数多く実施された。では、変革によって実際に賃金や労働環境は改善されたのだろうか? 今回紹介する研究によれば、その改善は劇的だったようだ。 2024/02/14
  • 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験 / 工藤 友哉 社会全体で資源利用の無駄をなくすためには財やサービスの売買取引が不可欠である。また、売買取引がない社会では経済発展の機会も限定されるだろう。しかしながら、初対面の人間と後払い(または前払い)の売買取引を行うのには勇気がいる。なぜならば、取引相手が約束を破る可能性があるからだ。このようなときに役立つのは、約束の履行を促す法律的根拠となる売買契約書だ。にもかかわらず、契約書の作成が普及していない国も多い。なぜだろうか。法に実効性がないからだろうか? あるいは、契約書がなくても約束の履行を可能にする何か別の仕組みが既に社会に存在するからだろうか? コンゴ民主共和国で社会実験を行った本論文によると、いくつかの状況が契約書の普及を妨げているようだ。 2024/01/26
  • 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが…… / 伊藤 成朗 最低賃金規制は第一義的に低所得者支援を目的に実施される。2023年8月発表の厚生労働省資料によると、2023年度最低賃金の全国平均値は1004円となった。下図で見るように前年度比で43円増である。この引き上げ幅は例外的に大きい。2003年度以降10年間の引き上げ幅は実質値で約100円である。最低賃金を23年度並みに引き上げてこなかった理由は、中小企業や地方企業の倒産を招くと政策担当者が考えているからである。企業倒産は費用が大きいので、政策担当者は避けたいであろう。 2024/01/15
  • 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか? / 牧野 百恵 コンゴ民主共和国の婦人科医デニ・ムクウェゲ氏は、「戦争や武力紛争の武器としての性暴力」撲滅への貢献により2018年のノーベル平和賞を受賞した。性暴力の背景には、加害者の性的欲求や嗜好が考えられがちだが、ムクウェゲ氏は性暴力を「性的テロリズム」と表現することで、性暴力が紛争の武器として戦略的に使われうることを世に知らしめた。 2023/12/04
  • 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新 / 谷口 友季子 政府に対抗する抗議活動を組織するとき、SNSなどICT技術はいまや必要不可欠なツールである。2010年頃のアラブの春に始まり、香港やミャンマー、タイなど世界各国で盛んに活用され、市民の参加を促してきた。一方、政府側もインターネットを検閲したり、監視に用いたりして、抗議活動を弾圧している。本論文は、2018年から2019年にかけてスーダンで起こった大衆蜂起において、反体制派やそれを支持する市民が、政府のSNS監視を逆手にとった戦術を取り、対抗していたことを明らかにした。 2023/11/21
  • 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果 / 工藤 友哉 公共財の供給など、国家がその機能を適切に果たすためには歳入を増やすことが不可欠だ。しかし、税収がGDPの10%に満たない低所得国は多い(Pomeranz and Vila-Belda, 2019)。この一因として、国家が課税できる物や取引について十分な情報をもっていないことが考えられる。では、国家よりも詳細な情報をもつ第三者に税の徴収を依頼したらどうだろうか。本論文の著者らは、コンゴ民主共和国の州政府と協力した経済実験を行い、チーフとよばれる地域の指導者(詳細は後述)に徴税業務を委託した場合の歳入への効果を分析する。 2023/10/25
  • 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石 / 伊藤 成朗 子どもの社会経済的成功は育った環境と親から受け継ぐ遺伝によって影響される。時代背景というマクロ変数も影響するが、ここでは脇に置こう。では、遺伝(nature)と環境(nurture)はどれだけの強さで子どもの社会経済的成功を決めるのだろうか。子どもの教育に携わる多くの人たちが古くから抱いてきた疑問である(なお、この問いの立て方が得策ではないことを付論で説明している。というのも、遺伝と環境の相互作用を無視した二分法ではどちらかを過大に評価してしまう可能性があり、用いている手法も因果関係を議論できないためである)。 2023/09/29
  • 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛 / 工藤 友哉 昭和の卒業式の定番ソングの一つに「人は悲しみが多いほど人には優しくできる」という一節がある。それでは、多くの悲しみを経験した人の子どもたちもまた他人に優しいのだろうか。1871年から1961年にかけて南米コロンビアで強制隔離されたハンセン病患者の子孫を分析する本論文によれば、条件つきではあるものの確かにその傾向はあるようだ。 2023/08/22
  • 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果 / 牧野 百恵 最近の貧困層向けの給付政策は、条件なし現金給付(Unconditional Cash Transfer: UCT)が多いようである。これまで貧困層向けの給付政策としては、条件付き現金給付政策(Conditional Cash Transfer: CCT)が注目を浴びてきた。とりわけ、メキシコで1990年代後半に始まったプログレッサ(その後オポチュニダデス)の効果のエビデンスを示した実証研究が有名になり、世界中でCCTが実施された。ただ最近では、CCTの効果がUCTと比べてそれほど違うのかという疑問が呈されている。UCTは、CCTのエビデンスが決定的でないなかで、条件なしだけにCCTに比べて実施が単純で費用が抑えられることから、注目されるようになったのだろう。UCTが実際に受給家計に与える効果──消費や所得、健康指標、教育など──についてはエビデンスが蓄積されてきている。本研究の最大の特徴は、受給家計への効果を超えて、UCTが非受給家計やその地域の市場価格、豊かさにどのような波及効果があるのかを推定したことである。 2023/07/25
  • 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信 / 工藤 友哉 アフリカにおける保健医療サービスの利用率は低い。医療提供体制が十分整っていないため利用したくても利用できないという供給側の問題を除けば、医療行為に対して市民が抱く不信感がその一因であることが多くの事例証拠で示唆されている。では、そのような不信感はどのようにうまれたのか。本論文は、植民地政府が組織的に行った政策医療活動(以下、組織的医療活動と略記)にその起源を求める。 2023/07/07
  • 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか / 福西 隆弘 世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指標において、日本は世界のなかでもジェンダー平等の達成度が低い国だと評価されています。日本は146カ国中116位(2022年)なので、世界には日本以上にジェンダー格差が大きく、女性が男性と同じように学び、家庭の外で仕事をし、パートナーを自分で選べるという状況にない国も多いといえます(World Economic Forum 2022)。ジェンダー格差は人々の意識の問題なので、教育などを通じて意識を変える取り組みが必要だと思われますし、私たちも学校でジェンダー平等について何かしら学んできました。しかし、学校でジェンダー平等の重要性を教えることは果たして効果があるのか疑問にも思います。なぜなら、学校で教わったように家や外では行動できないと思えるからです。インドで行われた実験の結果を紹介します。 2023/06/15
  • 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる / 牧野 百恵 日本を除く先進国では、すでに大卒の割合は女性が男性を抜いている。にもかかわらず、なぜ女性の賃金が相対的に低いままなのか。過去のコラム(「第67回 男女の賃金格差の要因 その1――女性は賃金交渉が好きでない」)では、女性の方が男性より賃金を交渉したがらないことを、その要因の一つとして実証した研究を紹介した。今回は、スウェーデンのデータを利用して、職場におけるセクハラを、男女の賃金格差を広げる要因の一つとして実証した研究を紹介する。 2023/03/10
  • 第67回 男女の賃金格差の要因その1──女性は賃金交渉が好きでない / 牧野 百恵 先進国では、すでに日本をのぞいて、女性の大卒割合は男性のそれを超えている(図1)。にもかかわらず、男女賃金格差は根強いままである。OECD諸国に限ってフルタイムの賃金を比較すると(図2)、男性に比べて女性の賃金は12%ほど低い。ここで男女賃金格差を問題視するのは、教育投資というのは、教育をした分だけ将来労働市場でより稼ぐことができ、投資コストに見合う分を回収できるという期待を前提としているからである。女性の方が教育投資は大きいにもかかわらず、賃金が低いままなのはなぜなのか。その理由として、女性は欧米諸国では高所得業種であるSTEM分野の専攻が少ないこと(筆者の過去のコラム「第54回 女の子は数学が苦手?──教師のアンコンシャス・バイアスの影響」を参照)、女性は賃金以外の働きやすさといったことを重視すること、などが挙げられてきた。今回紹介する研究は、たとえ能力が同じであっても、女性の方が男性より賃金を交渉したがらないこと、を一つの理由として実証した。 2023/02/22
  • 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合 / 伊藤 成朗 政府が「すべての女性が輝く社会」を目指しているなか、「保育園落ちた、日本死ね」とブログに投稿し、保育のために退職する羽目になった女性のことが国会で取り上げられたのは2016年2月末。7年経って「待機児童」数は劇的に減ったが、一部地域では0-2歳児を中心に「待機児童」が数多くいる。今でも保護者はどうすれば保育園に入ることができるかを考えて保活をしている。もちろん、保育園に通うことが家庭にとって最善の選択と考えていることだろう。こうした選択は男女の労働参加が進む国では増えている。OECD各国の保育園就園率は上昇傾向にあり、日本でも0-2歳児は16.2%(2005)→ 32.6%(2018)となった。 2023/01/12
  • 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範 / 牧野 百恵 多くの国では、経済成長するにつれて女性の教育水準は上がり、女性の労働参加率も同様に上昇する傾向がある。その例外は南アジアであり、経済成長しても女性の労働参加率が低いままか、むしろ減少している。インドは1991年の経済改革以降、目覚ましい経済成長を遂げたが、女性の労働参加率は逆に低下しており(図1)、ILOは「謎」な現象と認識している。なぜ、インドでは女性の労働参加率が低いままなのか。紹介する研究では、「女性が外で働くべきでない」というジェンダー規範にその理由を探る。 2022/10/25
  • 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと / 伊藤 成朗 知り合いのTさんから聞いた話では、算数/数学ができるようになると、入試で合格できる学校の偏差値はぐっと高まるという。他教科よりも出題数が少なく部分点もないので、取りこぼしが大きくなる算数や数学では大きな点差がつく。だから、数学の理解を優先させると、難関校が合格圏に入ってくる。本当だろうか? 2022/10/04
  • 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく / 塚田 和也 貧困の撲滅は現代社会が抱える重要な課題の一つである。持続可能な開発目標(SDGs)は、2030年までにあらゆる場所であらゆる形態の貧困をなくすことを目標に掲げている。しかし、世界人口のおよそ10%は今もなお一日1.9ドル未満で生活する極度の貧困状態にあり、これらの人々が貧困から抜け出す道筋はいまだ不透明のままである。なぜ、貧困からの脱出は難しいのだろうか? この研究は、大規模な資産移転プログラムと長期にわたる家計調査のデータを用いて「貧困の罠」の存在を示し、貧困から脱出するためには、はじめに大きな一歩が必要であることを明らかにした。 2022/09/12
  • 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい / 伊藤 成朗 最低賃金研究の歴史は長い。賃金を上げると雇用を減らすのではと古くから心配され、しかも、減るかどうか論争が終わらないからである(雇用減らない派のまとめはDube[2019]、減る派のまとめはNeumark and Shirley[近刊予定]、減る派の一般向けまとめはClemens[2019])。しかし、最低賃金を上げすぎたら雇用は減る、という常識では皆が一致する。ならば、「減る減らない論争」を止めて、減る条件は何か、減らないようにするにはどうすべきか考えよう、という建設的な論調も出てきた(Manning 2021)。 2022/07/19
  • 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か / 橋口 善浩 貿易自由化は労働者の男女格差を拡大させるのだろうか。自由化により輸入制限が緩和されると、それまで保護されてきた国内企業は輸入品との競争にさらされ、そこではたらく労働者の収入や雇用機会が奪われることがある。このような貿易自由化ショックが労働者に与える影響を分析した研究はすでに多数存在している。今回紹介する論文は、その影響が男女の間で異なり、労働市場における男女格差の拡大に寄与していることを明らかにし、さらに、その格差拡大のメカニズムについても実証的に追究したものである。 2022/06/28
  • 第60回 貧すれば鋭する? / 會田 剛史 発展途上国の農民は「貧しいけれども合理的(poor but rational)」であり、各自がおかれた環境のなかで最大限に合理的な意思決定をしている。これは開発経済学における伝統的な人間観である。一方、近年では行動経済学の発展を受け、貧困と非合理的な意思決定との相互関係に関する研究が進んでいる。今回取り上げる論文もまた、意思決定におけるバイアスと貧困との関係性をフィールド実験により検証したものである。 2022/06/13
  • 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響 / 牧野 百恵 アマルティア・セン(Sen 1990)が「ミッシングウーマン」現象を指摘して以来、いくつかの国における極端な性比が注目を集めるようになった。性比とは男性と女性の人口比のことで、女性に対する男性人口の割合を指すことが多い。男女産み分けや性選択的中絶がなければ、男の子が生まれる確率は女の子が生まれる確率より少々高いため、出生時における自然な性比はだいたい1.05である。また、出生時でなく、人口全体でみると、乳幼児死亡率は男の子の方が高く、女性の方が長生きするために、自然な状態での性比はおよそ0.95である。図1は、出生時性比が国によって大きく違う不自然な現象を表している。 2022/05/23
  • 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性 / 塚田 和也 安定した賃金と雇用が保証される公的部門は、途上国でも魅力的な就職先である。しかし、途上国の公的部門における採用プロセスでは、しばしば、応募者の払う賄賂の多寡によって採用が決まるといった悪しき状況も報告されている。もしも、汚職の横行が原因で、本当に熱意と能力のある人材が公的部門に職を得られないとすれば、配分の効率性や行政能力の低下につながるため、かなり深刻な問題といえる。ところが、採用プロセスに関して賄賂のデータが公表されることはまずないため、この問題は深く分析されてこなかった。本研究は、汚職と配分の効率性に関する初めての本格的な分析であり、結果は大方の予想とは異なる意外な発見を含むものであった。 2022/04/14
  • 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか / 伊藤 成朗 この20年で先進国の政治分断が進んだ、と多くの人が感じているだろう。トランプ政権の誕生と終結時の議会占拠、ブレグジット、欧州各国での極右政党の台頭など、分断を象徴する出来事はわれわれに強い印象を残している。なぜこんなことになったのか。この問いに対し、格差が広がるなかで経済的に不遇な人たちの不満が結集した結果だ、という専門家の解釈やジャーナリストの解説記事が論壇で語られてきた。 2022/04/05
  • 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉ / 牧野 百恵 一般に、女性が大学で教育を受けるようになり、男性と同じように社会進出したことが、少子化につながっていると思っている人は多いだろう。しかし、先進国に限ってみると、北欧諸国のように女性が社会進出している国ほど、少子化現象がみられないことはあまり知られていない。少子化は、東アジアや南欧諸国など、女性の社会進出が遅れている国でより深刻である。 2022/03/09
  • 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形 / 伊藤 成朗 干ばつになると一般に農村の所得は減少する。しかし、細かく見ていくと、影響の度合いは村によって違う。工場のある村では所得に対する影響がより小さい。さらに細かく見ると、同じ村でも農家によって所得への影響が違う。灌漑農地を持つ農家は天水農地に依存する農家よりも、干ばつの影響が軽微だ。 2022/02/10
  • 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響 / 牧野 百恵 OECD(経済協力開発機構)諸国では、いまや男女の教育格差はなくなりつつあるどころか、男子より女子の教育水準が高いという逆転現象が起きている。経済学で教育にお金をかけることを教育投資というのは、子どもがよい教育や高い教育を受けると、将来の所得水準がより高くなるという収益が期待されるからである。にもかかわらず、男女の所得格差はいまだに大きい。日本ではそれほど顕著でないが、欧米ではSTEM分野(サイエンスS、テクノロジーT、エンジニアリングE、数学Mの頭文字をとったもの)が高所得業種につながりやすいことから、STEM分野を専攻する女子の割合が低いままであることが、男女の所得格差の一因であるとみられている。女子はなぜSTEM分野の専攻を避けるのか。生物学的に女子は数学が苦手だからだろうか、それとも社会や文化によってかたちづくられた、女子は数学が苦手だという意識的なもしくは無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)があるからだろうか。本研究は、イタリアの中学校を対象に、担任教師にそのようなバイアスが強いと、女子の数学の点数が低くなり、いわゆるよい学校に行く可能性が下がることを示した。 2021/12/21
  • 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」 / 會田 剛史 生産性の高い農業技術をいかにして普及させるかは、古典的ながら、現在も最先端の研究が行われる開発経済学の重要なテーマである。近年の研究は農家の情報交換ネットワークに注目し、最初に誰にアプローチすれば情報伝達が効率的に進み、高い技術普及率が達成できるかに焦点が置かれている(第22回「農業技術普及のキーパーソンは『普通の人』」も参照)。本研究はそのなかでも特に、ネットワーク理論に基づいて最初の「シード農家」を選ぶことの重要性を、実証的に明らかにした研究だ。 2021/11/09
  • 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった / 伊藤 成朗 途上国の政府は1980年代以降、市場競争を勧奨してきた。市場で競争が強まると、非効率な企業は退出し、価格が低下して消費者や買い手の厚生は高まる。では、生産性の高い企業のみが競争を生き抜くと、経済全体にはどのような影響があるのか。政府のエコノミストなら、良いことずくめと言うだろう。これに対し、GDPの労働分配率が下がる、という衝撃的な結論を理論と実証で示したのがオターらによる先進国を対象にした研究である。実は、日本を含めた先進国12カ国では、労働分配率が1980年代から継続的に低下している。 2021/10/06
  • 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない / 牧野 百恵 中東および北アフリカ(MENA)諸国、南アジア諸国では、女性が外で働く割合が圧倒的に低い。共通項として、イスラム教徒が多いことを挙げられるが、インドは大多数がヒンドゥー教徒であり、宗教だけで説明できる現象でもない。女性が外で働くことを恥と思う感覚は、なにもMENA諸国、南アジア諸国地域に限ったことではなく、戦前の日本の女工に対する社会の見方を思えば理解できるだろう。戦前までさかのぼらなくても、いまだに一部の人たちには、妻が働くなんて、という考え方があるようだ。また、外で働く女性をよく思わないことは、今は女性の社会進出が比較的進んでいると思われるアメリカですら、1920年代ごろまではみられた(Goldin 2006)。本研究は、サウジアラビアに根強い、女性が外で働くことを恥と思う伝統的な社会通念が、簡単な情報を与えるだけで変化しうることを実証した。 2021/09/24
  • 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか? / 伊藤 成朗 モラルに抵触する、タブーである、という理由で禁止される行為が社会にはある。禁止しなければならないのは、そうしないと必ず実施されてしまうからという、存在と禁止に関わる矛盾があるからに他ならない。禁止の手段は、行為を犯罪に指定して懲罰を与えること(=犯罪化)が多い。犯罪化すればその行為を減らす成果が期待できるが、その成果はどのような費用を支払って得られるのか。 2021/08/19
  • 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い / 牧野 百恵 新型コロナウイルスの蔓延によって、世界中の就学年齢の子どものうち9割以上が学校閉鎖の影響を受けた。就学と児童婚(国際的定義では18歳未満の婚姻)は大きな相関があり、学校閉鎖によって、児童婚が増えるのではないか、若年齢妊娠のリスクが高まるのではないか、といったことが危惧されている。国連の持続可能な開発目標(SDGs)の一つとして、児童婚の撲滅に向けては大きな進展がみられていたが、コロナ禍はその成果を無にするどころか後退させかねないといわれている。児童婚の背景には、さまざまな要因が複雑に絡みあっており、就学のほか貧困や慣習も大きな要素である。本研究は、ダウリーもしくは婚資の慣習によって、経済的ショックが女子の婚期を早めたり遅らせたりといった違いがあるのか、という疑問に対する、実証に基づいた一つの回答である。 2021/08/05
  • 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動 / 川中 豪 「民主主義は大切だと思いますか」と尋ねれば、おそらく多くの人が「そう思います」と答える。しかし、自分にとって経済的な利益がもたらされるような政策を推進する政治指導者が、敵対する野党の言論を弾圧したり、自らの権力を抑制する司法手続きを無視したりしたとき、この「民主主義は大切と思う」と答えた人たちはどうするだろうか。民主主義的な価値に反する行動をとるこの政治指導者を批判し、自分の経済的な利益が損なわれても、そうした政治指導者への支持を撤回するだろうか。あるいは、とりあえず民主主義は横に置いておいて、自分にとって望ましい政策の実現を重視し、この政治指導者を支持し続けるだろうか。本研究は、権力者による民主主義の侵食が顕著なベネズエラで実施したサーベイ実験で、これを検証した。 2021/07/05
  • 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい / 伊藤 成朗 広がる経済格差の対策として最低賃金を使う。先進各国で最低賃金の引き上げが相次ぐなか、このアイディアは今日的だ。しかし、格差を縮める効果はあるのか。ドレノンクールとモンシャルーの研究は、この今日的課題に歴史的な回答を示している。最低賃金は格差縮小の強力な手段であり、その効果は10年以上消えることはなかった。
    2021/06/14
  • 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響 / 橋口 善浩 暑さが労働者に悪影響をあたえることで、生産量はどの程度減少するのか。過去の研究によれば、主に熱帯地域の途上国において、一国の年間産出量と年間平均気温の間には負の関係があり、暑さは経済活動に悪影響を及ぼす。では、どのようなメカニズム(経路)で気温の上昇が生産量を減少させるのか。生理学の分野では、高温多湿は人間の作業効率を低下させることが知られている。しかし、気温の変化は労働者だけでなく、電力供給(停電)、中間財の調達価格、気象変化(降雨)、自然災害(洪水)あるいは紛争にも影響し、それらを通じて生産量が減少する可能性もある。気温と生産量の関係を仲介する経路は複数あり、そのなかでどれが相対的に重要なのかは自明ではない。 2021/04/21
  • 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から / 塚田 和也 紀元前19世紀ごろ、現在のイラク北部からトルコ中部の一帯にはアッシリア商人による広範な交易ネットワークが存在した。彼らの交易の記録には、アナトリアにかつて存在した多くの都市の名前が登場する。しかし、そのうちのいくつかは、正確な位置を後世に伝えることなく、失われた都市となってしまった。この論文は、青銅器時代の交易の記録と現代の貿易理論を組み合わせることで、失われた都市がどこに存在したのかを特定しようとする壮大な試みである。さらに、復元された4000年前の都市の配置や規模を現在のそれと比較することで、超長期の歴史経路依存についても議論を行っている。 2020/08/03
  • 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史 / 町北 朋洋 企業が基本的な経営管理手法を導入して経営の質を高めると、ほぼ瞬間的に生産性が上昇し、そうした手法の導入費用に比べ、生産性上昇効果に由来する短期の利潤増加は相当大きいことがブルームやマハジャンらによるフィールド実験によって示された 。それでは、基本的な経営管理手法がもたらす生産性上昇効果は、どの程度持続し、長期的な成長を企業に約束するものなのだろうか。単純な問いだが、その答えはまだ蓄積されていない。本研究は、第二次世界大戦後にイタリア企業家に施された技術移転プログラムに注目し、そこに宿る歴史的な自然実験に目をつけ、長期間収集した貴重な史料(会計情報)を組み合わせ、この問いに答えたものだ。 2020/07/01
  • 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき / 伊藤 成朗 習慣を変えることの難しさは数多の研究で指摘されている。心理学者によれば、長期に慣れ親しんだ行動を変えるには、合理性に基づく意思の強さでなく、心理的仕掛け(ナッジ)でもなく、習慣(という無意識の行動)を難しくするのが有効だ。習慣の多くは環境や文脈に依存するため、これらが変わると無意識の行動も難しくなり、習慣を変えるきっかけになる 。 2020/05/01
  • 第42回 安く買って、高く売れ! / 會田 剛史 アフリカの農産物市場は地域ごとに分断されており、取引額が比較的少ないため、価格の変動が大きいと言われる。その背後には、価格が低い収穫期に作物をすべて売り、価格が上がる端境期になって買い戻すという、農家の矛盾した行動も見られる。これには、収穫直後のまとまった現金需要(子どもの学費の支払いなど)に対応しようにも、貯蓄や信用市場へのアクセスが十分でないという事情がある。では、農家にマイクロファイナンス(MF)サービスを提供し、資金の借り入れへの制約を緩和したら、このような矛盾は解消されるだろうか?  2020/04/06
  • 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか? / 浜中 慎太郎 今回紹介するのは、国際関係論の主要テーマの一つである、戦争・紛争は増えているのか・減っているのかという問題を扱う論文である。このような根源的なテーマは、学者、政策関係者のみならず、一般人の素朴な関心も引き付けよう(武内 2019)。この問題の答えは結局のところ、基本概念の定義・定め方次第ということになる。第一に戦争の定義、第二に戦争の趨勢を判断するデータ、第三に考察期間の定め方の妥当性が検討課題となる。 2020/04/01
  • 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響 / 工藤 友哉 誰しも周囲の評価を気にして自分の行動を決めた経験があるのではないだろうか。その行動が「学生時代に友達と遊んでばかりいる(つまり勉強しない)」ことだとしたら、それは個人および社会にとって人的資本の多大な損失につながる。本論文によれば、そんな行動は確かに存在する。そしてその背後には、ガリ勉でつきあいが悪い奴、もしくは、勉強しているのに成績が悪い奴と思われたくないという2つのメカニズムがあるようだ。 2020/03/02
  • 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給 / 川中 豪 地方政府(自治体)の役割は何かと聞かれれば、それは住民に利益を与えることだという答えが返されるだろう。具体的な利益としては、上下水道の整備や教育などの公共財・公共サービスの提供が頭に浮かぶ。これは、住民と地方政府の間にいわゆるプリンシパル・エージェントの関係、すなわち、依頼人と代理人の関係が存在しているとも言い換えられる。代理人である地方政府には、依頼人である住民の利益をできるだけ大きくすることが求められるということだ。 2020/02/17
  • 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない / 伊藤 成朗 生徒への個別指導が成績を伸ばす効果を確認するには、指導前と指導後を比べるのが自然な発想だろう。しかし、すべての人がこの時期に同じ変化をしているかもしれないので、指導経験者と指導未経験者の成績変化を比較して二重差分推計しなくてはいけない。さらに慎重になるために、研究者は指導前よりもさらに前の成績変化もチェックするよう注意を受ける。指導経験者の成績が指導前から伸びる傾向にあれば、指導未経験者よりも成績が伸びたのは単なるトレンドかもしれないからだ。指導前から結果指標に治療群(経験者)と統御群(未経験者)で異なるトレンドがあると、研究者は「プリ・トレンドがある」と独り言を言って政策(個別指導)の効果計測を諦めるのが常識だった。一方、(幸いにも)プリ・トレンドが検知できなかったとしても、検知するだけのデータ量がなかったのではという密かな疑念を拭うことはできなかった。 2020/02/03
  • 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる / 牧野 百恵 サブサハラアフリカ(以下アフリカ)諸国ではなぜ出生率が下がらないのか。経済成長するにしたがって出生率が低下する現象(人口転換)は多くの途上国でみられるが、例外的にアフリカ諸国では出生率が高いままである。最新の世銀開発指標によると、アフリカ女性の合計特殊出生率は5人である。この問いに答えるべく、本研究はセネガルのデータを用いて、一夫多妻制における妻の競争関係が出生率上昇につながり得ることを、初めて定量的に示した。 2020/01/16
  • 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史 / 町北 朋洋 企業の成長を決めるものは何か。何が企業成長を阻害するのか。これは経済発展の根本に関わるテーマで、数多くの検証が行われてきた。本研究は、漁に使う木製小舟製造業に注目するという独創的な設定で企業成長の要因を解明した。結論を先取りすれば、企業成長を左右するものは消費市場の規模と競争である。小舟製造業で市場統合が起き、それが競争を生み、低生産性企業の退出と生産性の高い船大工企業の成長が起きた。短期間に企業数が半減するという恐ろしい結末の裏側で、漁師は耐久性に優れた小舟を比較的低価格で買えるようになった。このきっかけは漁師の間で普及した携帯電話だったという。従来、小舟製造業は親から子へ継承され参入退出も少なく、市場シェアも小さかった。静かだった海が携帯電話の普及とともに荒れたのだ。 2020/01/06
  • 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える / 伊藤 成朗 多くの国で出生率の低下が問題視されている。女性の労働参加率が高まる一方で、働きながら育児をすることが難しいために、子どもを持たないことを選ぶ家計が増えているためだ。このため、育児休業や保育サービスへの補助金など、多くの政府が就労と育児を両立させるための政策を実施している。本論文は、子どもを持つ場合はカップルの両名が同意しなくてはならないことを前提に、これらの政策効果を理解する道具を提供している。なお、本論文では、分析対象が異性カップルに限定されている。 2019/12/16
  • 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ / 工藤 友哉 官僚の働きぶりが国家の能力を決める。とすれば、官僚に適切な誘因を与えることは重要だ。しかし、昇格審査、配属決めといった場面で、学閥や縁戚関係などの「コネ」に基づく人事決定が行われることも多い。それ自体は必ずしも悪ではない。近い関係にある上司は部下の能力や勤務状況について正確な情報をもつため、「コネ」が適材適所や適切な労務管理(例、さぼり防止)につながる可能性があるからだ。実際のところ、コネによる人事決定は官僚の働きぶりにどう影響しているのだろうか。この問いに取り組むのが本研究だ。 2019/12/02
  • 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果 / 工藤 友哉 高齢者等へ座席を譲るよう「優先席」の表示が設置された公共の場所も多い。このようなモラル(道徳観)に訴えるメッセージには効果があるのだろうか。効果があれば、それを戦略的に利用できる政策の場は多くありそうだ。なぜならば、そもそも訴えるだけで、第三者が行動を監視する必要もないため、そうした政策にかかる金銭的な負担は少ないからだ。優先席表示とは異なるが、本論文はモラルに訴える社会実験を行い、その効果を測る。そのモラルとは「借りたお金は必ず返す」だ。 2019/11/18
  • 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質 / 浜中 慎太郎 本研究の主張は「無差別的に見える貿易自由化プロジェクトの貿易効果が全体として微小なのは、それらが実際には特定国からの特定産品の輸入『のみ』が増加するように設計されているからである」というものである。つまり貿易自由化は、あからさまにならない形で「特定の友達の特定の利益を実現する」ようにデザインされている、という。 2019/11/01
  • 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい / 伊藤 成朗 最低賃金規制は低所得者の生活を保障するための手段である。市場賃金があまりにも低いのであれば、生活保障のために上乗せすべきだろう、というのが最低賃金規制推奨の動機だ。当然、上乗せ分は誰かが負担しなければならない。給与は雇い主が支払う。ところが、支払っているからといって負担しているとは限らない。雇い主は賃金の上乗せ分を支払ってはいるが、製品の価格を上げて販売先に一部を負担させるかもしれない。 2019/10/16
  • 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例 / 町北 朋洋 宿のロビーで空港までのバスを待ちながら、ぼんやり周囲を眺めていると、ヘッドホンの若者が一人、ノートパソコンで作業をしている。ここはエチオピアの首都アディスアベバだ。しばらくしてスーツを着た人がやってきて挨拶を交わした後、若者がスーツに画面を見せる。筆者も画面を盗み見る。カフェのホームページだ。ヒジャブにヘッドホンの彼女は自信たっぷりに、スーツの女に説明を行う。スーツはどうやらカフェの店主で、ホームページ作りを請け負った若者と仕上がりを確認していたのだろう。スーツは満足だろうか。バスが迎えに来た。 2019/10/01
  • 第29回 禁酒にコミットしますか? / 會田 剛史 発展途上国では、低所得労働者のアルコールの大量消費が珍しくない。過度の飲酒は生産性に悪影響を与えるだけでなく、近視眼的な意思決定に繋がって貯蓄や投資を妨げるために、貧困が深刻化しかねない。一方、行動経済学においては、自分の意思が弱いことを自覚している人に対しては、コミットメント(自分の行動を縛る具体的な仕組み)を提供することにより、望ましい行動に導けることがわかってきている。今回紹介するのは、禁酒へのコミットメントの機会を実験的に提供することで、その効果を検証した論文である。 2019/09/17
  • 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい / 伊藤 成朗 最低賃金は所得の低い労働者を助ける政策として多くの国で採用されている。貧困をなくすという目的に反対する人は少ないだろう。でも、企業の経営者ならば安易な最低賃金引き上げに疑問を呈するのではないか。スキルの低い人を雇う費用が高くなれば、経営が苦しくなり、そうした人たちを雇う意欲も失せてしまうからである。1990年代半ばまでの実証研究では、最低賃金引き上げは雇用を減らすという理解が大勢であった 。しかし、カードとクルーガー が1995年に雇用は減らないという推計結果を示すと論争が起こる。今回紹介するCDLZ論文は雇用減らない派への強力な援護射撃である。 2019/09/02
  • 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策 / 工藤 友哉 政府にとって申告納税制度の悩みの種は、虚偽申告による脱税行為だ。その抑制と摘発のために税務調査が存在するが、適切な人材や財源が不足しがちな発展途上国で、かつ税務調査官による汚職の可能性が存在する場合には、その有効性に限界がある。税務調査以外に効果的な脱税防止策はないだろうか? その答えの一つが、本論文が分析するブラジル、サンパウロ州の税金還付制度だ。 2019/08/16
  • 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響 / 橋口 善浩 1960年代、途上国の人口は先進国の3倍以上の速さで増加していた。その急速な人口成長は途上国にさらなる食糧難と困窮を招くおそれがあった。いわゆる「マルサスの罠」である。しかし、途上国の出生率はその後、半分に低下し、一人当たりGDPは2倍になった。経済成長と出生率の間にはどのような関係があるのか。今回紹介する研究は、途上国における短期的な景気変動および長期的な経済成長率が出生率に与える影響を実証的に分析したものである。 2019/08/01
  • 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析 / 間 寧 2010年代前半、アフリカにおける抗議運動の年間発生件数は2000年に比べて5倍に増えた。これら抗議運動の半分以上は経済状況の改善を求める運動で、イデオロギー的抗議運動や体制転換を求める抗議運動とは性格を異にする。本論文は、なぜ人々が経済抗議運動に参加するのかを個人の損得勘定と国家制度の両面から解明する。 2019/07/16
  • 第24回 信頼できる国はどこですか? / 浜中 慎太郎 本研究の中心テーマは「どのような国々の間で機密情報のやり取りがなされるのであろうか」という問題である。機密情報を交換するには、相当の信頼感が求められる。著者たちは、「国内の法制度により国際協力の存在を説明することが可能である」という仮説を立て、それを定量的に検証した。 2019/07/01
  • 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す / 工藤 友哉 発展途上国の公務員の生産性を引き上げるのは難しい。財政及び制度面での制約があるため、給与が低い、成果報酬を柔軟に支払うことができないなど要因は様々だ。また、民間企業と異なり解雇リスクが低く、昇進は概ね年功序列で決まる場合も多いため、報酬増には彼らの「さぼり」や「副業」を防ぐ効果がないことを示唆する既存研究もある。では、勤務地の希望を叶えることで彼らの生産性を高められないだろうか。本論文の著者らはパキスタン政府と協力した社会実験を行い、この問いに答える。 2019/06/17
  • 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」 / 會田 剛史 高い効果が見込まれる農業技術をいかに効率的に普及させられるか。これは開発経済学における重要な課題の一つである。これまでの研究によれば、多くの農民はそもそも新しい技術の導入には慎重であるため、すでにその技術を導入した近隣の農家の経験から学ぶこと(社会的学習)の重要性が指摘されてきた。本研究は、「誰が技術を伝えるか」という技術伝達者のタイプと「普及にインセンティブを与えるとどうなるのか」という経済的動機付けの効果の2点に注目して、この社会的学習を促進するための方法を検証したものである。 2019/06/03
  • 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判 / 牧野 百恵 貧困層はなぜ貯蓄できないのか。単に貧しいからというだけではなく、フォーマルな貯蓄サービスにアクセスしづらく、またコミットメントの機会がないという可能性が開発経済学者の注目を集めてきた。それではコミットメントの機会はどのように得られるのだろうか。コミットメントを促すチャネルとして、本研究は評判に着目する。 2019/05/16
  • 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響 / 伊藤 成朗 母胎への過度のストレスは胎児の発達に問題を引き起こすので避けるべき、ということはよく知られている。所得が低いほど胎内ショックの影響を受けやすければ、子どもは産まれる前から所得を得るうえで不利になり、世代を超えた所得格差継続の一因となる。本論文でパッソンとロシン・スレーターは、ショックが子どもの精神障害を引き起こし格差が続く可能性を示している。 2019/05/07
  • 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか / 牧野 百恵 サブサハラアフリカや東南アジアの一部では、婚姻時に花婿側が花嫁側に送る婚資の慣習がみられる。婚資とは、結婚市場で決定される花嫁の価格であり、それは女性に対する不当な扱いを助長させるとして、廃止すべきという政策論争がある。実際、ケニアやウガンダではそれぞれ2012年、2015年に、婚資は法律で禁止された。 2019/04/16
  • 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」 / 工藤 友哉 警察や軍隊に代表される独占的暴力の保有、課税、および納税者財産の保護(治安維持)が「国家」であることの条件ならば、いつ、どこで「国家」は生まれるのか? 本論文によれば、税収が期待できる時、そして効果的に課税できる場所に「国家」が誕生する。 2019/04/01
  • 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換 / 會田 剛史 発展途上国の小規模農家は、天候不順などの様々なリスクにさらされており、その損失をカバーする作物保険の効果は大きいはずだが、加入率は低いことが知られている。では、どうすれば加入率を高めることができるだろうか?今回紹介するのは、この問題をシンプルかつ大胆に捉え直し、その発想の威力を実験した研究だ。 2019/03/18
  • 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性 / 工藤 友哉 伝統的な経済学は、戦略的な行動をとる個人を前提とする。しかし、行動・実験経済学者による実験室実験ではこの前提と矛盾する結果がしばしば得られる。人は皆、戦略的に行動しているだろうか? 先進国・途上国問わず、経済学に基づく政策議論の基礎となるこの重要な問いに現実社会のデータを用いて取り組む稀な研究が、米連邦議会上院議員の投票行動を分析する本論文だ。 2019/03/01
  • 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります / 伊藤 成朗 貧困とは突き詰めれば個人ごとの現象だが、消費を個人ごとに調べることは稀である。昨日の食事を誰がどれだけ食べたか、家計で共通の光熱費などをどうやって個人に割り振るか、質問されても明確に答えられないからだ。でも、諦める必要はない。個人消費を正しく当てることはできないにしても、個人消費額が取り得る「範囲」を計算する方法がある。 2019/02/18
  • 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す / 牧野 百恵 途上国の農村に住む人々の消費平準化の手段として、都市への出稼ぎ(短期的な労働移住)は有効な方法と考えられてきた。また、消費の変動を小さくするというリスク回避のためだけでなく、消費水準を底上げする目的でも、出稼ぎは大変有効だと考えられている。例えばインド農村では、全世帯の20%が少なくとも一人以上の出稼ぎ者を都市へ送り出し、その収入は世帯収入の半分以上を占めるという。都市への労働移住が貧困削減、リスク削減に役立つことは明らかに思えるのに、実際に農村から都市へ長期的に移住する者は稀であるし、短期的な出稼ぎ者ですら期待されるほど多くない。開発経済学者はこの現象を謎とみなし、解明すべく関心を寄せてきた。 2019/02/01
  • 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性 / 工藤 友哉 食事、睡眠時間、通勤手段など、多くの人にとって生活習慣を変えるのは難しい。なぜか。ある経済学者の答えはこうだ。「人間は合理的で最適な選択をする。その結果が今の習慣だ。既に最適なのだから変わるはずがない。」この答えに疑問を呈するのが本論文だ。 2019/01/16
  • 第12回 長期志向の起源は農業にあり / 會田 剛史 将来のために、今我慢する。今回紹介する論文は、こんな考え方の起源を農業に求めるという壮大な研究である。 2019/01/07
  • 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す / 伊藤 成朗 産科医が妊婦にお酒を飲まないようにと注意するのは、アルコールが胎児の発達を妨げる可能性があるためだ。そのエビデンスは実はあまりない。質の高いエビデンスを得るには人間を対象に実験する必要があるが、妊婦にお酒を飲ませて余計なリスクを与える実験は、被験者によほどのメリットがない限り、倫理的に許されないからである。 2018/12/17
  • 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか / 牧野 百恵 サブサハラアフリカ(以下アフリカ)諸国でみられる、男性より女性のHIV感染者の方が多いという現象は、世界でも特殊であり、HIV/AIDSの「女性化(feminization)」と呼ばれている。アフリカ諸国でこのような現象が見られるのはなぜか? 本研究は、その理由の一つとして家庭内交渉力に注目し、妻の財産権の保障が避妊方法に関する妻の交渉力を引き上げ、HIV感染率を下げることを実証している。妻の財産権の保障の程度は、法体系の由来――コモン・ローか大陸法か――によって異なる。これまでの途上国に関する研究では、大陸法よりコモン・ロー由来の法制度の方が、一般的に契約の強制執行や財産権の保障に関して優れており、経済開発につながることが示されてきた。しかし、こと妻の財産権の保障、具体的には、家事労働の経済的評価、共有財産権の保障、離婚時の妻の財産権(折半)の保障、の3点については大陸法の方が優れており、本研究によればその違いが女性のHIV感染率の違いにつながっているという。 2018/12/03
  • 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出 / 工藤 友哉 同郷者に親近感を抱く人は多い。税金で賄われる科学研究費が同郷という理由だけで研究者に配分されていたら、どう感じるだろうか。本論文によれば、科学・技術の発展、ひいては生活の質の向上のために使われるべき研究資金の配分額が同郷出身者への「えこひいき」の影響を受けている可能性がある。 2018/11/16
  • 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか / 橋口 善浩 もし労働者が国内を自由に移動し、自らの能力を最大限発揮できる場所で働くことができれば、一国全体の生産性はどの程度改善されるのだろうか。今回紹介する研究はこの問題に対して一つの答えを提供する。 2018/11/01
  • 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない / 伊藤 成朗 貧しいとはどういう状態なのだろう。知識のある人に尋ねれば「世界銀行の基準だと一日1.9ドル(OECDレートで約190円)以下の生活」を指すよと教えてくれる。190円で生活できるの?と素直な人なら驚いて問い直すだろう。そして、世界銀行はどうやって190円に決めたの?という疑問も湧く。 2018/10/15
  • 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか / 牧野 百恵 バングラデシュの縫製工場では、他の労働者の紹介によって雇用される労働者が35%を占めており、そのうちの65%は親戚、しかもその70%は拡大家族(住居をともにする叔父叔母やイトコといった近い親戚)間の紹介である。途上国一般において、労働者を雇う際にこのような紹介が頻繁に利用されている。縁故採用と同様、紹介される労働者の能力は平均して低いとの指摘があるにもかかわらず、雇用者がこのようなインフォーマルな紹介制度を利用するのはなぜか。途上国では、ハローワークのような公的な就労支援制度やウェブサイトや掲示板で公表される求人情報に応じるかたちでのフォーマルな就職活動は主流ではない。本研究は、他の労働者からの紹介があることで、紹介された労働者のモラルハザード問題を軽減できるという契約理論モデルを構築し、それにより導かれる仮説――紹介者と被紹介者の賃金に正の相関があり、両者の賃金が低い場合ほど相関が強い、被紹介者は紹介がない労働者より賃金上昇率が高いなど――をバングラデシュのデータを用いて実証している。本研究の強みは、紹介者と被紹介者の月ごとの賃金、勤務先、職種などを回顧パネルデータとして独自に収集・作成したことによって、同一工場内の紹介の存在、その影響を直接に把握できる点にある。 2018/10/01
  • 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結 / 工藤 友哉 社会・経済活動を円滑に進めるうえでルールを守ることは欠かせない。しかし、約束事を守るよう子供をしつけることは、しばしば親にとっては骨が折れる。誰かが代わりに子供をしつけてくれるならばそうしたい。今回紹介する論文では、その誰かが「国家」である。 2018/09/19
  • 第4回 後退する民主主義 / 川中 豪 世界各国で民主主義が後退しているという議論をメディアの論説でかなり頻繁に目にするようになった。民主主義の後退とは、民主的な手続き、すなわち選挙によって権力を掌握した政治家が、民主主義制度を支える三権分立をないがしろにし、国民の「敵」として野党やメディアを攻撃し、自らの権力保持と政策実施に手段を厭わない状況と理解されている。ベネズエラのチャベスやトルコのエルドアン、そして何よりアメリカのトランプといったかなり強烈な個性を持つリーダーたちの登場が、人々の興味を引いているのであろう。 2018/07/18
  • 第3回 子供支援で希望を育む / 會田 剛史 2017年のノーベル経済学賞は行動経済学への貢献に対して、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授に授与された。心理学の知見に基づいて、伝統的経済学が前提とする人間観(ホモ・エコノミクス)の見直しを迫る行動経済学は、経済学のほぼ全ての領域に影響を与えているといっても過言ではない。開発経済学についてはこの影響が特に顕著であり、近年では貧困状態から抜け出すための希望・願望といった心理的要因の重要性についての研究が進んでいる。 2018/01/19
  • 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか / 牧野 百恵 5歳以下の子供たちの発育阻害は、性別・月齢をもとに標準化した身長(Height for Age(HFA)――Zスコアと呼ぶ)をもとに判断するのが一般的である。HFA-Zスコアは長期的な栄養状態を反映するとされ、ユニセフの定義によると、HFA-Zスコアが2標準偏差を下回ると発育阻害とみなされる。以下では読みやすさを優先して、HFA-Zスコアは身長と言い換えることにしよう。 2017/11/01
  • 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか? / 町北 朋洋 どの国でも賃金は経験を積むごとに上昇するのだろうか。ここで紹介する研究は生涯にわたる賃金上昇を国際比較しようという野趣あふれるものだ。最貧国から先進国まで幅広い所得グループの国を選び、各国の横断面データを複数年分用いて、労働市場での経験年数が上昇するとともに賃金がどれくらい上昇するかを測定した。本研究は賃金プロファイルの傾きを先進国と途上国で比べ、そこに違いがあるのか、違いがあるとしたらそれは人的資本理論やサーチ理論が示唆する仮説で説明できるかを探究しようというシンプルなものだ。 2017/11/01