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コラム

文化ののぞき穴

第1回 韓流アイドルは今日も全国を走る

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050218

2018年3月

書籍:大韓民国でガールズグループとして生きるということ

書籍紹介

イハクジュン『大韓民国でガールズグループとして生きるということ――ガールズグループの少女たちにハイヒールの代わりに運動靴をプレゼントしたマネージャーの物語』アウルム、2014年。

「韓流」はすっかり世界的なポップカルチャーとして定着して、「少女時代」、「東方神起」、「ビッグバン」などのKpopアイドルは日本でもよく知られている。しかし、当然のことながら、韓国でもすべてのアイドルが成功できるわけではない。本書は、ドキュメンタリー映画監督である著者が芸能プロダクションにマネージャーの見習いとして1年間勤務しながら、新人アイドルグループに密着してデビュー前後の活動を撮影した記録である。

2010年頃、業界では大物として知られるシン・ジュハク社長率いる中堅芸能プロダクション「スター帝国」は、「少女時代」の成功からスタイルのよい女性アイドルこそ時代の潮流と読んで、新人モデルと歌手志望者を融合させた9人組グループ「ナインミュージス」のデビューを計画する。そのためにモデル選抜大会で入賞した新人を3人抜擢するが、モデルとしてのプライドを持つ彼女たちは歌やダンスのレッスンに熱心になれない。他方、歌手を志望して長く練習生として準備してきた他のメンバーたちは、モデル出身者に合わせるために過酷なダイエットを強いられる。露出の多い衣装にも不満を口にして、主任マネージャーから激しく叱責されてしまう。グループ内で「モデル派」と「非モデル派」の不和が深まっていき、メインボーカルのセラは責任を問われてグループ・リーダーからの降格を命じられる。その場はとりつくろうも、著者の前では涙が止まらないセラ……。

有名ミュージシャンであるパクジニョン作詞・作曲によるデビュー曲も決まり、大型新人グループとして世間の期待が高まってくる。しかし、韓国アイドルの曲がヒットするかどうかは、リリース直後に出演するテレビ音楽番組でのパフォーマンスに対するインターネット上の評判で決まる。彼女たちは同じ歌、同じ振りを一日何十回、何百回と「夜中に突然曲が流れて目を覚ましても完全に動ける」まで練習を重ねる。いよいよ最初のケーブルテレビ番組の収録を迎えるが、冒頭のソロボーカルの不安定さが他のメンバーにも伝染し、低調なパフォーマンスで終わる。翌日の地上波番組では、滞在先のバンコクから急遽帰国したシン社長がテレビ局の廊下で直接歌とダンスを指導して収録に送り出す。しかし、失望のコメントがネット上にあふれた前日の失敗を挽回することはできず、デビュー曲は音楽チャートで80位程度という惨憺たる結果となってしまう。

曲が売れて話題になればテレビのバラエティへの出演、さらには海外進出ときらびやかな世界が用意されている。しかし、スタートに失敗したナインミュージスに待っていたのは地味で過酷な地方でのイベント巡りだった。「霊厳F1前夜祭」、「陰城人参まつり」「釜山チャガルチ文化観光まつり」……。広く認知度を上げる目的もあるが、何よりもアイドルグループの育成には莫大な資金が投入されている。少しでも、それも早期に回収するためには「流浪劇団」となって地方で稼ぐしかない。1日何カ所もイベントを巡って全国を自動車で駆け回るのは、運転するマネージャーにとっても重労働である。そのため、韓国のアイドルはしばしば交通事故に遭い、過去には死亡するケースも起きている。ナインミュージスも例外でなく、地方放送局での収録からソウルに戻る途中で事故に遭い、5人のメンバーが負傷してしまう。それでも、起死回生のためにシン社長が苦労してブッキングした「韓流コンサート」のために、事故直後から一部メンバーはギプスをはめたまま練習に打ち込む。そうしたなか、負傷したメンバーのひとりであるジェギョンは、事故以降練習に出てこなくなってしまう。しかもジェギョンには若いマネージャーと恋仲になった疑いが浮上する。ついに社長はジェギョンと予備メンバーの入れ替えを決断する……。

芸能界の裏側にある過酷な現実は日本を含め、世界のどこでもみられるものだろう。しかし、韓国の厳しさは別格であるようにみえる。韓国は「オーディション社会」と称されるほど、一般の人々も大学受験から就職試験、そして出世競争へと常に単一の目標に向けて激しい競争を強いられる。そこでは鬱屈を抱えた多くの敗者を生み出しながら、社会全体としては競争を勝ち抜いた少数の者が主導する強靱なシステムが形成されている。韓国芸能界はまさにその縮図である。

本書の副題は、著者が撮影を終えて退社する際、常にハイヒールを履きながらのダンスを強いられるナインミュージスのメンバーたちに、少しでも休息になればと運動靴をプレゼントしたことに由来する。このとき、メンバーは皆、声を上げて泣いたという。しかし、編集作業に入ると、過酷な芸能界に翻弄される少女たちの素顔を撮影したつもりでいた著者は、デビュー後の彼女たちがカメラの前でみせるべきこと、隠すべきことを徹底して区別するようになったことに気づく。彼女たちは無垢な少女から大人の芸能人になっていたのだ。結局、完成したドキュメンタリー映画は中途半端な出来となり、期待していた海外市場でも高い評価を得られずに終わる。その意味で本書は二重の失敗についての記録である。それでも、最後まで失われない著者の彼女たちへの優しいまなざしが、暖かい余韻を読者に残してくれる。

(付記)本書のなかでは事実上「失敗したアイドル」として扱われているナインミュージスだが、その後も地道な活動を続け、デビューから7年以上が経った現在も中堅アイドルグループとして活動中である。ただ、現在は4名構成に変わり、デビュー時のメンバーは1人しか残っていない。
著者プロフィール

安倍誠(あべまこと)。ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ長。専門は韓国企業・産業論。主な編著に『低成長時代を迎えた韓国』ジェトロ・アジア経済研究所、2017年。

書籍:低成長時代を迎えた韓国

【連載目次】

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