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コラム

文化ののぞき穴

第5回 「世界最大の民主主義国」インドの不都合な真実(後編)

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050468

2018年8月

書籍紹介

ヴィカース・スワループ『6人の容疑者 (上)(下)』(子安亜弥訳、RHブックス・プラス、2012年)

荒唐無稽なストーリー

『6人の容疑者』のストーリーはかなり荒唐無稽である。というのも、社会的背景があまりにも大きく異なり、普通に生活していれば絶対に交差するはずのない登場人物たちが、ちょっとした偶然から、殺人事件が起こるパーティー会場へと否応なく引き寄せられていくという、いかにも小説らしい筋立てになっているからである。

その一方で、多様でカラフルな登場人物たちが複雑に絡み合いながら、パーティー会場へと収束していくという一連の展開がスピード感のある筆致で描かれるとともに、実在のエピソードや本当に起きている(と思われる)様々な出来事が、ストーリーのなかに自然な形でちりばめられている。このように、虚構と現実という2つの要素が互いを支え合いながら見事に融合しているからこそ、『6人の容疑者』という小説は、インド社会が抱える深い闇の部分を鮮明にあぶり出す社会派サスペンスに仕上がっているのである。

この小説のなかで、6人の容疑者を殺人現場となるパーティー会場へ引き付ける「磁石」のような――もっと生々しい表現をすれば、「蟻地獄」または「ブラックホール」のような――役割を果たしているのが、ヴィヴェーク・“ヴィッキー”・ラーイという人物である。ウッタル・プラデーシュ州政府の内務大臣を務める大物政治家の息子であり、ラーイ産業グループのオーナーでもあるヴィッキーは、「人間のクズの見本みたいな男」(上巻、12ページ)という描写からもわかるように、札付きの悪党としてよく知れた存在だった。

ところが、数々の犯罪行為に関与してきたにもかかわらず、父親の絶大な権力とカネの力のおかげで、ヴィッキーは法の裁きを逃れ続けてきた。例えば、泥酔状態で高級外車を乗り回した挙句、歩道に寝ていたホームレス6人を虫けらのようにひき殺しても、さらには、野生動物保護区で狩りをして、保護種に指定されているインドレイヨウを2頭撃ち殺しても、目撃者が証言を突然翻したり、重要な証人が謎の死を遂げたりするといった「幸運」が重なった結果、ヴィッキーはいつも無罪放免されていたのである。

もちろん、裁判沙汰を立て続けに起こしてきた過去を反省し、真っ当に生きていこうなどと考えを改めるはずもなく、それどころか、ヴィッキーの悪行はますますエスカレートしていく。そしてついには、あるパーティーで酒の提供を断られたことに逆上したヴィッキーが、スーツのポケットからリボルバーを抜き出し、バーテンダーの女性を衆人環視のなかで撃ち殺すという衝撃的な事件を起こしてしまう。ところが、有罪が決定的と思われたこの裁判でも、警察が凶器の拳銃を紛失したり、殺害の瞬間を目撃していた証人全員が証言を撤回したりと不可解な出来事が立て続けに起こった末に、例によってヴィッキーに無罪判決が下されたのである。

ヴィッキーが何者かによって至近距離から射殺されたのは、この無罪放免を祝うために彼自身が企画したパーティーの最中の出来事であった。そして、私刑執行時にパーティー会場に居合わせた人たちのなかから、銃を所持していた6人が容疑者として浮かび上がる……。

ヴィッキー・ラーイの虚実

実は、ヴィッキー・ラーイという悪の権化のようなキャラクターは、フィクションの要素をところどころに織り交ぜながら、実在する2人の人物を掛け合わせてできている。

そのうちの1人が、人気ボリウッド俳優のサルマーン・カーンである。数多くの映画作品に主演して次々とヒットを飛ばし、最近ではテレビのリアリティー番組の司会者としても好評を博しているという輝かしい経歴を考えれば、サルマーン・カーンが最も成功しているボリウッド俳優の1人であることに疑問の余地はない。ところがその一方で、裁判沙汰になるような事件を自ら起こしたり、無神経な言動や問題視されかねない行動を繰り返したりと何かと世間を騒がせることも多く、ネガティブなイメージが影のようにつねに付きまとっている1

写真:ボリウッドで最も成功している俳優の一人、サルマーン・カーン

ボリウッドで最も成功している俳優の一人、サルマーン・カーン
Bollywood Hungama [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons

例えば、ヴィッキーの人物設定に関連して、歩道で寝ていたホームレスを飲酒運転中にひき殺し、さらには、保護種に指定されている野生動物を撃ち殺したというエピソードを紹介したが、サルマーン・カーンは同じような事件を実際に起こしたのではないかと疑われている。つまり、この2つの事件に関して、サルマーン・カーンはヴィッキーのモデルになっているのである2

そして、ヴィッキーのもう1人のモデルが、ハリヤーナー州の有力政治家の息子マヌ・シャルマーである。おそらく、察しのよい読者ならもうお気づきかと思うが、パーティー会場で酒の提供を断られたことに逆上して、バーテンダーの女性を衆人環視のなかで射殺するという、にわかには信じ難い行為を実際にしたのが、このマヌ・シャルマーという人物である。さらに、被害女性の名前を取って「ジェシカ・ラール殺人事件」と呼ばれるこの事件をめぐる裁判では、殺害の瞬間を目撃していたはずの証人が次々と証言を翻すなどした結果、マヌ・シャルマーを含む9人の被告全員に無罪判決が下された。この点もヴィッキーの人物設定とまったく同じである3

ただし、ヴィッキー・ラーイはあくまでも架空のキャラクターであり、虚実を巧みにないまぜにして作り上げられている。まず、サルマーン・カーンはヴィッキーの場合とは異なり、2つの事件のいずれについても、有罪判決が下されたり、無罪判決に対して異議申し立てや上訴が行われたりと紆余曲折を経ており、関連する裁判が延々と続いている。

また、マヌ・シャルマーはヴィッキーのように、無罪判決後に何者かによって殺されることはなかった。しかし、不可解な無罪判決に対する激しい反発と抗議がインド全土に広がった結果、ジェシカ・ラール殺人事件をめぐる裁判はやり直され、マヌ・シャルマーは終身刑の判決を受けることとなった。ちなみに、マヌ・シャルマーは、デリーにあるティハール刑務所に現在も服役中である。

強い者には弱く、弱い者には強く

『6人の容疑者』には、アルン・アドヴァーニーという調査ジャーナリストが、狂言回しとしてたびたび登場する(実は、この登場人物はさらに重要な役割を演じるのだが……)。ヴィッキー・ラーイの悪行の数々を長年にわたって追及してきたアドヴァーニーは、あるテレビ番組に出演した際に、ヴィッキーの死を喜んでいるのではないかと司会者から尋ねられ、次のように答えている。

「いいや。だって私が戦いを挑んできたのは、ヴィッキー・ラーイ個人ではないからね。相手はシステムそのものなんだ。金持ちや権力者たちが、自分は法を超えた存在だと錯覚してしまうようなシステムさ。ヴィッキー・ラーイという男は、この社会に巣くう闇が目に見える形をとって現われたに過ぎない。」(上巻、19ページ)

「自分は法を超えた存在だと錯覚してしまうようなシステム」のなかには、ヴィッキー・ラーイ殺害の容疑者の1人であり、彼の父親であるジャガンナート・ラーイも含まれている。インドで最大の人口規模を誇るウッタル・プラデーシュ州の州首相の座を狙うジャガンナートは、殺人、誘拐、脅迫、買収から政治的動員のための扇動行為まで、自らの政治的野心のためなら手段を択ばない人物として描かれている。その姿は、政治指導者というよりはギャング集団のボスのようである。実際、「世界最大の民主主義国」インドには、「金力」(資金力)と「筋力」(暴力)にものをいわせて、あまたの犯罪行為に関与している政治家――より正確には、政界に進出した犯罪者――が数多く存在する4

なお、ジャガンナート・ラーイが州政府の内務大臣というのは、実に秀逸な設定である。なぜなら、内務大臣は警察組織を意のままに動かせる強力な役職であるため、違法行為を「合法的」に実行することが可能だからである。具体的には、警察を使って反対勢力を組織的に弾圧したり、配下の者たちの違法行為を見逃すよう警察に圧力をかけたりといった点が挙げられる5。  

その一方で、圧倒的多数を占める一般市民、そのなかでも特に貧困層や被差別集団などの弱い立場の人たちは、正当な権利が認められないばかりか、基本的人権が平然と踏みにじられることさえあり、『6人の容疑者』には、そうした過酷な現実を踏まえたエピソードがふんだんに盛り込まれている。例えば、まともな仕事に就けずに、携帯電話泥棒を続けているムンナーというダリト(旧不可触民)の若者は、泥棒仲間のラッランを警察の拷問によって失ってしまう(ちなみに、この小説ではもう1つの拷問死が描かれている)。

たとえ証拠が十分に揃ってなかったとしても、さらには、そもそも罪を犯していなかったとしても、警察による強圧的な取り調べと執拗な拷問によって自白を強要されてしまうため、「警察に目をつけられたら、やっていなくてもとにかく逃げる」という場面が、インドの小説や映画にはよく登場する(例えば、『ぼくと1ルピーの神様』にも同様の場面がある)。ちなみに、インドの政府機関の統計によると、2010年から2016年までの7年間で勾留中の死亡者数は683人にも上っている。さらに、容疑者を逮捕する以前の問題として、「身柄を拘束しようとしたところ、相手が抵抗して交戦状態となったため射殺した」と称して、警察が容疑者(さらには、まったくのでっち上げの「容疑者」)を超法規的に殺害しているとの批判も絶えない6

『6人の容疑者』は、上記の引用文が示唆するように、民主主義、司法、警察などのフォーマルな制度の裏側をリアルに描き出している。つまり、社会的公正を実現するために設けられているはずの諸制度が「弱い者」を護らないばかりか、「弱い者」を支配するための道具として、「強い者」に都合よく悪用されているという、インド社会の実態を見事に浮き彫りにしているのである。

2014年5月にナレーンドラ・モーディー首相率いるインド人民党(BJP)政権が成立して以降、こうした状況は改善されるどころか、むしろ悪化の一途をたどっている。例えば、現政権の後ろ盾を得たヒンドゥー至上主義者の集団が、「牛の自警団」を自称して、イスラム教徒やダリトを集団でリンチする事件がインド各地で頻発しているのは、まさにその好例である7。「世界最大の民主主義国」と呼ばれるインドの民主主義は、「選挙だけの民主主義」(elections-only democracy)にすぎないのではないかという見方は、残念ながらますます現実味を帯びてきているように見える。

(おわり)

著者プロフィール

湊一樹(みなとかずき)。アジア経済研究所地域研究センター研究員。専門は南アジアの政治経済。最近の著作に、「非政党選挙管理政府制度と政治対立――バングラデシュにおける民主主義の不安定性」(川中豪編著『後退する民主主義、強化される権威主義』ミネルヴァ書房、2018年)がある。

書籍:後退する民主主義、強化される権威主義


  1. スター俳優としての地位を築いていく過程で数々のスキャンダルが明るみになっていくという、サルマーン・カーンの影の部分を描いた優れた評論として、Vetticad, Anna M. M. (2017) "Being Salman: The dangerous innocence of Bollywood's most controversial superstar," The Caravan, 9 (11), pp. 20-40を参照。
  2. 野生動物の密猟事件(1998年)と飲酒運転中のひき逃げ事件(2002年)については、"1998-2018: A timeline of the blackbuck poaching case," Economic Times, 7 May 2018; "From Arms Act to hit-and-run case, Salman Khan's run-ins with the law," Indian Express, 27 January 2017を参照。なお、野生動物の密猟事件に関連して、サルマーン・カーンは銃を不法に所持・使用した罪にも問われた。
  3. 詳しくは、"Acquittal in Killing Unleashes Ire at India's Rich," New York Times, 13 March 2006; "Death in Delhi," Economist, 13 January 2011; "What is the Jessica Lall murder case?" Indian Express, 24 April 2018を参照。最近の関連報道としては、"Jessica Lal's sister forgives killer, won't object to release," The Hindu, 22 April 2018; "Jessica Lal murder convict Manu Sharma moved to open jail," Hindustan Times, 22 April 2018などが挙げられる。
  4. 「政治の犯罪化」については、Vaishnav, Milan (2017) When Crime Pays: Money and Muscle in Indian Politics, New Heaven: Yale University Press; "Grand welcome for 'Sultan of Siwan'," The Hindu, 11 September 2016を参照。
  5. 内務大臣という役職の重要性については、Brass, Paul R. (1965) Factional Politics in an Indian State: The Congress Party in Uttar Pradesh, Berkeley: University of California Pressの212-213ページを参照。
  6. 警察による拷問が原因と思われる、勾留中の死亡事件については、Human Rights Watch (2016) Bound by Brotherhood: India's Failure to End Killings in Police Custodyを参照。警察による容疑者の超法規的殺害(いわゆる「fake encounter」)については、"'Fake encounters': 16 in UP, 12 in Mewat, says rights group; cops deny," Indian Express, 9 May 2018を参照。
  7. 詳しくは、"Cows are sacred to India's Hindu majority. For Muslims who trade cattle, that means growing trouble," Washington Post, 16 July 2018; "Elderly Muslim man who survived Hapur lynching recounts the terror, seeks a fair investigation," Scroll.in, 15 July 2018を参照。また、カシミール地方での人権侵害については、拓徹(2016)「危機に瀕するカシミール」(『オルタ』155号、11月20日)、Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights (2018) Report on the Situation of Human Rights in Kashmir: Developments in the Indian State of Jammu and Kashmir from June 2016 to April 2018, and General Human Rights Concerns in Azad Jammu and Kashmir and Gilgit-Baltistan (PDF)を参照。
【連載目次】

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